第百七十八話 弱体するようですが
ナリンキは数日内にジンギンファミリーが仕掛けてくると推定し、敷地内には不良たちを駐在させていた。おかげで、バエルとワイスが酒場の外に出ると眼前では抗争が始まっていた。
酒場の入り口は階段状になっており、下に比べれば幾ばくか視界が高く、戦場を見渡す余裕がある。おかげでジンギンファミリー側が戦っている様子もよく見える。
「んでバエル。どういった段取りで行く?」
「やつらがここにくるまでゆっくりさせてもらうさ」
敵の戦力はジンギンファミリーのニキョウとその手下数名に銀閃。リードとその傭兵団の幾人か。そして黒刃。
怪我人を多く抱える本拠地への奇襲を警戒し、手勢の多くを残し少数先鋭でくるようである。これもナリンキの予想通り。
わざわざ、どこからも見える位置にある酒場の入口から二人が出てきたのは、一種の挑発行為。お前らの敵はここにいるぞと知らしめるため。ワイスとバエルのどちらかが本拠地への奇襲を考えていると深読みをされ、高まりすぎた警戒心によって撤退を選択されると手間が増えると考えたからだ。ナリンキは確実に、この場で黒刃を仕留める気でいる。
それに姿を見せた甲斐もあり、二人を確認した黒刃は一直線にこちらに突き進んでいる。だがその道中には不良たちがひしめき合っている。ナリンキの出した発破はすでに伝播しているようで、異様なほどの士気の高まりを見せて黒刃に襲いかかっている。
だが当然、バエルもワイスも──発破をかけたナリンキ当人も、不良の誰かが黒刃やニキョウたちを倒せるとは思ってはいない。必要なのは、徹底的に敵に圧を掛けることだ。
「昨晩の様子を見るにニキョウやリードらはともかく、黒刃はいささか不良どもに手こずっていたように感じられた」
「噂に聞く馬鹿力も、雑魚相手にゃ過剰だからな。加減を誤りゃぁすぐにおっ死んじまうか」
「ああ。不良どもにはせいぜい、黒刃を疲弊させる壁になってもらう」
黒刃とその一行を仕留めろと、ナリンキ直々の命令。二人にとっても黒刃の首は願ったり叶ったりであり、臨むところだ。万全を喫するために、ここに辿り着くまでに黒刃が消耗するのであれば待ちもする。
こちら側の士気と昨晩の戦いぶりを考えれば、バエルたちの元に辿り着く頃には黒刃の体力は三割から四割程度は削れるだろうと考えていた。
──だが、しばらくしてワイスが眉をひそめる。
「……おいバエル。黒刃の野郎、なんか妙じゃねぇか」
「なんだと?」
ニキョウとリードらに目を向けていたバエルであったが、ワイスの声に改めて黒刃に視線を注ぐ。そこで相方が反応した違和感に気が付く。
明らかに黒刃の動きが良い。迷いがないと言うべきか、昨日の様子に比べて遠目からでもわかるほどに思い切りが良い。不良をなぎらはって行くペースはもしかすればニキョウやリードよりも上かもしれなかった。
予想を超える速度で、黒刃と二人の距離が縮まっていく。
「うぉらぁぁっっっ!!」
脇に抱えているのは、ジンギンファミリーが懇意にしている大工から譲り受けた長い角材だ。そいつを思いっきり振り回せば、付近にいる不良どもがまとめて薙ぎ払われる。黒槍では硬すぎるが、角材であれば程よい硬度で威力も十分だ。
『調子はどうだい相棒?』
「遠慮なくぶちのめせるってのは実に気分がいいもんだ!」
『昨日から微妙に溜まってたからな。絶好調で何よりだ』
背中のグラムに隠さず言い返しながら、俺はさらに角材を振り回した。
俺から離れた位置ではミカゲやニキョウ、リードも不良相手に大立ち回りをしている事であろう。角材を振り回す都合上、間合いが長すぎて巻き添えになりかねない。
カルアーネファミリーへの討ち入り面子は、まずは俺とミカゲ。そこに加えてニキョウとジンギンファミリーから親分が選んだ数名。それと、リードと傭兵団からやはり数名だ。
残念ながらアイナとキュネイは居残り組。戦闘の専門職が入り乱れる場所ならともかく、向かう先にいる多くは素人集団。アイナの魔法は強力だが流れ弾で大怪我をされても困る。
キュネイにしても、小康状態とはいえ予断を許さない怪我人がまだ多くいる。中には彼女でなければ対処できない重傷を負った者も存在している、そうした患者のほとんどがカルアーネファミリーの不良であるのだから腹立たしい。
だが、この場にいないからといって彼女たちが俺たちになんの影響を及ぼしていないわけではない。俺たちが討ち入りしている最中、ニキョウが不在のファミリーを纏める人間が一時的にでも必要だ。もし万が一にジンギンの縄張りへ奇襲があった場合に陣頭指揮が行えるのはアイナしかいない。キュネイに関しては、こちらにくる前にたっぷりと『補給』した上で、一つの『処置』を俺に施してもらっている。
おかげで俺は、なんら心置きなく存分に戦える。
故に──。
「ふんっ!」
背後から襲いかかってきた不良を気軽に裏拳で殴り飛ばしても、鼻血を撒き散らして気絶する程度で済む。昨日は一手間かあるは二手間近くの気遣いが必要であったのに、今は無意識レベルの手加減で力を振るえる。
キュネイが提案したのはつまりはこれ。不良相手に細心の手加減をするから手間取るのであれば、気にせずに殴り飛ばせる程度にまで力を落とし込めば良いというものだ。
『まさか弱体魔法を制御に使うとはなぁ。こいつは俺も予想外だったぜ』
グラムの言うとおり、今の俺にはキュネイの施した魔法によって膂力に制限が設けられている状態だ。感触としては普段の五割程に落ち込んでいるだろう。
この弱体魔法、通常の戦闘時に敵方に付与できれば絶大な効果を発揮できるのは間違いないが、実戦で扱うのは難しいらしい。
具体的な理屈は専門的になってしまうために俺にはまだ理解が難しいが、強化や弱体の魔法は対象者が強く拒絶の意思を持ってしまうと簡単に弾かれてしまうらしい。やろうと思えば出来なくもないが、そこに労力を注ぎ込むくらいなら強力な攻撃魔法を叩き込む方がよほどに効率的というのが、魔法使いにとっての常識であるとか。
世の中にはこうした弱体や強化の魔法を専門に取り扱う変則的な魔法使いもいるらしいが、今は関係ないのでいいだろう。
大事なのは、気を許した身内であれば強化魔法も弱体化魔法も自由に付与することができると言うことだ。
『これで発案の切っ掛けがまともなら本当、なんも言うことないんだがなぁ』
「やめろ。その辺りのことを思い返すと集中力がどっかいっちまう」
キュネイは折を見てこの弱体化魔法を俺に試そうと考えていたようだ。
──ユキナくん、『夜』は私たちに物凄く気を遣ってるじゃない? だからそれを解消してあげようってずっと考えていたのよ。
と、ほんのり赤らんだ頬に手を当て、色気を振りまきながらなキュネイの談。
いや、確かに『夜の最中』に彼女たちの体を傷つけないように気を遣っていたのは違いないが、まさかその発想に至るとは思ってもいなかった。
弱体魔法とは言うが永続的なものではない。効果の持続はせいぜい半日程度。それに、俺の意思でいつでも解除ができる。強化魔法の時と同じく、人体構造をよく理解しているキュネイだからこそ行える調整だ。普通に使用してはここまで繊細な魔法の施し方は出来ないと、アイナが感心していた。
──なにはともあれ、キュネイの発案には感謝しかなかった。
「よぅ、昨日ぶりだな」
もはや不良の姿は俺の背後にしか存在しない。
人の壁を突破した先、目の前にはこちらを鋭く見据える男が二人だ。
ボロボロになった角材を放り捨てると、俺は黒槍を引き抜き構えた。
気持ちよく不良どもをぶちのめしながら来たおかげか、程よく体が温まっている。心身ともに万全の状態で本番に臨めるというものだ。