お仕置き
夢を観た。
異形の大群が、天空を飛翔している夢を。
異形達の身体は半透明で、淡い燐光を帯びている。
高層ビルよりも巨大なものから蝶のように小さいものまで、大きさは様々だ。
形状もまた夢に相応しく、どれもが混沌としている。
喩えるなら、全身から武器が突き出たサンショウオ。あるいは無数の翼を生やしたクラゲ、車輪の中心から伸びる女神像、豹頭のムカデ、その他、形容しがたいものまで千差万別だ。
形状も大きさも多種多様な異形達が、大河のように飛んでゆく。
幼い子供の頃の姿に戻った俺が、彼らを追ってどこまでも続く平原を走っている。
夕焼けの空に浮かぶ雲を追った時のように、無邪気に駆けてゆく。
しかし、空を悠々と飛ぶ彼らには届かず、どんどん置き去りにされる。
彼らが目指すのは、遥か地平の彼方にそびえる、巨大な光の塔だ。
異形達はその塔目掛け、まっしぐらに飛翔する。
光の塔は、異形の群れの集合体だった。
そこに到達した異形達の大河は、螺旋を描きながらぐるぐると上昇する。
光の塔が、どこまでもどこまでも伸びてゆく。
その頂上は、遥か虚空の果てまでも続いていた。
そんな夢を観た。
目が覚めても、しばらくボーとしていた。
夢の残滓が意識を混濁させ、自分が何者であるかも思い出せない。
たぢか、よしたつ。
しばらくしてから、ようやく自分の名前を思い出す。
ここは、どこだ?
起き上がろうとして、身体が動かないことに気が付く。
原因を確かめようとして辺りを見まわせば、かたわらに佇む黒い影を見た。
影は無言のまま、ただジッと俺を見下ろしている。
「…………こざくら?」
戸惑いながら、呼びかける。
黒い影が反応して身じろぎすると、人の形に成った。
「…………早すぎるのです」
彼女は、どこか疲れたようなため息をこぼした。
「ここへ来るのは、もっと後のはずなのです。全てが手遅れになった、その時なのです」
やれやれとコザクラは肩をすくめると、横たわる俺の顔をのぞき込んだ。
「いまこの時期に、あたしと出会うはずがなかったのです。どんどん本来の時間軸からズレているのです。修正しても修正しても誤差は大きくなって、未来は混沌としてゆくのです。どうしてくれるのですか?」
「いや、まあ、すまない?」
謎のプレッシャーに、思わず謝罪する。
「すまないでは済まないのです! 訳も分からずに謝るのは止めるのです!」
「ご、ごめん!」
彼女はガックリとうなだれた。
両手の指を伸ばして眼球に触れようとしたので、思わず瞼を閉じる。
「あなたのこの目は、何のためにあるのですか?」
グイグイと、指先を押し込んでくる。
「真実から目を逸らし、心を閉ざしていては、見えないのと同じなのです」
「ちょ、い、痛い!?」
コザクラは容赦なく眼球を圧迫する。
『役に立たない目玉なら、いっそ潰してしまいましょう?』
ゾッと怖気を震う。身をよじって暴れまわるが、逃れることはできない。
どうやらベッドに寝かされ、手足を広げて拘束されているらしい。
彼女を、本気で恐ろしいと思った。
『彼女のスキルは、真偽判定ではありません』
スッと指を離すと、コザクラはこともなげに言い放った。
恐怖と意味不能な言葉に、頭が混乱する。
「何を言っているんだ? お前は確かに」
『真偽判定の系統に属している、そう表現しただけなのです。それは似て非なるものです』
記憶を探っても、そこまで思い出せない。でも、彼女が言うのなら、そうなのだろう。
「なぜ、俺を騙したんだ?」
だとすると、俺が誤解するに誘導したのは間違いない。
『騙されることを、あなたが望んだのです。彼女についての真実を知りたくない、だから彼女をわたしの許に連れて来た。その願望に応えただけです。』
コザクラはジッと俺の顔をのぞき込む。
『自分で真実を確かめるのが、恐かったのでしょう?』
それは誤解だと、反論したかった。でも何故か、言葉が出ない。
じっとりと、額に汗がにじむのを感じた。
「それはそれとして、情けないにもほどがあるのです!」
コザクラはシュタッっと、両手を頭上に掲げた。
その手には、いつの間にか二本の羽ペンが握られている。
「あんな雑魚に負けるなんて、たるんでいるのです!」
「お、おい?」
彼女は再びじりじりと近づく。
嫌な予感がして逃げようとするが、手足の拘束はやはり解けない。
どうもスースーすると思ったら、パンツ一丁じゃないか!
「お仕置きなのです!」
「や、やめろおお――――!?」
くすぐり、というのは度を過ぎると拷問だ。
昔、遊園地か何かの展示場で、ヨーロッパの拷問シーンを人形で再現したものがあった。
いま考えると、よくあんな残酷なものを子供が観覧できたものだ。
その中の一つに、被害者の足の裏に塩を塗り、家畜に舐めさせる場面があった。
おどろおどろしい拷問シーンが続いた後だったので、その牧歌的な光景に笑った覚えがある。
笑い事ではなかった。死ぬかと思った。
「こ、こ、この、やろう――――」
文句を言おうにも、息も絶え絶えで悪態が続かない。
「ヨシタツが悪いのです」
手足を縛っていたロープを解きながら、コザクラはいけしゃあしゃあと説教を垂れる。
「あんな雑魚に後れをとって、恥ずかしくないのですか?」
自由になった手で、胸をさする。引き攣った傷跡が、そこにはあった。
ズキリと、傷跡が痛んだ。あの時、治癒術を施すことが出来なかった。
先に何とか矢を引き抜こうとしたが、その前に力尽きてしまった。
おそらく、コザクラが助けてくれたのだろう。彼女がいなければ、間違いなく――――
大事なことを思い出した。
「子供達は――――」
「無事なのです」
思わず、安堵にため息が漏れた。
同時に、自分の無力さが情けなかった。
「力を、望むのです」
俺にとって、禁忌の言葉を彼女は口にした。
「それは――――」
抗弁しようとすると、コザクラは俺の口を小さな手でふさいだ。
「新たなスキルは、すでに兆しをみせているのです。でもヨシタツが心の奥底でスキルを忌み嫌っているから、発現できないのです。宿主が受け入れなければ、スキルの援けは得られないのです」
他の人間ならば、一喝して退けただろう。だがコザクラが言えば、その重みは違う。
彼女がそんなことを口にするのが、ひどく意外だった。
「スキルはきみの人生を滅茶苦茶にしようとしたんだぞ?」
「スキルに善悪はないのです。それにもしスキルがなければ、あたし達はとうの昔に死んでいたのです。そして生きていれば、運命が変わることもあるのです」
コザクラは、まるで普通の少女のように微笑んだ。
「それを教えてくれたのは、ヨシタツなのです」
何か言わなければ。そう思って言葉を探した。
だけどけっきょく何も言えず、黙って身体を起こした。
ベッドの傍らに自分の服と装備を見つけると、身支度を整える。
矢が貫いた穴はあったが、血の痕跡はまったくなかった。
寝室とおぼしき部屋を出ると、そこは見慣れたコザクラの事務所だった。
「なあ、あいつは俺が死んだと思ったかな? そもそもあれからどのくらい経った?」
「まる一日、眠りこけていたのです。その傷は、間違いなく致命傷なのです」
俺の疑問に、コザクラは断言する。
そうか、なら監視もなく自由に動けるな。
下手に宿に連絡すると、やぶへびになるかもしれない。
俺が死んだと思い込ませたまま動けば、こちらが有利だ。
「世話になった」
「ヨシタツ」
事務所から一歩踏み出すと、背後からコザクラが声を掛ける。
「アドバイス料と情報料、しめて金貨一枚なのです」
振り返ると、手を差し出すコザクラの姿があった。
俺とコザクラは、ニッコリと笑顔をかわした。
バタンッ!! 思いっきり力を込め、扉を閉めた。
◆
コザクラの事務所を出た俺は、とある場所へと向かった。
薄汚い路地を通り抜け、その突き当りに屈み込む。
崩れた壁の奥に手を突っ込み、ズタ袋を引きずり出す。
ズタ袋から小袋と、薄汚れたローブを取り出した。
黒ずんだ染みがぽつぽつと散らばり、異臭を放つローブを身にまとう。
さらに迷路のような路地を歩き、一軒の酒場に到着する。
その頃にはすでに日が暮れ、辺りは薄暗くなっていた。
扉を開けると、酒場の中から煙が路地にあふれ出た。
フードを引っ張って鼻を押さえ、甘ったるい煙を吸わないようにする。
「ずいぶんとご無沙汰じゃねえか」
酒場の店主のしゃがれた声が響くと、店内にいた客が一斉にこちらを注目する。
客の誰もが帽子やフードで顔を隠している。相変わらず陰気で異様な雰囲気の店だ。
周囲の視線を無視して、カウンターに浅く座る。
「どこかで野垂れ死んだんじゃないかと心配したぞ」
店主の言葉に、つい鼻を鳴らした。嘘をつけと、呟きそうになった口をつぐむ。
彼女のことを思い出し、苦笑した。
「情報がほしい」
先ほど回収した小袋から、金貨を一枚取り出してカウンターに置く。
「ずいぶんと奮発するな」
店主の目付きが、こちらの様子を探るものに変わった。
「弓使いの、八人殺しだ」
ざわっと、店内の空気が変わる。
「最初に出会ったのは一〇日ほど前の、西区の市場近くの路地だ。中肉中背、緑のローブ、ナイフの扱いも上手い男だ。ヘイメルと名乗っていたが、もちろん偽名だろう。スキル持ちで、昨日の昼頃、騎士団本部前で襲撃事件を起こした。そいつの居場所が知りたい」
店内の客達が囁き、互いの情報を交換する。
キチキチと顎をかみ合わせる、虫の音みたいに感じた。
「期限は明日までだ。身柄を押さえてくれれば、別に報酬も出す」
さらに金貨を五枚、カウンターに放り出す。
「五体満足でなくても構わない。八人殺しの裏が取れたら狩ってもいい。生死は問わない」
これで緊急時の予備資金、別名ヘソクリはからっけつだ。
店主は金貨を手にすると、さりげなく周囲に合図した。
店内にいた客達は静かに席を立った。
顔を伏せて足音も立てず、まるで影のようにひっそり店を出ていく。
どれほど香を焚いても消えない、かすかな血の匂いをまといながら。
腐肉をあさるハイエナども――――賞金稼ぎ達が動き出した。
「一杯くれ」
店主――――賞金稼ぎギルドのマスターに注文する。
片隅の暗がりから、しどけない格好をした酌婦が現れた。
酒瓶を抱えて隣に座ると、マスターが用意したカップに酒を注ぐ。
手段さえ選ばなければ、やりようは幾らでもあったのだ。
そのことを忘れさせていたのは、仲間と過ごした日々のおかげだろう。
どろりとした乳白色の酒を一気にあおった。
もはや俺にとって、ヘイメルは敵とするに値しない。獲物ですらない。
駆除すべき害獣に過ぎなかった。
だからハイエナの群れをけしかけた。
しかし、勘のいい賞金稼ぎならヘイメルに手出しはしないだろう。
仮に未熟な賞金稼ぎに犠牲が出ても、その死臭は他の賞金稼ぎ達を呼び寄せるはずだ。
お前が英雄と呼んだ男の、これが正体だ、ヘイメル。
嘲りの言葉を内心で呟くが、同時にコザクラの言葉もよみがえる。
『力を、望むのです』
酌婦が注いだ二杯目の酒を、再び飲み干した。




