墜落
この街は魔物避けの高い壁に囲まれているので、建造物のスペースが限られている。
だから中心区では建物が過密状態となり、一枚の壁を両隣で共有する例もある。
後は上に伸びるしかないが、建築上の安全と税金の関係でほぼ三階建てで揃っている。
つまり建物の上に登ると、延々と屋根が連なる景色が一望できるのだ。
橙色のスレート葺きの屋根がうねる大地とすれば、街路の切れ目は谷にあたる。
陽の光を浴びてオレンジ色に輝く、そこは人工の峡谷地帯だった。
人が滅多に立ち入らぬその領域で、俺と襲撃者は戦っていた。
ヘイメルと自称したあの男が長弓を放ちつつ、屋根の上をひた走る。
俺は接近を試みるが、高速で飛来する矢に牽制されてしまう。
遠距離からの攻撃を前に、いまのところ防戦一方だ。
だが相手が腰に下げた筒に入った矢も無限には続かない。
相手の矢が尽きた時が勝負だ。それまで逃さないように、圧迫していればいい。
矢羽が風を切る音と、剣が矢じりを弾く金属音が空に響く。
オレンジ色の屋根を跳び伝いながら、俺達の攻防は続いた。
俺の弱点はいろいろあるが、特に遠方からの奇襲攻撃に脆かったようだ。
眉間を狙った矢を、垂直に立てた剣の腹で防ぎながら、そう思う。
あらかじめ探査スキルと剣術スキルと並列起動していれば、対処は可能である。
並列起動とは、単に異なるスキルを同時に発動することではない。
いまも探査と剣術が連携して飛来する矢の射線を予測し、剣で防いでいる。
レーダーと連動した迎撃システムのようなものだ。
それは二つのスキルが融合し、ひとつのスキルとして機能するのに等しい。
しかし、並列起動を加えて三つのスキル発動を長時間は持続できない。
体内にある、スキル発動に必要な何かが激しく消耗するのだ。
敵を警戒して常に発動し続けることは不可能である。
再び奇襲を許すことになったら、今度こそ死傷者がでるかもしれない。
だから絶対に、ヘイメルを逃すわけにはいかないのだ。
風切り音と共に、こちらの腹を狙った矢を捌く。続く頭部への矢は、首を傾けて躱す。
その精密な狙いと俊敏な動きは、明らかにスキルによるものだ。
名称:――――――
年齢:―――
スキル:――――――――――――――
固有スキル:――――
履歴:殺人×八
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相変わらず看破を通さないが、二度の対戦を経てその能力が垣間見えてきた。
自らの情報を隠すスキル。投擲スキル。長弓を扱うスキル。
なんとなく、かつての自分を思わせるスキル構成だ。
ヘイメルは隣の屋根に跳ぶと、滞空中に上半身をひねって二本の矢を同時につがえた。
曲芸じみた射撃だが、その狙いは的確だった。
胸と左脚を目掛け、矢が迫る。剣で胸をかばえば脚が貫かれる。
そして両方を避ければ体勢が崩れ、致命的な隙となる。
ヘイメルが着地と同時に、二射目を構えた。
だが俺の左手には、既に剣の鞘が握られている。
胸を狙う矢を剣で、脚を貫こうとした矢を鞘で弾く。
鞘はその一撃で砕けたが、ヘイメルは追撃を諦めて身を翻す。
筒の中の矢羽が見えた。残りは三本だ。
次第に建物の間隔が開いてくる。建物の密集地帯を抜けてきたのだろう。
跳び移るのに適した建物が少なくなってきている。
再びヘイメルが跳躍して矢を放ったが、進路上の屋根に突き立った。
何かの意図を感じて足を止めると、ヘイメルはこちらに向いた格好で降り立った。
素早く矢をつがえた弓で、俺の心臓を狙う。
建物の谷間を挟んで、俺達は対峙した。
「怪我はもう大丈夫なのか?」
「おかげさまでな」
ヘイメルがフードの奥で笑った。
ここ一〇日あまり、やつが接触してこなかった理由が分かった。
俺が傷付けた腕が癒えるのを待っていたのだ。
「噂に聞いていたが、さすが九番目の高弟だな。たいした腕前だ」
ヘイメルの言葉に憮然とする。兄弟子達と同類と思われるのは不本意だ。
「のんびりとお喋りしていて良いのか?」
時間が過ぎるほど、俺にとって有利となる。
騎士団本部の前で襲撃したのだ。今頃、街中を騎士と兵卒が捜索しているだろう。
「ああ、それぐらいの時間はあるさ」
狙いはなんだ? 逃げ出すチャンスをうかがっているのは間違いないのだが。
「一度、じっくりと話してみたかったからな」
「それは望むところだが」
こいつの目的が知りたい。どう誘導すれば口を滑らせるだろうか。
考え込んでいる間に、ヘイメルが先に口を開いた。
「英雄になるっていうのは、どんな気持ちだ?」
唐突な質問に、思考が停止する。
「はあ?」 思わず、間抜けな声が出た。
「だからさ、英雄になった人間の感想を聞きたいんだよ」
ヘイメルが同じ意味の言葉を繰り返す。
「さあ? 俺が知るわけないだろう」
そんなこと、俺みたいな平凡な人間に分かるはずがない。
意味不明なたわ言で煙に巻いて、油断を誘っているのか。
「とぼけなくてもいいじゃないか。街の危機を二度も救った英雄さん?」
だが、口元に笑みを浮かべながら、ヘイメルの口調は真剣だった。
「冒険者どもをかき集め、陣頭に立って上級魔物を討伐。そして八高弟を率いて街に迫る鎧蟻の大群を全滅させた、この街の英雄だろ、あんたは」
まじめに言っているのか、こいつは?
「俺が英雄のわけないだろ、頭はだいじょうぶか?」
いや、噂だけを耳にして、実態を知らなければ、そんな誤解もありうるのか?
「英雄っていうのは、カティアのことだよ」
どちらの件も、彼女がいなければろくな結末にならなかったことだ。
俺が死なずにすんだのも、彼女の援けがあればこそだ。
そのカリスマと、尋常でない戦闘能力。いずれも英雄と呼ばれるのに相応しい。
「いいや、違うな。《女帝》は力をもてあました、化け物に過ぎない」
ヘイメルは嘲笑を込めて否定する。
「なぜならあいつには、信念がないからだ」
…………信念なんて大層なもの、俺にだってない。
リリちゃんやシルビアさん、それに女子供までも住んでいる。
街を守ろうとした理由は、それだけだ。
「御託は結構だ」
そんなことより、こいつはカティアを化け物呼ばわりして嘲った。
こいつを殺す理由が、また一つ増えた。
「そうだな。言葉は不要か」
ローブで翳った双眸に、不気味な光が宿った。
「堕ちろ、英雄」
ヘイメルは、スッと弓を下ろした。
その矢の向けた先を確認し、ざわっと肌が粟立つ。
血流が一気に、足元へ下がる感覚があった。
精度を上げるため、探査の範囲を狭めたのが裏目に出た。
弓の射線の方向には、路上で遊ぶ子供達がいた。
ハッタリだ。そう自分に言い聞かせる。
考えてみろ、そんな手が俺に通じると、どうしてやつに分かる。
逆に狙いが逸れた今がチャンスだ。
跳躍しながら短刀を投擲し、やつを斬り伏せるのだ。
ヘイメルが弓を引き絞ると、俺は屋根から飛び降りた。
自殺行為だと分かっていた。回避できない落下中は、弓のいい的だ。
残り二射、なんとしても致命傷だけは防ぐ。
しかし、たとえ生き延びても、やつには逃げられる。
悔しさに歯噛みするが、仕方がない――――
遠ざかるやつの姿は、まだ子供達を狙っていた。
バカな! なんの意味がある!!
パニックのまま壁を蹴り、軌道を修正する。
地面に落ちた瞬間、転がって受け身を取る。
すかさず跳ねるように起き上がり、子供達に向かって駆け出した。
頭上で、弓の弦の鳴る音がした。
輪になってしゃがみ、なにやら地面に落書きをしている三人の子供。
その中の一人に狙い定め、矢が頭上から飛来する。
わずかな距離で、間に合わないと悟った。
瞬息を発動すると、世界は灰色に染まった。
鼓動も呼吸も置き去りにして、重い空気を踏みしめながら走る。
三歩の距離を縮めたが、まだ足りない。
剣を突き出し、死の射線を遮る。
矢を弾いた瞬間、灰色の世界が解けた。
全身が痺れて手足に感覚がなく、動きが鈍る。
なす術もなく、俺の背中を二の矢が貫いた。
のろのろと見下ろせば、血に濡れた矢じりが肋骨の隙間から突き出ている。
呼吸をすると泣くほど痛むし、息苦しさを覚える。
子供達がようやく俺に気がついたようだ。
血に染まった俺の胸を、怯えた眼差しで見詰めている。
激痛に意識が朦朧としながら、どうにか口元を吊り上げる。
ちゃんと笑顔に見えるだろうか。
胸に生えた矢を掴むと、頭上を見上げる。
もはや怒りさえ通り越し、自分でも驚くほど心が冷たい。
ただひたすら、純粋な殺意をやつに放つ。
ヘイメルは、矢を放った格好のまま硬直していた。
やがて正気を取り戻し、悔しさと暗い憎悪を込めてこちらを睨む。
どれほどそうしていたか。痛みでふと、意識が遠のいた。
覚めた時には、ヘイメルの姿は消えていた。
ようやく警戒を解き、痛みに身をよじって膝を折る。
路上にうずくまった俺は、子供達の泣き声を遙か遠くに感じた。




