第十二話 最高級のようですが
魅惑の女性は一階に降りると、俺の隣まで来て受付に言う。
「部屋の後始末をお願いできるかしら。私のお客さんも部屋で寝ちゃってるから、その相手も含めて」
「はい。いつもご贔屓いただき、誠にありがとうございます」
「いつも通り、宿賃は二階でまだイビキを掻いてる人に付けておいてね。何かあったら連絡ちょうだい」
「畏まりました」
恭しくお辞儀をする受付に「じゃあね」と別れを告げてその場を後にする。ただその直前に俺の方へと目を向けると柔らかな笑みを向けた。
……その後ろ姿を呆然と見送っていると「お客様?」と受付から声を掛けられて我に返った。どうやらちょっと意識が彼方に飛んでいたらしい。
「ちょ、ちょっと聞いて良いか!」
「──っ、何でしょうか」
思わず身を乗り出し声を大きくした俺に、受付は若干たじろぎつつも頷いた。
「いま出て行ったあの人! あの人もここの従業員なのか?!」
「いえ。あの方は男性のお相手をする際に当店をご贔屓頂いているだけで、当店に所属している娼婦とは別でございます」
つまり、どこかしらに所属していないフリーの娼婦か。
だが、その辺りは最早どうでも良い。
「あ、お客様。もしあの方に相手をお願いするつもりならやめておいた方が──」
俺は受付の言葉を最後まで聞くことなく、気が付けば娼婦宿を飛びだしていた。
『お、おい相棒。どうした!?』
グラムの叫びも無視し、俺は必死になって走った。
時間はさほど経っていない。急げば追いつけるはずだ。
そして──求めた後ろ姿を視界に捉えた。
「ちょっと、そこの綺麗なおねーさん!」
俺の発した声が届いたのか、『彼女』は足を止めた。振り向いた彼女は「あら」と口に手を当てた。
彼女の側まで駆け寄ると、俺は膝に手を突いて息を乱す。距離的には長くなかったが、何しろ全力で走っていたので息が乱れていた。
「えっと、君は宿の受付にいた子……であってる?」
「ええ……あってますよ」
「その様子だと、私に用があるみたいだけど……何かしら?」
胸に手を当てて呼吸を整え、多少の落ち着きを取り戻してから顔を上げた。
近くで見るとやはりとんでもない美人だ。あの〝お嬢さん〟が可憐な美少女であるなら、この人は妖艶な美女。男を虜にするために存在するような女性だ。
俺は決めた。
姿勢を正して、はっきりと声に出した。
「お姉さん、俺の初めての相手になってください!」
彼女は最初、ポカンと口を開いたまま固まった。
『相棒はテンションが振り切れると、一周回って逆に恐ろしいほどに肝が据わるみたいだな』
グラムの呟きが耳の左から右へと素通りしていった。
お姉さんはしばらくするとハッと我に返り、微笑を浮かべた。
「……それは、私を娼婦として買いたいって事かしら?」
「はい! どうせ男になるならお姉さんみたいな極上の美人さんが良い!!」
「ふふふ、褒めてくれてありがとう」
お姉さんは愉快げに笑った。
「最近は妙に気取った男ばかりを相手にしていたから、君みたいな素直な子は新鮮で良いわ。そう言った人に抱かれるのもまた一興かしら」
お、もしやコレは好感触なのでは?
娼婦とはいえ初対面の相手に行き成りすぎたと思わなくもないが、もしかしたら行けるんじゃね?
「でも、私も私なりに娼婦の仕事にプライドを持ってるわ。相手が誰であれタダで抱かれてあげるわけにはいかないの」
「……そりゃぁもちろんそう……っすよね」
淡い希望を抱いていると、お姉さん少し真面目な顔になってが毅然と言い放った。熱で呆けていた頭が少しだけ冷やされ、俺はおずおずと頷いた。
「言っておくけど……私は高いわよ?」
「ぐ、具体的にはどのくらい?」
──お姉さんが告げた金額は、俺の予算の遙か上であった。生活諸々を全部つぎ込んでも全く足りない。ぼったくりじゃねぇのかとお姉さんの顔を見たが、返ってきたのは真剣な眼差し。どうやら本当らしい。
「そ、そげな馬鹿な……」
『おい、ショックすぎて謎の方言が出てるぞ』
あまりの高額にガックリとその場で崩れ落ちる俺に、グラムが冷静にツッコミを入れた。
『しっかし、この額は相当だねぇ。つまり、このボインなねーちゃんは娼婦の中でも最高級に位置する極上の女だ。相棒、お前さんの目に狂いはなかったようだ。残念ながら到底手は届きそうにないがな!』
グラムは俺の崩れ落ち様が可笑しかったのか、その声には笑いが含まれていた。溶鉱炉にぶち込んでやろうかしら。
「ごめんなさいね。今言ったように、タダで抱かれたら、コレまで私にお金を掛けてきた客に申し訳が立たないの」
彼女は苦笑気味に言って、俺に背を向けた。
「君みたいに自分に正直な子、私は嫌いじゃないけどね」
足音が遠ざかっていく。俺はそれを頭を垂れたまま止められずにいた。と、頭を下げた拍子に胸元から紐にぶら下げた指輪が零れる。
紐に吊されて揺れる指輪を見て、俺はふと思った。
──そうだ、今度は手が届かないわけじゃないんだ。
「やってやろうじゃねぇか」
俺は勢いよく立ち上がると、立ち去ろうとするお姉さんに向けて叫んだ。
「お姉さん! 一つ聞きたい!」
「何かしら?」
振り向いた彼女に俺は言った。
「ちゃんと金を用意したら、あんたを買えるんだろうな!」
「……ええ。先ほど提示した金額を全額揃えることが出来たのなら、喜んであなたに買われてあげるわ」
「よっしゃぁ! その言葉、忘れるなよ!!」
〝前の時〟は、身分の差が目の前に立ちふさがった。一介の村人である俺にはどうしようも出来ない問題。
だが、今回の問題は金額だ。確かに今の手元に彼女を買うための資金はない。だが、金がないなら稼げば良いだけの話。
だったら、稼いでやろうじゃないか!
「ふふふ、妙に丁寧な口調じゃなくて今の方がよっぽど良いわよ、君」
「絶対にあんたの事は買わせて貰うからな。そのつもりでいてくれ」
「ええ、待ってるわ」
そこで、俺は聞き忘れていたことがあった。
「あんたの名前を教えてくれ。また会うとしても名前も分からなきゃ探すのが大変だからな」
「だったら、まず最初に自分から名乗るのが礼儀じゃなくて」
「おっと、こいつは失礼した」
今日は熱くなったり冷静になったりと、感情の上げ下げが激しいな。
俺は咳払いを一度してから名乗った。
「俺はユキナだ。よろしく」
「そう、ユキナ君ね」
お姉さんは少し居住まいを正し、俺を真っ直ぐに見据えた。
「私の名前はキュネイ。君に買われる日を心待ちにしているわ」
──こうして俺は、キュネイという最高級娼婦を買うために、行動を開始するのであった。