第百十九話 逆鱗に触れし者の末路
確かにこの男は強い。あるいは、ミカゲを除けばこの場にいる傭兵の誰もこの男には敵わないかもしれない。そう思わせるほどの実力を有している。
だが、俺はこれ以上にヤバい存在と鎬を削り合った。あの魔族を相手に死線を生き抜いた事に比べれば、脅威を覚えるほどではなかった。
目の前にいるのは、俺よりも技量は上だろうがそれでもあの魔族ほどでは無い。力に関しては完全に俺が勝っている。
『つっても、相手は腐っても盗賊の親玉。修羅場のやばさはともかく、それなりの場数を踏んできてるはずだ。油断だけはするんじゃねぇぞ』
グラムの忠告を頭に留めつつも、俺は槍を振るう。苦悶を浮かべつつも、頭目はやはり剣で俺の攻撃を防ぐ。これで何度目だろうと思う一方で、防がれるというのならばそれはそれで構わないと開き直る。
「――っ、この馬鹿力がっ」
忌々しげに吐き捨てる頭目だったが、言葉ほど動きに勢いが無い。俺の黒槍を受け止めた衝撃が躯の芯に響いているのだ。そのせいで即座の反撃ができず、俺に攻められる一方となっていた。
そして、とうとう俺の力に耐えきれなくなり、頭目の剣が大きく弾かれる。両腕をかち上げられ、無防備になった胴体に旋回させた槍の石突きを叩き込むと、頭目の躯が後ろへ大きく吹き飛んでいった。
ふと周囲を見れば、既に戦いは終盤だった。
もはや完全に勢いは傭兵側だ。
多くの盗賊が打ち倒され、あるいは武器を手放している。中には逃げだそうとする者もいたが、あいにくと入り口の側にはミカゲたちが陣取っている。捕虜たちを守っていると同時に、盗賊たちをアジトの外に出ないようにしているのだ。
ここで逃がせばほかの場所でまた似たような事をやらかす可能性があるからな。このアジトで一網打尽にするのは最初からの予定にはいっていた。
「っと、余所見をしてる場合じゃねぇか」
これ以上長引かせるのもよろしくないか。俺がここできっちりと頭目との戦いにケリを付ければ、未だ抗おうとする盗賊たちも諦めるだろう。
「っざけんな! こんな小僧に俺の盗賊団が潰されるだと!? ここまで大きくするのにどれだけ苦労したと思ってんだ!」
息は荒く口から血も流している。石突きに骨が折れた感触があった。呼吸をするだけでも腹部には激痛が走っているだろうに、頭目は怒りを糧にして立ち上がると、猛然と剣で斬り掛かってきた。
「おっ、ちょっ、っとっとっと!?」
完全に力任せの、我武者羅な剣戟。それだけに軌道が読めず、俺は少し慌てる。
もっとも、少しだけであり対処はそれほど苦では無かった。
「殺す! テメェだけは絶対に殺す!」
それよりも、頭目の様子がもう尋常では無い。
頭目の振り下ろしを正面から受け止めるが、今度はすぐにははじき返せない。怒りでタガが外れているのか、凄まじい圧力がのし掛かる。
「テメェだけじゃねぇ! ほかの傭兵も! 攫った奴らも! 俺をコケにしやがった奴らは皆殺しにしてやる!」
剣と槍の鬩ぎ合いの最中、至近距離で見る頭目の目は真っ赤に染まっているのではと思えるほど血走っており、正気を疑う凄まじい形相だ。
そして、頭目は俺の背後――アジトの入り口付近で戦っているアイナやミカゲたちを一瞥した。
「あの女どももだ!」
――――…………。
「捕まえて楽しんだ後、高値で売っ払おうと考えてたがもう容赦しねぇ! 女として生まれてきたことを後悔する様な目に遭わせてから、ぐちゃぐちゃになぶり殺してやる!」
……こいつは今、なんて言った?
黒槍を握る手に力が籠もる。
「テメェが悪いんだからな! テメェが俺を――」
喚き散らす頭目の言葉をぶつ切りにするように剣をもう一度強く弾き、蹴りを見舞って距離を離す。もう何本か骨が折れる感触が靴底から伝わる。口から血が混じった吐瀉物を地面にまき散らしながらも、相変わらず怒りに染まった目はまっすぐにこちらを射貫いていた。
だが俺は、それを更に上回る憤怒で頭目を睨み付けた。
『馬鹿だね、この親分。よりにもよって、相棒の〝逆鱗〟に触れやがった』
グラムの溜息を交えたようなぼやきを頭の片隅に響かせつつ、俺は言った。
「――潰す」
ドンッと、黒槍から黒い光が解き放たれる。
左手の刻印に生じる凄まじい熱はそのまま、胸中に燃えたぎる怒りを表していた。
「は……え……?」
それまでの勢いはどこへ行ったのか。俺の変わりように頭目は意味の無い呟きを口から零すだけであった。
「テメェは絶対に、ここでぶっ潰す!」
対して俺の怒りは更に燃えさかる。
この男は、手を出してはいけない奴らに手を出そうとした。
それが例え口だけのものであったとしても、許容できるものではない。
俺の惚れた女を傷付ける奴は、誰であろうともぶっ潰す。
黒槍を正面に構え、俺は叫んだ。
「竜滅の大魔刃ッッッ!!」
槍の穂先に漆黒の光が集まり、長大な刃を形作る。
突如として現れた常識外れの刀身に、その場に居合わせた誰もが言葉を失う。一度は見たことがあったはずのアイナたちでさえ息を呑んでいた。
超巨大な剣と化したグラムを俺は大きく振りかぶる。
俺はもう一度、頭目を睨み付けた。
「あ……ま、待て……待てって……待ってくれって!!」
あれほど猛々しい剣の使い手だった盗賊団の親分が、今は腰を抜かして地面にへたり込んだ。
「俺が悪かった! 大人しく投降する! 手下達も従わせる! だから──」
俺の両手に掲げるこれが何か。具体的にはわかっていないかもしれない。だが、これが頭目にとっての絶望でしかないことだけは理解しているのだろう。目から涙を流し、股間から地面には染みが広がり、救いを求める声を口から漏らしていた。
「お前をここで見逃せば、お前は俺の大切な奴らを傷つけるんだろ?」
俺は大きく息を吸い込む。
そして――。
「消えろおぉぉぉぉぉっっっっっっっっっっ!」
腹の底から声を発しながら、俺は竜滅の大魔刃を振り下ろした。
「ひっ――」
情けない悲鳴を残し、黒い刃を受けた頭目はこの世から消滅。漆黒の刃はそのまま延長上のあらゆるものを薙ぎ払い、アジトを囲む岩壁をぶち抜くまでに至った。
最後に、辛うじて大魔刃の影響から逃れた頭目の両腕が、ぼとりと地面に落ちた。