第百八十話 やかましいようですが
──だが、驚きはあったがそれまで。
言葉を失い唖然となるにまでは届かなかった。
なぜなら、この場に来るまでの間に覚悟はあったからだ。
「驚かないところを見ると、やはり予想はしていたか」
「……十分に驚いちゃいるさ。ただ、心構えがあっただけだ」
左肩を押さえたバエルの声に、俺は息をゆっくりと吐き出してから答えた。見ると、左肩を押さえて顔を顰めている。腕から血が流れてはいるが、さほど深い傷ではないようだ。
その流れ出る血が地面に滴り落ちると、やはり赤から青にへと変じていく。
「ワイス。偽装を解け」
「いいのかい?」
「この後に及んではもはや意味もあるまいに。貴様もその方が戦いやすいだろう」
「分かった。これって結構気を使うからな、正直にいうと助かる」
ワイスがパチンと指を鳴らした。
途端に、バエルとワイスの気配が圧を増す。内側に押し込められていたものが解放されたような感覚だ。変化は気配にとどまらず、二人の肌が人間のそれから灰色へと変じていく。それに伴い、頭部からは禍々しさを帯びた角が生える。
「黒刃、まさかありゃぁ」
「ああ。今話題の『魔族』さんだよ。王都に出てきたやつとはちょっと別口らしいがな」
この展開はリードも予想外だったようだ。俺が肯定すると小さく息を呑んだ。「どうして事前に」と言い出さないのは、なんにせよあの二人がこの戦いにおいて最大の障害である事に変わりはなく、リードもそれを理解しているからだ。
「同胞が一度見せた手口であるからな。昨晩の厄獣召喚に貴様らなら食いつくと思っていた。もっとも、これに関しては結果論に過ぎないが、雇い主にしてみれば都合が良い」
「ナリンキはお前らが魔族だってのを知ってるのか」
「金で雇える者であれば出自は問わんらしい。雇い主にするにあたって非常にありがたい」
ある意味潔いというか豪胆というか。徹底した拝金主義にむしろ感心してしまいそうだ。
『前に言ってた同胞ってのは、王城に出た魔族のこったろうよ』
「名が広がるのはせめて、人間だけの間にしてくれねぇかな」
「貴様のおかげで我らの段取りが根底から崩れた上に、作戦に参加した幾人かは殺されている。これで『黒刃ユキナ』の名を覚えるなと言う方が無理な話というものだ」
グラムに嘆きを返せば、バエルが言葉を差し込んでくる。今の言葉からして、おそらくは王都の騒ぎに乗じユーバレスを拠点に暴れ、さらに国内の混乱を加速させるつもりであったのだろう。そのくらいは俺にだって推測できる。
でもって俺に予想できたのであれば当然、ナリンキだって同じのはずだ。見てくれは豚だが油断できない豚ではあるとリードは念を押していた。バエルたちの目論見だって当然分かっていたはずだ。
そいつを承知で雇い入れているというのだからやはり驚くしかない。国家主導で捕縛に乗り出すのも納得するほどの危険人物であると、俺は改めて実感させられた。
「……どうやら、思っていたよりも深刻な状況ってのは分かった」
リードは驚きから立ち直り即座に状況を飲み干した。やはり凄腕の傭兵というだけはある。俺だって昨晩の厄獣召喚が無ければ気が付かず、いきなり知らされたらもっと驚いていたに違いない。
と、リードは徐に自身の顔に手を添えると、左目を覆っていた眼帯を引きちぎった。
「出し惜しみは無しだ。俺もちょいとばっかし本気で行かせてもらう」
露わになったそれを目にした俺は、先ほどの青い血を見た時を遥かに超えた驚きを抱いた。
リードの左目──正確にはその瞼に刻まれた紋様。形は違えど間違いはない。俺の左手に刻まれた聖痕と同質のものであると、はっきり感じ取れた。
「起きやがれ『スレイ』! 仕事の時間だぞ!!」
直感だけではない。リードの叫びと共に左目の紋様が光を放つと、俺の左手の紋様に強烈な熱を帯びたのがその証明だ。
今度は俺が息を呑む中、
『ヒャハハハハハハハッッッ!!! ようやく起こしてくれやがったなリィィィィド!!』
耳の奥ではなく、頭に直接響き渡る耳障りな大声量。頭蓋の裏側を引っ掻くような笑い声に、俺の目尻が引き攣った。
「相変わらず耳障りな声だなスレイ」
『随分なご挨拶だなリード! 散々にほっぽってた癖になぁ! おかげで退屈で退屈で死にそうだったんだぜ! まぁこうして面白そうな状況で起こしてくれたから許してやるがよぉ! ヒャハハハハハハハッッッ!!!』
リードも忌々しそうに顔を顰めるが、頭に届く声は構わずに愉悦を発していた。この声の聞こえ方はまさしく、俺がグラムと会話をしている時のそれに酷似していた。まず間違いなく、リードの持つ蛇腹剣が声の主に違いない。
「うちのグラムも丁寧とは言い難いが、アレに比べりゃぁお上品かもしれねぇな」
『アレに比べられるの、俺としてはちょっと心外だぞ』
率直な意見を述べると、グラムが憤慨する。俺としてはむしろ、褒めているつもりであったのだが、お気に召さなかったらしい。
『そこのボケナスども、聞こえてんぞ! あまり舐めたこと吐いてたらぶち殺すぞくらぁ!』
「ぶち殺すのは俺の役目になるんだがな、その場合は」
蛇腹剣が唐突にぶちキレると、リードはうんざりしたように言った。
しかしながら、リードが時折に放つ得体の知れない気配の正体は、あの蛇腹剣であったのは間違いない。口調や性格はともかくとして、やはりグラムと同じ『意志を持った武器』だ。
『リードの野郎の気配が掴みにくかったのはあの眼帯のせいだろうよ。おそらくは聖痕とあのクソやかましい蛇腹剣の気配を隠蔽する効果があったんだろうな。外した今ははっきりと掴め──ん?』
グラムが言葉の最中に首を傾げるような気配を発するが、詳しく追求している余裕はなかった。既に眼前には爪を長く伸ばしたバエルが迫っていたからだ。
「うぉぉぉぉっ!?」
「足並みを揃えられては面倒だからな。分断させてもらう」
槍で長爪を防ぐも勢いに押され、リードから距離が離れてしまう。
「黒刃ッ!? 野郎ッ!」
「テメェは俺に付き合ってもらうぜ!」
俺とバエルをリードの目が追うが、行動に移るよりも早くにワイスが放った炎魔法が迫っていた。相方が飛び出した時点で既に放っていたのだ。
「邪魔くせぇ!!」
蛇腹剣を大きく振りかぶり、勢いよく解き放つ。すると蛇腹はまるで生きている大蛇の如く荒々しい動きを見せる。分割された刃の勢いは凄まじく、灼熱を容易くかき消してしまった。
『あっちぃぃぃぃぃぃ!?』
スレイの悲鳴が響く中、リードはワイスを睨みつける。俺は俺で力任せにバエルを弾き飛ばし、距離をとって相対する。
どうやら、あちら側は昨晩の続きがご所望のようだ。