第百二十八話 戦慄したのですが
『…………………………』
ふと、グラムから奇妙な気配が伝わってきていた。
ただの無言という風では無い。リードと呼ばれた男に対して、妙に注意深く観察しているように感じられた。
「ところで――」
意識をグラムに向けていたからか、リードと呼ばれた男が側まで来ていることに気が付かなかった。
彼の目は一直線に、キュネイに向けられていた。
「こちらの見目麗しい羨まけしからんボディを持つお嬢さん。あなたのお名前を伺っても宜しいでしょうか」
「ど、どうも……キュネイと申します」
何だか昔の自分を見ているような気分である。リードは鼻息荒くキュネイに詰め寄っていた。
「ああ、やはりこうなりましたか。だから早く離れたかったのに」
ミカゲが顔に手を当てて項垂れていた。
「……もしかして、ミカゲさんがこのリードという方を嫌っていたのは」
「ええ、私も初めて会ったときは同じように迫られまし、依頼の最中も事あるごとに下心を丸出しで詰め寄ってきました」
俺たちが勢いに飲まれて見守る中、リードはキュネイに対してぐいぐいと詰め寄る。
「初めまして、リードと申します。どうでしょう、一夜を俺と共に過ごしませんでしょうか?」
やっぱり少し前の俺を実際に見ているような気分である。初めてキュネイと出会ったときも、俺は似たように彼女に対してストレートにぶつかっていったなぁ、とちょっと懐かしい気持ちになる。
と、昔の出来事に思いを馳せている場合では無い。
『相棒、分かってると思うが』
大丈夫だ。まだ頭に血は上ってないしちゃんと自制は心掛ける。
「……ゴメンなさいね。あなたのような人と一夜を共にしたことはあるけれど、今はもう心に決めた人がいるの。あなたの希望には添えないわ」
最初は押され気味だったキュネイだったが、コミュニケーション能力で言えば俺たちの中で最も高いのは彼女だ。すぐに落ち着きを取り戻すと、やんわりとリードの申し出を断った。
ところがリードは食い下がる。
「そう言わずに。むしろそうであるなら、あえて道を踏み外し、危うくも魅力的な体験を俺とするというのも悪くないと思いませんか?」
更に詰め寄ろうとリードがキュネイに手を伸ばそうとするが、さすがにそれには待ったを掛ける。
「ちょっと待ちな」
俺はキュネイとリードの間に割り込むと、伸ばされていた腕を掴み取った。
「……あ? なに人様が美少女を口説いてるところを邪魔してんだ?」
手下の事を謝罪していた様子はどこへいったのか。打って変わって、敵愾心を隠さずにリードは俺を睨み付けてくる。
「そっちこそ、人様の女を勝手に口説いてんじゃねぇよ」
「テメェみたいな奴が……だと?」
リードはマジマジと俺の姿を上から下まで見る。
「テメェみたいな奴が……だと?」
「二回も言うことか!? 悪かったなお前みたいなイケメンじゃ無くて!」
信じられないとばかりに、リードが俺の背後にいるキュネイに目を向ける。キュネイは苦笑をしつつも、肯定の意味を含めて頷いた。
「ちなみに、その恋人の中には私とそこにいらっしゃるアイナ様も含まれていますので、あなたがいくら声を掛けても無駄ですから」
ここぞとばかりにミカゲが付け加えると、いよいよリードが愕然となった。
「こんな特上のおっぱいを持った女が三人も、こんな野郎に……」
「お前さっきから本当に失礼だな」
ミカゲが嫌っている理由が少しだけ分かった気がする。女からしてみればこんな節操の無い奴を好きになれる通りも無いか。
――改めて、自分がキュネイ達という恋人を得られた奇跡に感謝したくなった。
「つまりだ」
ぽつりと、リードが言葉を発した。
その途端、空気が変わった。
「……こいつさえぶち殺せば、この可愛い子ちゃん達に声を掛ける分には何ら問題は無くなるわけだ」
口端をつり上げる形相はまさに、獲物に狙いを定めた獰猛な獣。明らかに間違った理屈を口にしていながらも、それが全てと言わんばかりに俺に対して威圧を向けてくる。
だが――。
ミシリッ。
殺意の混じった獰猛な笑みを直近で向けられながらも、俺は強くリードを睨み返し、その腕を掴む手に力を込めた。
「――ッ」
「もう一度言ってみろよ。誰が誰を殺すって?」
「テメェ……ッ」
「あいにくと、恋人にどこかの誰かさんが言い寄ってるんで、俺も心中穏やかってわけにもいかなくてな」
俺とリードの視線が正面からぶつかり合う。
まさに一触即発といった具合だ。
「――チッ」
リードは舌打ちをすると腕を引いた。俺は下手に抗わずに掴んでいた手を解放する。
忌々しげに俺を睨み付け、それからリードは無言で背を向けるとそのまま人混みの中に消えていった。リードに殴られた男や他の面子も慌てたようにそれを追い、この場を去って行った。
…………………………………………………………。
「ふぅぅ………………」
その姿が完全に見えなくなってから、俺は大きく深呼吸をした。
「ゴメンねユキナ君」
「いや、キュネイが悪いわけじゃねぇだろ」
「…………ユキナ君、どうしたの?」
キュネイが心配そうにするが、俺はそれにすぐには答えられず、リードの腕を握っていた己の手を見る。
リードに野獣のような威圧を向けられたとき、実はその奥底にもっとヤバいものが潜んでいるように感じられたのだ。
本音を言うと、リードが素直に引いてくれて助かった。あのまま空気が爆発していれば、単なる殴り合いで済みそうに無かった。
「……リードはこのアークスでの活動こそ殆どありませんが、隣国では有名な傭兵です。それも、悪い意味で」
俺の心中を察したミカゲが話し始めた。
「あのような素行の悪さが問題になり未だに二級止まりですが、純粋な戦闘力という点で言えばリードは一級傭兵にも匹敵する実力を有しています」
「一級って……」
それはつまり、傭兵としては最高峰の実力者ということを意味する。己の武に誇りを持っているミカゲの口から語られているのであれば、それはキッと真実なのだろう。
「リードは採取や護衛等の依頼は一切受けず、厄獣の討伐を専門に請け負う傭兵です。ですが、討伐した厄獣を組合に納品する際の状態の悪さも、一級に昇格できない要因の一つといわれています」
だがそれは逆に、どれほどの問題を抱えていようとも組合が二級と認めるほどの実力を示していることの証明だ。
「仕留めた厄獣の余りの有様に、付いた二つ名が『蹂躙』です」
──蹂躙のリード。
その名前が俺の中に深く木霊したのだった。
――side other
ユキナの前を去ったリード一行。
「なぁリーダー。どうしてあのクソ野郎をぶちのめさなかったんだ? 普段のリーダーなら」
顔に青あざを拵えた男が、リードに問いかけた。それは彼だけでは無く、背後に付いていく者たち共通の疑問であった。
彼らはリードがどういう人間かを嫌と言うほど知っている。そんな彼らの知るリードが、あの場面で素直に引き下がるのが心底不思議で仕方が無かった。
そんな手下達の目を受け、リードは再度舌打ちをすると、無造作に手を上げた。てっきり殴られるかと思い、青あざを付けた男がビクリと震えるが、リードは単に手を上げただけだった。
いったい何事か、と疑問に思うも男はリードの腕を見て目を見開いた。
「リーダー、その腕は……」
「あの野郎に掴まれた時だ」
リードが持ち上げたのは、ユキナに掴まれた腕。そして彼に掴まれたところに、青黒い手形がハッキリと浮かんでいたのだ。
ユキナはリードの内に潜んでいるただならぬ気配に戦慄していたが、リードもユキナの秘めたる膂力に驚いていたのだ。
(あの野郎……単なるクソ野郎ってわけじゃなさそうだな)
掴まれた瞬間、腕がまるで動かなくなった。巨大な山に埋め込まれた枷に拘束されたかのような重圧を感じた。
もしあの場で引き下がらなければ、腕を力尽くで握りつぶされていたかもしれない。そう思わせるほどの膂力であった。
勿論、素直に腕を潰されるつもりは無い。あの手を引き剥がす手段などいくらでもあった。
けれども、あのままやり合えばどうなっていたことか。
――どちらも無事では済まなかった。
漠然とながらそう確信させられた。
しかし、頭でそれを分かっていながらも、リードは己の中に渦巻く『熱』を抑えきれなかった。
目に焼き付いたのは、キュネイの艶やかな肢体。見ているだけでも心を鷲づかみに魅力の塊のような女性。
「いいねいいね燃えてきた。障害があればあるほど、手に入れたときの快感は堪らねぇな」
再び獰猛な笑みを浮かべるリード。
それを傍目から見ていた手下達はヤレヤレと肩を竦めた。
――結局のところ、一番騒ぎを大きくするのはいつもリード張本人なのだ。