第百三十七話 首筋を痛めそうな気もしますが……
宿に戻った俺たちは一旦待ってミカゲたちが帰ってくるのを待つ。彼女たちと合流したのは夕暮れごろ。宿の者に一言伝え、晩飯を食べに夜の街に出た。
入ったのは、異国の料理を出す食堂だ。こうして観光地に来たのだし、普段は食べられないものを食べるのが筋と言うものだろう。
そんなこんなで初めて食べる料理に舌鼓を打ち、少しばかり時間が経過した頃だ。
「――ってな感じで、ユーバレストはちょいと面倒な事になってるんだとさ」
一通りの料理を食べ終えた後、食後のお茶を啜りながら俺はリードからの情報をミカゲとキュネイに説明した。
「んで、ここまで話しといてあれだけど、リードの話を素直に信用して良いもんかね」
「……人としてはまったく尊敬できませんしむしろ関係を今すぐにでも切り裂いて焼却したいところですが……人を謀るほどに回りくどい人間ではないと思います」
俺が疑問を口にしたが、ミカゲは酷く遠回りにそれを否定した。苦虫を噛み潰したような顔になってはいるが、それでも認めるところはしっかり正面から見据えられるのがミカゲの美点だな。
「リードの言うとおり、この街は観光地というだけあり国内外問わず多くの人間が出入りします。その中には勿論、良からずも混じっていましょう」
「そんなの王都だって変わらないわよねぇ。表通りから一つ二つ道を外れれば、後ろ暗い商売をしてる人なんていくらでもいるもの。健康管理のできていない娼婦宿とか、依存性の高い違法薬物を平気で売りつけてくる売人とか、盗品を店に並べる質屋とか、数えればキリが無いわ」
元最上級娼婦の台詞は説得力が違う。呆気からんとした言い様に、アイナがどん引きしている。元は王都を統治する側に人間だから仕方がないだろう。
「でも、どれほどに混迷としていても、裏には裏の秩序があるわ。筋を違えたものには制裁が加えられるものよ。私がいま上げたものだって、度が過ぎたモノに関しては必ず、何らかの形で落とし前が付けられたわ」
具体的にどんな落とし前が付けられたかは怖いので聞けなかった。
「ということはつまり、今のこの街の裏側は、秩序が崩壊していると状態ということですか、キュネイさん」
「さすがにそこまではなんとも。ただ、リードの言葉が正しければ、今のユーバレストが通常の状態でないことは確かね」
俺たち四人は揃って腕を組んで唸ってしまう。
「……もうぶっちゃけ、王都に帰るか?」
「面倒事に巻き込まれる前に退散するというのも、一つの選択ですね」
「私は良いと思うわ。せっかくリフレッシュに来たって言うのに、ここで騒ぎが起こったら余計に疲れちゃうもの」
「ユキナさんとデートできましたし、私としてはもう満足ですし、良いと思いますよ」
俺、ミカゲ、キュネイ、アイナの順番の発言だ。出てきた意見の中に、反対の言葉は含まれていなかった。つまり、非常に残念な気持ちはあるが、今回の慰安旅行はこれでおしまいである。
「じゃ、そうと決まれば善は急げってな」
宿を引き払う準備や、馬車の予約等々、やらなければならないことはいくつかある。もう日も暮れて時間が経っており空は闇夜だ。この時間ではもう王都への馬車の定期便も無い。だが、可能であれば明日中にはこの街を出発したいところだ。
俺たちは会計を済ませると食堂を後にした。観光名所だけあり夜になってもまだまだ見所はあるが、残念ながらそれらを見ている暇も無い。今から宿に戻ってある程度荷を作らなければならない。
『残念だが相棒、そうスンナリとはいかなそうだぜ』
「あん?」
グラムの不穏な言葉の直後、ミカゲが不意に立ち止まる。
「……皆様、警戒してください」
ミカゲが鋭い視線を周りに向ける。この時になってようやく、俺たちは自分たちが置かれている状況に気が付いた。
いつの間にか、周囲が静かになっていた。俺たちがこの街に来てからこれまで、今の時間帯であればまだまだ活気に満ちている頃合いだ。だが、この場に人の姿はなく、妙に張り詰めた空気が漂っていた。
いや、人の気配はあった。
物影から道の曲がり角からぞろぞろと、堅気にはあまり見えない連中が姿を現した。あっという間に、俺たちは囲まれてしまった。
「…………え、なにこの状況。どういうことさ」
「その……ユキナさん」
「みなまで言わなくて良いわよアイナちゃん。多分ちょっと、現実から目を逸らしたくなってるだけだから」
キュネイは俺の心境をよく分かっていた。
俺は自身の顔に手を当て、心の奥底から絞り出すように深々と溜息を吐いてしまう。半ば自業自得な気もしなくもないが、だからといってこうも毎回のように面倒に遭遇するのはどうしたものか。
偶然たまたま、この辺りが良からぬ者たちの集会場になっていたかという可能性もなくはないが、それにしては全員が真っ直ぐに俺たちのことを物騒な目で見ている。切っ掛けがあれば今にも躍りかかってきそうな空気だ。
そんな中、囲いの中から男が一人、俺たちの前に出てきた。
「テメェらか、俺たちのシマを荒らしてるって奴は」
「どのシマだよ。つかあんたら誰だっての」
「あぁんっ!?」
素で俺がツッコミを入れると、男が唾を吐く勢いで怒鳴った。
「とぼけるんじゃねぇ。ここ最近、散々俺たちの仕事を邪魔してくれてるじゃねぇか。あぁん?」
「人違いで手違いで見当違いだよ」
「あぁんっ!? 舐めてっと後悔するぞてめぇ、あぁん!?」
喋りながら無駄に顔を上下に振っている。もしかして威嚇とかしているつもりなのだろうか。どこかの土産屋で見た首振り人形を思い出す。
男の言うことにそれとなく見当はつく。俺が関わって結果的に潰してしまった詐欺の二件だろう。それにしては、報復の数が多すぎるように思えたが。
「てめぇがあのリードのクソ野郎と仲良くしてんのは分かってんだ。とぼけるつもりかぁあんっ!?」
「あいつと仲良くなった覚えはねぇよ!?」
心外な評価に俺は思わず言い返してしまったが、アイナがちょんと俺の袖を引っ張った。
「あの……もしかしたら、今日の昼間にリードさんと一緒にお茶を飲んでた所を見られてたんじゃ」
「…………え、あれだけで?」
短絡的にも程があるだろう。
と、アイナとひそひそ話をしていると、いつの間にか首振り男がこちらに近付いてきていた。
「こっちはあいつが来てから商売あがったりなんだよ。この落とし前、どうしてくれんだあぁん?」
この男の言葉は理解しがたいし理解もしたくはない。ただ何となくではあるが、舐められている感はある。こちらが手を出さないと高を括っている。
『まぁこの人数だからなぁ。相棒とミカゲだけだったら素手でもどうにかなりそうだが、残念ながらアイナとキュネイを守りながらってなると面倒だぜ。町中で派手に魔法を使うわけにもいかねぇし』
周囲にいる者たちの手には角材や木刀等の武器が握られてはいたが、刃が付いている類いは見当たらない。下手に刃傷沙汰になればあちらも困るのだろう。
かといって俺たちも手加減を誤るとそれこそ相手を殺してしまいそうだ。そして非常に残念なことに、それで最も危険なのは何を隠そう俺である。
ミカゲほどの腕前なら、この場にいる相手であれば殺さずに無力化できるだろう。だが俺はうっかりした拍子に手加減を間違えると、人を殺しかねない。
もしかしたらこの男はそれを分かっているのか、はたまた何も考えていないのか。相変わらず超至近距離で睨み付けてくる。息が掛かって非常に不愉快である。
――その時、俺の脳裏に雷鳴の如き閃きが生じた。
『絶対碌な事考えてないだろ』
既に碌でもない状況に追いやられているのだ。更に碌でもない事を重ねたところで大差ないだろう。
グラムの白けた視線(の様な気配)を浴びながら、俺は改めて首振り男に意識を向ける。
「まぁ、テメェらが俺たちのボスの前で誠意ってもんを見せてくれるなら話は――」
男の話を聞き流しながら、俺は奴の両肩を掴んで強引に後ろを向かせる。首に腕を回して拘束し、反対側の手で腰の大鉈を抜くとその刃を男の顔に突きつけた。
「――――へっ?」
男が呆けた声を漏らす中、俺はこの場にいる全ての人間に聞こえる位の大声を張り上げた。
「全員その場を動くな! 一歩でも動いたらこいつの命は保障しねぇぞ!!」
………………………………………………。
『やっぱり碌でもないことだったぁぁぁぁぁぁぁぁ!?』