第百七十五話 豚は豚でもただの脂身ではないようですが
顎に手を当てながら思考を巡らせたアイナは、リードに向けて切り出した。
「この際はっきりさせておきたいことがあります」
「なんだい?」
「リードさん、あなたは私たちに言いましたね。この街に来た目的は、街の治安悪化の原因究明とその排除だったであると。ですが、本来の目的は別にありますね?」
その指摘に、リードは面白そうに口笛を吹いた。
「参考までに聞くが、どうしてそう思ったんだい?」
「治安回復と排除という面目が本当に正しいのであれば、既に原因は明白なんです。今しがた話に出たように、ナリンキの台頭と、彼から賄賂を受け取る警邏の存在です」
「だが、誰かが訴え出ようにも、ナリンキに目を付けられるって俺は言ったが?」
「ええ、そうですね」とアイナは肯定を述べながらも、真っ直ぐにリードを見据えた。
「でしたら、あなたが直々に王都に赴き、ユーバレストの状況を陳情すればよかった。活動拠点がこの国ではないにしろ、二級傭兵の緊急の知らせともなれば、組合も腰を上げるでしょう」
「あ、なるほど。そりゃそうだ」
俺は思わずポンと手を叩いていた。普段の態度はともかく、リードは紛れもなく一流の傭兵であり、確固たる実績がある。一般市民やマフィアの手下に比べれば圧倒的に信用に優る。
「加えて、あなたは手足となる傭兵団があり、ジンギンファミリーの協力も取り付けています。であるならば、監視の目を掻い潜りそのまま王都に向かう手立てもあるのではないでしょうか」
ジンギンファミリーはユーバレストの古参マフィアであり、この町の裏を知り尽くしている。カルアーネファリミーに追われた俺たちを安全地帯にまで誘導したのもジンギンの人間だ。なら、安全に街の外へと出る抜け道の一つや二つは知っていても不思議ではない。
アイナの推理が全て正しいとなると、次なる疑問は。
「なら反論させてもらうが、どうして俺がその手間を省いたと?」
「ナリンキの存在をアークスの政府に知られずに確保するためです」
「──ッッ」
アイナの導き出した答えにニキョウは息を呑む。
そしてリードは額に手を当て、心底愉快げに大きく笑った。
「かっかっか! こうもズバリと言い当てられるとは驚きだ。いやはや、昨晩の指揮でもわかっちゃいたが、キレッキレだなお嬢さん。これも王族の英才教育ってやつかい?」
「今は『元』王族ですが、褒め言葉として受け取っておきましょう」
観念したように、リードは大きく息を吐いた。
「降参だ。アイナお嬢さんが指摘した点は全部正解だよ。恐れ入るぜ、まったく」
リードは少しだけ悔しげに頭を掻いてから、改めて口をひらく。
「俺が請け負った本当の仕事は、ナリンキの身柄を拘束し、隣国の政府に引き渡すことだ」
「おい、いいのかリード」
「この後に及んで隠し立てできる相手でもねぇし、悔しいが俺の手持ちじゃぁナリンキを確保するには心許ねぇ。こいつらの協力を取り付けるには、惜しまず腹を割るしかねぇのさ」
ニキョウの言葉に、リードは諦め混じりに肩をすくめる。どうやら、ジンギンはリードの目的を知った上で協力をしていたようだ。
「既にお察しはしてるだろうが、ナリンキはただの金を持った豚じゃねぇ。野郎は結構な悪でね。ユーバレスト付近の境を跨いだ隣国じゃぁ、ちょっと名の知れた悪徳商人だったわけよ」
商才はあったのだろうが非常に金に貪欲であり、阿漕な商売にもかなり手を出していた。違法な品の売買や密輸入で荒稼ぎをしており、裏社会ではかなりの地位を築いていたのだ。
だが、ナリンキの悪徳商売も永遠には続かない。膨れ上がりすぎた欲に対し、隣国政府がナリンキの検挙に乗り出したのだ。
国の保有する軍の他、傭兵組合にも声がかかった合同作戦が敢行。ナリンキの息の掛かった組織や商会への一斉立ち入り調査が開始され、次々と違法の証拠が持ち上がった。もはや言い逃れできる余地はなくなり、ついにナリンキを確保する段階にまで辿り着く。
しかし、ナリンキは用意周到であった。
己に軍や傭兵の手が伸びる前に秘密裏に用意していた逃走経路を用いて脱出。まんまと国外へと逃げおおせてしまったのだ。
やれやれと、リードは嘆息しながら首を左右に振る。
「ちなみに、俺は別件で外してたんで、この合同作戦には関わっちゃいない。もし加わってたら、ナリンキを逃しゃしなかったんだがな」
「なるほど。国の威信を掛けての作戦で最後の詰めを誤ってしまった。その上、逃れた先がアークス王国であった。秘密裏での確保という依頼も理解ができます」
アイナは納得した風であったが、俺はそろそろ着いて行けなくなって来ていた。
頭から煙が出そうになっていた俺に、グラムが助け舟を出す。
『つまりは、自分の縄張りではしゃいでた悪ガキを捕まえようとしたらまんまと逃げられ、その上で逃げた先の他所様に迷惑を掛けてるって状況だ。このままナリンキがアークスで捕まってみろ。元を辿ればケリを付けられなかった隣国がいい恥を晒すことになる』
いわゆる『外交問題』というやつか。国内の犯罪者の逃亡を許した事実が他所に漏れると何かと面倒なことになる。だからリードを使い、事が公になる前にナリンキの身柄を確保し隣国へ連れ戻そうとしているわけだ。
「だからまぁ、ナリンキのことは多少なりとも知ってる。やつはまごう事なき豚だが、ただの豚でもねぇ。身の回りに関する保険の一つや二つは常に掛けてるのさ」
マフィアの抗争で最初から傭兵団を使わなかったのは、不利を悟ったナリンキ・カルアーネが無茶をやらかしかねないからだ。
見た目通りに荒事には向かない愚鈍だが、いざという時の切り札を備える程度の頭はある。事実、元の国で自身に軍や傭兵の手が伸びそうになった時も、それで逃げおおせたのだ。
「つっても、まさかマフィアのお膝元とはいえ、厄獣を出してくるとは思いもしなかったがな。あの護衛を含めて、国を脱した時点ではそんな情報は一切なかった。おそらく、ユーバレストにくる直前に雇ったんだろうが──ったく、どんな伝手を辿ったのやら」
「ジンギンとしても、アークス国の国軍とかが出張って来ちまうと、以降の稼ぎに影響がなにかと出ちまうからな。その辺りを見込んだリードが声をかけて来たってわけだ」
外に漏らさず丸く収める──共通項を持った両者が協力関係を結んで今に至るというわけか。