第百六十五話 ビシビシ聞こえるのですが
自分たちの長が挑戦者に名乗りを上げ、ファミリーの構成員たちの興奮は最高潮に昇った。
普段の俺なら手間だのなんだのと嫌がるがような気もするが、今の俺は妙に気分が良い。二つ返事で承諾した。
「おいニキョウ。自慢じゃぁないが……いや結局自慢になるが、俺は力だけにはそれなりに自信あるぜ」
「そいつはさっきまでのを見て十分すぎる位に理解してるよ」
テーブルの上に肘を突き、互いの手を掴む俺とニキョウ。
「…………」
「お、どうした?」
「……おたくも相当強いだろ」
手を組んだ瞬間に伝わってきたのは、ニキョウの〝深さ〟だ。単純な腕力の話ではない。言葉に表せないが、俺の直感が目の前の男を〝強い〟と感じたのだ。
不思議と浮ついていた気分が、少し引き締まる。
「さぁどうだろうな。お前さんほどの馬鹿力には到底叶わねぇかもしれねぇぞ」
「だったらなんで勝負挑んできたんだよ……」
「子分どもがああもあっさりとやられちゃぁ、親分の俺が黙ってもいられねぇだろ」
そういえば、グラムも「マフィアは面子が命」と言っていたな。ニキョウが勝負を持ちかけてきたのもその辺りが関係しているのだろう。俺にはよく分からない感覚だ。
理由はさておき。なるほど、確かに子分共とは格が違う。そう確信させるものが手から感じられた。
とはいえ、膂力は今の俺が唯一と言って良いほど自信を持てる要素なのだ。負けてはいられない。
俺は開始の合図を聞き逃さないように意識を集中した。
――――――
場が盛り上がっている中、ミカゲたち三人は少し離れた場所でユキナたちを見守っていた。
「だ、大丈夫ですよね。ユキナさんが勝っちゃったら、ここに居る人達が襲ってくるって事は無いですよね?」
「さすがにそれはないでしょう。聞いた感じだけど、理由の云々は建前で、多分純粋にユキナ君と勝負がしたくなったって感じだったわ」
ハラハラしているアイナの頭を、キュネイが安心させるように柔らかく撫でた。二人はユキナのほんの僅かばかりも勝利を疑っていなかった。
彼女たちは常日頃からユキナの常識離れした膂力を目の当たりにしている。厄獣と正面からぶつかって勝てるようなユキナが腕力勝負で負けることが想像できなかった。
一方で、ミカゲは二人に比べればやや現実的だった。
隣りにいるリードに見解を求める
「アナタはどう見ます?」
「そりゃ純粋な力比べだったら圧倒的に黒刃だろうよ。ニキョウの親分も並の野郎に比べりゃ遙かに強ぇが、あの馬鹿力ほどじゃぁない」
「ええ、それはそうなのですが」
「ニキョウの親分がどのくらい強いのか気になるか?」
「……良からずの集まりとはいえ、長きにわたり交易が活発な街の裏を支配する組織であり、その頭目を務めている。相応の実力はあってしかるべきでしょう」
酒を飲み始めてから見せたあの陽気な姿は、確かにニキョウの素であるのだろう。だが、その前に見せたファミリーのボスとしての顔。あの時に感じた圧は決してハッタリではない。
ユキナを信じる気持ちに偽りはない。リードの言うとおり、単なる力勝負であればユキナの圧勝は間違いないだろう。
だがそれはニキョウも理解している筈だ。その上で勝負を挑んだのだ。
マフィアは面子が命だ。舐められたらその支配力が揺るいでしまう。組織を率いるボスであればなおさらだ。余興とはいえ勝負に負けてしまえば、部下から不審をもたれる恐れすらあるのだ。
「………………」
「ちなみに、黒刃の圧勝って言ったのは単純な力勝負に限った話だ。この勝負の如何はニキョウの親分と黒刃で――」
審判役の手が、二人の組んだ手に添えられる。
ボスの大一番ということもあり、熱気は最高潮でありながらも、誰もが勝負の行く末を見逃さんと誰もが息を潜めた。
そんな中、リードが愉快げに言った。
「六・四で親分の優勢だぜ」
「――――ッッ!?」
ミカゲが声を発しそうなる直後、勝負が開始した。
――――
「――ゴォッ!!」
開始の合図が発せられた瞬間、俺はニキョウの手をテーブルに叩き付けようと力を込める。
「シッ!」
――よりも遙かに速く、ニキョウが動いた。
腕に力が浸透するよりも前。気迫を込めて踏ん張るよりも先にニキョウが鋭い呼吸を口から漏らし、発せられた勢いが俺の腕を一挙に押し込む。
「ガッッッ!!」
「――――ッッ」
――ビシッ!!
響いたのは俺の手が叩き付けられる音ではなく、俺たちの腕を支えるテーブルの軋み。俺の手の甲とテーブルの隙間は、おそらく指一本程度及かないだろう。本当にギリギリではあったが、寸前で耐えた。
――ビシビシッ!!
半ば勝利を確信していたのか、ニキョウの顔には少しばかり驚きの色が張り付く。が、それもすぐさま不敵な笑みに変わった。
「良く耐えたと褒めてやりたいが……俺にも立場ってもんがある。子分どもにカッコ悪いところは見せられねぇんでな。決めさせて貰うぜ、オラァァッッ!」
腕に掛かる重圧が増した。一度は耐えたが、依然として俺の手はテーブルに着く寸前だ。体勢的に俺の劣勢は変わらず。ニキョウはこのまま押し込むつもりだ。
別にここで負けたところで失うものなどありはしない。酒の席の事であるし次の日には忘れるかもしれない。
だからといって、素直に諦めてやれるほど俺も男の子を辞めてはいないのだ。
「ヌギギギギギッッ!!」
「……嘘だろちょっとおまっ」
――ビキビキビキ!!
俺が気合いを込めると、ジワリジワリと腕が持ち上がっていく。ニキョウも歯を食いしばって腕を止めようと力を込めるが、動きは止まらない。
やがて、腕は勝負の開始と同じ位置に戻る。
「ざ、残念だったなニキョウ」
「ど、どんな馬力してやがるお前さん」
「力自慢が力で負けてちゃ世話ないんでなぁ!」
「なんのっ、勝負はここからじゃい!」
俺もニキョウも、相手の腕をテーブルに叩き付けようと歯を食いしばり、更に力を込めた。
――ビシビシビキビキ。
ところでさっきから妙な音が響いているような。
頭の片隅で疑問に思ったところで。
――バキャン!
一際大きな音が鳴り響いたと思った途端、肘の支えが消滅した。
「「は?」」
俺とニキョウは自身の肘を見る。
俺たちの腕を支えていた筈のテーブルが、肘を付いていた部分を基点に真っ二つに裂けていた。
「「ぶあっはぁぁぁぁぁぁ!?」」
勿論、腕に全力を込めていた俺たちが踏ん張れるはずもなく、俺たちは揃って妙な悲鳴を上げながら床に突っ込むように倒れたのであった。