第七十六話 勝てる気はしないのですが。けれども──
「存外に粘るな、人間」
「ぐっ」
超重の槍から繰り出された突きを斜に構えた剣で綺麗に受け流され、即座に刃が翻る。咄嗟に身を逸らすが刃先が俺の躰を掠めた。
「胴がガラ空きだ」
「がぁっ!?」
繰り出された回し蹴りで俺の躰は吹き飛び受身も取れずに地面に転がった。腹部に伝わる痛みと強烈な吐き気が込み上げてくる。
「げほっ……げほっ」
手を付いて立ち上がろうとする前に、喉から込み上げてきたもの吐き出していた。胃液の他に血が混ざっていた。
俺は汚れた口を乱雑に拭いながら、立ち上がる。痛みは凄まじいものがあるが、常に治療を自分に施しているおかげで戦闘には耐えられる。
「まだ耐えるか。しぶといな」
「──っ!」
気を抜いたわけではない。ただただ魔族の動きが早かっただけだ。目前の魔族が振るう剣を槍の長柄でかろうじて受け止める。
重量増加を使っているのに、押し返せない。それだけ俺の消耗が著しいのだ。槍を取り落とさず膝を屈しないように踏ん張るだけで限界だ。
「よく耐えた方だと褒めてやろう。私も少しばかりは驚いている」
「そりゃ……どうも」
賞賛された代わりに睨みつけも、魔族が浮かべたのは残念そうな表情だ。
「だが、脆弱なる人間の躰ではその辺りが限界だ」
「………………」
俺の躰は既に、魔族の剣と魔法によって多くの傷を受け、そこからの出血で真っ赤に染まっている。動きに支障が出てくる部位だけを重点的に治療で回復しているが、そうでないところを治している余裕はなかった。
加えて、重量増加の反動で躰の内側もかなり深刻なダメージがある。外も中もボロボロだ。
「貴様も理解しているのだろう。私には勝てないと」
躰の痛みが辛すぎて、戦闘中にもかかわらず意識が飛びそうになる。朦朧になる視界の中でほぼ勘任せに槍を振り続けた。
「それを理解した上で、なぜ貴様は戦おうとする」
俺と魔族の戦闘が開始してから、まともに俺の攻撃が通ったのは最初の数手のみだ。あとは間合いに入り込まれないようにするので精一杯。魔族はその精一杯を更に超えて俺に攻撃を届かせてくる。
彼我の優劣は誰の目にも明らかだ。
それは俺も魔族もわかっていた。
「なぜそうまでして抗う」
槍と剣が滅多に打ち合う。
槍を振るって受け止めて突いて薙いで。
ただ無心に槍を振るい続ける。
気がつくとまた俺の躰は吹き飛んでいた。
もう足腰がガタガタで、槍を支えにしていないと立っていることすらままならなくなってきている。
「なぜそうまでして──────」
魔族はそこまで呟いて、まるで夢から覚めたような風に言った。
「なぜそうまでして……私は貴様を殺せないのだ?」
声に出してから、己が何を口にしたのか自覚したのか。魔族はハッとしたような顔つきになる。それから焦りの感情を浮かべると剣を振りかざして突っ込んできた。
ありがたい。正直なところ、前に歩く体力すら惜しくなってきたところだ。あちらから近づいてきてくれるのは助かった。
振るわれる剣を槍で迎え撃つ。
「なぜ貴様は倒れない。そこまで傷ついて、ここまでの実力差を見せつけられ、なのにどうして死なない」
相変わらずの鋭い剣さばきではあったが、魔族の顔からは先ほどまでの余裕は薄れていた。
「手心を加えているつもりはない。現に貴様はボロボロだ。あとそっと押してやるだけで決着がつくはず。なのにどうして──」
魔族の剣をひたすら弾いていく。
弾いて弾いて弾いて弾いて弾いて弾いていく。
「なぜだ人間! なぜ押し切れない!」
業を煮やしたのか、力を込めた上段からの振り下ろし。俺はそれをすくい上げるような槍捌きで正面から打ち返した。
単純な攻撃力の差で言えばこちらが上だ。魔族の剣は上へと弾かれる。魔族は追撃を逃れようとその場から飛び退く。
──その魔族の躰を俺の振るった黒槍の穂先が掠めた。
「…………なんだと?」
着地してから、魔族は己の顔を触れた。俺が最初に殴り飛ばした側とは反対。綺麗だったはずの頬に一筋の線が刻まれており、うっすらと青い血が滴っていた。
「くははは……ようやっと届いたぜ……この野郎」
俺は魔族の傷を指差し、得意げに笑ってやった。
躰はボロボロ。意識は朦朧。ついでに実力では勝てないと頭ではわかっているはず。魔族の指摘した通りだ。
だが、心はずっと奮い立っていた。
「まさか……この戦いの中で成長したというのか?」
「さぁ、どうだろうな」
どこかの勇者さんみたいに、戦いの最中に眠っていた力が覚醒した、なんて大層な話ではない。
グラムを扱う『コツ』を少しだけ掴んだというだけの話だ。
最初から最後まで重量増加を全開にする必要はない。槍が剣と衝突する寸前に重量増加を最大にすればいいのだ。そうすれば、体への負担は減る。
そして、槍の重量が減れば穂先の速度は上がる。だから飛び退くよりも早く刃が魔族の躰に届いたのだ。もっとも、その事実を敵に教えてやる義理もない。
『とはいえ、三対七の状況から五分五分に戻っただけだぜ。楽観視はできねぇぞ』
ここぞというときのグラムの言葉だ。確かにその通り、好転はしたが逆転とまではいかない。厳しい状況なのは相変わらずだ。
けど不思議だ。
このままだと勝てる気がしないのは今を持って変わらず。
けれども。
「なんだか負ける気もしねぇんだ、これが」
体力は限界のはずなのに、逆に気力は充実していた。
理由は分かりきっていた。
「──っ、どうしてそこまでして戦える! いったい何が貴様を突き動かしているというのだ! まさか、勇者の真似事でもしようというのか!?」
「そんな御大層な理由なんぞねぇさ」
限界を超えていたと思っているのに躰はまだまだ動く。関節や筋肉が逐一に悲鳴をあげ激痛が生じる。それでも俺の腕は足は動く。むしろ、今まで以上に生き生きとしているほどだ。
「だったら、貴様はなぜ戦う!」
「決まってんだろ」
俺がこの場にいる理由なんて一つしかない。
キュネイ。
ミカゲ。
そして──アイナ。
惚れた女が俺の背中を見ているのだ。
「だったら、格好悪い姿なんかみせられねぇよなぁ!!」
「────ッッ!?」
俺が吠えた瞬間、魔族の表情が強張った。
「うぉらぁっっ!!」
僅かばかりに速度を失った剣筋に、俺は槍を真っ向から叩きつけた。力を受け流しきれず、魔族は後退りをした。
路地裏喧嘩で培った経験則で分かった。
間違いなくあの瞬間、魔族は萎縮した。だから切っ先が鈍ったのだ。
「ちぃっ──」
己が気圧されたという事実を否定したいのか、魔族が強く舌打ちをする。そのまま強く飛び退くと、手のひらをこちらに向けた。接近戦では埒があかないと判断し、魔法で俺を削り切ろうと判断したのか。
「おらよっ!」
俺は魔族に向けて駆け出しながら黒槍を投げつける。風の刃を放つ寸前だった魔族は、慌てたように身を翻して回避する。咄嗟であったことで、ダメージこそなかったが体勢が大きく崩れた。
その隙に俺は腰の鞘から大鉈を引き抜き、魔族へと振り抜く。
「ぐっ──まだだ人間!!」
魔族も必死だったのか、凄まじい形相で崩れたバランスを強引に立て直すと、迫る大鉈を剣で迎え撃った。
──バギャンッ!
ここで予想外すぎる事態が起こる。
剣と大鉈が衝突した瞬間に、甲高い音を響かせながら大鉈が崩壊してしまった。魔族と俺の力のぶつかり合いに、肉厚だったはずの鉈が耐えきれなかったのだ。
「はっ、どうやら勇み足が過ぎたようだ──」
嘲笑うかのように口を開いた魔族の表情が、言葉を言い切る前に凍りついた。これでもかと見開かれた目は俺の手に注がれている。
そこには刀身を失った大鉈ではなく、新たに手に取った短剣が映り込んでいる。
大鉈が壊れることを予期していたわけではない。そんなのわかるはずがない。ただ、鉈が砕け散ると俺はほとんど反射的に鉈の柄を手放し、懐にしまっていた短剣を引き抜いていたのだ。
鍛冶屋の爺さんから貰った、あの短剣だ。
「疾ッ!」
ミカゲの放つ美しい軌跡には到底及ばず。それでも改めて振るわれる魔族の剣よりかは早い。俺の刃は魔族の顔を斜めに鋭く切り裂いた。
「ぐぁぁぁぁぁっっっ!!」
傷としては浅い。だが、斬られたという事実と決して柔くはない痛みに、魔族は顔を押さえ悲鳴を上げながらたたらを踏む。
「グラムッッ!!」
『合点だ!!』
短剣を懐に戻しグラムを手元に引き寄せる。
脳裏に浮かべるのはあの一撃。
コボルトキングを仕留めた一閃。
俺が今持ちうる全てを込めたあの瞬間。
タイミングと正確性を──何よりもありったけの気合を込めた、最大の一発を解き放つ。
「ぐっっ────」
魔族が寸前で剣を盾にし、槍と己の間に差し込んだ。その技量はまさに見事。
けれどもそれが限界だ。
「「ぶちぬけぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっ!!」」
俺とグラムの咆哮が重なり合い、その全てが黒槍の穂先に収束する。
「────ぁぁぁああああああっっっっ!?」
魔族の持つ剣が、黒槍を受け止めた部分を起点に粉々に粉砕され、その躰は巨人の拳に殴り飛ばされたかのように吹き飛んでいった。
次話かその次が、この章の最大の山場。
そして実は当初から考えていたグラムに関する最大の『仕掛け』が明かされる予定です。
お楽しみに。