第百七十話 現場からお送りします
「おぅら!」
ニキョウの振るう拳には型も何もあったものではない。ただ力任せに──けれども重みのある拳打。どうにか腕を構えて防ぐ男であったが、芯に響くような顔を顰める。
反撃を企てようと拳を振り上げるが、腕が上がってガラ空きになった所へニキョウの蹴りが食い込む。まるで見計らったようなタイミングでの一撃に、男の顔色が変わる。苦痛に上体が前屈みに下がったるが、両腕をどうにか構えて頭を守る。だがしかし、その隙間を縫って、ニキョウの拳が顎下をかち上げた。頭部を跳ね上げられた拍子に後方へ下がるが、男の目はまだ死んでいなかった。ギロリとニキョウを見据えると、上段から体重を載せた拳を振るう。
だが、振り下ろした先に既にニキョウの姿は無い。直後、背後から男の胴体に腕が回され、腹部でガッチリと手が組み合う。振り向けばいつの間にか背後に回っていたニキョウの獰猛な笑みが目に映る。
「ずぁらぁぁぁっっっ!!」
叫び声と共にニキョウは男の体を引っこ抜くように抱え上げると、勢いそのまま腰を反る形で地面に叩きつけた。
ニキョウの戦いぶりは見事なものだ。腕力素早さ云々よりも、戦い方の『上手さ』が目についた。勘なのか狙っているのかは分からないが、相手が最も嫌がるタイミングで最も効果的な攻撃をしていると言った感じだ。まさしく『呼吸を読む』という奴だ。
思い返すと、ニキョウとアームレスリングで勝負した時だ。開始の掛け声が掛けられた刹那にニキョウに押されて、危うく負けるところだった。掛け声開始のタイミングを読み、かつ俺が力を込める瞬間を読んで一気に勝負を掛けたのだろう。
『酔狂で親分は張ってねぇな、ニキョウの旦那。俺の見立てじゃぁ徒手で一対一に限ればだが、ミカゲといい勝負するんじゃねぇか?』
グラムが掛け値なしに賞賛すると言うことは、限りなく正当な評価だ。
──なお、これらの一部始終は全て、グラムによる実況解説である。
俺はと言えば、不良一人の両足を脇に抱え、盛大に振り回している最中であった。付近に集まった雑魚を纏めて薙ぎ払い、最後に脇を緩め遠心力任せに投げ飛ばす。
「何かあったら教えろって言ったって、タイミングってのがあるだろ。タイミングが」
全力を出すわけにもいかずに、頑張って手加減しながらニキョウの戦いぶりを脳内で実況されると、頭がこんがらがってきそうだ。
額に流れる汗を拭いながらボヤいていると、
「素人集に遅れをとってんじゃねぇぞ! 野郎どもジンギンファミリーの心意気ってのをカルアーネのクソ野郎どもに見せつけてやれ」
「「「応っっ!!」」」
離れた位置にいるというのに、ニキョウの声がここまではっきりと聞こえた。辺り一面に響き渡る力強い怒号に呼応し、ジンギンファミリーも威勢よく反応する。既に青痣や血を流している者もいる中で、それらをまるで感じさせない。
このままいけばジンギン側の勝利には違いない。人数差で劣ろうが、勢いや士気の面ではこちらの方が圧倒的に上だ。逆にカルアーネ側は少しずつであるが及び腰になりつつあった。今のニキョウの声に気圧されたのだ。
味方には鼓舞を、敵には畏れを。まさしく戦場の将さながらだ。
先ほどのグラムが分析したように、俺とミカゲがいなくてもこの喧嘩はジンギンファミリーの勝利で終わったのだろう。
だが──。
『顔に似合わず心配性だな。つっても、相棒のそれは本気で油断できねぇから怖いんだ』
最初の一言が余計だが、その通りだ。
グラムの見解を聞き、ニキョウの戦いぶりを耳にし、大勢が決まりそうな今もなお、不安が拭えない。
ナリンキという男がどういう男か、先ほど少し見ただけで人となりを判断できるほど、俺も人生経験は積んじゃいない。ただ、金に任せるだけの豚が、わずかな時間でユーバレスト裏社会の古参であるジンギンファミリーに伯仲するほどの組織を築き上げることができるのか。
そこではたと気が付く。
「リードの奴はどうしたんだ? あいつの傭兵団があれば楽に終わるだろ」
『悪いがさっぱりだ。喧嘩が始まる頃に消えちまった』
思えば俺が先ほど相手にしたような、あるいはニキョウが倒した腕利き。他の不良どもに比べれば頭ひとつ分は腕が立っていたが、逆を言えば俺でも素手でどうにかできる程度なのだ。
カルアーネにはリードが警戒するような輩がいるという話だったはず。不本意でありながらも、ミカゲが一角の実力者と認めるような人物が誇張を吐くとは思えない。
胸中で渦巻く不安に、リードの行方が知れない点が合わさった事で、俺は決めた。
「グラム」
『はっはっは。そうくると思ってたぜ。隠れた罠があろうが、そいつが出てくる前にさっさと終わらせちまえば良いってな。方角を示すからまっすぐに突っ込め』
話が早くて助かる。
ただ何も考えず闇雲に突っ込むのは不味い。いや、結局は力任せに突っ込むのは変わらないのだが、不安要素をそのままにしておくのはよろしくない。
「その前に、ミカゲは──」
「ここに」
「おぉうっ!?」
グラムに位置を探って貰おうとした相手が至近距離から聞こえた事に盛大に驚いてしまう。動悸が早まった胸を押さえながら振り向くと、当然とばかりに銀狐の姿があった。
「そろそろユキナ様からお呼びが掛かると思いましたので、急ぎ馳せ参じました」
「……手間が省けたのは良いんだけどさ」
察しが良いというか、もはや予知の領域だ。
若干だけ慄きをグッと飲み込み、俺は気を取り直す。気を抜いて良い場面では無い。
「ニキョウの援護を頼む。親分が崩れたらジンギンは総崩れだ」
ジンギンの個々の腕っぷしは不良どもより達者だが、やはり人数差を覆しているのは非常に高い士気。そしてその士気を支え、鼓舞しているのはニキョウだ。今ここであいつが倒れると非常にまずい事になる。
「──承知。ユキナ様もお気をつけて」
ミカゲは深くは聞かず、だが俺が何をするつもりなのかは察しがついたのだろう。
俺は頼もしい仲間に頷いてから、グラムの示す方向に踵を返す。
狙うは大将首。
──いや、正確には豚の首か。