百七十二話 クズ肉の様ですが
リードも警戒する『面倒な奴ら』とは間違いなくこいつのことを指しているのだろう。
「これは存外の僥倖。あるいは望外の悲運かは非常に悩ましいところだな。お互いに」
「あん?」
ギョロ目の言い回しに、俺は眉を顰める。
「貴様の悪名は、我々の間では格別に響いているのだよ」
「こちとらお天道様に言い訳できねぇことはしてないぞ……多分」
『不意打ち騙し討ちとか結構やってるけどな。言い切れないあたり自覚があるようで、むしろ俺はほっとするよ』
相手が良からずとか悪たれとかだったからお天道様も許してくれるはずだ。
分かったのは、ギョロ目のお仲間から妙に恨まれているということだ。ここ最近の出来事を省みるが、カルアーネファミリーのあれこれ以外にはパッと思いつかない。個人や雑魚レベルであればともかく、こんなにヤバい連中から恨みを買う様な覚えは──。
『考え事は後にしろいっ』
余計なことを考えながら同行できる相手でないのは最初の接触で痛いほど分かっている。グラムの叱りを受け、思案を切り捨てた。
「同胞には悪いがこれも巡り合わせの果てだ」
ギョロ目の殺気が一気に膨れ上がる。
「申し訳ないが貴様の命、この『バエル』が貰い受けよう」
「そういうの結構なんで!」
ちょっと格好のいい台詞の後に一息に飛び出したギョロ目──バエルの爪による斬撃を防ぎながら俺は叫んだ。甲高い擦過音の響きが、爪の強度が鋼鉄かそれ以上であることを証明している。あんなので引き裂かれると思うとゾッとする。
あいにくと身に覚えのない理由でくれてやれるほど俺の命は安くはないつもりだ。たとえ立派な理由があろうとも、断じてだ。
「おらぁぁっっ!」
腰を落とし、追撃が来る前に槍の大薙ぎ。当然回避されるがそんなことは構わない。二度、三度と力任せに振り回して徹底的に爪の間合いから逃れる。
『そうだ、奴さんの身のこなしとあの爪は脅威だが、現時点では素手には違いねぇ! 今はとにかく間合いを外せ!』
酒場でグラムが軽く把握しただけでも、最低は二級傭兵並みときている。この時点でぶっちゃけ俺が大いに不利だ。
しかもグラムの指摘の通り、バエルの武器が爪がそれだけとは限らない。むしろ、他にも手札を懐に潜ませていると考える方が妥当だ。
もし相手が俺を舐めている様であれば、そこに付け込んで手札を切る前に強引に終わらせたいところだが、バエルの表情からは俺に対する油断、慢心は一切感じられない。
まずは相手が持つ札を明かす事に専念。
「──シャァッ!」
「いじっ!?」
──もっとも、バエルが手札を明かすまでに俺が耐え切れるかが最大の問題だ。
黒槍の薙ぎ払いを掻い潜り、バエルの爪が舞う。首筋を刈り取る一閃を上体ごと首を逸らして避けるが、頬が裂かれて痛みが走る。構わず俺は槍を更に振るう。無理な体勢ではあったがバエルを離す効果は十分にあった。
『ちっ、相棒はまだ対人戦の経験が浅い。ああも速度と技術がある相手だと途端にやりにくくなっちまう』
一層のこと、体長が数倍ある厄獣の方がまだ楽かもしれない。あるいは油断をして力押しで攻めてくるのであれば、付け込んで巻き返しも可能なのだが。
「聞き及ぶよりも雑だな黒刃。あるいはまだ調子が出ていないだけか?」
「うるせぇなっ、こちとらもう一杯一杯だよ!」
聞こえ方によって気遣いにも受け取れる言葉に俺は咄嗟に言い返してしまう。
「ならば、死ね」
無造作に振り上げられた爪に対し、反射的に槍で防ごうと動くが。
『爪は罠だ!』
グラムの叫びが俺の頭に届いた時には、すでにバエルの繰り出した横蹴りが俺の脇腹に食い込んでいた。自身の内側から乾いた木材が折れるに近い音が木霊するの感じながら、俺の身体が吹き飛ばされる。最大の武器である爪を囮にして、本命は蹴りだったのだ。
二度三度と地面を跳ね、付近にいた不良の誰かしらにぶつかることでようやく止まることができた。巻き込まれた奴にはちょっと申し訳ないと思いつつも、意識の大半は脇腹に走る激痛に占領されていた。
「ぉぉぉぉ……ど、胴体繋がってんのかこれ」
蹴りを受けた場所から逆側の脇にまで貫通する様な衝撃に、強烈な吐き気が込み上げる。嗚咽感に耐えながら腹を触るが、どうやらまだ身体の上下は分かれていないらしい。ついでに地面に転がった拍子で打ち身はあるが、こちらもまぁまぁ痛い。
『ぼさっとすんな! 死ぬ気で避けろ!』
続け様のグラムの叫びにハッとなる。顔を上げれば、バエルがこちらに向かってくる瞬間だった。「ヤバいっ」と慌てて転がりバエルの爪を寸前で回避するが。
「「「ぎゃぁぁぁぁっっ」」」
不意に聞こえる悲鳴。俺という標的を失った鋭い爪が、付近にいた不良どもをまとめて切り裂いていたのだ。
「おいおいマジかっ」
だというのに、バエルは血を流しながら倒れる不良を見据えながらあからさまに舌打ちをし、爪に付着した血を振り払う。ただの雇われとはいえ、少なくともどちらもナリンキ陣営には違いない。それにしても、バエルの反応が冷酷すぎる。
槍の石突を支えにし、ついでに回復魔法を脇腹に掛けながら立ち上がる。
『鍛えてて良かったな。じゃなきゃ、肋骨に罅どころか砕けて背骨まで逝ってたぜ』
ナリンキに視線を向けると、不良たちの惨状は見えているだろうに、顰めっ面を浮かべたままだ。バエルの蛮行を容認しているのだ。所詮、不良どもは金で代えがきく使い捨ての手駒程度の認識ということだろう。
「正真正銘のクズ肉じゃねぇか、あの豚」
嗚咽と共に嫌な気分も込み上げて小さく吐き捨てるが、不意に視線の端に光を反射する細長いものが伸びているのが映り込む。『それ』はナリンキの足元に届くと硬質な物体が突き刺さる音が小さくながら届く。
何かが飛んできた方を向くと、俺は思わず目を見開いた。
未だ喧嘩の只中である人垣の隙間から、猛速度で誰かが飛び出す。
それは、腕を伸ばした格好のリードだった。
手から何かが伸びており、駆け足すらなくまさに滑空する体勢で一直線にナリンキへと接近する。