第百七十一話 そうは豚屋が下さない
『方角そのまま、直線上にご所望の油ぎった豚がいるぜ』
グラムが示した先へと俺は駆け出すが、察知した周囲の不良どもが群がってくる。当然俺も反撃するのだが、おかげで足が止まる。俺に一人や二人では相手にならないとあちらも理解したようで、本当に大量に群がってくる。
「グラム、重量増加だ」
『よしきた』
だんだんと面倒くさくなってきたのでまずは背中の黒槍を重くする。腕を交差し顔への攻撃を防ぎながら不良たちに構わず突き進む。今の俺は、重量増加の影響で通常の三倍くらいの重量になっているだろう。殴る蹴るを繰り出してきた奴らだったが、圧倒的な重量さに弾き飛ばされ、むしろ攻撃に使った部位を痛める始末。
俺の尋常ではない状態に気がつくと、今度は腕を掴み肩を掴み、ついでに腰や足にもしがみ付いてどうにか足を止めようとするが、構わずまとめて人垣の中を進行する。
「なっ、こいつっ」
「嘘だろぉっ!?」
殴る蹴るをせずにただ引きずるだけなら手加減をする必要もないだけ、むしろ先ほどまでより気を使わないだけ楽なくらいだ。
俺にしがみ付いているやつに更に人がしがみ付き、合わせて二十人くらいが俺の体に纏わり付くが、構わずのっしのっしと前へと足を出していく。ここまでくると流石にちょっと重たくなってくるが、足を止めるには至らない。
やがては俺に殴ってくる者もいなくなり、むしろ道さえ開ける始末だ。
「んなっ…………阿呆なっ!?」
いつの間にか人の壁を突き抜けると、目的の豚──ナリンキ・カルアーネの目前に辿り着く。俺の姿を確認するなり、目を剥き強烈な驚きを発した。
『ま、気持ちは分からんでもないけどなっ。一人の人間が、二十人以上を引き摺ったまま現れりゃぁ、喧嘩慣れしてねぇ奴は普通はビビるわ。……いや喧嘩慣れしてるやつも驚くよ。だって、ジンギンファミリーの兄ちゃんらも唖然となってたからな』
別にそう言った意図があったわけではないが、ナリンキの意気を崩せたのなら儲け物だ。
「いい加減に鬱陶しいわっ!」
両腕に力を込めると、しがみ付いていた不良どもを纏めて振り払う。内の何人かはナリンキの方へと飛んでいくと、「うひぃっ!?」とマフィアの親分にしては情けない声を上げた。一人や二人ぐらい命中すれば儲けものだったが、流石にそこまで上手くはいかなかった。
元々、直接殴りにきたのだからさほど問題はない。しつこく絡んでいた不良も全部引き剥がし、いよいよ身軽になった俺は改めてナリンキに向けて駆け出した。ナリンキを仕留めてしまえば、今夜の喧嘩は終結だ。あとはニキョウに引き渡してしまえばなんとかしてくれるだろう。
俺の突貫に「ぶひっ!?」といよいよ豚のような悲鳴を漏らし、豚のような顔を盛大に引き攣らせる。反撃を企てる気概は微塵も感じられなかった。
だが──。
『やべっ──相棒、上ッッ!!』
珍しいほどに切羽詰まったグラムの警告に、考えるよりも先に体が従った。駆け足から全力で踏ん張り急制動を掛け、転がるように後ろへ飛び退いた。
──ドゴンッ!!
俺が制動を掛けた地点に真上から何かが飛来すると、派手な音ともに地面が大きく爆ぜる。衝撃で、付近で転がっていた不良たちの体が煽られ吹き飛ぶほどだ。
飛来してきた何かは──人の姿をしていた。
そいつは、ジンギンファミリーの酒場でナリンキに同行していた男だ。変わらず黒一色の紳士然とした洋装。けれども現れ方は紳士とはかけ離れた荒々しさ。振り下ろされた拳を中心に半径一メートル近くが陥没していた。
あの異様な程に開かれた目に俺の姿が映り込むと、やはりビリビリと背筋が痺れる。こんなのに睨まれていたら、たとえ民家の上からでも分かりそうなもんだが。
『悪い相棒……気が付けなかった俺の失態だ。言い訳にもならねぇが、相棒が豚を狙う直前まで、徹底的に気配を殺してやがった』
気配の探知、索敵に関しては頼りっきりであったために俺から責めることはできないが、声色からグラムの悔やみがありありと伝わってくる。そもそも、相棒が気がつけなかったら俺がわかるはずもなかった。
「お……おおおお遅いじゃねぇか! 今までどこをほっつき歩いてたんだ! 高い金を払ってる分は真面目に働けっ!!」
どもりながらこを声を張り上げるナリンキにを僅かに一瞥するも、興味を失ったかのように視線をこちらへと戻す。ナリンキに雇われているのには違いないが、他の手勢と比べて異質なのは間違いなかった。
確実に言えることは一つだ。
このギョロ目は明らかにマトモではない。
背中の得物に手を伸ばしながら気持ちを切り替える。
──人間相手から厄獣を相手にする時のものに。
ドンっ!!
「────ッッ」
「ずぁっ!?」
前触れもなく、勘任せで咄嗟に黒槍を引き抜き構えると、両腕に強烈な負荷が伸し掛かり踏ん張る足が地面に食い込む。ギョロ目が一瞬で踏み込み、俺に向けて手を突き出したのだ。
どうにか槍の柄で遮りはしたが、男の指先から異様に伸びた鋭い爪が、俺の顔に届く寸前であった。見るからに殺傷能力が高いが、そもそも男の膂力が凄まじい。爪がなくとも、掌底が直撃してたらただでは済まされなかっただろう。
「なんと……」
「だらぁっ!!」
俺が攻撃を防いだことに驚いたのか、ギョロ目の眉が吊り上がる。構っている余裕もなく、強引にギョロ目の腕を押し返し、柄から手のひらが離れたところで槍を旋回し飛び退かせる。刃物だなんだ、衛兵がなんだのと言っている余裕はない。
「グラムッ!!」
『あいよぉっ!!』
重量増加込みでの大上段。勢いを乗せた叩き下ろしを繰り出すが、ギョロ目は卓越した身のこなしでこれを回避。行き場を失った穂先が地面を派手に砕く。
急ぎ槍を構え直し攻撃に備えるが、ギョロ目の攻撃はなかった。距離を取ると、真っ直ぐにこちらを見据えてくる。
「ふぅぅぅぅぅ」
どういう意図かは分からないが、攻めてこないのは助かる。胸に溜まった息を篭った熱と元に体外へ吐き出す。今の攻防だけでもかなり神経が擦り減った。
厄獣並に警戒してたら、厄獣ばりの膂力と俊敏さで襲ってきやがった。人間を相手にするつもりでいたら最初の攻撃ですでに終わってた。意識が飛ぶか、下手すれば爪に頭蓋を串刺しにされて死んでた。
『──まさかこいつぁ』
グラムが何かに気がついた様に言葉を漏らすがそれよりも先に、、いつでも飛びかかれる様に爪の先端をこちらに向けながらギョロ目が口をひらく。
「黒い槍に、体に見合わぬ類稀な剛力。なるほど、貴様がかの『黒刃』か」
「…………有名人になるってのも考えもんだな、本当に」
一方的に他人に知られる感覚というのは、まだどうにも慣れない。ただ、今し方自身がぼやいた言葉に少し違和感を覚える。ギョロ目が無作為にばら撒いていた寸前までの殺意に、方向性が出来上がった様に感じたからだ。
こいつは思っていた以上に厄介な相手かもしれない。
ナリンキをしばけば終わると思ってたが、そうは問屋──いや豚屋が下さなかったようだ。
『実は結構、余裕だったりする? 全然上手くないからな』
渾身の冗談は残念ながらグラムには不評だったらしい。