第百三十八話 不本意すぎるデビューなのですが
俺が首振り男を人質に取った瞬間、空気が凍り付いた。あるいは、誰もがこの光景を理解できていないのかもしれない。
「「……………………」」
凍り付いていたのはこちらも同じだ。キュネイとアイナは目をパチパチと瞬かせたまま無言である。一方でミカゲは顎に手を当てて「ふむ」と頷いていた。真っ直ぐな気質のミカゲだが、傭兵としての経験もあってかこの辺りの判断は割とドライだからな。
「がっ、てめぇ何を――」
「おおっと、下手に動かないでくれよ。手元が狂うとお前さんの顔がお子様に見せられない酷いもんになるからな」
『これ本当にどっちが悪党か分からねぇな!?』
怒り任せに動き出そうとする男の頬を、鉈の面でペシペシと叩いてやる。薄暗い中でも怪しく煌めく無骨な刃が突きつけられている事にようやく気が付いたのか、男の表情が強ばった。
一分近くが経過した頃に、ようやく今の状況を理解できたのか、男たちの発する殺気がますます膨れ上がった。
中には今まさに武器を手にかけ出そうとする輩もいた。
「てめぇ、卑怯だぞ! 兄貴を離しやがれ!」
「大人数で囲んどいて卑怯なのはどっちだ! おら、てめぇらの兄貴の顔に傷を付けたくなけりゃ黙ってろ!」
見せ付けるように首振り男の躯を前に出すと悔しげな表情を見せて動きを止める。
唯一心配だったのが、この男に人質としての効果がまったくなかった場合。単なる三下の更に下っ端の奴なら人質にとったところでまったく意味が無く、俺が単なる阿呆な行動を取った残念な奴になってしまうところだった。
『今でも十分過ぎるくらい阿呆で残念な奴だよお前は!』
グラムが喚くがそれはとりあえずスルーするとして。
とりあえず、この首振り男は、この場にいる者たちの行動を躊躇わせる程度には人質としての価値があったらしい。最初に声を上げた奴からは〝兄貴〟と慕われているようだ。こんな男を兄貴と慕っている時点で残念感は否めないな。
「……それでユキナ君、ここからはどうするつもり?」
硬直から復帰したキュネイが小声で囁く。見た感じ、物申したい気持ちはあれど、この状況を乗り越えてからといった具合だろう。
しかし、だ。
「こっから先は完全にノープランだ」
「だと思ったわ……」
先ほどの俺と同じように、キュネイは額に手を当てて深々と溜息を吐いた。
「腕の一本でも切り落としてやれば、やつらも素直にこちらの言うことも従うのでは」
「何言ってんのお前!?」
「ユキナ様に仇をなす者には相応の報いがあってしかるべきです。むしろ腕の一本で片が付くならそこの男にとっても僥倖でしょう」
命だけは許してやるからありがたく思えと言わんばかりにミカゲが冷徹に言った。
この会話はまさに人質に取っている首振り男にも聞こえているわけなのだが、ミカゲの淡々とした台詞にガタガタと肩が震え始めていた。彼女にとって、己の命など路傍の石ころ程度の価値しかないと感じ取れたのだろう。
「まてまてまて、そこまでやるつもりはないから」
「そうですか……」
「なんで残念そうなんだよ!? しねぇからな!!」
俺が慌てて否定すると、男の躯から強ばりが抜けた。同時に力も抜けて拘束しやすくなった。
『図らずとも鬼畜な尋問官と優しい尋問官の役割分担になってんなこれ』
俺とミカゲ。どちらがどの役を担っているかは言うまでもない。
「と、とりあえずその……人質……を盾にして道を空けてもらうとかしたらいいのではないでしょうか。さすがに腕を切り落としてしまったら……後々に弁明がしづらくなってしまいそうですし」
〝人質〟の部分をもの凄く言いづらそうにしながら、アイナがおずおずと提案する。俺だって、こいつの腕をちょん切る気は毛頭無い。せいぜい、顔をちょっぴり傷付けて、治療で治しておこうかというぐらいだ。
「キュネイなら腕の一本や二本、落としても接合できるのでは?」
「いえ、できなくはないけど……ミカゲ、さっきから本当に物騒ね」
「傭兵の仕事でこの手合いとは何度か遭遇していますから。つけ上がるととことん調子に乗るので、一番最初に力の差をハッキリさせておくことが大事なのです」
うんざりとした表情になるミカゲ。上の階級に上がると対人関係の依頼も増えると言うし、それで幾度か経験があるのだろう。
腹は立ったがさすがに腕を切り落とすほどの怒り感情はない。ここは素直にアイナの案で行こう。
「おら、ちょっとこっち来いや」
男の首を締め上げながら、俺たちは徐々に後ろに下がる。背後に待ち受けていた男たちは歯軋りしそうな形相のまま、少しずつ分かれて道を作る。俺は正面を睨んだまま、ミカゲが背後を。キュネイとアイナは左右に警戒を払いながら、徐々に包囲を抜けていく。
「俺たちのバックに誰かいるのか知らねぇのか。この町から生きて出られねぇぞてめぇら」
首を締め上げられ苦しそうにしなが、首振り男はこちらに凄む。ミカゲに腕を切ると言われたときは盛大にビビっていたのに、変わり身の早いことで。
「三下がナマ言ってんじゃねぇよ」
「やはり落としますか」
チャキ――。
「鯉口を鳴らすなっての。どれだけ切り落としたいのお前は」
「悪党に掛ける慈悲などありません」
これだと、本当にどっちが悪党なのか分かったもんじゃないな。もしかして、リードの件で堪った鬱憤をこの男で晴らそうとしているのではと思えてきた。
それよりも気になるのは今の男の台詞。適当に受け流したフリをしたものの、無視できない内容だったのも事実だ。
『ハナから分かりきってはいたが、この男の言った感じだと面倒な奴らが後ろ盾になってるみてぇだな』
適当なゴロツキの集まり……という線は無しだろう。俺が偶然にも妨害した二つの詐欺。それとリードの仲間と思われた件。どちらも、この男の言う後ろ盾が関係しているとみて間違いないな。
『いよいよ相棒も裏社会デビューか。相棒といると本当に退屈しねぇな』
デビューする気ありませんけどね!