第百二十九話 ひっこぬけたようですが
コミカライズ第一巻が重版したようですよ!
ちょっとしたトラブルはあれど、そこからは比較的に安全なユーバレスト観光を楽しむことができた。休暇の走り出しこそ不安な展開だったが、そこさえ乗り越えれば順調な滑り出しであったといえよう。
「でも本当に良いのかしらね? 今日は私がユキナ君を独占しちゃって」
「あの二人が良いって言ってんだから、良いんだろうさ」
腕に抱きつくように隣を歩くキュネイに、俺は今朝の会話を思い出しながら返した。
『人ので……〝でーと〟を覗き見していたのは褒められた事ではありませんが、それでもまぁ……感謝はしています』
相変わらず真面目というか律儀というか。自分が譲られたのだから、今度はこちらの番だとミカゲが言ったのだ。アイナもそれに付き合う形で 今日はアイナとミカゲは別行動だ。
「二人とも、別にそこまで気を遣わなくても良かったのに」
ちょっと困った風のキュネイだったが、あの二人の気持ちが俺には分かった。
蠱惑な雰囲気――とは少し表現が悪いかもしれないが――に反して、キュネイは非常に面倒見が良い。
医者として日頃から人に接する機会が多いというのもあるだろうが、本人の気質もあるのだろう。普段から何かと皆に対して気を配っており、俺を含めて凄く助かっているのだ。
ただ一方で、元娼婦としての経験や淫魔の性質からか、時折に驚くような事をしてしまうのが玉に瑕かもしれないが、そこもまた彼女の魅力とも捉えられなくも無い。
『人のこと言えるような立場かね』
脳裏に突き刺さる冷静な念話にグッと反応してしまいそうになる。
それを飲み込み、俺はキュネイに意地悪気味に言った。
「じゃぁお前は、俺とデートしたくなかったのか?」
「…………もう、その言い方はずるいわよ」
キュネイは俺の腕を抱く力を強めた。彼女がこの状況を喜んでいる証左だった。
「そういやぁ、こうして目的も無く二人で歩くってのは久しぶりな気がするな」
「かもしれないわね。薬の材料や食料の買い出しに付き合って貰ったことは何度もあるけど、あれはデートって感じじゃ無かったものね」
無論、キュネイとの買い物はそれはそれで楽しかった。こんな美人と一緒に歩けるだけでそれはそれでデートとも呼べるだろう。
ただやはり、当てもなく二人の時間を楽しむというのは無かったかもしれない。もしかしたら、俺とキュネイの距離が縮まった最初のデート。あの時以来だ。
「どうしたの? 人の顔をマジマジと見ちゃって」
「最初にデートした時、お前が照れて俺の胸に顔を埋めてるの思い出した。今思い返すと、随分とまぁ可愛らしい反応だったなと」
「……あの時は本当に人に見せられない顔だったんだから」
恥ずかしげに頬を赤らめるキュネイ。その反応がまた可愛らしいのなんの。大人びいた彼女が見せるそんな一面を間近で見られるのが俺だけだと思うと、ちょっとした優越感がこみ上げてくる。
それからキュネイとは会話を楽しみつつ、道端の露天を冷やかしつつでデートを楽しんでいると、唐突にキュネイが足を止めるて指をさす。
「見てユキナ君。あっちの方」
そちらの方向に目を向ければ、人集りが出来ており騒がしかった。一瞬、何かのトラブルでも起こっているのかと身構えそうになるが、どうやら普通に盛り上がっているだけのようだ。
『もはや完全に自分がトラブル体質だと自覚してるな』
グラムは後で絶対シメルと心に誓ってから、俺はキュネイを見る。彼女はニコリと笑うと俺の腕を解放すると、代わりに手を握って人集りに向けて引く。
「はいはい、仰せのままに」
彼女に引かれるままに、俺は人集りに足を運ぶ。
最初は人の間を通り抜けるのが大変だったが、割り込んできたのが極上の美人であると気が付いたようで、急に人垣が割れる。キュネイが笑みを浮かべて会釈をすれば、男はだらしなく鼻の下を伸ばす。彼女連れもいたのだろうが、それは恋人に叩かれていた。ちなみに手を繋いでいる俺はもれなく嫉妬の視線を集めたが、これはいつも通りである。
そうして人垣を抜け出た先では催し事を行っていた。
「さぁ寄ってらっしゃい! この伝説の剣を抜くことが出来た人には、豪華賞品をプレゼントするよ!」
小箱を抱えた小太りの男が、集まった者たちに高らかにアピールする。背後では、地面に突き刺さったちょっと凝った意匠の剣。
今まさにそれを引き抜こうとする男の姿がある。大柄で筋肉質な躯をしているのだが、剣はピクリとも動く気配が無い。
『観光地によくある見世物だな。伝説の剣たぁちょいと誇張が過ぎてるが、この手のもんは派手さと勢いが重要だからな』
グラムの言うとおり、あれは見た目を重視した普通の剣なのだろう。だとしても、この人集りを見ればあの商人の目論見は見事に的中していた。
やがて男は諦めたのか、剣から手を離した。肩を上下し息を切らせながら、悔しげに人集りの中に消えていった。
「さぁ、次の挑戦者はどなた!?」
商人のアピールに応じて「次は俺の番だ」と袖をまくった男が新たに現れる。商人にいくらかの金を払うと、意気揚々と剣の柄を握った。
ただし結果は前のと同じ。どれほどに力を込めたところで剣が地面から抜ける様子は無く、肩を落として消えていった。
『ふんふんなるほど、そういうことか』
訳ありな声を発するグラムに気を向けるが、口を開く前にキュネイが俺の腕を軽く引いた。
「ユキナ君も挑戦してみたら? もし抜けたら商品貰えるらしいし」
「…………まぁ、やるだけやってみるか」
観光地に来たのだし、たまにはハメを外してこういった催しに参加するのも良いだろう。
「ちょっとこいつを預かっててくれ」
「分かった。いってらっしゃい」
俺は黒槍を鞘から取り外すとキュネイに預け、挑戦者を求める商人に近付いた。
「お、新たな挑戦者のお出ましだ。彼女にかっこいいところを見せ付けられるのか?」
キュネイとのやり取りは見えていたようだ。挑発とも取れる盛り上げ文句を大声で発する。それに伴い、野次にも近い声が周囲からも聞こえてきた。
俺は商人に金を払う。
「具体的に、引き抜けたら何が貰えるんだ?」
「それは抜いてからのお楽しみって事で」
なんだそりゃぁ、と俺は内心でツッコミを入れた。
抜いた後の特典も分からずにこれだけの騒ぎになっているのか。
グラムの言葉を借りれば、この手の催しは盛り上がってこそ。そう言う意味ではきっちり場を盛り上げているこの商人の手腕を褒めた方が良いのか。
なんだかんだで自分も参加している辺り、場の空気に上手く乗せられた感はあった。
「さ、どれどれ」
地面に突き刺さった剣の柄を両手で握り、軽く引っ張ってみる。
なるほど、刺さっているというよりも、地面に固定されているかのような重量感がのしかかってくる。
装飾はあれど、片手剣とは思えないような重さだ。もしかして特別な素材でも使っているのだろうか。
「ふんっ!」
最初よりも力を込めてみる。ところが剣はビクともしない。
「これでも抜けねぇのかよ……」
人間なら二人人くらい楽に持ち上げれれそうなくらいの力だぞ。
軽く戦慄していると、ふと視界の端に商人の顔が映った。浮かんでいるのは最初と変わらぬ笑みだ。些かも崩れる様子が無い。
「…………(ムカッ)」
その笑顔が何だか腹が立った。
己の勝利を確信している――そんな顔だったからだ。
「ユキナ君っ、頑張って!」
見ればキュネイがこちらに手を振って声援を送ってきた。
恋人に応援されてるのだ。ここで結果を出さなきゃ男が廃るってものだ。
だから俺は本気を出すことにした。
「すぅぅぅぅ――――――ふんっ!!」
大きく息を吸ってから、全力で踏ん張る。すると、切っ先が動くよりも先に俺が踏みしめている地面が足の形に陥没した。
「――ッ!?」
これを見た商人の笑みがピクリと揺れた。ただ、まだ完全に崩れたわけではない。
「ふぎぎぎぎぎぎっっっっ!」
俺は力を込め続ける。
――ビシビシッ。
亀裂が入るような音が響いてくる。今の俺にはそれがどこから聞こえてくるのか探る余裕は無かった。
「ちょ、お客さん! もうそのくらいで――」
ついに笑みが完全に無くなった商人が、慌てたように俺を止めようとしたが、それよりも早く。
「ぬりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!」
ベゴンッッッッ。
何かをくり抜くような小気味の良い音と共に、腕に掛かる重量が一気に軽くなる。
「よっしゃぁぁぁぁっっっっっ…………って、おいぃぃぃぃっっ!?」
抜けたのか、と達成感を抱いて己が引き抜いたものを見てみるが、俺は思わず叫んでしまった。
何故なら剣が突き刺さっていた地面ごと引っこ抜けていたのだから。
切っ先に一抱え以上もある地面が付いてきたら、誰だって驚くだろう。