二つ.Reika’s Answer
「・・・・・・・・・」
教室に戻ってから、出てくるのはため息。何に対してなのか、私自身分かってない。
「どうかしたの? 湊川さん」
「ん? 何でもないわ」
近寄ってくるのは、クラスメイト。でも分かっている。私に近寄ってくるのは、威を借る狐のようなもの。嫌なら拒否すればいいのに、私は拒否してない。
「そういえばさぁ、今度彼氏とデートなんだけど・・・・・・」
いつもそう。空は青い。どこまでも。なのに、私の周りには黒く渦巻く汚いものばかりが溢れる。ため息しか出ないわね。それでもその中に身を置くのはやっぱり寂しいから、なのかもしれない。なんて自分を偽りながらそこに私はいる。どうして今更そんなことを考えてしまう、私は?
「それでさぁ、今月ピンチなのよ・・・・・・」
集まるのは、うちの資産目当ての馬鹿ばっか。ブランド品を身につけて、無駄に役にも立たない見栄を張って、自慢話の多さが人間の価値を決めているような下らない人間ばかり。金、金、金。いい加減うんざりするわね。それでも、それすら何とも感じなくなってきている自分がいるのも確かなんだから。慣れは恐いってやつかしら?
「ねぇ、湊川さん、それでなんだけど・・・・・・」
幼い頃から周りには大人ばかり。大人の都合に合わせて、習事に励んだのに、
『ママぁ、あのね、あのね、ほらっ』
ピアノコンクールで優勝しても、習字で上手く書けても、水泳で一番をとっても、学校の成績でオール五を取っても、絵画コンクールで入賞しても、何をしても、
『そう、良かったわね。じゃあ、次はもっと・・・・・・』
本気で喜んでももらえない。出来て当たり前だと言われる。認められない。当然だからと言う理由で、上辺だけで褒められる。そんなものしか縋るものがなくて、そう言われることが嬉しいと思うようになっていた。思わないといけないと、感じないといけなかった。そうしないと、私はいらない子として見放させるから。それが当然だと教わるんじゃなくて、身につけるしかなかった。そうしないと、私には何も残ることがなかったから。
「ちょっと、聞いてる? 今月ピンチな上に忙しいのよ、私ぃ」
ため息を吐く麗香に、クラスメイトの女子が不満げに声をかける。
「聞いてるわよ。デートの服装くらい自分で何とかしなさいよ。どうして私が他人のデートの服を肩代わりしないといけないのよ。自分のことも自分で出来ないの?」
麗香が窓の外の空を見ながら、つまらなそうにため息を吐く。雲が漏れたため息のように漂う。
「なっ!?」
「大体高校生の忙しい用事って何よ? 社会人じゃ在るまいし、程度が知れてるわよ。それとも何? 相応の見返りでもあるのかしら? それなら協力しないでもないわよ」
いつもと様子の違う麗香に、女子生徒がたじろぐ。
「いい加減うんざりなの。少しは自分で自分を磨いて己の力で何遂げようとか思えないわけ? そんなに男が欲しいなら少しは鏡見て化粧でもしなさいよ。そばかすくらい簡単に消えるわよ」
だが、麗香は相手に気を使うことなく、不満を口にする。肘を突いたまま視線を合わせないが。
「な、何よっ! ちょっとお嬢様だから仲良くしてあげてるのにっ!」
「頼んだ覚えはないわよ」
「っ!?」
本音が漏れると、麗香が聞き飽きたようにそっぽを向く。
「何よ何よっ。下手に出ればいい気になってさ」
「勝手にそっちが過大に私を持ち上げてるだけでしょ。私は私のままよ」
何を言っても即返答する麗香に、女生徒の表情が苦肉に歪む。
「図星を突かれて言葉もないの? そんなんじゃ、ろくな男なんか捕まらないわよ。もっと話術でも磨いたほうが良いんじゃない?。小さなことで満足できるなんて幸せね、貴女」
抑揚の感じられない毒を含んだ声に、女生徒が顔をしかめる。
「お、覚えておきなさいよっ! あんたなんてお嬢様なんて肩書きなければ誰も相手になんかしないんだからっ!」
女生徒がふんっ、と麗香から離れる。他のクラスメイトからの視線を気にすることなく、外を見続ける。何かの鳥が群れを成して飛んでいくのを、ただ静かに見送っていた。
「結局は、そうなのよね・・・・・・」
寂しそうな、でもそれが普通であるという、悲しげで空虚な眼差しで空を流れるように舞う雀を麗香は見続けていた。
「あいつらだって・・・・・・」
「あー・・・・・・」
「ふぁぁ・・・・・・」
「二人とも、やけに眠そうだね?」
朝食時、学食に集まると譲治と武士は何度も欠伸を繰り返している。
「誰のせいだと思ってんだよ・・・・・・」
武士の目はギンギンに血走ってる。それでも朝からがっつりとしょうが焼き定食を食べてる。こっちが胸焼けしそう。
「俺、今日休む」
譲治が部屋に戻ろうとするのを慌てて止める。
「だ、ダメだってばっ」
「全く、譲治も武士もあれくらいで情けないね」
琢磨はいつもと変わりない涼やかな表情だ。
「いや、琢磨もいきなり二人に徹夜はやりすぎじゃない?」
昨日は夕食後、僕らは四人で勉強をしたけど、琢磨は二人を寝かせなかった。ほぼ休憩なしでみっちりと勉強させたせいで、譲治も武士も別人だ。
「あれくらい普通だよ」
《普通じゃねぇよっ!》
琢磨の言葉に譲治と武士の声が重なる。
「ま、まぁ、落ち着いて二人とも。それはそうと、本当に続けるの?」
譲治を見る。
「当たり前だろ。麗香は仲間だぞ?」
「いや、だからなってねぇだろうがよ」
散々聞いた言葉。でも、譲治はそれより先を言わない。
「お前ら、昨日あいつと話して何も感じなかったのかよ?」
譲治が二人を見る。
「筋肉馬鹿にされた。くっそー、筋肉の何がダメなんだよ・・・・・・」
「眼鏡馬鹿にされた。くっ、やっぱり買いなおすべきなのか・・・・・・」
二人が思い出したのか、苦悩している。本当に何を言われたんだろう。気になるなぁ。
「まぁ、いずれにせよ。大樹、お前なら大丈夫だ」
「何が?」
ずっとそれが分からない。
「お前ら、大樹なら大丈夫だと思うだろ?」
「あぁ? そうなのか?」
武士は僕を見て、首を傾げる。あんまり思ってないみたい。それもショックだなぁ。
「うん。可能性は高いかもね」
「え?」
琢磨がしばらく僕を見て、頷いた。
「どういうこと?」
「ちゃんと話せればの話だろうけどね」
「いや、大丈夫だ。大樹ならな」
その自信の根拠は何なのだろうか。
「よし、そろそろ行くか」
今日は少しだけ遅かったせいで、美紀たちには先に行ってもらった。昼には落ち合うみたいだけど、僕は、少しだけ昼休みが来るのが不安でもあった。
「本当に行くんだよね?」
「当然だ。麗香もいるだろ」
譲治の言葉を受けて、学食の外に目を向ける。昨日と同じように湊川さんが一人で木陰のベンチにいた。
「やっぱり私もご一緒しましょうか? これまでの非礼をお詫びしなければいけませんし」
美紀が声をかけてくれる。
「美紀が行くなら、わたしも行く行くですですよっ!」
有美香もノリで立候補してくる。
「んだよ、おめぇらが行くなら俺も行くぜ」
だんだん大所帯になっていく。僕としては嬉しいけど。
「ダメだ。大樹一人だ。お前らも一人で行っただろうが」
だけど、譲治がそれを認めない。
「うん。譲治の言う通りだよ。そう言ってくれるのは嬉しいけど、僕もやってみるよ」
僕の言葉に、美紀は未だ不満そうにしているけど、武士も有美香も、あっさりと引き下がる。それはそれで寂しいな。もう少し誰か粘ってくれても良いと思うんだけど。
「それじゃあ、行ってくるよ」
皆に見送られて中庭に出る。正直、どう何を話したらいいのか結局何も浮かんでないから、心臓がバクバクしてる。
「あ、あの・・・・・・」
「ん?」
湊川さんの鋭い視線が僕を突き貫く。なんだか機嫌が悪そうだ。
「み、湊川さん、だよね?」
「ええ、そうよ。それで何かしら?」
そっけない言葉。普段武士の口の悪さに、大抵の人の口調は大丈夫だけど、ちょっと恐い。
「あの、えっと・・・・・・」
何を話せば良いんだろう。昨日は皆何かしら話せてたんだよね。すごいなぁ。
湊川さんが僕をじっと見る。うぅ、動くに動けない。
「あなたね? 昨日言ってたのは」
「え? 何が?」
昨日って何? 何のこと?
「とりあえず、座れば? 突っ立ってられるとこっちが落ち着かないんだけど」
「あ、うん」
湊川さんの隣に、人一人分ほど空けて座る。
「それで、話があるんじゃないの?」
見透かしたような言葉。何をどう切り出そうか。遠まわしに言っても意味がないように思える。
「もう知ってるとは思うんだけど・・・・・・」
「勧誘でしょ? 昨日から変なのが次々に来てるわよ」
そう言って湊川さんが、学食のほうに目を向ける。
「気づいてたんだ?」
「私はそこまで鈍くないわよ」
呆れたように小さく息を吐く。サラッと風が吹いて、僕の方に思わずドキッとする香りが漂う。
「あんたたちも物好きよね」
湊川さんが小さく息を吐き、僕を見る。
「私、初めからその気はないって言ってるのに、何度も何度も勧誘に来るし。何が目的なのか分からなくなるわよ」
「僕たちは、ただ湊川さんも一緒にいたら楽しくなるかもって思ったんだよ」
譲治の言うところだと、だけど。
「どうせ、そんな御託を並べて結局はあんたたちも同じなんでしょ?」
聞き飽きた言葉を言うような、これ以上話したくないという雰囲気を纏っている。
「同じ?」
僕にはそれが分からない。何が同じなんだろう。みんな僕に同じって言うけど、全然分からない。
「あなた、本当に分かってないの?」
意外そうに湊川さんが聞いてくる。僕は頷く。
「はぁ・・・・・・あいつ、何でこんなのを寄こしたのよ」
湊川さんが呟く。こんなのって、ちょっと気づきそう。
「あれぇ? 湊川さん?」
「あ、ほんとだぁ」
数人の女子が近付いてくる。すると湊川さんの表情が比にならないほど険しくなる。
「こぉんな所でデートぉ?」
一人が挑発するように見てくる。
「良いよねぇ。お嬢様は。男捕まえるなんて簡単そうだし」
「こっちは苦労してるってのにさぁ」
あざ笑うような声の高さ。聞いているだけで嫌味だとすぐに分かった。
「何か用かしら?」
僕に向けた声よりも何倍もトーンが低い。状況が全然の見込めなくて、思わず萎縮してしまう。
「べっつにぃ〜。通りかかっただけだしぃ?」
そう言いながら笑ってる。嫌な笑い方だ。嫌なことを思い出しそうになる。
「そうそう。他人の甘い時間なんて興味ないしねぇ」
「だったら行けば? 邪魔よ。あんたたちと話すなんて時間の無駄にしかならないわ」
湊川さんが冷たく言い放つ。女子たちの表情が濁る。というか、怒ってる。どうして喧嘩腰になるんだろう。仲良さそうには見えないけど、ちょっときついくらいだと思う。
「いい気になるんじゃないわよ。あんたなんて誰も好きになってくれるわけないじゃない」
「そーそー。どうせ、あんたもこいつのお金目当てなんでしょ?」
「ねぇ、そんなに彼女が良いの? お金でしか人を繋げないこいつが」
「え?」
お金目当て? どうして?
「関係ないでしょ。何かあんたたちに迷惑掛けるわけ? それで損害被るわけ? 結局お金なのはあんたたちの方でしょ」
一瞬、湊川さんの顔が泣きそうになったように見えたけど、すぐに睨みつけるように鋭い視線を向けた。空気の重さに、ただ視線を行き来させるしか僕には出来なかった。
「ふんっ! 行くわよ」
「あー、もうウザっ! むっかつくぅ〜」
「彼氏がいるから強がってんでしょ」
わざと聞こえるように嫌味を言いながら、女子たちは去っていった。
「・・・・・・」
何を言えばいいんだろう。空気が重くなった。
「はぁ、ごめんね。今の気にしないで」
「あ、えっと・・・・・・」
「あなたもなんでしょ?」
見られたくない一面を見られ、隠し通せなくなったように湊川さんが口を開く。
「良いのよ、慣れてるから。昔からそうなのよ、私は。家が家だからそう言う事があるのは至極当然なことよ。私に近寄ってくるのはそういう人間ばかりだから」
自嘲的に話してくれる。僕の心に鋭い痛みが走った。
「別に私だけじゃないわ。この学園にはそういう人間もいるもの。取り巻きつれて満足してる馬鹿もいるし」
結構毒舌なのかな、湊川さんって。
「これで分かったでしょ? 私に勧誘なんかしても無駄よ」
「そう、かな?」
それはおかしいと思う。
「どうして? 結局あんたたちもそうなんでしょ?」
「違うよ。僕は家柄とか良く分からないから、湊川さんがどういう家で、どういう生き方をしてきたとか知らないし」
「それはそうでしょ。私だって、あなたたちのことなんて何も知らないわよ」
確かにそうだ。だって三年になってまで、僕は湊川さんのことは噂でしか聞いたことがなかったし、僕ら八組だから四組なんて滅多なことがない限り関わることはない。
「湊川さん、初めから人を疑ってかかってるよね?」
「ええ。それが何? いけないこと?」
責めるような言い方に、ちょっとたじろいでしまう。
「私はあんたたちみたいに、普通じゃないの。騙す騙されるなんて茶飯事。自分たちの会社が生き残るためには、人望を駆使して結局はお金に心を奪われて、利益を上げるために、他人を騙すなんておかしいことでもなんでもないのよ。私はそういう中で育てられたの。醜い世界よ。笑顔さえ振りまいておけばその気になる馬鹿ばかりなの。私のいる世界ってのはね」
お金持ちの人の気持ちは分からない。僕はそんなものとは無縁の中で育ったから。
「それにもう一年もないわ。今更馴れ合ったところで、得るものなんて大したものじゃないわ」
ズキッとした。痛みにも似た憤りのようなものだ。
「それは違うと思う」
「違わないわ。これから就職活動や受験勉強が本格化するわ。その中で、あんたたちは青春だっけ? そんなものをしようと言ってたわね? 出来るわけないでしょ。中学生じゃないんだから、これからの人生にも大きく関わる分岐よ。それを無碍にしてまで遊んで何が得られるの?」
正論だ。僕もそう思っていたから、上手く返せない。
「そうかもしれない。湊川さんの言う通り、僕だってそう思ったよ」
僕の言葉に湊川さんが、でしょ? とそれが唯一の正論だと決めるように見てくる。
「でも、湊川さんは、それで良いの?」
「良いも何も、そうすることが普通でしょ?」
「僕は、そうは思わないよ」
だって、そんなのって寂しいよ。
「湊川さんは、どうしてこの学園に来たの?」
「何よ、いきなり?」
怪訝そうに見られる。でも聞きたい。そこからきっと、?今?があるはずだから。
「大した理由はないわよ。伯父様が理事長をしているから、それで入っただけよ」
「え? そうなの?」
湊川さんの伯父さんって、理事長? かなりびっくりだ。
「そうよ。だから、私に言い寄ってくる人間も、それが目的なのよ」
慣れているから。だから、壁を作って下手に友達付き合いをせずに、独りでいる。
「独りなんてダメだよ」
「別に関係ないでしょ」
そうかもしれない。結局人は一人なんだから。
「でも、やっぱり皆と一緒にいるほうが良いよ」
「何? 今度は泣き落とし? 悪いけど、そういうのには引っかからないわよ」
「違うよ。僕は湊川さんみたいに生活に困らないような家の出身じゃないから、そういう事情は良く分からないけど、孤独っていうのは誰よりも分かるから」
あんまり思い出したくない過去だ。出来ればもう思い返すのも嫌だ。
「あんた、何で泣きそうな顔してるのよ?」
「え? あ、えっと、ご、ごめん・・・・・・」
慌てて目を拭う。制服の袖がちょっとだけ色が濃くなっていた。
「ほら。袖が汚れるでしょ」
そっと湊川さんがハンカチを貸してくれる。優しくて凛とするような良い匂いがする。
「そう言えば、名前は?」
「え? あ、片桐大樹」
「そ。それで片桐君。結局はどうしたいのよ?」
湊川さんは深く聞いてこない。きっと分かってるんだ。本当は、ってことが。多分。
「僕は、最後だから、みんなで一緒にいたい」
「そんなに他人と関わるのが好きなわけ?」
「うん。傍から見れば浮いてるのは知ってる。でも、みんな自分たちが楽しいから、周りに何を言われても、同じ思いをしてくれる仲間がいるから、僕は凄く楽しいよ」
譲治に武士、琢磨、美紀そして、有美香。喧嘩することも多いけど、僕らはいつも集まる。そこがそれぞれの居場所だと思えるからなんだと。僕は沢山の中で独りだった。そこから連れ出してくれたのが譲治たち。一人だった僕に居場所が出来た。下らないことばかりだけど、温かくて優しくて、とても居心地がいい、僕の居場所だ。もう一人には戻れない、戻りたくないって強く思える。
「そう。それは良かったわね」
「だから、湊川さんも一緒に行こうよ。下らないかもしれないけど、きっと楽しいから」
言えた。一番言いたいことを。昔独りだった僕なら分かる。だから譲治は、あの時そう言ったんだ。僕が変われたんだから、湊川さんだって、きっと・・・・・・。
「そうね。そう言われると、楽しそうね」
湊川さんが僕を見る。優しい目だ。
「じゃあ・・・・・・」
「でも、悪いけど、お断りするわ」
「え?」
湊川さんが立ち上がる。
「私は、あなたたちとは違うの。そんなもののために、一番大事な時期を無駄にする気はないの。あいつらにもそう伝えなさい」
言い残すと湊川さんが去ろうとする。
「どうして・・・・・・」
ダメだよ。独りなんて。
「少し前の私なら、片桐君の言葉に感化されたかもしれないわ。でも、人は変わり続けるものよ。甘えるだけでいつまでもいられるなんて思わないことね。片桐君は子供でいることに執着しているだけよ。いつまでも子供でいられると思わないことね」
心痛い言葉が僕を貫く。事実だと僕だって認識してないわけじゃないから。
「だから、独りでいるの?」
「そうよ。私はそういう風に生きてきたの。だから、これが私にとって普通なの」
おかしいよ、それ。変だよ、それ。
「不満そうね?」
それが普通なら、それならどうして・・・・・・。
「そりゃ、そうだよ。だって・・・・・・」
湊川さんが僕を見ている。少し離れた学食からは譲治たちも見てる。
「だって、何?」
湊川さんが凛とした表情で僕を見下ろす。本当にそれが普通で、何も不満も不安も感じていないような普通の顔。そんなことなんて悩むだけ無駄。そう言っているような目。でも、だったらどうして・・・・・・。
「振り返ったの?」
湊川さんは、僕に振り返った。誰が見ても振り返ってる。
「本当はそう思ってないんじゃないかな? 僕の声、聞こえたんだよね?」
ほんの一瞬、本当に間も空かないほどだったけど湊川さんが息を呑んだのが、僕には見えた。僕は何も聞いてない。だた、呟いただけ。でも、湊川さんは振り返ってくれた。
「関係ないでしょ。早く戻って失敗でしたって報告してきなさいよ」
僕に背を向けて歩いていく。
「出来ないよ。譲治が言ったんだ。僕になら出来るって」
今度はもう、湊川さんは立ち止らない。僕の声が風が囁いているようにしか聞こえないみたいに。
「人は、思い込みにより事を成す。片桐君は、それに呑まれて自分の境遇こそが正しい道だと思っているだけよ。私はそうじゃないし、生き方の差異はそれぞれなの。私にそれを押し付けようとしないで。皆が同じなわけないでしょ」
どんどん離れていく。湊川さんは拒否した。でも、その背中に寂寥感があるように僕には見えた。
「明日、また来るからっ」
微かにだけど、その一言で、湊川さんが揺らいだ。
「諦めが悪い男は嫌いなの」
「それでも、僕は来るから」
「後悔しても知らないわよ。私に近付いたことを」
「え? どういう・・・あ・・・・・・」
聞き返す前に湊川さんが校舎の中に消えた。
「結局、ダメだったな」
放課後授業も終わり、いつものようになりつつある学食での勉強会中に武士が口を開く。
「ガードが固そうだからね。育ちが育ちなんだろうけど」
「違うぞ。保留だ。さすがは大樹、俺たちとは違うな」
譲治独りだけ満足そうにしている。それが慰めでも、少しホッとする。
「保留、なのかなぁ・・・・・・」
思いっきり断られた気もするんだけど。ちょっと引きずってるのか、思い返すと胸が痛い。
「兄さん、湊川さん本人がそう言っているのですから、もう諦めるべきじゃないんですか? 引き際を間違えると、余計に迷惑をおかけすることになります。それとそこは間違いです」
「お前、絶対Sだろ。兄ちゃん悲しいぞ」
譲治に勉強を教えながら、美紀がそこまで固執しなくても、と息を吐く。
「とりあえず、明日も行くのかい? ちなみに武士、鎌倉幕府は1192万2960年じゃないよ」
武士の勉強を見ながら琢磨が聞いてくる。
「うん、そのつもりだよ」
「なにっ!? いい国作ろう鎌倉幕府だろっ!?」
「ふぁぁっ! すごい未来ですですっ!?」
「と言うか、それ中学の問題だよね・・・・・・?」
武士が信じられないように驚いてる。そこからやってるなんてこっちが驚きだよ。
「ロゴは覚えてるんだ? それは評価出来るけど、未来の出来事過ぎやしないかい?」
今から一千万年後って、どんな世界だろ?
「ちっ、誰だ、このロゴ考えた奴。恥かいたじゃねぇかよ」
「いや、武士の激しい勘違いだよ」
武士は今が何年か分からないのかな。
「片桐さん」
「ん? どうかした」
有美香がクイクイと裾を引張る。
「麗香さんは良い人なのですです。でもでも、悲しい目、してたですぅ」
「悲しい目?」
「はいです。きっと意味があってこそなのですです」
だから、ふぁいと出してください、と有美香が励ましてくれる。僕にも湊川さんが、僕らから遠ざかろうとしているのは分かった。だから、きっと有美香の言う通り意味があるんだと思う。
「そうだね。元気出さないとね」
「はいですっ! それで、あのののですね、ここを教えていただきたいのですですが・・・・・・」
急に有美香の声が小さく恥ずかしそうになる。それを聞くためにわざわざ話してくれたのかな?
「良いよ。そこの?まし?は、未然形について、ためらいの意思、希望の意味になって、事実に反する事柄に対する希望を表すんだ」
きっと湊川さんは、一人になるのを望んでいないはずだ。明日、もう一度話そう。
そうして、僕らの試験勉強は順調に進んでいった。
「では、私たちはここで」
「しーゆーれいたーですですっ!」
翌朝もいつものように美紀と有美香と別れて、昇降口に向かう。今日は遅刻はしない時間だから大丈夫だと思う。
「おっ、あれ、湊川じゃねぇか?」
武士が校門を見て言う。
「ほんとだ。さすがはお嬢様。執事付の登校か。華があるね」
校門を優雅に潜り、上品な笑みで挨拶をしているその姿は本当に綺麗だった。そんな人が独りきりなんて思えないくらいに。
「あ・・・・・・」
僕らに気づいた湊川さんが、視線を外すとそのまま昇降口に先に入っていく。
「随分嫌われてないかい?」
「いや、あれは照れだ。ツンデレなる者、ああじゃないとな」
譲治は感心するくらい前向きだ。
「んなことより、さっさといこうぜ」
武士の一言で僕らも校舎に入った。
「おぉ? モーニンッ、これはこれは馬鹿ルテットの諸君じゃあ〜りませんか」
昇降口に入ると、下駄箱に靴を閉まっている女の子がいた。その隣には湊川さんもいる。
「んだよ、朝っぱらから変なもん見ちまったぜ」
「うわっ! ひどっ! 自分の方が変なくせにっ!」
「あんだとぉ?」
朝から武士に負けず劣らずテンション高いなぁ。
「おはよう、上条さん」
「モーニン、大樹君」
普通に挨拶する分には上条さんも普通なんだけどなぁ。
「・・・・・・事務室行ってくる」
「そうだね、そのほうが良いかも・・・・・・」
譲治と琢磨は先に靴箱に歩いていった。
「相変わらず仲が良いねぇ。もしかしてソッチノケありだったりしちゃったりなんかしちゃったりして。きゃー、ダメだよダメだよ。そんなの・・・・・・」
上条那美。湊川さんと同じ四組だけど去年は一緒のクラスだった。いつも元気でうるさいくらいにテンションが高い人だ。譲治と馬が合いそうなもう一人の人。
「なんだ、こいつ。一人で悶えてやがるぜ」
「ま、まぁ、いつものことだよ・・・・・・」
苦笑するしかない。こういう人だし。
「遅刻するわよ、上条さん」
見かねて湊川さんが声をかける。
「はっ!? 危うく大樹君と武士君と譲治君に琢磨くんがピーになってピーするだったョ」
自分でピーって言うかな?
「な、なんだよ、気になるじゃねぇか」
「えぇっ!」
武士はピーが気になるのっ? 相手にするだけ無駄だと思うんだけど。
「いやいや、これは言えないんですヨ。言っちゃえばそうなるじゃないですか。そうなれば・・・・・・きゃー、どうしよどうしよ、私がそんな・・・・・・あっ、いやっ、あ〜れ〜・・・・・・」
また一人で悶々としてる。ほんとにテンション高くて元気だなぁ。
「武士、行こうよ」
このままじゃまた遅刻しちゃう。
「あ、大樹・・・・・・」
「ほらよ」
譲治が僕に何かを投げてきた。胸で受け止めてみると、学園の来客用のスリッパだった。
「何、これ?」
「あー・・・・・・何て言うか・・・・・・」
琢磨が言いにくそうに苦笑してる。
「ん? んん?」
僕の先にスリッパに履き替えた武士が何かに気づいて声を上げた。
「ん?」
「およよ? みなっちどかしたの?」
譲治たちの声を聞いて、麗香と那美が振り返る。
「大樹、行くぞ」
譲治が僕の腕を取る。
「え? あ、ちょ、ちょっと待ってよ」
その手を振りほどく。
「どうしたの? 急に三人とも」
急に三人の様子が変わった。とりあえず靴を履き替えないと。
「・・・・・・え?」
自分の靴箱を見て、手にしていた来客用のスリッパが床に落ちた。
「気にするな大樹」
譲治が明るく笑う。
「ちっ、どこのどいつだ? 俺がぶっ飛ばしてきてやる。大樹に手ぇ出す奴は、俺ん敵だ」
「や、やめなって」
一歩で険しい顔の武士を、琢磨が押さえる。
「うわぁ、切られちゃってるねぇー。これはもうカッターでスパッと一切じゃないですかー」
「っ!?」
上条さんが僕の横から顔をちょこっと出して、声を漏らす。その声に、体が硬直する。
「だから言ったでしょ」
僕らの視線が一点に集まる。
「湊川、さん・・・・・・?」
「昨日忠告したわよ? これで分かったでしょ。私に関わるとそうなるわよ」
こんなの序の口よ、と言い残すと先に教室へと歩いていく。
「あ、待ってよみなっちっ。あ、大樹君。気に過ぎは禿ちゃうからねっ! 人生お気楽街道まっしぐらだからねっ!」
妙な、でもいつものことを言い残すと上条さんは湊川さんを追っていった。
「彼女なりの励ましなんだろうね」
「だと思うよ。悪い人じゃないし」
ちょっとだけ上条さんのおかげで気が晴れた。
「おい、譲治」
「何だ?」
低い声で武士が譲治を睨む。
「これでもまだやんのかよ」
武士が僕を見る。
「いや、これくらい気にしてないから良いよ」
スリッパくらい高いものじゃないし。今日は学園のを借りれば問題ないし。
「だとよ、武士?」
「ちっ」
もし僕がここでこれ以上関わるのは止そうと言えば、譲治は受け入れたのかもしれない。
「大樹、本当に続ける気かい?」
「うん。これくらい気にならないよ」
努めて笑う。本当はすごくショックだったけど。こんなに早くから、こんなことをされるとは思いもしなかった。今はその驚きのほうが大きいのかもしれない。
「武士、ありがとね」
「あん? 良いって事よ。お前には俺がついてっからな。なんかありゃ言えよな」
ニッと武士が笑った。その可愛げのないガッツりとした笑みは力強かった。
「よし、んじゃ行くぞ」
落ち込んだ空気が元に戻る。やっぱりみんながいることが支えになる。でも、もし、僕と同じこと湊川さんがされていると考えると、このままじゃいけないと思う。
「隣、良いかな?」
「ほんとに来たのね。度胸はないかと思ってたわ」
湊川さんが少し横にズレ、僕も隣に座る。今日もいつものように学食の窓際の席から、みんながこっちを見たり視線を外したりしてる。譲治たちのおかげで美紀や有美香には今朝のことは聞かれなかったけど、美紀の疑いの眼差しはちょっときつかったかも。
「良いわけ? こんなところ見られたら、明日はもっと酷くなるわよ」
澄ました表情の湊川さん。見る限りは何もなかったみたいだ。少しだけホッとする。
「大丈夫だよ。みんないるから」
その一言に呆気に取られたように僕を見てくる。
「片桐君って幸せ者なのね」
「どうだろう。でも、否定はしないよ」
みんながいるから、僕は平気でいられる。きっとそうだ。悲しくても、それを忘れさせてくれるくらいに楽しいことをしてくれる仲間がいる。凄く恵まれたことだと思う。
「三階の左から四番目の教室を見てみなさい」
サンドイッチを口に運びながら、声だけで僕に指示してくる。視線は芝生にいる雀を見てる。
「え?」
言われた通り正面の学食のある棟を見る。
「あっ」
「これで、明日はもっと大変よ。あいつら、片桐君が諦めるまで続けるつもりなんだからね」
僕を諦めさせるような湊川さんの言葉。それが正しいような僕らを見下ろす、数人の女子が面白く無さそうにしてる。
「今は片桐君だけでも、そのうちあの馬鹿や有美香たちにも被害がないとは言い切れないわよ」
湊川さんが学食に視線を向けると、みんなが慌てて視線を外して、団欒している雰囲気を出している。譲治だけはこっちにニッコリと歯を出して笑んでいるけど。
「あれで気づかれてないとでも思ってるのかしら?」
「気にしないであげて。そういう集まりだから」
美紀は、疑いを含んだような目を慌てている有美香たちとは異なり、こちらに向け続けていた。
「ねぇ、湊川さん。どうしてそう普通に出来るの?」
「変なことを聞くのね」
「僕はそんなに強くないんだ。みてくれからしてそうだけど。だから今日のことも、本当は結構辛かったんだ」
「なら、どうしてここにいるわけ? あそこにいれば良いじゃない。温かいでしょ?」
視線の先にはみんながいる。そう、あの場所は僕にはとても居心地のいい場所だ。辛い思いを和らげてくれる温かい場所。
「確かにそうかもね。でも、そうしたら湊川さんは?」
「私は平気だって何度も言ってるんだけど? これが普通だって」
何度も聞かれ、少し怒らせたかも。
「本当にそうなの?」
「しつこいわよ。私がそう言ってるの。だからそれが真実よ」
わざとらしいため息を吐く。ため息ってどうして相手を不快にさせるんだろう。きっと湊川さんは、僕に早くどこかへ行って欲しいのだろう。そのため息が僕にそう教えてくれるから。
「僕にはそう思えないよ」
「私は片桐君じゃないって、昨日言ったと思うけど?」
そうだけど、やっぱり違うと思う。有美香だって感じてたんだから。
「どうして一人を選ぶの?」
「どうして? 今までの私の話を聞いてなかったわけ?」
湊川さんの声が強くなる。
「ご、ごめん。でも、そういうんじゃなくて・・・・・・」
「じゃあ何よ?」
どんどん僕が湊川さんを怒らせてる。それくらい僕にも分かる。
「寂しくないの?」
「何なのよっ! 私がどう感じていようが関係ないでしょっ。寂しかったら何? 悪いの?」
湊川さんが僕を責める。分かってる。分かってるよ。怒らせてることくらい。苛立たせていることくらい。痛いくらい。
「いい? 人の善意なんてものはね、受け取る側が必ずしも善意として受け取られたりしないの。片桐君にとってそれが善意でも、私には悪意なのよっ」
「っ!」
まだだ。まだ耐えないといけない。分かってる。分かってる。同じだから。
「もう何度も言わせないで。私、一度イライラし始めるとあまり自制が利かないの」
疲れたように息を吐く湊川さん。自分が一番辛いんだ。表情が違う。
「もう今日は話す気分じゃないわ」
湊川さんがそそくさと昼食を片付けるとそれ以上何も言わないまま、僕の前から立ち去った。
「お願いだから、これ以上・・・・・・させないで・・・・・・」
最後に何か言った気がしたけど、僕には聞き取れなかった。
「もうそろそろ引き際じゃない?」
ジャー、と音が反響する。
「いや、大丈夫だ。麗香は必ずこっちに来る」
ワシャワシャワシャと白い泡が頭を包んでいく。
「にしてもよぉ、大樹にまで手出すかぁ? 普通」
先に体を洗い終えた武士が滑りやすいのに、ふっふっふと、腕立て伏せをしてる。
「僕のことは良いよ。気にしてないし。っていうか武士、せめて腰にタオル巻こうよ」
「あぁ? 息子にいちゃもんつけんのかぁ? つーか、おめぇもついてんのに何隠してんだよ。男だろうが。ぶら下げてなんぼもんじゃねぇか」
夕食前に四人で風呂に入る。この時が一日の疲れが一番癒される。やっぱり広いお風呂は良い。
「堂々と見せなくて良いよ・・・・・・」
武士にタオルを投げる。恥じらいとかないのかなぁ。
「それはそうと、大樹。あんまり無理はしないように。ちょっと引きずってるだろ?」
湯船に使っている琢磨の声が反響してエコーが掛かる。
「大丈夫だよ。譲治たちがいるから僕は平気だし。でも・・・・・・」
「麗香はそうじゃない。そう思うんだろ、大樹」
隣で体を洗う譲治が言う。譲治には全部分かってるんだもんなぁ。敵わないや。
「うん。今日怒らせちゃったけど」
「お? 大樹も振られたか? これで仲間じゃねぇか」
えっ、何の仲間? 振られ仲間? それは嫌だなぁ。
「怒るってことは、図星ってことだ。だろ?」
「うん、そうかもしれないかなって思ってる」
僕の答えに満足そうに譲治が笑う。
「大樹が良いなら、僕は直接は何もしないけどさ」
あー、と琢磨が足を伸ばして寛いでる。
「お前、おっさんくせぇな」
武士が今度はスクワットを始める。全部丸見えだよ。と言うか、揺れてるそれを隠して欲しい。
「ま、大樹に手ぇ出す奴がいれば、俺がそいつら粉骨砕身にしてやるからなっ、安心しろよ」
「使い方間違ってるからね、武士」
相手に全力を尽くしても、しょうがない。
「先に上がるよ」
おー、とか、ああ、とか、譲治たちはもう少し入っていくみたいだから、先に上がる。
「んで、話って何だよ」
大樹の出ていった後、武士が筋トレを止めて湯を浴びる。
「大方、あれだろ?」
「まぁ。とりあえず、二人には知っておいて貰ったほうが良いと思ってね」
「あん? んだよ、俺にも分かるように言いやがれ」
譲治と琢磨は意思疎通が取れているようだが、武士は一人首を捻るばかりだった。
夕食前に入浴するのは僕らくらいだから、いつも貸切だ。と言うか、武士のおかげでこの時間に入る生徒がいなくなっただけだけど。
「大樹さん」
風呂の前に置かれている自販機でジュースを買って飲んでいると、いつの間にか美紀がいた。髪が濡れているからさっき上がったみたいだ。
「少し良いですか?」
「うん? 良いけど」
共同ロビーのソファに座る。
「どうかした?」
美紀から誘ってくるなんてあんまりない。
「大樹さん、何がありました?」
唐突に何のことだろう。
「今朝とお昼休みの様子がおかしかったので、気になったんです。勘違いなら気にしないで下さい」
さすがは美紀ってことか。やっぱり気づいてたんだ。だと思っていたけど。
「大したことはないよ」
そう言うと、ジッと美紀が見てくる。真意を言葉ではなく、瞳で判断するように。良い匂いと美紀の顔が近くてドキッとしてしまう。
「やはり何かあったんですね」
努めて普通にしてたつもりなんだけどな。
「正直に話してください。あの方に関係して何かあったんですよね?」
有無を言わさないようにか、ズイッと顔を覗き込んでくる。逆らえないなぁ、美紀には。
「実は・・・・・・」
話すしかなかった。話さないと納得してくれそうにないし。
「そうだったんですか。だから今日は学園のスリッパを履いていたんですね」
「さすがに履ける状態じゃなかったからね」
鼻緒に当たる甲を覆う部分が綺麗に切られていた。底しかないスリッパを履いても歩けない。
「ですが、今日のこともあるのなら、明日も何もないとは言えないんですよね?」
「それは、分からないね。かもしれないし、そうじゃないかもしれないし」
それは僕には分からない。でもこれで終わるとは思えない事実は拭えない。
「誰がやったのかなどは把握しているんですよね?」
「確信はないけど、可能性は、ね」
昨日のことがそうで、湊川さんの言う事が正しければ。多分、そうなんだろうと僕も思ってる。
「もう、止めにしませんか?」
美紀が休憩所で寛ぐ寮生を見ながら呟いた。学園と同じように綺麗な寮舎は、就寝時間までは賑やかで、ゆっくりとした時間が流れていて、この時間が僕は好き。寮監の大和さんの趣味とは思えない小物が置いてあっていい雰囲気だ。きっと女子寮寮監の趣味なんだろうけど。
「このままだと、大樹さんが傷つくだけですよ」
美紀が気を使ってくれているのはよく分かる。だって、表情が凄く心配そうだ。
「でも、そうなったら湊川さんはどうなると思う?」
「えっ・・・・・」
「僕は今はみんながいる。だから、ちょっとやそっとのことは大丈夫だよ。でもさ、湊川さんって、今多分一人なんだと思う。美紀にもそれがどういうことか分かるよね?」
美紀だって色々大変なことがあったんだ。湊川さんの心情は理解出来るはず。
「それは、そうですけど・・・・・・」
「心配してくれてありがとう。でも本当に僕は大丈夫だから。ねっ?」
「・・・・・・でも、無理はしないで下さい。私でも役に立てることがあると思いますから」
「うん、ありがとう、美紀」
美紀が安心してくれるように笑う。僕にはそれくらいしか出来ないから。
「おっ、何だお前らこんなところで」
「譲治」
譲治たちがお風呂から上がったみたいで、風呂セットを持っている。
「何でもありません。お風呂から上がったのであれば、そろそろ夕食に行きましょう。私はゆみちゃんを呼んできます」
何事もなかったように美紀が部屋に戻っていく。
「何話してたんだ?」
「今朝のことだよ。心配されちゃったよ」
「だからさっさととっちめりゃ良いだろうがよ」
「また停学になって武蔵さんに絞られたいなら、そうすれば?」
琢磨がしれっと言う。
「そ、それだけは嫌だぁ―――っ!」
思い出したのか、武士が頭を抱える。
「あん? 吾妻、お前また何か仕出かしたのか?」
「あ、大和さん」
ほんとにタイミング良い人だなぁ。寮内だからどこにいようと不思議じゃないけど。
「うおおぉぉっ! 出たぁっ!」
不意に現れ、武士が身構える。
「ほぉ? 俺に拳を向けるか。いい度胸してんな」
余裕たっぷりに大和さんが微笑む。ちょっと恐い。
「と、思ったが、お前ら飯まだだろ? そろそろ飯の時間だ。さっさと食って来い」
何だかんだで寮長だ。仕事はきちんとこなしている頼りになる人だ。
「美紀」
「はい?」
大和さんが部屋に戻ろうとしていた美紀を呼ぶ。
「たまには素直になるのも大事だぞ? 心配だけじゃなく、な」
「っ!?」
何かの確信を突かれたように、美紀が驚く。
「な、何でもありませんからっ」
若干顔を赤くして美紀が女子寮のほうへと歩いていった。それを大和さんは面白そうに笑って見送っていた。
「僕たちもこれ置いて、食堂行こうか」
琢磨の一言に僕らも続く。
「大樹、お前はちょっと待て」
「え? 僕ですか?」
大和さんは僕以外を先に行かせると肩に手を乗せてきた。
「大樹、何かあった時は吾妻に行かせるんじゃねぇぞ。俺を呼べ」
「え?」
囁くような一言だった。肩を捕まれ、耳元で囁かれる言葉に、返す言葉が浮かばなかった。
「何をしようとしてるのかは知らんが、お前の顔見てりゃどういう状況かは分かる。どんなことがあっても、お前らは手を出すな。最後なんだから、この生活を楽しむことに精を出せ、いいな?」
「どうしたんですか、急に」
問いかけに息を吐く大和さん。
「俺はここの寮監だ。寮生の問題は俺が裁く。吾妻はキレると自制が利かんからな。お前らのことになると特にだ。だから良いな?」
「あ、はい」
そうとしか言えない。他の返事は受け入れてもらえない言い方だ。
「よし。じゃあ飯食って勉強して来い。赤点取った拷問だからな」
「ええぇっ!?」
不気味なことを言うだけ言って、大和さんが自室に戻る。
「武士に言ったら、どうなるかなぁ」
一番赤点に近い武士なら、また吼えるんだろうな。そんなことを思いながら、僕も部屋に戻った。
「おい、大樹」
あからさまに武士が怒ってる。声がいつもよりも恐い。
「ぶっ飛ばしに行って良いよな」
訊ねてない。意見を押し付けてくるだけだ。
「止めときなよ。武蔵さんに拷問されたいのかい?」
昨日話したけど、やっぱり武士はうおぉぉと吼えた。武士を追い込めるのはやっぱり大和さんしかいないのかな。
「んなもん関係ねーよ」
「今回は武士の自制もギリギリだねぇ。でも、確かにこれは酷いかも」
「何が楽しいんだろう、こんなことして・・・・・・」
予想はついてたけどスリッパはないし、どこから持ってきたのか、食べかすやゴミがこれでもかってくらいに詰まってる。ちょっと泣きそう。心身にくる痛みは肉体に加わる痛みとは比にならない。目の内側が痛みで熱くなる。
「人間のクズが他人にゴミを押し付けるか。笑いもんだな」
譲治が苦笑しながら僕の下駄箱に詰まったゴミを取り除いてくれる。
「あーくそっ! うらあぁぁぁっ!」
僕と譲治が取り除いていると、武士が僕らを押し退けて、汚いのにその中に腕を突っ込んで一気にゴミを掻き出す。
「くそがぁぁぁっ! どこのどいつだぁごらあぁぁっ!」
行き場のない怒りを靴箱のゴミに無理やりにぶつける武士。ちょっと恐いけど武士も我慢してくれてる。人に当たろうとしない辺りが。自分が汚れることは気にしないのかな?
「ふぃー、ちったぁすっきりしたぜ」
一気に下駄箱がすっきりしたけど、床にゴミが散乱しただけだ。でも、
「ありがと、武士」
「気にすんな」
へっ、と武士が鼻の下を掻くと、泥の髭が生えた。
「ここは僕が片付けておくから、三人は先に行きなよ」
琢磨が下駄箱の近くにある掃除用具入れからちりとりと箒を持ってくる。
「え、良いよ。僕がするよ。元々僕のだし」
「いや、大樹、ここは琢磨に任せていくぞ」
「そうだぜ。こいつがやるって言ってんだ。任せてやれって」
「え? ちょっと、譲治? 武士?」
譲治と武士に腕を掴まれ、そのまま僕は教室に連れて行かれた。
「・・・・・・また来たわけ?」
「うん、また」
笑う。自分でも不思議なくらいだ。どうしてか、湊川さんが居てくれると安心した。
「ほんとに懲りないわね。今日も結構凄かったけど?」
やっぱり湊川さんも見てたんだ。気にかけてくれているってことか。やっぱり、間違ってない。
「確かに今日のはびっくりしたよ」
「びっくり?」
何言ってるのよ、と僕が変なことでも言ったように見てくる。
「良くあれだけのゴミを詰められたよね。武士が一気に掻き出してくれたけど、見た限りは凄い量だったよ」
本当は泣きそうだった。心が痛かった。どうしてあんなことをするのか。何が楽しいのか。全然分からない。今でも思い出すと胸が締め付けられそうな痛みが再発してくる。
「本当にそう思ってるわけ?」
湊川さんの表情が真剣になる。疑いを含んだ眼差し。昨日の美紀と似ているかもしれない。
「そう思ったのは間違いじゃないよ」
僕の言葉にも、湊川さんは表情を崩さない。真意を問いただす番人のような鋭く、冷たい目だ。
「でも、本心から言えばショックだったよ。これが初めてってわけじゃないけど、やっぱり気分の良いものじゃないよ」
「初めてじゃないって、前にもあったの?」
意外そうに僕を見てくる。
「ほとんど初めてって言っても良いんだけど、昔はよくあったから」
空気が重たくなる。それはそうだ。自分で思い返すだけでも嫌なのに、それを他人に聞かせているんだ。自分が良い思いをしてないのに、聞いた人が良い気分になるはずがない。
「てっきり、あの馬鹿たちが報復でするかと思ってたんだけどね」
湊川さんが視線を学食に向ける。
「武士なら何度か暴れて恐れられてるけど、今はさすがにそこまで子供じゃないよ」
「そうかしら? 私にはあれが大人には見えないんだけど?」
苦笑してしまう。そうかもしれない。武士は下手に大人ぶることがないから、子供っぽいかもしれないし。でも昔よりは我慢ってことを知ってるから、最近は喧嘩もあんまりしてない。
「それに譲治たちと出会う前のことだから、もう十年以上前のことかな」
僕が大勢の中で孤独だった頃。皆家族だから仲良くしようね、とよくママ先生と呼ばれていた園長先生が言っていたけど、僕にはそう思えなかった。その頃だったから、あんまり記憶にもない。
「それでも、私に関わるのね?」
「それとこれとは別だから」
僕の今があるように、湊川さんにもきっと?今?を作れると思うから。
「どうして拘るわけ?」
不意に訊ねられる。
「一人はダメだからだよ」
どれだけ強がっても、その心は物凄く傷ついている。一人だとその傷を直すことが出来ない。それはいけないことだから。
「生き方が違うんだから、それぞれに合うものがあるでしょ? 片桐君は一人だとダメなのかもしれない。でも、それが私には当てはまらないかもしれないのよ?」
僕は貧しい生活出身で、湊川さんはお金持ちの家出身。生活環境が正反対だから、湊川さんの言う通りなのかもしれない。でも、だからって諦めたくない。譲治が僕に任せてくれたんだ。その期待に応えたい。
「だからって、そうとは限らないかもしれない。湊川さんが僕に嘘をついてる。その可能性だってあるよね?」
真っ直ぐに湊川さんを見る。なにも、根拠なく言ってるわけじゃない。可能性があると確信しているから、はっきりと言える。
「・・・・・・片桐君ってやっぱりあの馬鹿達と仲間なのね」
ため息を吐かれる。
「僕も一員だから、おかしな所はあるかもしれない。でも、僕らはそう思ってないよ。どこにでもいるちょっと賑やかな仲間なだけだから」
湊川さんがじっと僕を見た。吸い込まれそうな瞳とそよぐ風に香る香りに、少しドキドキする。
「・・・・・・あんな馬鹿がどこにでも、はいないわよ」
少し間を置いて、湊川さんが観念したような笑みを浮かべた。力のない笑みだった。
「もう一度、真剣に考えてみてくれないかな?」
改めて聞こう。ただ他愛ない世間話ばかりしても意味がないから。
「部活に入れってことを?」
「うん。同好会だけどね」
「止めとくわ」
湊川さんが胸元に垂れていた髪を背中に払う。さっきよりも良い匂いが強く感じた。
「え?」
やっぱり湊川さんは拒否してきた。
「あなたたちの活動は話を聞いてる限りはとても楽しそうに聞こえるわ。青春とかを謳歌してるんだなって思える。学生らしいと言えばそうなんでしょうね」
「だったら、一緒にやろうよ」
「でも、いつまで目を背けるつもりなの?」
「え?」
湊川さんの口調が強くなる。
「片桐君は今、私を勧誘することに意識が集中して、昨日のことも、今朝のことからも目を逸らせてるだけでしょ」
「ち、ちがうよ」
そんなつもりはない。あんなことされて腹が立たないわけじゃない。泣きそうにならないわけじゃない。逃げてなんかいない。それよりも大事だと思うことを先にしているだけだ。
「違ってないわ。辛さを紛らわせるためにここに来ているだけよ」
「そんなことないよっ!」
絶対ない。そんな生半可な気持ちでなんかない。
「じゃあ、どうして自分の意思を示さないのよ?」
「え?」
意味が分からなかった。自分の意思を示さないって、僕は僕の意思でここにいるんだ。
「ここで私に声をかけることが意思だとしたら、あなたは踊らされているだけよ。自分の意思ってのはね、そんなに甘いものじゃないのよ。今の片桐君はここへ逃げてきているだけ。それは意思じゃないわ。逃避よ。己の意思なら、まずは自分のことを片付けるべきよ」
何か見えないものが僕を貫く痛みが走る。言葉が喉を通ってこない。
「虚勢を張るのは自由だけど、そんなもので解決出来るものはいずれ身を滅ぼすだけよ」
「ど、どういう意味・・・・・・?」
「定まらない気持ちで行動を起こしても、何も変えられないってことよ。むしろ、事態が悪化していくだけ。目先だけの気持ちなんて泡沫と消えるわ」
これ以上は時間の無駄ね、と湊川さんが立ち上がる。
「待ってっ! 湊川さんっ」
「何?」
僕の言葉を分かってくれるから、振り返ってくれたんでしょ? 本当は一人でいるのが辛いから、僕らの話を聞いてくれてるんでしょ? そう聞きたいのに、言葉が口から出てこない。動揺してるんだ。何かに。
「・・・・・・どうして、居場所を作らないの?」
それしか出てこなかった。
「私は、人を信用しないからよ」
冷たい一言だった。真っ直ぐに僕に飛んできた言葉は、僕を通り抜けていった。
「月日は百代の過客にして・・・・・・で始まる松尾芭蕉の著書は何?」
夕食後、いつものように学食で勉強会を開く。美紀は有美香と数学、琢磨は武士と譲治に古文を教えている。バン、とテーブルを叩き、武士が答える。
「あれだろ、ほら、僕の細道」
琢磨がクイズ形式にして、譲治と武士が答えを競っている。
「ドラマのタイトルじゃないんだからさ」
琢磨がいい加減うんざりしてきたように息を吐くと、譲治がポーンと口で言いながらテーブルを叩く。頭の後で古いクイズ番組みたいに、掌が上に上がる。
「・・・・・・」
「はい、譲治」
「奥は細道」
ぶー、と琢磨も口で言う。穏やかな時間だと思う。いつもの時間だからこそ、寂しさが消えない。
「一文字違いって恐ろしいね。たった一文字で道が違って見えるよ。と言うか違うから」
正解は奥の細道だよ、と高校レベルとは思えないクイズは今日も続いていた。
「・・・・・・はぁ」
「大樹、どうした? さっきからため息ばかりだぞ」
何度もため息を吐く僕を、見かねた譲治が呼ぶ。
「何だ? やっぱりあれか?」
武士が靴箱の件だと思うけど、そのせいか? と見てくる。
「もっと別のことじゃないのかい?」
琢磨が鋭いところを突いて来る。
「湊川さんと何かありました?」
美紀も有美香が問題を解いているのを見ながら僕を見てくる。みんな僕を気にしてくれる。
「定まらない気持ちじゃ、何も変えられないってどういうことだろう?」
素直に聞くことにした。人を信用しないと湊川さんははっきり言った。そして、今の僕は逃げてるって。
場が静まる。有美香がノートにシャープペンを走らせる音と、離れたところで寛いでいる寮生や食器の後片付けをしている音以外、誰も口を開かない。静かな学食の窓は夜闇に染まっていた。
「僕って、逃げてるのかな?」
そんなつもりはないんだけど。
「大樹、君はどうしたいんだい?」
琢磨が聞いてくる。
「湊川さんを仲間に入れたい、かな?」
そうなのだろうか。ついそう思ってしまった。みんな一回で諦めたけど、僕は何回も繰り返している。どうしてそんなに繰り返すのか? あれ、どうしてだっけ?
「大樹、俺はお前がしたいことを応援する」
譲治がそう言う。期待に応えたいから、頑張る。間違ってない。いつもついていって巻き込まれる僕だから、頼られることが嬉しい。そこに嘘はない。
「あっちはどうすんだよ、大樹」
武士の一言で、思い出す。そう言えば、あの嫌がらせなのか、いじめなのか、そっちのこともあるんだった。湊川さんの言葉に気を取られてて、忘れかけてた(・・・・・・)。
「っ!?」
ハッとした。僕は今、何を考えてた? 湊川さんに気を取られて、嫌がらせのことなんて頭になかった。
「大樹さん? 大丈夫ですか?」
「え? あ、うん・・・・・・」
「顔色があまり良くないですよ。今日は早めに休んだほうが良いんじゃないですか?」
美紀が心配そうに声をかけてくれる。
「大丈夫。平気だから」
『虚勢を張るのは自由だけど、そんなもので解決出来るものはないわよ』
まただ。今僕はみんなに素直に聞くことにしたのに、見栄を張っている。どうしてそんなものを張る必要があるのだろう。
「出来ましたっ! 美紀っ・・・・・・ふぁ? みなさんどうしたですですか?」
何も知らないと言うか勉強に集中していたのか、有美香だけが首を傾げていた。
「このままだと、明日もすげぇことになってるかもしんねぇぞ」
武士が話を戻してくる。
「そう、だね。何とかしないと、いけないよね」
やらないといけないことが沢山ある。ただ、どれからどうすれば良いのか考え付かない。
「大樹、ごちゃごちゃした考えじゃ、お前は何も出来ないぞ」
譲治が見透かしたように僕の目を見てくる。
「だったら、どうすれば良いのさ?」
「それはお前が決めることだ。お前がやると言ったんだ。だからお前が決めろ」
いつもなら譲治がアドバイスをくれるのに、どこか突き放すような冷たい声だった。
「分かんないよ。どうするのが良いのか・・・・・・」
そのまま勉強会はぎこちない雰囲気のまま終わりを告げ、今日はこのまま解散になった。
明かりの消えた室内。二段ベッドの天井が暗闇に同化する。その上には琢磨がいるのに、何も見えないくらいに暗くて、そこには誰もいないんじゃないかと不安が過ぎった。
「だいぶ悩んでるみたいだね?」
でも、存在を確認させる声が僕に舞い降りる。僕の気持ちを見透かしているみたいだ。
「・・・・・・うん、そうかも」
「今、大樹の頭の中はこんがらがってるんじゃないかい?」
「良く分かるね」
時計の音と僕らの声しかしない静かな部屋。春の夜の肌寒さが布団の醍醐味を引き立ててくれる。
「湊川さんは、一人は嫌なはずなんだよ」
僕の言葉に耳を傾けているのか、返事はない。少し寂しい。
「そうじゃなかったら、僕の相手なんてしてくれないはずだし」
「そう思うのかい?」
「うん、だってそうでしょ? 一人が良いって言うなら、僕の話は聞いてくれないはずだよ。でも、湊川さんは時々嫌そうにもするけど、きちんと聞いてくれたんだ」
琢磨が唸り声を上げる。反応があるだけでも、安心感を抱ける。
「大樹は、湊川さんが周りに溶け込めていないと思うんだよね?」
うん、と返す。静かで真っ暗な部屋。目が冴えてデジタル時計の淡い光を探してしまう。
「僕はそうは思わないよ」
え? どうしてだろ?
「湊川さんは周りに溶け込んでいるよ。一部からは煙たがられても、そんなことを知らない人たちとは気軽に挨拶をしているだろ? それって溶け込んでいることにならないかい?」
そう言われれば、朝とか湊川さんは色々な人に声をかけられてる。下級生からも人気は高いみたいだし。
「溶け込むってことは、人それぞれ度合いが違うんだよ。僕らのように公私混同してるような人間もいれば、挨拶程度の付き合いで満足する人もいる。大樹は少し我が侭だから、それを理解するのは難しいんだろうね。風景は流れるんじゃない。そこに溶け込んでいるだけだよ」
そう言われると、ちょっとショックだけど、的を得ているから反論出来ない。
「それは悪いことじゃない。でも、一つだけ言うと、溶け込むのには時間も技術も要らないんだ。溶け込めない自分なんて、誰もいないんだよ。でも、溶け込める場所を見つけるのが下手な人はいるんだ。ただ、それだけなんだよ」
「どういうこと?」
「自分の居場所を見つけられるのは、簡単であって、とても難しいことだよ。よく、失ってから気づく大切なもの、とかあるだろ? それと同じように居場所なんてすぐには気づけないんだ。灯台下暗し。僕にはそれこそが、人間の全ての心理に近いものだと思ってるんだ」
いまいち意味が分からない。眠気もあるからかな?
「湊川さんは、譲治の言うツンデレだろ? そういうタイプの人ってのは、自分からってのが苦手な場合が多いんだよ。だから、そういう場合はどうすればいい?」
「こっちから、声をかけたりする、かな?」
琢磨は肝心なところはあまり教えてくれない。いつものことだ。自分で見つけるからこそ意味があるんだって言う。
「そう。こちらから手を差し出して、居場所を作ってあげれば良い。でも、手を出す人間が悩んでいたら、その手を掴む人間は不安になるんだよ。堂々としてないと互いに安定はしないものだよ」
「不安?」
「手を差し出す側の人間は、その不安を感じさせてはいけない。強くある必要がある。それを大樹、今の君に出来るかい?」
そんなこと、出来るのかな。人は何かしら不安になるようなことを抱えているはず。何も不安がない人なんていない。いや、上条さんなら、例外にも思えるけど、今は関係ない、かな。
「湊川さんが靡かないのは、そこなんだよ、大樹」
僕の名前を呼ぶ声が、僕を責めるように聞こえた。
「今、大樹は心が乱れているだろ? それが相手を不安にさせるんだ。そのままでいれば、湊川さんは僕らの仲間にはならないし、嫌がらせもエスカレートするだけだろうね。それに落ち込む大樹を、湊川さんは信用してくれると思うかい? オドオドした人を大樹は信用出来るかい?」
琢磨に言われて、思い返す。
『定まらない気持ちで行動を起こしても、何も変えられないってことよ。事態が悪化していくだけ。目先だけの気持ちなんて泡沫と消えるわ』
「同じこと、言われたんだ、僕・・・・・・」
ハッとした。あの時は意味が理解出来なかったけど、僕は琢磨に、湊川さんに言われたことをもう一度言われたんだ。ちゃんと聞いてなかったのか、理解できてなかったのか、僕は馬鹿だ。
「急いては事を仕損じるって言うだろ? 今の大樹はその通りの筋書きを進もうとしてるんだよ」
琢磨がベッドの脇に読書用に取り付けたクリップ止め型の小さなライトをつけた。暗い部屋の中がぼんやりと明るみを増す。
「大事なものは、それを手にするまでの道のりがあるんだよ。一歩一歩を片付けていかないと、ゲームのボスへは辿り着かないだろう?」
琢磨が顔を覗かせる。ぼんやりと明るいおかげで、生首が不気味に垂れ下がっているみたいに見えた。でも、そこにいるんだと言う確証があるだけでも、安堵出来た。
「後をどうするかは、大樹次第ってことだ」
僕は焦っていた? 湊川さんを仲間に入れて、譲治たちの期待に応えるために。だから嫌がらせを受けてから、不安や恐怖が入り混じって、そんな状態で湊川さんに声をかけ続けた。だから湊川さんは不安を感じていた。僕が不安を隠そうと足掻いていたから。そういうことなのかな?
「少しはすっきりしたかい?」
僕の顔を見て聞いてくる。
「うん。変な考えが全部飛んだかも」
「そうかい。それは良かった」
そう言うと琢磨は顔を上げベッドに横になったみたいで電気が消え、ベッドの軋む音が聞こえた。
「忘れちゃいけないよ。いつだって人は大事なものを忘れ、感情に流される生き物なんだ。その中には必ず、忘れられない光が一つだけあるんだよ。絶対に消えない光が、ね」
琢磨が満足げな顔を見せたって事は、僕の考えていたことは見透かされてたみたいだ。そして、色々なものが交差し合っていた考えが、徐々に一本の道に修正されたことも。でも、やっぱり琢磨の言葉は僕には理解しがたいものだと言うことも、理解できた。
「一人で大丈夫かい? 何なら落ち着くまでは僕らも付き添うけど?」
やっぱり、見透かされてる。僕が何をするのか分かってるから、手伝おうとしてくれる。
「ううん。もう少しだけ僕一人でやってみるよ。それに、あれは僕だけがされていることだし、相手の子とも面識あると思うから、皆を余計なことに巻き込みたくないんだ」
犯人は分かってる。だから、僕一人でも大丈夫だと思う。武士とかと一緒だと、話し合いよりも僕らが脅迫してるように思われるかもしれないし。
「それに、皆で寄って集っても解決はしないと思う。相手を怯えさせるだけじゃないかな?」
「連鎖が続く、かい? それも悪くなる一方での」
琢磨が僕の言いたい事を分かっているから、そう言ってくるんだろうね。やっぱり頭がすごく良いなぁ。僕にはそこまで初めから考えられないや。
「うん、きっとあんなことをしてくる人は、僕らのことを知ってるはず。それで僕が一番湊川さんに接しているからあんなことをしてるんだと思うんだ」
「もし武士や譲治に任せれば、後の報復で美紀ちゃんや有美香ちゃんが危ないかもってことだね?」
「うん」
そこまで琢磨は分かってたんだ。何でもお見通しなんだなぁ、琢磨も。
「僕一人なら大したことはないけど、美紀たちを巻き込みたくはないから」
きっと僕だけじゃなくて、湊川さんも同じ目か、それ以上のことをされているかもしれない。もしそうだとすれば僕にあんな被害がなくなっても、弱い立場の美紀や有美香にまで被害が及ぶのだけは抑えたい。僕も弱いからあんまり大したことは言えないけど。
「分かったよ。僕は直接は関与しないようにするよ」
琢磨も分かってくれたみたいで、優しいね、大樹は。なんて言ってくれるけど、多分違うと思う。
「でも、大樹。全てが思うように収まらないこともあることを覚えておくんだよ。まぁ、その時は僕らがいることを忘れないことだね。大樹には味方がいるんだ」
「ありがとう、琢磨」
返事におやすみ、と帰ってくると、僕は目を閉じた。今夜は明日のことで嫌な予感に怯えずにぐっすり眠れそうだった。
「うーっす」
「よっ、揃ってるな」
「おはようございます、兄さん、武士さん」
「ぐっどもーにんぐですっ!」
翌朝、朝食の場にいつもなら早い武士と譲治が最後に来た。
「二人とも今日は遅かったね」
既に僕らは食べ始めている。
「お? ああ、戦艦ヤローによぉ・・・・・・おぼっ!?」
「譲治っ!?」
遅刻した訳を話そうとした武士が譲治に鼻っ面に手の甲を打ちつけた。両手に朝食のおぼんを持っていた武士はモロにそれを受けた。
「なんでもない。ただの寝不足だ」
済ました顔で譲治が席に着く。
「てめっ! 何しやがるっ!」
声は怒っているのに、律儀に大人しく席に着く武士。
「鼻水が出てたんだ。拭いてやっただけだ」
「そうか? それならそう言えよな」
譲治に言われ、急に穏やかになり鼻をすすりながら鼻を指で擦る。
「って、なんじゃこりゃあぁぁーっ!」
自分の指を見て武士が叫んだ。
「いやまぁ、鼻血は出るよね・・・・・・」
勢い良く鼻を打たれたんだから、鼻血くらいは出てもおかしくはない。
「それで、そっちはどうだったかい?」
琢磨が譲治たちを見る。全然気にしないんだ、武士の鼻血。
「問題ない。あとは大樹次第だな」
「え? 何のこと?」
譲治が僕を見る。
「いや、気にしないで良いよ。大したことじゃないから」
「また何か仕出かすつもりですか?」
美紀が口を挟んでくる。
「大したことじゃない」
譲治はその一点張りだ。美紀も同じ答えにそれ以上追及はしなかった。
「ふぁっ! 武士さん、鼻血が止まりませんですですっ!?」
有美香の隣で、鼻水を垂らすように鼻血を垂らしている。ティッシュ詰めないのかな。
「あん? うおっ、まだ出てやがったか」
ずずずずずっ。
「んっんっん・・・・・・んはぁー」
武士が勢い良く鼻を啜ると、垂れていた鼻血が勢い良く武士の鼻に戻っていく。
「の、飲んでますっ!?」
顔を上に背け、武士の喉が鳴る。鼻血って飲むものじゃないのに。
「鼻血って飲むと気分悪くなりますよ?」
若干引きつつ美紀がティッシュを差し出すが、武士は遮る。
「こいつには、血だろうがなんだろうが、関係ないんだろ」
譲治の一言で、みんなが何となく頷いた。
「今日も賑やかだね・・・・・・」
いつもと本当に変わらない朝が、どうしてか嬉しくて、少しだけ胸騒ぎを助長していた。
「どうして二人ともついて来るんだ? お前らはあっちだろ?」
いつものように途中で美紀たちと別れて僕らが歩いていると、二人がスリッパで追いかけてきた。
「心配でしたので、ついていきます」
「わんふぉーおーる・おーるふぉーわんなのですですっ!」
二人とも、心配してついて来てくれたんだ。その気持ちは嬉しいけど、あんまり二人には見られたくないかも。悲しいと言うよりも、恥ずかしい気がしてならない。
「・・・・・・良いのかよ?」
武士が耳打ちしてくる。
「しょうがないよ。心配してくれてるのに追い返せないよ」
そっかよ、とそっけなく言うと、それ以上は何も言わず、先頭を歩いていく。
「あっ・・・・・・」
校門前に見慣れてきた高級車が止まる。
「では、放課後お迎えに上がります」
運転手なのか、執事なのか、軽くその言葉を受け流しながら湊川さんが校門を潜る。表情はいつもと何も変わらない涼しげだ。ちょっと安心した。たとえそれが作ったものだとしても。
「おい、大樹。行くぞ」
譲治に呼ばれ先に昇降口に入る。
「あっ・・・・・・」
入った瞬間、声が出た。もうどういう状況なのか見えてしまい、朝の賑やかな朝食で上がりつつあったテンションが一気に下がった。ため息すら出なかった。こんなことする人が可哀想だった。
「っ!?」
美紀が口元に手を翳す。その目は大きく見開かれている。
「ふぁっ!? な、なんなのですですかっ! これはっ」
有美香も驚いている。無理はないけど。一つだけ異様に目立つ靴箱がある。スリッパは相変わらずボロボロにされ、ガムがべっとりついてる。弁当の空ゴミに空き缶、それにどこから持ってきたのか学園の備品である、大きなジョウロまで刺さっている。それに折られた箒も。酷すぎる。力が入らず、カバンを落とした。
「しかし懲りない奴らだな」
譲治がスリッパに履き替えると、昨日と同じように僕の靴箱に手を伸ばす。
「・・・・・・いい加減、教えろよ、大樹」
ドスの利いた声を僕に武士が向けてくる。それでも落ちた僕のカバンの汚れを腹って渡してくれる人の良さは、その声とは裏腹でちょっとだけ面白かった。言わないけど。
「よせ。もう忘れたのか、武士」
譲治が宥める。
「んだよっ! このままほっとけってのかっ! あぁ?」
武士のほうが僕よりも怒ってる。僕は怒る気力がないのに。
「良いんだよ、武士。とりあえず片付けないと・・・・・・」
少し自分の声が震えている。悲しいのか悔しいのか分からないくらい、ショックだった。我慢しようとしてるのに、少しだけ眼が熱くて、涙が浮かんだ。
「ふむ。これはこれは」
琢磨が一人で何かに頷きながら、ゴミを取り出すのを手伝ってくれた。
「またなのね・・・・・・」
小さなぼやきが僕らの耳に届いた。
「これでいい加減、分かったでしょ? これで分からないようなら、あんたたち救いようのない馬鹿よ。私に近付くことを止めれば、それもすぐ終わるわ。茶番好きの馬鹿がしてることなんだから」
酷く悲しい目をしている湊川さんが冷たく言い放つ。
「・・・・・・そんな言い方はないんじゃないですか?」
美紀が前に出る。その目は怒ってる目だった。
「他にどう言えと言うのかしら? 私は散々忠告したんだけど? それを無視したのはそっちよ」
「てめぇ、大樹がこんな目にあってるっつーのに、何とも思わねぇのかよ?」
武士も隣に並ぶ。違うのに。二人が怒るのは間違っている。対象は湊川さんじゃない。
「だから何よ? あんたたちが勝手にしてることでしょ。私は迷惑だってはっきり言ったわ」
湊川さんのその一言で、美紀と武士の表情がさらに険しくなる。
「抑えろ、武士。美紀、お前もだ」
譲治が武士の肩に手を置く。
「っるせぇっ! もう我慢してられっかっ!」
武士が譲治の手を払う。
「・・・・・・よし、ばっちりだね」
「ふわぁぁ、えと、あのっ、あのあのあの・・・・・・」
琢磨はそんな騒ぎに目もくれず、大樹の靴箱を漁り、その横でただならぬ雰囲気に有美香が右往左往していた。有美香には申し訳ないことに首を入れさせたかもしれない。
「我慢出来ないとか自由だけど、私に当たらないでくれる?」
湊川さんは涼しげで悲しげな眼差しを一瞬僕に見せて、背を向けた。
「自分が関係ないからって、勝手に私たちがしたことだからって、何とも思わないんですか?」
その後姿に美紀が投げかける。
「・・・・・・・・・そうね」
立ち止り、しばらく間を置いて、振り返って湊川さんはそう言った。僕は何も言い返すことも出来ず、立ち竦むしか出来なかった。
「このやろっ! 待ちやがれっ!」
「ダメだよっ」
今にも飛び掛りそうな武士の腰に飛びつく。
「大樹っ、退けっ」
「退かないよっ!」
僕なら簡単に武士なら振り払えるはず。
「湊川さんの言う通り、僕らが勝手にしてることなんだから、湊川さんは何も悪くないんだよっ!」
「っ!」
湊川さんが立ち止った。それでも振り返ることなく、すぐにそのまま校舎へと姿を消した。
「ちっ、くそがっ!」
ドンっ、と武士が募った怒りを晴らすように拳を壁にぶつけると、近くの窓が振動した。
「どうして、何も言わないんですか?」
冷静に勤めた美紀だが、その表情はやりきれない感で満ちているように見える。悔しいって。
「湊川さんは何も悪くないからだよ」
二人とも怒りをぶつける対象を間違ってる。
「そうだな。武士も美紀も麗香に怒りをぶつけてどうする」
パンパン、とゴミを取って汚れた手を払いながら、譲治がいつもの表情で二人を見る。
「はうぅぅ〜・・・・・・」
空気が微かに和らぎ、有美香が力尽きたように息を漏らす。
「悪くないだと? こうなったのもあいつのせいだろうがよっ」
「大樹さんがこんな目に遭っているのに、関係ないわけないじゃないですか」
「違うよっ」
どうして湊川さんが悪いのさ。何もしてないじゃないか。今悪いことをしたのは僕らのほうだ。
「湊川さんは優しい人だよ。悪い人なんかじゃないよ」
一人で頑張ってる人なんだから。一人でも強くいようとしている人なんだから。
「うひゃあ――っ! やばやば遅刻遅刻遅刻ぅ〜・・・・・・って、あ、あり?」
居心地の悪い空気を突き破るように、昇降口に駆けてきた声に、僕らは一斉に振り返った。
「あぇ〜、え〜と・・・・・・おはヨーございまー・・・・・・した?」
入ってきた途端の空気の悪さと、僕らの表情を見て、苦笑しながら上条さんがすぅーと昇降口を出て行った。
「どこ行くのさ、上条さん」
「ちっ、先いくぜ」
舌打ちをしながら武士が先に校舎へと入っていった。それに美紀も続き、有美香も後を駆け足で追いかけていった。
タイミングが良いのか悪いのか、うまく判断は出来ないけど、おかげで助かったかも。
「いやぁーあははは・・・・・・お邪魔しちゃったかな? かな? かなぁ?」
取り繕うに、笑みを浮かべているけど、微妙な表情だった。
「ううん。何でもないよ」
そう言うしかなかった。普段空気を読まない上条さんが空気を読んでいたから。
「こりゃ、さすがに長引かせるわけにもいかないな。学園の問題になる可能性もあるしな」
譲治が先に行った武士たちの後姿を見ながら僕を見る。
「ごめん。譲治。僕のせいで」
気にするな、と譲治が肩を叩いてくれる。その一言だけで、心が救われる気がする。やっぱり譲治は凄い。そんなことで安心感を与えてくれるんだから。
「でも、どうするんだい? 何もしなければエスカレートするだけだよ?」
琢磨の言う通りだ。むしろ、このままが続けば折角集まったみんながバラバラになりかねない。そんなことはしなくないし、なって欲しくない。
「僕、話してみるよ」
「そうか。大樹がそうしたいなら、そうすればいい」
深く聞いてこない譲治。その背中を押してくれる言葉があれば、それだけで大丈夫な気がした。
「でも、相手は誰なのか検討はついているのかい?」
「うん。四組の人だったから」
湊川さんが教えてくれた、あの時四組の教室から僕らを見下ろしていた女の子たちで間違いないはず。
「へ? うちのクラス?」
上条さんがスリッパに履き替えて、僕らに顔を出す。
「那美」
「はいはい? どったのかな?」
譲治が声をかける。
「麗香に突っかかってくる連中の名前は何だ?」
そうか。そう言えば、僕も名前とか知らない。ただ四組ってことだけだ。
「あ〜・・・・・え〜・・・・・・」
でも、上条さんは表情を濁す。
「なんと言うかナァ。みなっち、四面楚歌って感じ?」
言ってる意味が分からない。
「もしかして、湊川さん、孤立してるとか?」
琢磨が眼鏡を上げる。
「いやぁ、ウチのクラスってさぁ、グループなんだよねぇこれがさぁ」
「グループ?」
何のだろう。
「みなっちって、お嬢様で成績優秀で、ああ見えてボンキュボンなのですよ。くぅはぁ〜う〜らや〜ますぃ〜」
一人で言いながら、一人で悶えだした。相変わらず変な人だ。
「それで、モテモテなのですよ、はい。あたしなんてうるさいだのさわがしいだのおちつきないだの言われてぜっぜん売れ残りなのですよぉ〜、そんなにお高くないのになぁ・・・・・・よよよ・・・・・・」
今度は泣き出した。もうわけが分からない。
「つまり、湊川さんが孤立しているのは、そのグループからの誘いを断ったから、腹いせを受けていて、上条さんは無駄にハイテンションが災いして、友達がいないんだ?」
「あぁっ! なぜそれをっ!?」
上条さんが驚いている。自分で言ってたじゃん。
やっぱり湊川さんは孤立してたんだ。予想はしていたけど、事実を知るとやっぱり悲しくなる。
「ん〜、でも、みなっちは賢明な判断だったと思うよぉ私的にはなんですけどねぇ」
上条さんに視線が集まる。
「わっ、ボーイズの熱い視線があたしにビビビと来たっ。思わずしびれちゃいそう」
上条さんが、ポッと頬を赤らめる。もうついていけないって。
「どうして?」
「だって、みなっちに絡んでくるの、柏木、鵜木、鏑木のキキキトリオだもん」
「何だい? その妙なトリオは?」
琢磨の眼鏡がずれる。
「もうー、なんてゆーかぁ、ムキーッ! て感じ?」
「聞かれても分からないよ」
クラス違うし。知らないし。
「昼ドラドロドロ愛憎劇の最初は良い人、中盤から包丁持ち出して、妻を二階の手すりに追い詰めて、手を滑らせて堕ちてその時は死んだように見えても実は後から復活する妻を驚愕の顔で見つめる浮気相手役って感じ?」
そんな具体的に言われても、昼間は学園だからそんなの見てないし。
「なるほどな」
「分かるのっ!?」
譲治が頷いていた。
「キキキトリオは、みなっちを孤独孤立弧絶孤影孤灯の孤高にしようとしてるんデスヨ」
やけに孤が多い。でも、要はクラスで湊川さんを一人にさせようとしてるんだ。
「それで、最近仲の良い大樹に、次の狙いをつけたわけか」
「だったら、譲治。どうする?」
琢磨が意味深な表情で譲治を見る。
「ま、大樹がやるって言ってんだ。どうにかするんだろ?」
「うん。あ、そうだ。上条さん。放課後にその、キキキトリオ? に話があるから待っててって伝えてもらえないかな?」
「うん? 良いですよ。でも、何するつもりなのかな?」
意外に普通に上条さんが返してくる。普通の反応も出来るんだ。
「話をしてみるつもりだよ」
この嫌がらせのことと、湊川さんのことを。やっぱりいつまでもこのままじゃ、気分も悪くなる。
「う〜〜ん、一人で大丈夫かなぁ? 私が言うのもだけどぉ、しつこいんですよ?」
上条さんが不安そうに言う。
「大丈夫だ。俺たちがついてる。大樹は俺たちが守ってやる」
「おぉっ、なんかプロポーズっぽい? 思わず胸がキュンッキュンしてきちゃったかも〜?」
結局、上条さんは上条さんだ。真剣なのか冗談なのか分からない。
「とりあえず、お願いするよ」
「任されたっ!」
ズビシッ! と上条さんが敬礼してくる。ちょっと不安もあるけど、上条さんもクラスメイトなんだから、大丈夫だと思う。後は、放課後に話をつけられるかだ。
「ふぅ・・・・・・」
大きく息を吸い込む吐く。不安で胸がドキドキしてる。吐き出す息も緊張で震えてる。
「大丈夫ですですか? 大樹さん」
有美香が僕を見上げてくる。改めてみると有美香は小さいなぁ。
「大丈夫。自分で決めたことだし」
「それじゃあ、僕はちょっと失礼するよ。後は任せるよ、大樹」
そう言い残すと、琢磨がどこかへ歩いていった。
「琢磨、どうしたの?」
「直接的じゃないことをしに行っただけだ」
譲治の言葉に首を捻るしかなかった。
「そう言えば、武士もいないよね?」
今、この場にいるのは僕と譲治、有美香と相変わらず不機嫌そうな美紀だけ。
「そんなことは良いから、お前はお前で頑張って来い」
「う、うん・・・・・・?」
妙に譲治の言葉にキレがないような気がする。
「本当に一人で大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。話をしてくるだけだし」
喧嘩をするわけじゃないから、僕一人でも大丈夫だと思う。
「それじゃあ、行ってくるよ」
「落ち着いていけよ」
譲治たちに見送られて、教室を出る。既に放課後から少し時間も経っているから、部活動や勉強で残っている生徒はいても、目的もなしに居残りする生徒はいない。
「結局、湊川さん、いなかったなぁ」
昼休み、いつものように木陰のベンチに行っても、湊川さんは来なかった。多分、今朝のこともあったからだとは思うけど、寂しかった。どうしてそこまで一人を選ぶのか、僕には理解出来ない。
「ほら、来たよ」
四組の所に来ると、上条さん曰く、キキキトリオがいた。
「突っ立てないで入れば?」
「う、うん。失礼します」
一人に呼ばれて、教室に入ると、ドアを閉められた。高圧的な視線に恐怖に近いものを感じる。
「それで、話って何よ?」
機嫌悪そうに一人が尋ねてくる。三人だけかと思ってたら、窓側の席に武士ほどじゃないけど、体つきの良い男子が二人いた。運動部の人っぽい。僕のほうをじっと睨むように見てくる。
「止めて欲しいんだ」
言わないといけないと自分に言い聞かせる。恐くてもやらないと止められないことだから。
「はぁ? 何を?」
「靴箱のことだよ」
「何それぇ?」
「さぁ?」
知らないわよ、といきなり否定させる。でも、絶対この人たちだ。目が笑ってる。
「ねぇ、何のことだか知らないけどさぁ、そんな事言うために呼びつけたわけ?」
「そんな事じゃないよ。何が楽しくてあんなことするんだよ」
恐怖と怒りがごちゃ混ぜになってくる。言いたいことが溢れそうになって我慢する。
「だからぁ、あたしたちじゃないっての。何勝手に犯人扱いしてるわけ?」
とぼけている。絶対この人たちの仕業だ。
「それだけじゃないよ。どうして湊川さんにも酷いことするの?」
「はぁ? 意味分かんなーい」
一人がそう言うと、笑いが起きる。腹が立ってくる。でも、喧嘩しに来たわけじゃないから、堪えないといけない。深呼吸する度にその苛々は高まるばかりだけど。
「クラスメイトなのに、それを利用して何も悪いことしていない湊川さんを集団で追い出すようなことしてるんだろっ」
でもダメだった。落ち着かないといけないのに、悔しくて、イライラして、恐くて、悲しくて、自制が上手く言うことを聞いてくれない。
「あー、うっざー」
「そーそー。マジむかつくんだけど」
「勝手に犯人にしないでくれるぅ?」
それでも、この人たちは白を切り続ける。僕がされたこと。湊川さんがされたことを思い出すと、余計に悔しさと怒りが募ってくる。恐怖なんて感じないほどに。
「人の心を傷つけて、何が楽しいんだっ!」
ごめん、譲治。落ち着けそうにないや。落ち着こうとする度に落ち着けなくなる。
「人が嫌がるようなことばかりして、何で笑うんだよっ!」
一度決壊すると、次々と溜め込んでいたものが溢れる。この前の美紀の気持ちが分かる気がする。
「されている人の気持ちを考えたことはないのかっ!」
「ねぇ、片桐君」
酷く冷めた声が遮ってくる。
「マジうざい」
全く言葉が届かない。
「大体何? 何であたしたちが悪いわけ?」
それどころか自分たちが正当なのだと言ってくる。意識してないのに、握りこぶしが震えている。
「悪いのはあいつじゃん。こっちは友達でいてあげてんのにさぁ。それを自分から振ったんだよ? 友達なんて他にいないくせしてさぁ」
「それにぃ、勉強運動出来るからってちやほやされていい気になってるしぃ、ムカつくんだよねぇ」
ねー? と言いながらおかしそうに笑う。後の男子もつられてなのか笑っている。悔しい。苛立つ。それを抑えようとする自我と無意識が葛藤する。
「湊川さんの何が分かるって言うんだっ! 人の気持ちなんて考えてもないくせにっ! 何の努力もしてないくせに、必死で頑張ってる人のことを馬鹿にしないでよっ!」
「あーもー、うるさい、片桐」
一人が机からぴょんと降りる。
「あんたさぁ、むかつくんだよね。自分を正当化して、あたしたちを悪者にしたいんでしょ? じゃあすれば? 一人じゃ何も出来ないくせに。どうせあんたも湊川に取り入りたいだけなんでしょ」
「違うっ! 一緒にするなっ! 僕は違うっ!」
「じゃあ何よ? 知り合いでもクラスメイトでもないくせして、でしゃばらないでよ。関係ないじゃない。下駄箱のこと止めてほしいなら、止めてあげるわよ。あんたがあいつに関わらなければね」
やっぱり僕一人じゃダメなんだろうか。全然話を聞いてもらえない。僕自身も苛立ちを抑えられてない。ダメだって分かってるのに、衝動に逆らえなくなる。握り拳が痛い。
「あいつはさぁ、家が金持ちだからっていい気になってさぁ。自分の力でも何でもないくせしてさ」
「湊川さんは一人で頑張ってるんだっ! 本当は苦しんでるんだよっ! そんなことも分からないのかっ!」
「苦しんでるだって?」
顔を見合わせてから、あははは、と笑いが起きる。
「苦しんでるわけないじゃん。大体、何されても何もしてこないし、あんたのことだってシカトしてるじゃん。それって何も一人じゃ出来ないってことじゃん?」
だよねー。と呑気に笑っている。どんどん苛立ちが募る。こいつらに人の気持ちなんか分かるはずがない。分かってたまるかって気持ちがどんどん湧いてくる。
「違うっ、湊川さんは考えてるから何も出来ないんだっ!」
仕返しをしても、また報復が起きる。その連鎖が起こらないようにするために、何をされても受け入れ、僕のことを突き放した。それでも僕が関わっている。湊川さんは悪くない。悪いのはその気持ちを知っておきながら関わろうと足掻く僕だ。
「好き勝手言ってくれるわね」
「好き勝手に人の心を踏みにじってるのはそっちだろっ! 最低だよっ!」
場の空気が鋭さを増したと思う。背筋に冷たいものが流れた。
「もういい。うざ過ぎ。むかつくし、やっちゃう?」
「いいねぇ。痛い目合わせないと分からないみたいだし」
窓際に座っている男子を呼ぶ。
「やーっと出番かよ」
「こいつ、フルボッコしていいんだな?」
コキコキと指を鳴らし、首を傾げると首からもそんな音が聞こえる。恐い。そんな気持ちが一気に突き上がってきた。
「やっちゃっていいわよ。あいつにも見せしめになるし」
「あたしたちの言うこと聞かないのが悪いんだから」
また笑う。どれだけ人を馬鹿にする事が楽しいんだ。そんなことをして、悲しんでいる人がいるのに、泣いている人がいるのに、それが面白いなんて、人じゃない。
「よし、そろそろか」
「どこにですか?」
大樹が教室を後にしてしばらくすると、譲治が立ち上がる。
「あいつ一人じゃさすがに厳しいからな。詰めの手伝いは俺たちにもする義務がある」
「助太刀するですですか?」
譲治に続いて心配そうな美紀と有美香もついて行く。
「ん? 麗香か?」
四組の教室の前で譲治が麗香を見つけた。
「っ!?」
譲治の声に麗香が慌てて顔を背ける。
「どうかしたですですか?」
有美香が麗香に寄る。
「な、何でもないわよっ」
その割には、随分と声をかけられた瞬間、取り乱していた。
『湊川さんは一人で頑張ってるんだっ! 本当は苦しんでるんだよっ! そんなことも分からないのかっ!』
教室の中から大樹の怒声が廊下に響く。
「っ!」
その声に麗香がハッと体が震える。
「兄さん」
美紀が中の様子を聞きながら、早く行きましょうと目で訴えてくる。
「まだダメだ」
だが、譲治は美紀を制する。
「あいつは一人でやると言った。邪魔するもんじゃない」
教室から聞こえる大樹の声を耳に、譲治は廊下を見つめていた。何かを待つように。
「でも、このままじゃっ・・・・・・」
「大樹さんが危ないかもかもですですよっ」
中の様子に耳を傾けながら美紀と有美香が譲治を見るが、譲治は耳を傾けない。
「どうした? 図星を突かれた顔をしてるぞ?」
譲治が麗香を見る。面白そうな笑みを浮かべて。
「なんでもないわよ。さっさと助けに行けば良いでしょっ」
そう言いながらも、麗香はその場を去ろうとしない。
「これからが見せ場だろ? 男の見せ場は美学だ。邪魔しちゃいけねぇんだよ。そういうお前こそ行かないのか? 自分のことを好き勝手言われてるぞ?」
中からは麗香を馬鹿にするような言葉が次々と出てきては、大樹が全てを否定して言っている。
「・・・・・・・・・」
麗香は答えない。それを分かっているように譲治も追及しない。
「麗香。いい加減素直になればどうだ? 大樹があそこまで言うなんて、そうはないんだぞ?」
「関係ないわ。私は忠告した。それを無視したのはあんたたちでしょ。その責任は私にはないわ」
「湊川さん、あなたは本当にそれで良いと思っているんですか?」
美紀が麗香の正面に立つ。
「私は初めからそう言っていたはずよ。私は一人で良いって。それを仲間だとか勝手にこじつけてきてるのはそっちじゃない」
「では、どうしてあなたはここにいるんですか? 関係ないと言うなら、ここにいる意味はないと思いますが? ここにいると言うことは、そう言うことですよね? 違いますか?」
責め立てるような美紀の真剣な眼差しに、麗香がうろたえる。
「あなたは、自分を隠し続けてます。兄さんの言う通り、素直になるべきです。でないと、大樹さんが可哀想すぎます。あなたのために大樹さんは一人で立ち向かっているのに、あなたは逃げるんですか?」
「逃げる? 私は何もしてないわよ、初めから。変なことをしてきたのはそっちでしょ?」
「だからって、ここまでされて、言われて、それでも見過ごそうと言うんですか?」
美紀が食い下がることなく、食らいついていく。その間も教室からは大樹たちの声が耳に入ってきていた。その声の一つ一つに、麗香の体は小さく反応していた。
「じゃあ、あなたたちが行けば良いだけのことじゃない。仲良しごっこの仲間なんでしょ?」
「そんな言い方はないんじゃないですか? どうしていつまでも見栄を張ろうとするんですかっ」
「関係ないでっ・・・・・・っ!?」
パァン。廊下に乾いた音が響いた。
「ふぁっ!? みきっ!?」
「おいおい、美紀」
譲治が思わず美紀の手を押さえる。
「どうして認めようとしないんですかっ。助けて欲しい時は手を伸ばせば良いだけのことじゃないですかっ。強がってるだけで逃げてるのは、大樹さんを侮辱していることと同じですっ」
「・・・・・・私は、求めてないわ。勝手なこと言わないでっ」
片頬を押さえながら、麗香が美紀に対峙するが、その力はどこか弱いものだ。
「じゃあ、どうしてそんな悲しい顔をしてるんですかっ」
教室にも聞こえそうだが、教室からも大樹の怒声が響き、中には聞こえなかったようだ。
「今朝もそうでした。それだけじゃありません。大樹さんと昼食を摂っている時も、あなたはずっと悲しい顔をしてました。助けて欲しいと求めている顔をしていましたっ」
美紀の言葉に、麗香の目が大きく開き、瞳に潤いが増す。
「麗香。悪いが俺の妹は人を見る目に関しちゃお墨付きだからな。手が出たことは俺が謝る」
譲治が微笑むように穏やかに見る。そして美紀に軽く小突いて宥めた。
「・・・・・・・・・わいのよ」
麗香が俯き、呟くが誰も聞き取れない。
「何だ? よく聞こえないぞ」
「・・・・・・私は、もう裏切られるのが恐いのよっ」
麗香が涙を溜めた瞳で見返す。その強い眼差しに、美紀の険しい表情が解け驚きに変わる。
「いつだって、私の周りはそうだったのよっ。信じていても、些細なことで裏切られるのよっ。どんなに頑張っても本当の信頼は得られないのよ。出来て当たり前、出来なければダメな子扱いされるのっ。私に寄ってくる人間はウチの財力と権力が目当てなのよっ。ちょっと突き放せばそれだけで、裏切られて虐げられるのっ。分かる? 分からないでしょっ? 辛いのよっ。苦しいのよっ。誰を信じたら良いのか分からなくなるのよっ、だから勉強だって運動だって人一倍やらないと恐かったのよっ」
麗香の言葉に、美紀が言葉を失う。
「本当は私だって普通の人間なのよっ。周りがそうさせてくれないからそうするしかないのよっ。一人が良いわけないでしょっ。私だってあなたたちみたいに仲の良い友達が欲しいわよっ。でも今まで出来なかったんだから、そうするしか私には思いつかないのよっ」
つぅ、と麗香の頬を涙が走り落ちる。自分でも気付いていなかったのか、その涙に麗香が顔を背け、誰にも見えないように慌てて拭った。
「・・・・・・・・・」
美紀はどう返すべきなのか、戸惑っているようで譲治を見ている。
「お前は結構子供だな。他人に子供だと言いながら、自分に言ってたんじゃないのか?」
譲治が一人おかしそうに笑う。
「・・・・・・何よ? 何がおかしいのよ」
恨めしいように、少しだけ潤いの増した瞳で睨むように譲治を見る。
「人を信用出来ないから居場所がないんだろ? でも、それは間違いだな。俺たちは生まれはどうであれまだまだ子供だ。なのに、そんな達観したような考えだから、いつまでも一人なんだよ、お前は。強がりでいつまでも持つほど、大人になんかなれないんだ、子供は」
ばーか、と譲治が笑う。それが癪に障るようで麗香が涙目で睨む。
「溶け込めない自分だとお前は勝手に思ってるみたいだが、それも違う。お前は居場所を見つけるのが下手なだけだ。無駄な努力してちやほやされるための付き合いなんか意味はない。完璧な人間を好きになる奴はいないってことだ。だから馬鹿は愛されるんだぞ?」
「おぉー、ジョージ格好良いですですぅ〜」
「惚れるなよ」
譲治の言葉に、有美香が声を漏らす。それを誇らしげに受け止める譲治。
「だったらどうだって言うのよ」
「だから、こっちから手を差し出してんだろ。それを後は掴めば良いだけじゃないか。いつまでもツンばっかしてないで、デレを見せろよ。こんなに大樹が必死こいてるってのによ」
そう言うと、譲治が教室に視線を向ける。
「おいっ、連れてきたぞっ」
その時、廊下を走ってくる武士の声が聞こえた。
「ったく、こっちは仕事溜まってんだぞ。早々に面倒なこと起こしやがってお前らは」
武士の隣を気だるそうにしながらも、その目は真剣な光を宿す大和がいた。
「ちょうど良かったか。後は琢磨だな」
譲治は一人、この状況を楽しんでいるように教室内のやりとりに耳を傾けていた。
「つーか、あんたあいつのなんなわけ? そんなに庇ってさぁ」
「だから言ってんじゃん。金づる目当てだって」
「違うっ! 湊川さんは、僕らの仲間だっ!」
譲治がそう言ったんだ。だから湊川さんは僕らの仲間だ。仲間を庇って何が悪い。他人を平然と貶めるような奴らに貶される覚えなんてない。
「仲間ねぇ。幸せな奴だな。仲間なんてのは、すぐ消えるもんだぜ、おい?」
簡単に男が一蹴する。もう何て言われようが関係ない。僕の目の前にいる連中には、いくら話したところで意味なんかないんだから。
「さぁて、と。んじゃやるか」
二人が近付いてくる。僕よりも大きな体で、一歩近寄ってくるたびに、逃げ出したくなるくらい恐くなる。思うように体が動かなくて言葉も出てこなくなる。
「遠慮なんかするんじゃないわよ」
「徹底的にやっちゃえ」
煽る声が苛立ちを呼び起こすけど、恐怖に全身がわななく。不敵に笑う男の顔に体が言うことを聞かなくなり、目をぎゅっと瞑るしかなかった。
『ほら、ここじゃない?』
『あーほんとだ。でも、バレないかな?』
『問題ないって。誰も見てるわけじゃないしさぁ』
その時、ブツッ、と音が聞こえると、声が聞こえた。
「な、なによ、あれ」
動揺する声が聞こえる。殴られると思ったのに、いつまで経っても痛みが体を襲ってこない。
『つーか、何しよっか。今度は』
『これとか良くない?』
『えーそれ、学園の備品じゃん。ばれたらマズくない? 弁償とかしないといけないんでしょ?』
『いいんだって。あれだけやっても懲りてないんだよ、片桐の奴。もっと酷くしないと意味ないっつーの』
『じゃあ、この折れそうな箒とかぶっ刺しとこうよ』
『いいねぇ。ついでにあんたの噛んでるそのガム、くっつけちゃいなよ』
「ちょっ・・・・・・」
「なんでっ!?」
「おいおい、何だよ、これ・・・・・・」
「・・・・・・?」
男の声も泳いでいる。気になって目を開けると、全員が黒板の横に吊るされているテレビに釘付けになっていた。
「何、これ・・・・・・?」
何の映像だろう。小さな枠の中に、目の前にいるキキキトリオが何かを詰め込んでいる映像がカラーで映っている。
ガラッと、僕の後の扉が開く。
「譲治っ?」
僕の声に、全員の視線がドアの向こうに立つ譲治たちに向く。
「よっ、大丈夫だったか?」
「う、うん、何とか」
「・・・・・・片桐、君」
「湊川さん、いたんだ」
譲治の隣から湊川さんが顔を覗かせる。湊川さんを見た瞬間、安堵と恥ずかしさが湧く。もしかしたら、僕が言ったこと、聞こえてたのかな。湊川さん、ちょっと顔が赤いし。
「ほぉ、これはこれは」
にゅっと大和さんが入ってくる。大和さんもいたんだ。びっくりした。
「おうおうおう、大樹に手ぇ出そうとしてんのは誰だこらぁ? あぁ?」
あぁん? と武士が僕の前に立っていた男二人に己の筋肉を見せ付けるように、僕の前に立つ。
「止めろ、吾妻。お前は下がってろ」
大和さんが制する。武士が肩に置かれた大和さんの腕に逆らえなかったのか、その場から動かなかった。
「さて、これはどういうことだ? お前ら」
大和さんが男二人とキキキトリオを見る。
「ちょっ、何でっ・・・・・・」
「し、知らないわよっ」
譲治たちの登場に動揺している。多分譲治たちだけじゃない。大和さんがいるからだ。男二人は完全に萎縮している。それでもテレビからは延々と映像が流れ続ける。
「何なのよ、これっ」
キキキトリオの一人が僕らに声を荒げる。
「何なのよって、どう言う事なのかはあんたが一番分かってるんじゃないの?」
湊川さんが前に出る。
「・・・・・・あんたの仕業ね?」
湊川さんを睨んでくるが、湊川さんはいつもの済ました顔をしている。
「あんなものまで仕込んで・・・・・・っ」
「知らないわ。私じゃないわよ。今初めて見てるんだから」
テレビからは延々とトリオが僕や湊川さんの悪口を言いながら何かを詰めている映像が流れる。
「生憎だけど、これは僕だよ」
いつの間にか、琢磨がもう一つのドアの所に立っていた。
「これが学園に知られればどうなるかな? 今はこの教室だけに流してるけど、ここの放送室って便利でね、好きな場所に好きなものを流せるんだよ。許可さえ取ればだけど」
琢磨が不敵に眼鏡を上げる。もう片手には、黒く小さな物がある。
「・・・・・・盗撮してたわけね?」
琢磨を睨むように見てくるが、琢磨も済ました顔をしている。
「失礼だね。この映像は大樹の靴箱からの映像だよ。自衛手段の正当策としては、なんら問題ないと思うけど? 君たちのプライベートを犯したわけじゃないけどね。ちゃんと許可は取ってるよ」
「寮にも防犯カメラはある。それがプライバシーの侵害に当たるという申し立ては特にないな」
琢磨の言葉に大和さんが頷く。
「そんなことまでしてたんですか。兄さんたち」
「これもユースウォーカーズの力だ」
美紀の疑いの目をあっさりと受け入れる。僕の知らないところで、こんなことをしていたなんて思いもしなかった。驚き以外の感情が湧いてこない。
「スパイみたいでべりーくーるです」
呆れ気味の美紀と、目が輝いてる有美香もいる。みんな来てたんだ。嬉しいけど、やっぱりさっきの自分を思い出すと恥ずかしくなる。
「どうしようってのよ? それで脅すつもりなわけ?」
「ちょっ、やめなって」
「そうだよ。まずいよ」
一人は突っかかってくるけど、二人は蒼白になってすっかり腰が引けている。
「俺っ、何もしてないからなっ」
「お、俺だって」
男二人はそう言って逃げようとする。
「どこ行くんだ、てめぇら。寮生のくせに、俺から逃げられるとでも思ってるのか?」
その二人を大和さんがひょいっと首根っこを掴んで、目の前に転ばせる。大和さんって一体どのくらい強いのか、ちょっとだけ背筋に何かを感じた。
「お前らも女子寮の連中だな?」
大和さんの鋭く険しい目が三人を捕らえる。ひっ! と小さな悲鳴が二つ上がる。
「違います。自宅通いですから」
だが、一人だけ強がるように大和さんに言う。腰の引けている二人は、えっ? と不思議そうな表情を浮かべる。
「いい度胸してんな、あいつ」
譲治が苦笑する。他の二人の顔を見ると、それが嘘なんだろうなって思う。大和さんなら、多分尚のことだ。
「なら、三〇五の部屋はもう必要ないな。柏木以外の荷物は処分させるか」
大和さんが携帯を取り出し、どこかに電話をかけ始めた。僕の耳にもトゥルル・・・・・・と呼び出し音が聞こえた。
「ちょっ、やばいよ、あんた。あの人男子寮の寮監だって。女子寮のことも全部知ってるんだよ」
柏木さんなんだろうか。慌てている。
「お? 紗枝ちゃんか? 俺だけど・・・・・・」
本当に電話越しに女の人の声がする。紗枝ちゃんって言った時点で、恐らく相手は女子寮寮長だ。
「待ってっ! 冗談よっ!」
柏木さんに言われ、慌てて止めに入る。
「・・・・・・あ〜今度デートしようぜ」
それを聞いて大和さんが話題を変えた。はぁ? と携帯から聞こえた。
「ったく。俺を騙そうってのはそういうことで受けるぞ、こら」
大和さんが叱咤しながら携帯を切る。
「さて、本題に戻るぞ。これはどういうことだ? これは学園側にも報告する必要があるんだが?」
大和さんの表情が真剣になる。男二人と女二人は大和さんを前に萎縮し、蒼白になって口がぱくぱくと、言葉が出せないみたいだ。
「何よ。こんなことしてただで済むと思ってるわけ?」
だが、一人だけ大和さんに対峙している。
「虚勢だけは一人前か。その開き直りも大したものだな」
大和さんが嘲笑している。それを見て後ろでは今にも二人が泣きそうになっていた。
「だから何よ? 悪いっての?」
「あんた、本当に最低な女ね」
湊川さんが吐き捨てるように言う。
「誰のせいだと思ってんのよっ! 大人しく言う通りにしてれば良かっただけでしょっ!」
大和さんは黙っている。僕らは口を挟める雰囲気でもなかった。
「ごめんね、片桐君」
「え?」
湊川さんが振り返った。
「本当はね。ずっとそこで全部聞いてたの。それと、私のせいで嫌な思いをさせたわね」
「え? いや、それはもう良いよ。僕のほうが湊川さんの気持ちを知っていながら、勝手なことばかりしたんだし」
ふっと、湊川さんが表情を緩め、笑みを浮かべた。ちょっとずるくないかな、その表情は。
「ありがとう。片桐君。本当に嬉しかったわ」
でも僕の見たかった笑顔だ。ずっと悲しそうな顔だったから、その笑顔が眩しかった。そして、嬉しかった。
「鏑木、あんたがここまで下衆な思考の持ち主だったなんてね。あんたたちに関わらないで正解だったわ。いえ、少しでも関わった自分が恥ずかしいわね」
湊川さんの言葉に、鏑木さんが一人で僕らに睨みを利かせてくる。それでもその目には怯えに近いものがあった。
「自分が傷つくことが恐くて、逃げてたあんたに言われたくないわよっ!」
「そうね。それは認めるわ。私にはそれしか出来なかったんだから。でも、何の努力もせず、真っ向から立ち向かうことすら出来ずに、下衆なことしか出来ないあんたに言われる筋合いはないわ」
冷静沈着に振舞う湊川さん。前はそんなことを言われたら、すぐに対抗するように言い返していたのに、今は静かに自嘲しているみたいだ。
「ふんっ、だから何よ? 一人じゃ何も出来ないからって、そんな連中引き連れて脅そうって言うわけ? はっ、馬鹿じゃないの。こんなんであたしが止めるとでも思っているわけ?」
それでも鏑木さんは強い口調を保つ。
「あんたたちなんか、あたし一人でもいくらでも貶めてやれるんだから。精々足掻けば? あんたたちの関係を壊すくらいあたしには造作もないんだから」
「・・・・・・・・・」
その言葉に湊川さんが静かになる。
ゴガァッシャアアアアアアァァァァァァンッ!!
その瞬間、教室内に轟音が轟いた。突然のことに体がビクッとなった。
「や、大和さん・・・・・・?」
大和さんの前にあった誰かの机が周囲の机を巻き込んで吹き飛んだ。その近くにいた男二人が声を上げて頭を抱えて小さくなり、柏木さんたちも悲鳴を上げた。
「うおっ! すげぇ」
「ふぁぁぁっ!?」
武士も唖然としている。有美香は美紀にしがみついていた。
「あちゃぁ、さすがは武蔵さんだなぁ」
遠くで琢磨が苦笑していた。
「いい加減にしろよ。お前」
「ひっ・・・・・・」
鏑木さんも目の前の光景に飲まれていた。静かな怒声が僕らをも黙らせる。
「気に食わねぇだけで、周囲を巻き込んで、クラスメイトを傷つけて、さらにやろうってか? 羨望を集める奴に羨望を抱いてるくせに、努力もせずに何かを成し遂げられるとでも思ってんのか?」
教室の空気が凍りつく。身動きが全く取れないくらい、僕は空気に支配されている。
「人の目を集める人間はなぁ、お前みたいに陰で愚痴吐いてだらけて呆けてる暇なんかねぇんだよ。その間も必死でやることやり続けてんだよ。んなことも分からねぇのか? ああぁ?」
武士以上にドスの聞いた声に、鏑木さんの口元が恐怖にわなないている。
「寮生の健全なる生活を管轄するのが、俺の仕事だ。てめぇみてぇな奴が、まさかこの学園にいるとは思わなんざ。こりゃ、俺の責任でもあるな」
大和さんの目がいつものお叱りの時とはわけが違う色をしている。足が震えている。恐いんだ。鏑木さんたちと対峙した時よりも何倍も。
「湊川、こいつらは俺が処分する。良いな?」
いつも以上に有無を言わさない低い声。
「え、あ、は、はい」
状況を把握し切れていないようで、湊川さんも呆然と頷いていた。
「お前ら、悪いがここ片付けとけ。おい、いつまで座ってる。さっさと立て」
大和さんが僕らに散らかした机や椅子を片付けるように言うと、五人を見る。
「な、あ、う・・・・・・」
大和さんの豹変振りに腰を抜かしているみたいで、誰も立ち上がらない。
「さっさと立たんかクズどもがあぁっ!」
大和さんの怒声が響く。僕らに言っているわけじゃないのに、初めて見る大和さんにすっかり僕らも萎縮していた。美紀の怒声とは度合いが全く違う。
大和さんは五人を立ち上がらせると、どこかへと連れて行って、僕らだけが残された。
「はぁ・・・・・・」
シンと静まり返った夕陽の差し込む教室。湊川さんがその場にへたり込んだ。
「湊川さん、大丈夫?」
「平気よ。ちょっと驚いただけだから」
あはは、と乾いた笑みを浮かべる。笑みを浮かべるようになってくれたみたいで、僕も安堵した。
「ふぇぇぇっ、恐かったですですよぉ〜・・・・・・」
「わっ、ゆみちゃん。しっかりっ」
ズルズルと美紀にしがみついたまま座り込む有美香を美紀が抱きとめる。
「さすがの俺もチビりそうだったぜ・・・・・・」
武士も大和さんの形相にまだ驚いてる。
「しかしまぁ、あれが元総長の地なんだね。少しばかり見くびってたよ」
琢磨が眼鏡を上げながら近寄ってくる。皆、映画を見終わった後のように呆然としていた。
「大樹」
譲治が肩を組んでくる。
「さすがだぞ。よくやったな」
その仲でも譲治はいつもと何も変わらない様子だった。でもそれだけで安堵出来た。
「そうなの、かな・・・・・・?」
「ああ。そうさ。なっ、麗香」
譲治が麗香に声をかける。
「うっ・・・・・・」
急に話を振られ、湊川さんの顔が赤くなる。
「とりあえずさ、そういうことよりも先に、これをどうにかしない?」
琢磨がまだ先ほどの驚愕の事態の余韻が残っている中で、散乱したものの片づけを呼びかける。
「ったくよぉ。てめぇでやったことくらいてめぇで片付けろってんだよ」
武士がつまらなそうに不満を言うけど、片付けないわけにもいかず、僕らはとりあえず、ばれないように元の状態に片付けと掃除をした。
「よし、それじゃ帰るか」
譲治の一声でみんなが息を吐く。何だかんだで随分時間が掛かった気がする。こんなに疲れた日はそうないよ。その分、こんなに心地良いため息を吐き出せることだってないけど。
「それにしても、大和さん無茶をしすぎです」
美紀が不満を口にする。
「恐かったのですですよぉ」
思い出したように有美香が体をぶるっと震わせる。その気持ちはよく分かる。
「怪しまれたもんね」
大和さんが蹴り飛ばした机は、脚が完全に変なほうに曲がりグラグラとしていた。空き教室の机と交換するために許可を貰いに行った時に先生たちに怪しまれた。僕らは何もやってないんだけど。
「あー、腹減ったぜ」
武士のお腹が鳴る。日も落ちかけて、夕陽だけじゃ教室は暗くなった時間帯だ。寮は今頃夕飯の時間になったくらいだ。
「ねぇ」
帰り支度を始めた僕らを湊川さんが呼び止める。
「さっきのあの映像、どうしたわけ?」
そう言えば、いつの間にかテレビの電源が切れてる。いつ切れたんだっけ? 覚えてない。
「これのことかい?」
琢磨が指先ほどの大きさの黒い四角いものを僕らに見せる。
「何よ、それ?」
湊川さんが首を捻る。
「小型カメラだよ。CP-33HFって言うんだ」
眼鏡を上げる琢磨。やっぱりそうだったんだ。
「何でそんなものがあるのよ?」
怪訝そうに琢磨を見る湊川さん。まぁ普通の学生はそんなもの持ってないしね。
「琢磨さんの家は鍵屋さんなんです」
美紀が補足する。
「鍵屋? それがどうしたのよ?」
「まぁウチは鍵屋だけど、防犯グッズの専門店でもあるのさ」
琢磨の家は鍵屋で、色々な鍵を取り揃えているけど、それに引けを取らないくらいに防犯グッズも取り扱っている。身を守るためのブザーや防犯スプレーの他にも監視カメラなんかを売っているのを何度か遊びに行った時に見たことがある。
「けっ、相変わらず姑息な手使いやがんな、てめぇはよ」
「失礼だね。悪用はしてないよ。後でデータはちゃんと消去するしね」
確かに結果的に証拠になったから良かったのかな。
「靴箱の奥は暗いからね。こう小さいと気づかれないんだよ。これの映像を電波で飛ばして、放送室の機材を使って流したわけさ。タイマーセットしておいたから、映像が切れると自動的に消えたわけ。この学園は色々とお金掛かっているおかげで何かと楽しいよ」
「ふぁっ、なんか凄いですですぅ」
有美香が感心してる。琢磨も何故か誇らしげだ。
「あんたたち、何なのよ?」
湊川さんが僕らまで怪訝そうに見る。
「さっきのあの人もそうだし、意味分かんないだけど?」
若干退かれてる? もしかして。
「あの人は、大和武蔵さんと言う方で、男子寮の寮長さんなんです」
美紀の説明にえ? と湊川さんが声を漏らす。
「何度も言ってるだろ?」
ふふん、と譲治鼻を鳴らして、僕らを見て湊川さんを見る。
「俺たちは、青春を往くもの、ユースウォーカーズだっ!」
譲治が勝ち誇ったように笑みを浮かべてる。どうして勝ち誇ってるんだろう?
「はぁ、訳分かんないわよ・・・・・・」
格好良く譲治が僕らの前に立って湊川さんに言うけど、湊川さんはあまり意味を理解してはいないみたいだった。。
「それじゃ、私はこっちだから」
校門を出ると、寮の方の昇降口に美紀と有美香が待っていて、湊川さんもここで別れる。
「麗香、お前寮に入れよ」
譲治が唐突に変なことを言う。あぁ? と武士も首を捻る。
「何でよ?」
「ユースウォーカーズの活動拠点は寮だ。自宅通いなんて不便だろ?」
「え? 湊川さん、参加するのかい?」
琢磨が意外そうに言う。そういえば、何だかんだで流れたけど、僕ら湊川さんを引き入れるために、さっきもあんなことしたんだっけ?
「しないわよっ。何勝手に加えてるのよっ」
あっさり否定する湊川さん。僕もあれだけやったのに、そうきっぱり言われると、少し切ないな。
「大樹があれだけ頑張ったのにか?」
ん〜? と譲治が少しいやらしさのある眼を向ける。外は暗いからあんまり見えてないけど。
「うっ・・・・・・」
湊川さんが口をつぐんで、僕を見る。
「ふ、ふんっ、あんたたちが勝手にやったことでしょっ」
しばらくジッと見られたけど、湊川さんは身を翻すと、待っていた車の方へと歩いていった。
「決まったな」
それを見て譲治が笑う。
「あん? 何がだ?」
武士は理解してないみたいだ。僕も何が決まったのか良く分かってないけど。
「大樹、明日も頑張れよ」
「え? 何をって・・・・・・もしかして、まだ続ける気?」
譲治が肩を叩いてくる。今断られたばかりなのに。
「あいつはもう落ちかけてる。後はお前がその手を引いてやれ」
帰るぞ、と譲治が待っている美紀たちの方に歩いていく。それに武士も大きく背伸びをしながら続いていく。
「どういうこと?」
琢磨を見る。
「そういうことじゃないかな?」
僕に笑いかけると、琢磨もそのまま続いていく。うーん、いまいち良く分からない。
「よしっ! 今日は麗香参加前夜祭だっ! 騒ぎまくるぞっ!」
「うおおぉっ! なんだか良く分からねぇが、やってやらあぁっ!」
なんだか良く分からないけど、譲治が騒いで、武士もつられてる。
「何言ってるんだよ。試験までもう四日だよ。勉強に決まってるだろ」
ずがああああぁぁぁっ。
琢磨の冷静な指摘に、譲治と武士が勢い良くこけた。美紀も有美香の手を引いて先に寮に歩き出した。関わりたくないんだな。
「あっ・・・・・・」
みんなが僕の前を歩いてる。早足だったりゆっくりだったり。みんなバラバラに歩いてる。それを見ると、置いていかれたような疎外感を微かに感じた。みんな自分の足で歩いてるのに、僕はそれについていくしか出来ないみたいだ。いつだって僕は手を引かれてる。みんなが行く先を僕も追いかける。追いかけるだけ。
「大樹? どうかしたのかい?」
「あん? 何だ? 突っ立ってねぇで行こうぜ。俺ぁ腹減ってんだよ」
「どうかしたのですですかぁ?」
「大樹さん? どこか体調が悪いんですか?」
みんなが振り返る。立ち止って。誰もそれ以上先に歩いていかない。
「どうした? 悲しい顔してるぞ?」
譲治が戻ってくる。一番先頭を歩いていた譲治が一番後ろの僕のところに。
「そんな顔、してた?」
「ああ。置き去りにされた子供みたいだったぞ?」
うっ、そう言われると、否定出来ないかもしれない。結局僕はみんなと歩幅を合わせて歩けないんだ。それが少し寂しい。
「あはは・・・・・・何でもお見通しだね、譲治は」
やっぱり譲治は凄いや。僕には出来ないことばかりをやってみせるし、何でも知ってるみたいだ。
「違うぞ、それは」
「え?」
「俺は俺でしかない。それはあいつらも同じだ。そして、大樹。お前もな」
「どういうこと?」
「他人と同じようにする必要はない。お前はお前のするべきことをすればいい。それだけだ」
どこまで譲治は僕の考える先を見ているのだろう。今の僕には譲治の言っていることは理解出来ないけど、きっと何か意味があるから言っているはず。
「僕のするべきこと・・・・・・?」
「俺には出来て大樹には出来ないことがある。でもな、その反対だっていくらでもあるんだ。お前はもっと強くなれる。恐れるな。俺たちは一緒だ。頑張るんじゃなくて、頑張れることをすれば、それだけで良い」
なっ? と譲治が笑う。
「何だぁ? 何か楽しいことあんのか?」
武士が戻ってくる。
「ふぁ? 楽しいことですですか?」
「またしょうもないことでも考えたんですか?」
首を傾げる有美香と呆れた顔の美紀も戻ってくる。
「早く戻らないと、武蔵さんの制裁が待ってるよ」
琢磨も戻ってくる。
「ほらなっ。俺たちは一緒だ」
楽しそうに譲治がバンバンと背中を叩く。
「あっ、うん」
みんなバラバラだ。足取りも同じなんてない。でも、譲治の言葉は正しいんだ。
「じゃあ、帰るか」
「うんっ」
また譲治が先頭を歩き始める。それにつられて僕らも歩く。でも、同じ歩幅じゃない。みんな自分の足取りで自分の道を歩いてる。
「一緒なんだ・・・・・・」
「だから、麗香もお前がそうさせるんだぞ」
譲治がまた期待を抱かせるように僕を見てくる。
「うん、そうだね」
そうか。そうなんだ。僕はついて歩いてるわけじゃないんだ。
「何笑ってんだ? 大樹」
武士が怪訝そうに僕を見る。
「何でもないよ。早く帰って夕飯行こう」
「おうっ! バリバリ食うぜっ」
僕も、それぞれの中の一人なんだ。みんなに追いつけないんじゃない。追いつかなくても良いんだ。だって、誰も先にいこうとしてないから。だから、譲治は僕に任せてくれたんだ。一人じゃ寂しいから。それを知ってる僕に、湊川さんにも皆でいることの楽しさを分かち合ってもらうために。
「明日からも頑張ろうっ!」
「おっ? 何かノリノリだな、大樹」
「ふぁいとーいっぱぁーつなのですですよっ!」
「二人とも元気だねぇ」
「兄さん、何かしましたか?」
「ん? 何もしてないぞ。やってるのは大樹だ」
行くぞっ! と譲治が先頭を切って走り出すと、僕らもそれに続いて寮へと駆け出した。
「邪魔するぞ」
夕食後、さっきまでのテンションはどこに行ったのか、譲治と武士があー、と唸っている勉強会を開いていると、大和さんが食堂に顔を出してきた。
「あれ、片付けたか?」
「はい。机と椅子の一セットは交換しましたけど」
自分で破損させたのに、大和さんは笑った。
「そりゃ悪いことしたな」
「武蔵さん、自覚はあったんだ・・・・・・」
「それで、どうかしましたか?」
「ん? ああ、お前らに話があってな」
どかっと、空いた席に腰を下ろす。
「お前ら、同好会やるんだってな。さっき職員室でついでに聞いてきた」
「おう。筋肉ハッスルだぜ」
「いや、違うでしょ」
でも、大和さんがその話を持ち出すとは思わなかった。
「んで、大槻のじいさんが顧問だってな?」
「良く知ってますね、武蔵さん」
琢磨が譲治と武士にテストをして、その答案に赤ペンで答え合わせをしながら声だけを大和さんに向ける。でも、心なしかその手は丸を描く割合が少なく見える。
「んで、俺が顧問代理になったから。その報告に来ただけだ。ちゃんと勉強しろよ」
じゃあな、と大和さんが席を立つ。僕らのペンが一斉に止まる。
「はぁっ!?」
譲治が一番に噴出す。
「ちょっと待て。どういうことだ? てめぇ?」
武士も声を上げる。ただでさえ大和さんの目が厳しく向けられる二人だから、驚くんだろうなぁ。
「大槻のじいさんは年だからな。名義貸しか出来んだろ。だから俺がお前らのお目付け役に換わってやった。あっさりと了承くれたぜ。だから伝えに来た。それだけだ」
「いや、それだけだって言われてもですね・・・・・・」
琢磨も微妙な表情をしている。
「私は賛成ですよ。大和さんがいてくださるほうが安心ですから」
美紀としては譲治を抑えるには、大和さんのほうが手を焼かなくて良いからなのだろう。
「俺も仕事があるからな。そんなに厳しくはしねぇ。それに来年は何もなければお前ら卒業だろ。良い思い出作りになるなら、多少のことは見逃してやる」
その一言に、譲治と武士が感銘を受けたように声を漏らしている。
「良いんですか、大和さん?」
「構わん。俺も前らの時は馬鹿ばっかやってたからな。それを超えるくらいに馬鹿をやって俺を楽しませろ。寮の仕事ばっかじゃ退屈すんだよ」
それが本音で僕らに関わったんだ。でも、やっぱり大和さんらしいかも。融通が利きそうだし。
「俺が見てやるんだから、しょっぱなからしくじんなよ。赤点取った奴は殺す」
ピシと空気が止まる。冗談だって分かってるのに、大和さんの目が本気にも見える。
「特に一ノ宮、吾妻。お前らは覚悟もしとけよ?」
ゴクッと譲治と武士が息を呑んでいた。
「さぁ、勉強を続けようか」
琢磨が二人に返した答案用紙は、見事にハネ印が占めていた。
「でも、これで後は試験だけだね」
大槻先生は大和さんの言う通り、年配だから色々と大変なことも在るかもしれないけど、大和さんが代理を勤めてくれるなら多少の融通にも臨機応変してくれそうだ。そう考えると、正式に発足したわけじゃないけど、ユースウォーカーズというものが形になっていくのが、嬉しくなってきた。
「ああ、そうだ」
食堂を後にしようとした大和さんが、入り口から顔だけを出す。
「あいつらのことは片付いたからな。安心して寝ろよ、大樹」
「え? あ・・・・・・」
そのまま大和さんは部屋に戻っていった。僕はその一言に今までの記憶が脳裏を過ぎった。
「良かったな。これもお前の頑張りの賜物だぞ」
そんな僕を見越してか、譲治が嬉しそうに笑っていた。それにつられて皆が同じように安堵する。僕のことなのに、皆が笑ってくれると、物凄くホッとした。