挿話の9 フィーの想う事
「アステルを守れ!」
タツはそう叫ぶと、足場を伝って屋根の上へと登ってしまった。
「止せタヂカ! 戻れ!!」
アステルさんの制止も聞かず、そのまま屋根を駆けて姿が見えなくなる。
クリスは判断に迷い、動けずにいた。きっと本音ではタツを追いたいはず。
だけど陽動を警戒し、アステルさんを残すのが心配なのだろう。
直情的で怒りっぽいけど、やっぱりクリスは優しい。そんな彼女が誇らしくもある。
でも、わたしにはそんな優しさはない。
心の中でアステルさんを、あっさり切り捨てた。
タツを追って駆け出そうとして――――足が動かない!?
『アステルを守れ』 タツの言い残した言葉に、隷属スキルが反応している。
わたしは束縛された足を、必死に引き抜こうとする。
タツは一人で、襲撃者と戦うつもりなんだ。
どうして! なんでわたし達を連れて行ってくれないの!
呆然と立ち尽くすアステルさんを睨む。
彼女のせいだ! 彼女がいる限り、タツを追うことができない。
彼女がいなくなれば――――
ほんの一瞬、どす黒い感情に理性を奪われ、魔術スキルに接続した。
「ッ! うああああああ!?」
頭の中身を、爪で掻きむしられるようだった。痛みに目の奥で火花が散る。
主人の命令に逆らおうとしたわたしに、隷属スキルが懲罰を与える。
「フィー、どうしたの!?」
クリスが驚き、肩を揺する。
「だ、だいじょうぶ、なんでもない」
うずくまりそうになるのを堪え、なんとか笑顔を作る。
痛みと共に、自分が終身奴隷なんだと自覚した。
一度命令されてしまえば、大切に想っている人を追うことさえできない。
タツの残酷な仕打ちに、泣きそうになった。
だけど、すぐに誤解だと気付く。彼がわたし達の苦痛を望むはずがない。
タツは無自覚に、強制力を言葉に込めてしまったのだ。
だけど咄嗟だからこそ、そこには本音がある。
そんなにアステルさんが大事なの、タツ?
胸がざわついたけど、それを抑える。
冷静に考えるんだ。アステルさんは、タツにとって利用価値がある人だ。
ギルド本部に繋がりが出来るのは、彼の大きな利点になる。
それに彼女とクリスは、最近仲も良くなっている。
クリスを受け入れるなら、タツと深い関係になっても問題はない。
そう、タツの援けになる人は、多ければ多いほど良い。
それがタツ自身を守り、ひいてはクリスの幸せにもなる。
二人のためになるなら、どんなことでもやるし、耐えられる。
それがわたしの贖罪なんだから。
「タヂカの後を追うぞ!」
アステルさんが叫んだ。
そうだ! 彼女を守りながら追跡すれば、タツの命令に反しない!
「だめです、アステルお嬢さん」
なのに、ベリトさんが反対する。
「危険すぎます。ひとまず安全な場所に移動しましょう」
「そんなことを言っている場合か! タヂカにもしものことがあったら――――」
「絶対に許可できません」
ベリトさんが告げると、アステルさんは悔しそうに唇を噛みしめた。
――――そう、ベリトさん。あなたは邪魔をするの?
そっと魔術スキルに接続する。うん、大丈夫だ。
ベリトさんを火だるまにしてはいけないと、タツは一度も言ったことはない。
もちろん殺したりはしないけど、手加減が難しい。動けないように足を、
背を向けていたベリトさんが、ふいにこちらを振り返った。
ドクンと、鼓動が高鳴る。
ベリトさんの冷酷な視線が、こちらの一挙手一投足をうかがっている。
この人は、強い。朝の修行を観察していたから、それがよく分かる。
ドッドッと、心臓が早鐘を打つ。
わたしが炎を放つその寸前に、ベリトさんに踏み込まれてしまうだろう。
簡単にわたしを組み敷き、抵抗できなくするに違いない。
わたしは日用生活殺法で修行したが、けっきょく護身術以上のものは身につかなかった。
武器を振り回す筋力に欠けているし、手足の動きが心象に追いつかないのだ。
『身体能力は貧弱だが、お主のその観察眼は天性のものじゃ』
グラス師匠の言葉を思い出す。
『もし仮に、想念で技を競えるのなら、そなたは武術の達人にもなれるだろうに』
だからタツ達の朝の修行を、ずっと見続けた。
重い武器を使わず、素手で戦うベリトさんの体技が、わたしには理想的だった。
興味のないふりをして、少しでもその技を盗もうとした。
ドッドッドッドッ、鼓動がどんどん早くなり、心臓が破けそうだ。
緊張で視界が狭まり、暗くなる。唾が乾き、口がカラカラだ。
雑音が遠ざかり、鼓動だけが頭の中に鳴り響く。
タツを、助けにいかなきゃ。早く、早くしないと、だから、
そこを、どけ!!
「お前達、事情を説明してもらおうか」
ベリトさんに跳びかかろうとしたまさにその時、眼前に騎士が立ちはだかった。
その背中は、まるでそびえる山のようだった。金縛りみたいに、全身が硬直する。
タツが教えてくれた名前は確か…………ギリアムさん?
直感的に、悟ってしまった。
たとえ背中を向けていても、どうあがいても、この人には絶対に勝てないと。
どうして――――どうしてみんな邪魔をするの!?
「詳しいことを聞きたい。同道願おうか」
「しかし、タヂカが!」
アステルさんの抗議にも、ギリアムさんは微動だにしない。
「後のことは、我々に任せてもらおう。騎士団本部の前での狼藉を、見逃しはせん」
本部の建物の扉から、数名の騎士と兵卒達が跳びだしてきた。
彼らは襲撃者がいた尖塔目指し、走り去ってゆく。
歯がゆいけど、彼らに任せるしかないのか。
わたし達はギリアムさんに引き連れられ、騎士団本部の中へと足を踏み入れた。
そして尋問の最中に、わたしとクリスは気を失った。
◆
悪夢を観た、タツが、どこか遠くへ行ってしまう夢を。
わたし達を置いて、遙か彼方へと走り去ってしまう夢を。
悲鳴あげて、跳ね起きた。
隣からも同じように、クリスの悲痛な叫びを聞いた。
どこか知らない部屋で、並んだベッドにわたし達は寝かされていた。
騎士団本部の一室だろうか、そう推察する。
身を起こしたわたし達は顔を見合わせ、同じ仕草で胸を押さえた。
アステルさんがギリアムさんに事情を説明しているとき、それは起こった。
タツが、死んだ。
脈絡もなく唐突に、その事実が全身を刺し貫いた。
わたしはその衝撃に耐えられず、意識を手離してしまった。
いまわたし達は、お互いの表情に絶望を見ていた。
ぽっかりと、胸に穴が開いたみたいだ。
そこに詰まっていた大切な想いが、ごっそりと欠け落ちた気分だった。
ベッドから跳ね起きたクリスが、抱きついてきた。
わたしも彼女にすがりつき、震える身体を押し付ける。
どれほどそうしていただろうか、わたし達は身体を離した。
互いの目を見て、頷く。
部屋を見回した。自分達の装備が脱がされ、ベッドの脇に置いてあった。
装備から、武器を取り外す。
わたしはナイフを、クリスは愛用の剣を手にした。
そっと鞘から抜くと、刃が冷たい光を放った。
わたしとクリスの、秘密の約束だ。
タツにはもちろん、話していない。重荷に思われたくなかったからだ。
俺に万が一のことがあったらカティアを頼れ。彼女にきみ達のことを託している。
タツがそう告げたことがある。わたし達は特に反論せず、黙っていた。
タツだから、自分達の運命を委ねるつもりになれたのだ。
たとえ筆頭冒険者だろうと、まるで遺産みたいに譲られたくはない。
だけど本心を明かさなかったのは、タツには自分の人生をまっすぐに生きてほしかったから。彼が何か重大な決意を迫られた時、心残りを少なくしようと、クリスと決めたのだ。
「リリちゃん、大丈夫かしら…………」
クリスが、ぽつりと呟く。こんな時でも、他人を思いやれるクリスが眩しい。
「なんなら一度、宿に戻ってからでもいいのよ?」
クリスは少し迷ってから、きっぱりと首を振る。
「そんな猶予は、ないと思う」
クリスの判断は正しい。タツの死が知れていたら、終身奴隷であるわたし達は拘束される。
もしかすると騎士達が、わたし達を捕らえようとこの部屋に迫っているかもしれない。
そうなったら、約束を果たせなくなってしまう恐れがあった。
自分の意志で自分の運命を決める、今が最後の機会かもしれない。
そして覚悟を決めて凶器を握り締めたとき、
隷属スキルによる、タツとわたし達の絆が再生した。
「…………生きてる」
ハラリとこぼれた涙が、クリスの頬を涙が伝った。
「うん、生きている」
わたしも頷いた。声が震えてしまった。
わたし達はナイフと剣を鞘に戻し、ベッドの脇に丁寧に置いた。
手元が狂って、怪我でもしたら危ない。
そうして胸に手を当て、目をつぶる。
空虚になっていた身体が、次第に満たされる。
再生した絆はどこか頼りなく、か細い感じがした。
それでもタツの生存を信じさせる、温かさがあった。
「「タツは、生きている!!」」
わたしとクリスは抱き合い、わあわあと泣いた。




