第百七話 あなたに深く、刻んでほしくて……
注意)この回はホールケーキ並みに甘い展開と微R15成分が含まれています。
精神的糖尿病の危険性がありますので用法用量を守って正しくお読みください。
「精神的糖尿病ウェルカム!」というかたはがっつり読んでください。
受付に案内された部屋の前には、アイナを先に連れて行った従業員が待っていた。
「あ、ちょうど良かった。今し方終わったところよ~」
「首尾は?」
「バッチリ」
従業員が笑顔で親指立て。受付も親指立てで返した。なんなんだよこのノリは。
「後は若い二人にお任せいたしましょう」
「お見合いかっ!?」とツッコミを入れる前に、受付と従業員は「では、ごゆっくり」と去ってしまった。
その場に残された俺は、扉の前で立ち尽くす。
「…………いや、どうしろってんのよ」
『とりあえず、中にアイナがいるのは間違いねぇよ』
冷静なグラムの言葉に後押しされるように、俺は部屋の扉を開いた。
この時の俺は、先ほどまでの会話や今し方のやり取りのせいで、自分がどんな場所にいるのかを忘れていた。
扉を開いて部屋の中に入る。
窓の外から注ぐ光は僅かな星明かりのみ。室内は蝋燭によってほのかに照らされるのみだ。
その内部の奥に置かれたベッドの側に、アイナがいた。
「ゆ、ユキナさん?」
彼女はこちらに背を向けたまま、顔だけ振り向く。薄暗くて彼女の全体像はよく見えないが、声に緊張が含まれているのは感じ取れた。
「あっ! ちょ、ちょっと待って下さい! こっち見ないで……いやでもここまで来てお見せしないのもおかしいのですがそれでもあの――」
分かりやすいくらいに混乱しているアイナ。左を見て右を見てアワアワとその場で慌てている。
そこでようやく、俺は自身がなんのためにこの宿に来たのかを思い出した。そして、彼女がどうして彼処まで慌てているのかを理解した。
背中の黒槍を扉付近の壁に立てかけ、未だに慌てているアイナの側まで寄ると、俺は柔らかく彼女の躯を背中から抱きしめた。
俺の腕に包まれた瞬間、アイナの躯が激しく揺れ、それから硬直する。そんな彼女に俺はなにも言わず、ただ黙って抱擁する。
しばらくすると、徐々にアイナの躯から堅さが抜けていった。
「どうだ、落ち着いたか?」
「……少しだけですが、なんとか」
アイナは躯の前に回された俺の腕を掴むと、ぐっと抱き寄せた。服越しではありつつも、アイナの温もりが伝わってくる。そしてそれは彼女も同じなのだろう。
「もう……大丈夫です」
そう言ってアイナは俺の腕をやんわりと解くと、ゆっくりと俺の方へと向き直った。
身近でアイナの姿を正面に捉え、俺は息を呑んだ。ようやく俺は彼女が最初に慌てていた理由に思い至った。
今のアイナは、俺と一緒に宿に来たときの服では無かった。薄手の羽織の下に、躯のごく一部を覆っただけの極めて扇情的な姿。形としてはおそらく女性ものの下着に近いのだろうが、それよりも遙かに色気を放っている。
すらりと伸びる太ももやなだらかな丘を描く腹部。そして、たった一枚の布に包まれ、深い谷間を形作っている豊かな双丘。
その姿は俺の理性を大きく揺さぶるのだが、そうでありながらも不思議と〝清楚〟を抱かせるのは、着ているのがアイナだからであろうか。
ただただ、俺は言葉も無くアイナのその姿を見つめる。
「やっぱり……じっくり見られると、恥ずかしいですね」
緊張を誤魔化すように、アイナは笑った。その顔は、薄暗い中でもハッキリと分かるほどに赤らんでいた。
「えっと……従業員の方にこの部屋に連れてこられたら、いきなり着替えさせられて。き、気が付いたらこの格好になってました」
「気が付いたら……ですか」
何故か敬語になる俺である。
「最初は私も驚いたんですが……。従業員の方からは、これを着たら絶対にユキナさんが喜ぶと……」
さすがは娼婦宿の従業員。男というものをよく理解していらっしゃる。おそらく、アイナという〝素材〟を生かした上で、俺の趣味に合うような衣装を選んで着せたのだろう。
「その、どうでしょうか?」
「今この瞬間、ベッドの上に押し倒したい衝動を堪えてるよ」
俺があからさまに答えると、さすがにアイナも泡を食ったようだ。「はぅっ」と妙な悲鳴を上げると顔を伏せてしまった。
「ど、どうやら従業員の方が言っていたことは正しいようですね……恥ずかしいですけど、ユキナさんが喜んでくれたようで嬉しいです」
顔を下に向けたまま言うアイナのけなげさに、涙が出そうなほどに感激する俺である。
感極まった俺は、アイナの躯を抱き上げた。
いわゆる〝お姫様抱っこ〟という奴だ。
まさか、本当のお姫様相手にこれをする日が来るとは。この王都に来たばかりの頃であれば想像すらしなかっただろう。
アイナは「きゃっ」と可愛らしい声を発しながら、俺の躯にしがみついた。おかげで躯がさらに密着し、彼女の豊かな胸が、俺の胸部に押しつぶされる。
そのままベッドにまで近づくと、その上にアイナの躯をゆっくりと横たえ、俺は彼女の側に腰を下ろした。
「アイナ……」
名を呼びながら、彼女の頬に手を触れる。
すると、アイナは俺の手に自身の手を重ねた。 いつの日か、離ればなれになっていた手が、今はこうして繋がっている。その事実が堪らなく嬉しかった。
自然と、俺はアイナに口付けをしていた。
突然のことであったはずなのに、アイナは驚いていなかった。まるで最初から分かっていたかのように、彼女は俺を迎え入れてくれた。
一瞬にも永遠にも感じられた唇の繋がりが離れた。
躯のごく一部の接触の筈なのに。たったそれだけの筈なのに、まるで大事な何かが失われたかのような寂寥感が生まれる。
それを埋めたいがために、俺たちは再び唇を重ねた。
「は……ふぅ……ユキナさん」
「アイナ……」
俺たちはかつて離ればなれになっていた時間を取り戻すかのように、名を呼び合いながらどちらがともなく何度も口付けをする。
いつしか俺たちは単に触れ合うだけのキスだけでは物足りなくなっていった。
より強く相手を感じ取りたいと、より深く相手に感じて欲しいと、唇を貪るように求め合う。
――どれほどの時間をそうしていただろうか。
ようやく顔を離すと、アイナはまるで心ここにあらずとばかりに呆けた表情をしていた。その瞳は完全に潤んでおり、男の劣情を猛烈に駆り立てる色気を匂わせていた。
再び彼女を貪りたい欲求をどうにか堪えて、俺は口を開いた。
「アイナ、聞こえてるか?」
「ユキナ……さん?」
ぼぅっとしていたアイナだったが、俺の声に意識の焦点を取り戻したようだ。彼女の正気が戻ったのを確認してから、俺は改めて彼女に言った。
「俺はお前を――アイナを愛している」
「はい……私もユキナさんを愛しています」
互いに想いを伝え合う。
唇を重ね、想いを重ねた。
そして俺たちは、さらに重ねる。
「お前はもう俺のものだ。誰にも渡さない。今から、お前にその証を刻み込むぞ」
強い意志を込めた宣言に対して、アイナは満面の笑みを浮かべ、俺を受け入れるように両手を差し出た。
俺はもう一度、彼女と口付けをするために近づく。
その唇が接する直前、アイナは蕩けるような声で囁いた。
「私があなたのものであるという証を、私の躰に深く刻み込んでください」
――そうして、俺は夜が明ける頃までアイナの躯に俺の所有物であるという証を強く深く刻みつけたのであった。