一夏の美しき音色
お見苦しい作品ですが読んでいただけたら幸いです。
手厳しいご意見お待ちしてます。
静寂のステージに響くのは不揃いな足音と、緊張を煽る拍手による序曲だった。耳障りな不協和音の中を奏者は割り振られた席についていく。私もステージ最後列の左隅っこに腰を掛け、持っていた重い真鍮の塊をおろした。木ばちは軽快な音を鳴らし、真鍮の中に通される音はまだかまだかせかすように発せられる。気付けば奏者を煽っていた拍手は止み、静寂というプレッシャーが奏者を包み込んでいた。長くない静寂は奏者の緊張をピークにさせ、それに追い打ちをかけるように機械的なアナウンスがホールに響き渡る。
『これから木崎市立第四中学校吹奏楽部による演奏を始めます。曲はジェイムズ・スウェアリンジェン作曲、Covington squareです。』
アナウンスの終わりを合図に指揮者が登場し、再び不協和音がホールを支配した。指揮者が指揮台に着く頃には拍手はだんだんと小さくなり、やがて消えた。それを確認した指揮者は奏者に向けて合図を送ると、奏者は立ち上がり指揮者は客席にむかって挨拶をした。再び指揮者の合図で奏者は座ったが頭の中を支配しているのは毎日遅くまで練習してきたコヴィントン広場だ。出だし、スタッカート、アクセント、クレッシェンド、フォルテ…全ては反射的に出来るように体に、楽器に、頭に覚えこませた。指揮者は指揮棒を胸の前に上げ、それを合図に私はチューバを構えた。とても重く、冷たいそれは私の緊張を和らげるには十分すぎる要因だった。そして指揮棒は静かに振られた。
曲は中盤にさしかかりトランペットのソロが響き渡る。夜を表しているかのような優しい、静かな音色は客席も奏者でさえも引き込み幻想に浸る。やがて夜は明け、再び朝のリピートにはいる。跳ねるようなスタッカート、躍るようなスラー、見たこともない公園で鳥は羽ばたき、子どもたちは踊るように走り回る、そんな光景が広がる。曲は終盤に差し掛かり、音の強弱が一番目立つ見せ所だ。いよいよクライマックスを迎え最後のffffがホールに響き渡った。
余韻に浸り指揮棒が下げると同時に私はチューバをおろした。合図で奏者が一斉に立ち上がると、歓喜の拍手がホールを包み込む。達成感のせいか体は火照り、唇は震えたままだった。指揮者は客席に挨拶をすると舞台袖へ流れ、それに続くように奏者も退場していった。名残惜しいホールライトの熱を背に、最終楽章に終止線を引いた。
読んでいただき有り難うございます。
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