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教えて!誰にでもわかる異世界生活術  作者: 藤正治
王都からきた監察官
93/163

冤罪

 掴み掛かろうと手を伸ばした瞬間、俺の身体が宙を舞う。

 ベリトの投げ技を喰らい、背中から地面に叩きつけられた。

 受け身を取り損ねた俺は、衝撃で息を詰まらせてしまった。


「旦那、今日は身が入らないみたいですね?」

 ベリトの指摘に返す言葉もない。まるで訓練の初日に戻ったような無様さだ。

「昨日は飲み過ぎましたか?」

 見学をしていたクリスの口調は皮肉気味である。

 昨夜、セレスをギルドの寮に送った後、飲み直してしまった。

 おかげで二日酔いに寝不足の二重苦だ。

 ベリトの訓練をサボらなかったが、この調子では意味がなさそうだ。

「だらしないね。わたしでも勝てそうだよ」

 あふあふと、欠伸をしながらフィーが手を差し伸べてくれる。

「いや、そこまで腑抜けていないぞ」

 この場に顔を出してはいるが、フィーはほとんど訓練に参加したことはない。

 朝に弱い彼女は、いつも寝ぼけ眼だ。

 俺が無理やり引っ張ってこなければ、今朝だってベッドで熟睡しているだろう。

 いくらなんでも、そんな彼女に後れを取るはずがない。

 彼女に手を引っ張られ、立ち上がったところに、足払いを食らった。

 尻餅をついた俺は、呆然とフィーを見上げた。

 ね?っと、彼女は無邪気に笑う。

 …………今日は本格的にダメそうだ。

「みんな、朝から精が出るな」

 生欠伸を噛み殺しながら、アステルが中庭にやってきた。

 フィーに勝るとも劣らぬ朝寝坊がお出ましということは、もう頃合なのだろう。

「なかなか良いザマではないか」

 いたずらっぽく笑いながら、彼女は俺を見下ろした。

「余計なお世話だ」

 思わず、目を逸らしてしまった。

 さりげなく立ち上がり、尻から土を払い落とした。

「朝食の時間か?」

「うむ、そろそろ準備が整うと、女将が言っていたぞ」

 アステルの顔が、焼き立てパンへの期待に輝いている

 大規模傷害事件の犯人などと噂される、物騒な面構えではなかった。


      ◆


 冒険者ギルドへ向かう途中、俺はセレスの情報を反芻した。

 噂話の真偽を確かめるつもりは毛頭ない。

 なんだ、そんなことだったのか。そういうオチがつくに決まっているからだ

 一晩明けて冷静になれば、矛盾だらけで根拠がないとすぐに分かった。

 母親云々の話だって、アステルが一〇歳前後の頃についてらしい。常識的に考え、子供がそんな大それた真似ができる筈がない。傷害事件だって無茶な話だ。ちょっと走るだけで息切れをする、子供にも劣る体力の持ち主が、どうやって他人を傷付けるのか。

 結局は、誰かが悪意で捏造した与太話に過ぎない。

 それに踊らされるほど、俺は馬鹿ではないつもりだ。


「なにを考え込んでいる?」

 突然話し掛けられ、ギョッとした。隣を歩いていたアステルが、上半身を屈めてこちらを下から覗き込んでいた。

「なんでも――――」

 途中で気がつき、口ごもる。

「ちゃんと前を見て歩かないと、危ないぞ」

「…………誤魔化したな」

 俺の答えが気に入らないのか、彼女が頬を膨らませた。

「タツの方こそ、ボーと呆けていました」

 クリスが素っ気無い態度で指摘する。

「私達は護衛なんですから、警戒を怠らないようにしなくては」

「あ、すまない」

 そうだった。探査を発動して、周囲の状況を探る。

「ちょっと気が抜けていた。ありがとう、注意してくれて」

「い、いえ、そんなこと…………」

 探査に特別な反応はない。俺達を尾行や監視している人間はいない、と思う。

「…………その、昨夜はずいぶんと帰りが遅かったみたいですけど」

「ああ、久しぶりに飲み歩いたよ」

「…………セレスさんと一緒にですか?」

 哨戒のためのスキルとして、探査は必ずしも万全ではない。

 脳内に投影された個々の反応を、注意深く観察する必要がある。

「いや、一人だけど? 彼女を送った後、店をハシゴしてね」

「そうなんですか?」

 疑わしそうなクリスの声を耳にして、探査を切る。連続使用すると集中力が鈍るからだ。

「もちろん。深夜の街を、妙齢の女性は連れ歩けないだろ?」

 元の世界なら、そこまで用心深くする必要はなかった。

 遠く離れた故郷がどれほど安全で、それがいかに貴重なものだったか、改めて実感した。

 クリスが目配せすると、アステルが頷いた。

「そうでしたか! でも、タツだって夜歩きは気をつけて下さいね!」

 一転して口調が明るくなるクリス。きみ、いまアステルになんか確認したね?

 そうこうしているうちに、冒険者ギルドに到着した。


 ギルドの建物の中に入ると、物々しい雰囲気が漂っていた。

 ギルドでは滅多に見かけない兵卒達が、五人もいたからだ。

 街の治安維持に務める兵卒と、荒くれ者の冒険者は、やっぱり仲が悪い。

 兵卒達が威圧的に周囲を睨み、冒険者達は忌々しそうな態度を隠しもしない。

 ピリピリと、危うい緊張感が充満していた。

 咄嗟にアステルをかばう位置に立つと、両隣にクリスとフィーが並んだ。

 兵卒達は一瞥しただけで、俺達を特には注目しない。

 彼らを刺激しないように遠回りで受付へ移動した。

「どうしたんだ、これ?」

 顔馴染みの若い受付嬢に、そっと尋ねた。ソバカスがチャーミングな子だ。

 彼女は不安そうな顔で、ふるふると首を振った。

「わたしにもさっぱり。先ほど騎士様が突然やってきて、マスターと面会を」

 騎士が? 冒険者ギルドになんの用で?

 その答えは、すぐに分かった。

「離しやがれ! オレ達はなにも知らねえよ!」

「オレ達は無関係だ!!」

 ギルドの奥から、二人の冒険者が兵卒に引き立てられてきた。

 霊礫を密輸しようとした、例の二人組だ。

 兵卒達を指揮しているのはギリアムさんではなかった。

 見知らぬ若い騎士が、セレスと一緒に奥から現れた。

 セレスは不満そうな顔つきで、騎士に抗議しているようだ。

 騎士はそれを聞き流し、兵卒達に撤収を命じた。

 二人組が、こちらに気がついた。

「あ、悪魔! な、なんとかしてくれ!」

「オレ達はほんとうに知らないんだ!」

 いきなり言われても、事情が分からないので答えようがない。

 彼らは俺の背後にいるアステルの姿を見て、すがるように叫んだ。

「おい、監察官様! 助けてくれよ!」

 彼らは必死な形相でこちらに手を伸ばし、兵卒達を振り切ろうとする。

 俺は万一に備え、剣の柄に手を掛ける。

 しかし兵卒達に取り押さえられ、引き摺るように連行されていった。

 扉の外から、彼らの叫びがいつまでも響いていた。

「ヨシタツさん」

 セレスが困惑顔でこちらに近寄ってきた。

「いったいなにがあったんだ?」

「霊礫が盗まれたそうです。その関係で、あの二人は捕らえられました」

 昨日の夜、領主の館で盗難騒ぎがあったらしい。

 厳重に保管されていた霊礫が、根こそぎ奪われたそうだ。

「いや待て、それはおかしいだろ」

 あの二人組は逮捕されてからずっと、冒険者ギルドの地下牢にいたのだ。

 どうして昨日の盗難騒ぎに関わるのだ。

 犯罪者、もしくは容疑者となった冒険者の扱いは、かなりややこしい。

 ギルドは国や地方自治体ごとに契約を交わし、身柄の引き渡しなどは簡単ではないはずだ。

「騎士団は強制捜査権を発動しました」

 セレスは淡々と説明するが、どうやらかなりお怒りらしい。

「ただでさえ霊礫は貴重で、重要な物資です。なのに領主が管理してあった霊礫が奪われたとあって、騎士団は必死に捜査をしています。盗難騒ぎの前に発生した、霊礫の密輸未遂事件でさえ、疑惑の対象と見なすぐらいです。二人の取り調べは容赦がないものとなるでしょう」

「…………拷問か?」

「おそらく。一応、ギルドから働きかけて牽制してみますが」

 拷問を止められるかどうか。セレスは難しい顔で呟いた。

 しかし、どうなのだろう。あの二人は本当に無関係なのだろうか。

 実際、彼らに良い印象を受けたことはない。盗難事件に関与していたとしても、さほど驚きはしないだろう。しかし拷問を受けるとしたら、気分は良くない。

 ここは人権思想の薄い世界なのだ。どれほど苛酷な取り調べになるか、想像もつかない。

 まして彼らが主張していたように、ほんとうに無実だとしたら――――

 ――――馬鹿か、俺は。

 こういう時こそ出番であろう。最近、無駄飯食らいと化しているアステルの。

 彼女に真偽を問うべく、俺は後ろを振り向いた。


 まるで幽鬼のように、アステルは立ち竦んでいた。

 白い肌からいっそう血の気が失せ、唇も青ざめている。

 こめかみの静脈が、紅い双眸が、白いキャンバスに不気味なほど映えた。


「アステル?」

 俺が声を掛けて、周りの人間も彼女の異常に気がつく。

 全員が注目する中、彼女の身体がゆらゆらと揺れはじめた。

 反射的に前に出て腕を差し伸べたおかげで、かろうじて間に合った。

 くるりと白目を剥くと、彼女は俺の腕の中に倒れこんできた。

 周囲が騒然となり、ベリトやクリスの手を借りて彼女をソファーに横たえた。

 ひどく冷たい彼女の手を握り締めると、治癒術を発動した。

 スキルが俺の体内から何かを汲み上げ、別な何かに変換して彼女に注ぎ込む。

 しかし血の気の失せた肌や体温に変化はなく、意識が戻ることはない。

 暗い闇に叫ぶように、スキルの力が飲み込まれてしまう。

 俺は治癒術を連発した。発動時の昂ぶりと、脱力感が交互する。しかし何度治癒術を施しても、手応えが感じられない。まるで底の抜けたバケツを水で満たすようなものだ。

 

 俺は、願う。魂を、差し出しても、力が――――


「…………ヨシタツ?」

 弱々しく握り返される、手のひらの感触。

 ポイントを消費して治癒術を成長させようとした寸前、彼女のまぶたがうっすらと開いた。

「良かった! 気がついたか!」

 意識を取り戻した彼女は、不思議そうにあたりを見回す。

 数回瞬きしてから、いきなりガバッと起き上がった。

「あの者達は!!」

 唐突な発言に戸惑っていると、クリスが返事をする。

「もう連れて行かれました」

 …………ああ、あの二人組か。彼女が倒れたので、すっかり忘れていた。

 クリスの言葉を聞き、もがくように起き上がるアステル。

 しかしその身体が再び揺らぎ、ソファーに倒れ込む。

「どうしたんだ、いったい」

 両手で抱きかかえると、彼女は必死になってすがりついてきた。

 俺の腕に爪が割れそうなぐらい指を立て、苦しげにあえぐ。

「あの二人は真実を語っていた!」

 紅い目を光らせ、彼女が叫ぶ。

「あの者達は無実だ!!」


      ◆


 彼女を止める術はなかった。

 体調が優れないのに、彼女は諦めない。たとえ這いつくばってでも進もうとする。

 その気迫に負けた俺とクリスが両脇から支え、ようやく歩ける状態だ。

 やがて息も絶え絶えに彼女がたどり着いた先が、騎士団の本部がある建物だった。

 責任者に会わせろと迫る彼女を、門衛達がもてあます。

 彼女の必死な様子に、俺は仕方なしに奥の手を出した。

「ヨシタツ・タヂカが訪ねてきたと、騎士ギリアムに伝えて下さい」

 因縁のある俺が来たとなれば、彼は会ってくれるだろう。

 伝言を頼んでから、隠蔽を掛けようとして――――止めた。

 俺だけこそこそ隠れては無責任だろう。ただし、彼が留守だといいなとは、ちょっぴり思う。

 騎士団本部の建物の正面玄関が開き、ギリアムさんがズカズカと出てきた。

 俺は首をすくめ、近付いてくる彼を観察した。

 めちゃくちゃ恐い顔つきだ。間違いなく怒っている。

 彼のいまの心情を察するに、よくもぬけぬけと来られたな、そんな感じだろうか。

 俺の眼前に立ったギリアムさんに、ギロリと睨まれた。

「何の用――――」

「そなたが責任者か!」

 俺達の支えを振りほどき、アステルがずいっと前に出た。

 上背のあるギリアムさんを、見上げるような感じだ。

 だけど彼女の猛烈な勢いに、彼はちょっとたじろいだようだ。

「い、いや、違うが」

「わたしは冒険者ギルド本部所属の監察官、アステルだ!」

 さらに前に出る。その鬼気迫る様子に、ギリアムさんは後ずさる。

「騎士団に対して要求する! 先ほど逮捕した冒険者二名の釈放を!」

「それは、できん」

 ギリアムさんは自分の立場を思い出したようだ。

 態度が頑なになり、腕を組んでアステルを見下ろす。

「あの二人は事件の重要参考人だ」

「彼らは無実だ!」

 アステルが吼える。堂々とした威厳を持つギリアムさんに臆することなく立ち向かう。

「彼らは無関係だと言った! 何も知らぬと訴えた! それは真実だ!」

 客観的に判断すれば、それはなんの根拠もない主張だ。

 だが、そこに込められた声音には、抗い難い力が込められている。

 …………もう俺には解っていた。今の彼女は、正常ではない。

 おそらく彼女は、スキルを発動しているのだ。

 スキルに動かされていると言い換えてもいい。

 あの二人が逮捕している場面を目撃し、彼らの訴えを聞いてから、彼女は内なる衝動に身を任せている。

「…………証拠があるのか」

 名状しがたい圧力に、ギリアムさんは抗う。意志を奮い立たせ、彼女を睨み返す。

 すうっと息を吸い込んでから、アステルは右手を突き出した。

 指を絡め、描き出されるサイン。

 スキルに誓って。冒険者ギルドの、秘密のサインだ。

 俺は驚いた。ギリアムさんの眉が動いたからだ、彼はこのサインの意味を知っている。

 なぜ騎士であるギリアムさんが、冒険者ギルドでも一部しか知らないサインを?

「…………彼らの釈放には応じられない」

 ギリアムさんは、静かに告げる。

「しかし――――」

 なにかを言い掛けたギリアムさんが、いきなり腰から剣を引き抜いた。

 まったくの無意識な、ほとんど反射的な動作に見えた。

 俺達全員が反応すらできない中、ギリアムさんが突進する。

 賞金稼ぎの時代から、俺は彼を評価していた。八高弟を前にしても、一歩も退かぬ気概も知っている。

 上司に掣肘されても俺に対して疑念を解かない、彼の信念は尊いと思う。

 だから彼に対して、ほとんど無警戒だった。

 俺達の間をすり抜けたギリアムさんが、剣を振るう。


 キンと、宙空で矢が弾かれた。

 一閃、二閃、三閃――――飛来する矢をギリアムさんの剣が防ぐ。


 防衛スキル【四】の所持者 《鉄壁》のギリアムが次々と矢を叩き落す。

 まるで高い城壁に守られているような錯覚さえ覚えた。

「敵襲だ!」

 ギリアムさんの叱咤に、俺達は一斉に動いた。

 ベリトとクリスが、アステルを守る位置につく。

 フィーが棍棒を構え、襲撃者を探す。

 油断していた自分を責めるのは後だ。探査を発動、周囲を精査する。

「あそこだ!」

 指差した方向、遥か遠くの尖塔に立つローブ姿の人物。

 遠目に小さく映るその姿が、長弓を構えているのがかろうじて判別できた。

 次々と矢をつがえては、息もつかせぬ速度で放っている。

 俺達の前に立ちはだかるギリアムさんが叩き落すが、反撃に転じる手がない。

 距離がありすぎ、防戦一方だ。相手の矢が尽きるまで打つ手がない。


 そう思われた時、背後から熱風が押し寄せた。


 フィーの指先に、魔術スキルの炎が渦を巻く。火花を散らし、極限まで収束される。

 ヒュオンと、甲高い音と共に閃光がほとばしった。

 放たれた螺旋の炎が屋根を跳び越え、鏑矢のような残響と共に飛翔する。

 蒼穹を背に直進する炎の槍は、尖塔に衝突すると轟音を響かせて爆発した。

 尖塔が真っ赤な炎に包まれ、飛来していた矢が止む。

 だが俺は、確かに見た。

 螺旋の炎が直撃する寸前、襲撃者が尖塔から飛び降りるのを。

「アステルを守れ!」

 クリスとフィーに命じてから無剣流を発動、手近の建物まで走り寄ってジャンプする。玄関のひさしを蹴り、隣家の雨樋を登り、窓枠に足を掛けて勢いをつけて跳ぶ。

 軒先に手が届くと両腕の力でさらに勢いを付け、屋根の上へと降り立った。

 

 尖塔の方角を確認した俺は、剣を抜いて駆け出した。

「止せタヂカ! 戻れ!!」


 下方から、アステルの悲痛な叫び声が聞こえた。

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