side pig boss
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カルアーネファミリーの拠点地は、ナリンキがユーバレストに進出した際に取り込んだマフィアの跡地。ジンギンよりも勢力は一段以上は劣っていたが商売を行う上での立地は良く、進出早々にナリンキが目をつけたのだ。
傘下に収まってからは改築が行われ、今では高級酒場となっていた。
ジンギンファミリーの経営する酒場が落ち着いた雰囲気であるのに対し、ナリンキが作り上げた酒場は派手なイメージが強いだろう。
「クソッタレが!」
店内で最も乗客をもてなす一番奥のテーブル席に座るナリンキが、中身を飲み干したばかりのグラスを勢い任せに叩きつけた。ぶくぶくに膨れ上がった真っ赤に染まっているのは、酒精だけが理由ではなかった。
警備上の理由で、この空間にはナリンキの抱える手勢の中で比較的腕の立つ部類の人間がちらほらと配置されている。ただ彼らはナリンキからは離れた位置にいる。
本命の護衛は、ナリンキ側に控えているバエルとワイス。その他の人員はただのおまけにすぎない。
バエルは護衛対象の近くで背筋を伸ばして佇んでいるのに対し、ワイスは椅子に腰をかけテーブルに足を乗っけた格好だ。
「随分とご機嫌じゃねぇか。昨日の喧嘩で負けたのがそんなに悔しかったのかい?」
気軽さを含むワイスの声に、ナリンキはジロリと睨みつけるが、真面目とは程遠い姿の彼に文句を返す事はなかった。
「それもあるがそれだけじゃねぇ。昨日の喧嘩に紛れてた若造……あれが問題だ」
手近の瓶から瓶からグラスに新たな酒を注ぎ、一口を含む。グラスを再度テーブルに置いたときには、顔は赤いままであったが表面上は落ち着きを取り戻していた。
ナリンキも、外から来た旅行客についての話は小耳に挟んでいた。
その旅行客が、下っ端の小遣い稼ぎにちょっかいをかけている事。そのちょっかいが度重なり、他に示しがつかなくなりつつある事。人数を出し、落とし前をつけさせようとしていた事も全て、届いていた。
一連の流れに対して、ナリンキは口を出さなかった。むしろ当然だと考えていた。
マフィアは面子が命。面子とは即ち畏怖の対象。この畏怖こそが良くも悪くもマフィアの支配を形成する。
たかが旅行者の一人に舐められたとあっては、他の稼ぎにも影響が出る。それを理解していたナリンキは下っ端の行動を黙認していたのだ。
だがその落とし前の相手がよりにもよって、今この国で最も勢いのある傭兵『黒刃』であるとは思いもしなかった。
「カルアーネの構成員の大勢は、ユーバレストに住む不良に毛が生えた程度の者が大半を占めているからな。街の外の出来事に対する関心には疎く、人相での判断は期待できないだろう」
バエルの呟きに、ナリンキが舌打ちをする。手下の迂闊さをある程度は分かっているつもりであったが、予想を超えた世間知らずに憤りが積み重なっていく。
抗争が始まる直前。
ジンギンファミリーの酒場から親分が出てきた際、一緒に出てきた黒い槍を背負った若造。あの時点でそれが黒刃であると気がつくべきであった。少なくともナリンキは特徴や人相を知っていたのだから。部下の話で絶世の美女を連れている話に気を取られ、鼻を伸ばしている場合ではなかったのだ。
「あの時に気がついていれば……」
下っ端が落とし前をつけに行くと分かった時点で、もっと人数を増やしていた。あるいは、抗争の最中で徹底的に狙い撃ちにし仕留めておくべきであった。バエルとワイスのどちらかを差し向けても構わなかった。
しかし、そうしなかったが故に、事を荒立てたくない相手が敵対している組織に転がり込んだ。
「黒刃はまだ三級だが、短期間で階級を上げている。それだけに組合の上層部には覚えが良いはず。仲間には二級傭兵の銀閃もいる。奴らがユーバレストを脱出し王都に逃げ込みでもすれば大惨事だ」
はっきり言って悪手を積み重ねている状況だ。
「だが、奴らもそう簡単には逃げんだろう。抗争の最後にこちらが見せたあの一手が効いているはずだ」
「混乱に乗じてバエルか俺がニキョウの首を取る算段だったが、まぁ結果オーライだろ、ギリギリだけどよ」
あの一手は本来、ジンギンファミリーと手を組んでいるリードとその傭兵団に対する揺動。リードがバエルとワイスを脅威と感じていたように、ナリンキ側もニキョウの首を取る上で最大の障害だと判断していた。故の策だが、まさか抗争が始まってからもずっと身を潜めていたのは予想外だ。おかげで一手を打つタイミングを外してしまった。
「蹂躙の傭兵団が機を外してきたせいで、当初に望んでいた成果は得られなかったが。黒刃の一行に対しては牽制になったはずだ」
「俺はその点についちゃ半信半疑だがな。その言葉、信じていいのか?」
「雇い主の不利になるような欺瞞はしねぇよ。十中八九、逃げはねぇ」
ナリンキに訝しげな目を向けられながらも、バエルとワイスは涼しく答えた。
グラスに注いだ酒を揺らしながら、ナリンキはしばらく黙り込む。沈黙でありながら緊張はむしろ高まっており、ただじっと会話を聞いているだけの人員たちが冷や汗を掻くほどの張り詰めていく。
やがて、ナリンキは二人に告げた。
「黒刃の一行をどんな手を使ってでも始末しろ。惜しいが、奴の連れもだ。確実に、ユーバレストの中でケリをつけろ」
重圧さえ含む声に、ワイスが口笛を鳴らす。
「リードとニキョウはどうすんだ?」
「……リードとニキョウの首より──そして俺の護衛よりも最優先だ」
「貴殿の守護が手薄になるがよろしいのか?」
あまりにも意外な命令に、バエルも確認を挟む。
「このナリンキをあまり舐めるなよ。俺は見た目の通りの鈍い男だが、テメェらが黒刃を仕留める間、肉壁に支払う程度の金はたんまりある」
ナリンキはこれまでになく凄みのある視線で両者を睨め付けた。ただ金稼ぎの守銭奴にできるようなものではない。ニキョウとは形は違えど、マフィアを纏め上げる親分としての風格を漂わせていた。
確かに金稼ぎに執心し、金のためならどのような手段を講じる悪党には違いがなかった。しかしながら、ただの守銭奴な金持ちがユーバレストの裏社会に短期間で存在感を発揮できるのだろうか。
答えは──断じて否である。
この男は、金が新たな金を生み出す事を熟知している。締める所ではキッチリと締め上げ、必要があれば湯水の如く資金を注ぎ込む仕組みを誰よりも熟知している。
違法な商売に手を出したのはその方が稼げると判断したまで。だからこそ大量の資金を注ぎ込み、余す所なくそれ以上の稼ぎを得る。 倫理観と遵法精神が致命的に欠落している点を除けば、まさしく生粋の商人であった。
国が総力をあげてナリンキを取り押さえようとするのもやむなし。好き放題にさせれば、国の経済が崩壊しかねない。表の世界でまさしく大商人となれる才能が、裏社会で荒稼ぎをしていたのである。
故に、商売には常に利益と損害があることを、ナリンキは誰よりも心得ている。
「我が身可愛さでデカい商機してちゃ、今頃俺は檻の中。こいつは、俺がユーバレストを手中に収めるためのデケェ商談だ。ここで引いたらわざわざアークスくんだりまで来た意味がねぇ」
ナリンキは自身が愚鈍である事を自覚している。故に、金を使うし注ぎ込む。自身が稼いだ金で雇った者たちこそがナリンキの力。
もし仮に、雇った者たちが敗北したり裏切ったりすれば、それはつまり金の力が足りなかったということだ。
「雇用主の意思であるのなら、従わせてもらおう」
「それに、直接的じゃぁねぇが、俺らも黒刃どもにはちょいとした因縁がある。昨日は不完全燃焼で終わっちまったケリをキッチリとつけておきてぇしな」
カルアーネファミリーの親分が見せた威厳に、雇用関係を持ち出しながら護衛の二人は満足げのある笑みを浮かべていた。
──俄かに店の外が騒がしくなる。
バエルとワイスが揃って入り口に目を向けると、直後に荒だたしく扉が開かれ構成員兼従業員の不良転がり込んでくる。息を切らせるその様子は只事ではない。
「何があった……」
「じ、ジンギンファミリーどものカチコミです! リードの野郎と槍を背負ったガキも一緒に──!」
────ダンッ!
手近の酒瓶を一気に飲み干したナリンキが、テーブルに叩きつけた音だ。あまりの音の大きさに、店内にいた人員も転がり込んできた不良もびくりと肩を震わせた。
「早速仕事に取り掛かってもらうぞ」
ナリンキは立ち上がり歩き出すと。バエルとワイスもそれに続く。
店の出口に向かいながら、ナリンキ・カルアーネは声を張りあげる。
「ありったけの手駒をかき集めろ! この喧嘩に勝てば来月の給料は普段の倍だ! 俺の身辺を命懸けで守り通した奴には五倍払う! 俺が特別に見込んだやつは十倍の上に幹部に取り立ててやる! こいつを徹底的に周知しろ! 一人も余さず全員にだ!!」
ナリンキはここぞという時に金を惜しまない。
金を使うことを躊躇わない。
己にとっての大勝負に我が身を削ることを厭わない。
──それはまさしく、親分としての一つの器に違いなかった。