百三十九話 逃げ込んだのですが
囲いを抜けた時点で、俺はキュネイたちに囁きかけた。「俺が三つ数えたら走るぞ」
彼女たちの頷きを確認し、俺はゆっくりと大鉈を腰の鞘に戻した。
「一」
それから男の股下に手を突っ込み、
「二の」
腕にグッと力を込めて、引っこ抜くようにして男の躯を持ち上げる。
「え、ちょまっ──」
「三ッ――――うぉらぁああああっっっ!!」
素っ頓狂な声を発する男を、舎弟共に向けて投げ放った。
「「「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!?」」」
投げられた男の悲鳴と投げつけられた舎弟共の悲鳴が重なり夜の街に響く。
あろうことか人質を投げつけられるとは誰も思っていなかったのか、またもや場が凍り付きあるいは阿鼻叫喚の悲鳴が舞い上がる。
集団が浮き足立っている中、俺たちは示し合わせたとおりにその場から急いで離脱した。
「ユキナ様、あの者を〝解放〟してもよろしかったのですか? 人質としての役割の他にも、情報を聞き出す上でまだ役に立ちそうでしたが」
「そこなんですか!? 今一言を入れるところはそこなんですかっ!?」
冷静なミカゲの意見と、常識的なアイナのツッコミが差し込まれた。
『まともな意見を出しつつも、ちゃんと相棒の指示に従って走り出している辺り、アイナも毒されつつあるな。ああ、あの純真な娘がこんなになって……』
毒しているとは人聞きが悪い。そしてお前はアイナのお父さんか。普通に存命中だぞ、アイナの親父さんは。
「情報は惜しいが、それよりもまったく協力的でない足手まといを連れて土地勘のない場所を逃げ回るほうが手間だろ。それに、人質連れて逃げ回ってる最中に正規兵に出くわしても見ろ。いよいよ言い訳ができなくなってくるぞ」
多勢に追いかけられている状況なら若者の喧嘩で済まされそうだが、人質とってるとこ見られれば下手すると俺たちが加害者側に仕立て上げられる。
『後半部分は今適当にでっち上げただろ。あの短時間で相棒がそこまで考えてるはずがねぇ』
いちいち鋭いなこの槍は。
『伊達に相棒の武器をやってねぇからな。つっても、この町の兵士たちが信用できるとも限らねぇ。末端が真面でも上がグズグズに腐ってたら目も当てられねぇしな』
少し勢い任せではあったものの、俺の判断はグラムとしてもそれなりに理に叶っていたようだ。
『人質とった時点でもう手遅れ感がすげぇから。ほらぁ、やっこさんらもう怒り狂ってやがるぜ』
俺たちが走り出してから少しして、凄まじい怒声が背後から聞こえてくる。振り返ると、怒髪天の形相でこちらを追いかけてくる集団の姿があった。
「けどどうするの? 私たち、泊まってる宿とは反対方向に走ってるのだけれど」
「しまった。前に囲いを抜けりゃよかった」
「そういう問題じゃないでしょ」
キュネイのピシャリとした台詞には、若干の責めが混じっていた。叱られる道理も分かるが、あの状況を万全に切り抜けられる方法を思い付かなかったのだ。後で謝るにしても、今は逃げることに専念だ。
『けどよ、このまま逃げ続けるのも難しいぜ。仮に宿に辿り着いたとしても、そこからどうするかって話だ。相棒も分かってんだろ?』
グラムの危惧も理解できる。俺たちを囲い、今まさに追いかけている人数は結構なものだ。それにあの首振り男の強気な態度。これまでの展開から、色々と力を有した存在があるのは想像に難くない。
『とりま、今は後ろの奴らを蒔くのが先決か――お? 相棒、道の先の右側見てみ』
走りながらそちらに目を向けると、脇道の陰から僅かに顔を覗かせている輩を見つける。俺が気が付いたことを確認すると、手招きをしてきた。
『どうする?』
「そりゃ行くしかねぇだろ!」
走りながら三人に指示し、俺たちは急ぎ脇道に入り込む。物影に潜んでいた男は俺たちを見て頷くと、手振りで俺たちに付いてくるように仕向ける無言で走り出した。
「ユキナ様、おそらくあの者は……」
「今はとりあえず誘いに乗るしかねぇだろ」
ミカゲの言わんとするところは俺も察しているが、下手に街中を迷走する寄りかはマシだ。
そこから男の後に追走し幾つかの曲がり角を経ると、唐突に道端にある民家の扉が開かれた。男はこちらに軽く目配せをするとその家に入る。俺たちもそれに従い大急ぎで駆け込んだ。
全員が家の中に入ると、背後で扉が閉まった。
少し待つと、家の外が騒がしくなる。俺たちを追っていた奴らだ。だが、そいつらはこの家を素通りし、そのまま走り去っていった。
「ふぅ……ふぅ……。どうやら……逃げ切れたようですね」
膝に手を突き、アイナは息を切らしていた。俺たちの中では一番体力が無いのは彼女だ。もう少し長く走っていたらバテていたかもしれない。ギリギリのタイミングだったようだ。
ただ、面倒から逃げ切れたかもしれないがより一層面倒なやつと顔を合わせることにはなりそうだった。
「よぅ、今回は災難だったなぁ」
気遣うような言葉とは裏腹に、含まれていたのは愉悦の声色だ。あるいは呆れと嘲りか。民家の奥から姿を現したのはリードであった。周囲にも奴の手下と思わしき者が幾人もいる。
それらを見て、ミカゲが「はぁ……」と嘆くように息を吐いた。
「やはりあなたの手の者でしたか」
「あんまり驚かねぇのな。他の面子も」
リードは俺たちを見渡すが、動揺の少ない様を見て肩透かしを食らったような風だ。
「手引きした男を見た時点で想像できてたからな。それよりも――」
俺は眉間に皺を寄せながらリードに詰め寄った。途端、手下たちが身構えるが、リードがさっと手で制する。
「どこからがテメェの読みだ」
「何のことだい」
「俺たちを囲った奴らの一人が、俺とテメェを仲間だって勘違いしていた。昼間に俺と会った時点で、こうなることは半ば予想できてたんじゃねぇのか?」
「……はっ、良い勘してるじゃねぇの」
リードは俺の推測をあっさりと認めた。俺は歯を噛みしめ、リードから距離を取る。すると意外そうな顔をされた。
「てっきり殴りかかってくると思ってたんだがな」
「テメェの仲間って思われ点のは業腹だが、かといって十割テメェの責任って断じるほど馬鹿じゃねぇからな」
少なからず、身から出た錆であるのは否めない。もしリードとの事が無くともこうなっていた可能性はある。本音を言えばぶん殴りたいところではあるが、こうして落ち着ける場所に逃げ込めたのはこいつのお陰だ。
「凄い……ユキナ君が成長してる」
「そこで感動されると逆に傷つくから止めてくれ」
キュネイが感慨深そうな顔をしていて、俺は少なからずショックを受けた。