第百五話 刻みたい想い
砂糖を通り越して蜂蜜ぶちまけ
甘い空気に浸っていたくはあったが、王都から一歩外に出れば俺たちはどちらともなく腕を放した。惜しい気持ちはあったが、ここからは仕事だ。
傭兵の仕事には常に危険が付きまとう。薬草の自生地は厄獣が出没する。だからこそ傭兵に仕事が回ってくる。五級向けの依頼ではあったが、だからといって油断してイイ理由にはならなかった。それを俺とアイナはしっかりと理解していた。
おかげさまで、依頼の方は滞りなく完了。これといった問題が起こることもなく採取した薬草を組合に納品し、無事に報酬を得ることができた。
そのまま俺たちはアイナの希望通り屋台の串焼き肉を楽しんだ。どうやら、アイナはすっかり串焼き――というか屋台の味にハマってしまったようだ。
これまで食べてきた料理はどれも繊細な味付けでそれはそれで美味いのだが、屋台で作られる大胆な味付けがやみつきになってしまったらしい。
当面の目標は、王都内にある屋台の全制覇。
それでいいのか、と思わなくもないが目標があれば生活にも張り合いが出てくる。俺だって経験あるからな。
――というわけで、その日は終了。
アイナとイチャイチャしたし仕事も真面目にやったし、最後は美味しい料理も食えた。まさに非の打ち所のない一日であろう。
けれども――今日という日はまだ終わっていない。
日も暮れ始めた頃だ。
「では、そろそろ帰りましょうか」
アイナが俺の手を取り、診療所に戻ろうと踏み出す。仕事の最中も含めて、今日の彼女は本当に楽しげであった。特別なことは何一つ無かったのに、ずっと笑みを浮かべたままだった。
夕焼けに染まるアイナの笑みは、あの時とは違う。
初めてであったときの別れ際。彼女が浮かべていたのは、寂しげな笑顔。二人の道はこれ以降、交わることがないと諦めていたからだ。
今は違う。
俺がこの手を離さない限り、彼女があの寂しい笑顔を浮かべることはない。
だからこそ、俺は彼女の手を握ったまま足を止めた。
「……ユキナさん?」
「アイナ。最後にもう一つだけ、付き合って欲しい場所がある」
――それから俺たちは、ある宿の前までやってきた。
「ユキナさん、ここは……」
「ここは、キュネイが以前によく利用していた宿だ」
「それって――っ」
アイナにもキュネイの身の上は説明している。彼女が淫魔であること、そして命を繋ぐために娼婦として活動していたことも。
頭の良いアイナのことだ。俺の短い説明で、この宿がどのような場所かを察したようだ。
そう、この宿はキュネイが娼婦時代に〝客〟と一夜を過ごすのに利用していた娼婦宿だ。
ここは娼婦を斡旋するだけではなく、男女が一夜を共にする場所の提供も行っている。
俺がここにアイナを連れてきたのは、もちろん後者のためだ。
「アイナ、俺はお前が好きだ」
告白はもう済ませている。互いの気持ちは伝えあった。
けれども、俺はどうしても言いたかったのだ。
「一緒に仕事を探して、手を繋いで、働いて、美味いものを食って、それでたくさん笑って。そうしたらお前が〝好き〟って気持ちが俺の中でどんどん強くなっていったんだ」
一つ一つを積み重ねていく内に、俺の中にあったアイナへの想いは、抑えきれないほどに膨れ上がっていた。
「俺はお前が欲しい。身も心も全部、お前の全てが欲しいんだ」
アイナが俺のものであると、彼女は俺の女であると彼女自身に刻みつけたい。そんな欲求が躯の中を渦巻いているのだ。
それに、俺はもう二度とアイナを手放したくない。彼女を繋ぎ止める確かなものが欲しいと、心の中で望んでいる。だからこそここまで強く彼女を求めているのだろう。
「でも、お前が嫌なら止める」
キュネイの時もミカゲの時も、あちらから迎え入れてくれた。だから俺は誘われるがままに彼女たちの想いに応えた。
この時になって、俺は思い知った。
気持ちを伝えるというのは、これほどまでに勇気のいることなのだと。拒まれたときのことを考えると、足が震えそうになるほどだ。
おそらく、今の俺は邪竜に挑んだときとは比べものにならないほどの恐れを抱いていた。
キュネイとミカゲは、こんな恐怖に耐えて思いの丈をぶつけてくれたのか。改めて俺にはもったいないほどいい女たちだと認識させられる。
早鐘を打つ心臓の鼓動を感じながら、俺は続ける。
「まだ早いって思うなら、今回は諦める。けど、そうじゃないなら――」
俺がその先を口にする前に、アイナが躯を預けるように俺の胸に頭を当てた。
「大丈夫ですよ、ユキナさん」
俺の位置からはアイナの顔は見えない。けれども、彼女のぬくもりや、鼓動は伝わってくる。
「私は確かに世間知らずではありますが、だからといって何も知らない女の子でもないんですよ? ユキナさんがこの場所に連れてきた意味も、ユキナさんが何を望んでいるのかもちゃんと分かっています」
ほんの小さなからかうような声の後に、彼女は俺の服を強く握った。
「同じなんですよ、私はユキナさんのことをどれほど強く想っているのかを、今日一日を一緒に過ごして改めて分かったんです」
その言葉を聞いた途端、胸の奥がカッと熱くなった。彼女と同じ気持ちを抱いていたことに喜びを感じていた。
「それに、実はこんな展開を予想していなかったわけではなかったりして……」
語尾が小さくなっていったのは、それだけ恥ずかしいことを言っていると自覚があったからだろう。
「その……はしたない女だと思いますか?」
「そんなわけないだろ。むしろ、女にそんな覚悟までさせといて、今の今まで脳天気に過ごしていた俺がどれだけ甲斐性無しだったんだよ」
もしかしたら、俺はアイナが元は姫様だということに遠慮をしていたのかもしれない。無意識のうちに〝そういうこと〟から目を背けていたのか。
「……いいんだな、アイナ」
「はい。あなたが私に証を刻みたいと想っていたように、私もあなたから証を刻まれたい。これが今の私が抱く、偽らざる気持ちです」
顔を上げたアイナは、日も落ち暗がりの中でさえハッキリと分かるほどに赤らんでいた。だがそれは俺も同じことだ。顔の火照りが凄いことになっている。
ただ俺たちは、そんな互いの顔を見て思わず吹き出した。
ああ、俺はやっぱりアイナのことが好きなんだな。
みなさんお元気ですか!
ナカノムラです!
ここしばらくは何かと忙しい日々です。
書籍が発売されたり、
コミケの当選が決まったり
他にもいろいろとありますが、ナカノムラは元気です。
急に寒くなってきましたが、みなさんも健康に気をつけてくださいね。
以上、ナカノムラでした。