第百六十二話 旗が立つようですが
店員が酒とグラスを持ってくると、リードは躊躇なく栓を開けて酒を注ぐ。見るからに高級な瓶に入っているのだが、リードは注いだ分を一気に飲み干した。
「かぁぁぁぁ、働いた後の酒は美味いねぇ。五臓六腑に染み渡るたぁこの事だ」
「アナタの勤労具合などどうでもいい。質問に答えてください」
「はいはい、分かりましたよ」
ミカゲにピシャリと言われると、リードは新たに酒をつぐとグラスを手に持つ。ユラユラと揺れる半透明の液体を通して俺たちを見渡した。
「今、この街の裏の勢力図は二つに分かれてる。一つはおたくらを追ってた雑魚どもの後ろにいる奴。近頃この街の表を荒らし回ってるのもこいつらだ。そしてもう一つが、この地区を取り仕切ってる奴らだ」
グラスの中身を僅かに含み、唇を湿らせるリード。
「ジンギンファミリー。ユーバレスト最古参のマフィアだ。そもそも、ユーバレストの裏社会はおおよそジンギンファミリーが掌握してたわけなのよ。もちろん、ちっちぇシマはあるにはあるが、ジンギンファミリーが一番力を持ってたのは間違いねぇ」
マフィア――というのは端的に言えば裏社会における商会の様だ。もちろん、厳密には商会とまるで違うし、取り扱うのも表の商会とは違って合法非合法問わず。暴力沙汰や密売――中には人の命すら商品にするとか。また縄張り意識が非常に強く、面子をなによりも大事にする社会不適合者の集まりとも聞く。
俺とて知識の上では知っていたし、キュネイからも話は聞いていた。だが、まさかこうして関わるような日が来るとはついぞ思っていなかった。
「察しは付いてると思うが、この酒場はジンギンファミリーが経営してる店で、ファミリーの本拠地でもある。入店を許可されるのは、ファミリーの傘下にある有力組織かファミリーの幹部が認めた奴らだけだ」
「では、先ほど私たちが会おうとしていたのは」
「おう、ジンギンファミリーの親分さんだ」
いきなり街の裏社会を取り仕切る元締めさんとご対面か……今が来客中で良かった。事前状況も知らずに会わされたらエラいことになっていた。
『俺からすれば、相棒がエラいことしでかしそうでヒヤヒヤだけどな』
畜生。ここ数時間だけ考えても否定しきれないのが胸に刺さる。
アイナが店の入り口と、二階への階段を見てからリードに問いかけた。
「店側の先ほどの対応を見るに、アナタもジンギンファミリーのボスに認められているということですか」
ミカゲは店の入り口と二階への階段をそれぞれ見る。門番もVIPルームを守っていた男たちも、リードの態度に思うところはあれど、彼の行動を止めようとはしなかった。
「俺の場合は、客は客でも食客ってところだな。ここの酒は楽しませて貰ってるけどよ」
なぁグラム。食客ってどういう意味だ?
『有力者に養われる代わりに、何かがあればその有力者に力を貸すって感じだな。雇われの護衛よりかはもうちょい親密だ』
グラムからの知識を内心に学んでいると、ミカゲが嘆くように息を吐く。
「二級傭兵が食客とはまた随分とご大層な身分ですね。もういっそうのこと、傭兵など止めてここにご厄介になればいいのでは?」
「それはまぁ魅力的な提案だがな。俺は自分が欲しいものは自分で手に入れたい派でね。養われっぱなしというのは性に合わねぇのよ」
ケラケラと笑いながら酒を再び呷るリード。その言葉は俺にとっては少しばかり意外ではあった。
「あら? 誰か降りてきたわ。ねぇリード君。あれが親分さん?」
「あん? あれは……違ぇな」
キュネイの声で階段に目を向けるリード。陽気な顔は崩さなかったが、僅かばかりに視線が細くなったのを俺は見逃さなかった。
二階から姿を現したのは複数人の男だ。
先頭を歩くのは――端的に言えば肥え太った豚だ。恰幅の良いというのは上等すぎる表現か。大きな宝石をはめ込んだ指をいくつも嵌めており、首には金銀をふんだんに使った飾り。というか、顎から胴体までの境目が脂肪で埋まっており首がどこか判別できない。
「どういう食生活を送ったらあんた躯になるんだ?」
「残念ながら……貴族の方にも、ああいった方はたびたびいらっしゃいますね。」
俺の台詞にアイナが気落ち気味に答えた。つまり、あの男は贅沢三昧な貴族と同じような生活を送っているわけだ。贅沢なのは羨ましいが、あの体型まで羨ましいとはとても思えない。
『阿呆な事ぬかしてんじゃねぇ。それよりもあの豚の後ろだ』
お前も豚って言ってんじゃねぇか――と心でツッコミを入れつつ、その後ろを歩く男を見る。
前の男が贅肉の塊であるならば、後ろの男は逆に贅肉をそぎ落とした痩身だ。燕尾服のような黒一色の衣服を纏い、頬は痩せこけ目はギョロリとしている。だがその瞳から発するのは猛禽類のような鋭さだ。
男の視線が一瞬だけこちらを向くと刹那に目が合う。男はすぐに興味を失ったのか視線を戻すが、俺の背筋がビリッと痺れていた
反射的に脳裏に浮かび上がったのは、王城でやり合った魔族。あれを前にしたときのような感覚が呼び起こされた。
『後ろの奴らは雑魚よりかはマシって程度だが、あのギョロ目は別格だ。傭兵で言えば二級の実力は確実にあるだろうぜ』
グラムがここまで称賛するのだから相当だろう。しかも曖昧な言い方からして、グラムでも底が見えないという体だ。
――ああいった手合いとは関わり合いになりたくねぇな。
『ばっ、それ旗が立つだろ! 止めてくれよ!!』
旗ってなんだよ、旗って……。