冤罪
掴み掛かろうと手を伸ばした瞬間、俺の身体が宙を舞う。
ベリトの投げ技を喰らい、背中から地面に叩きつけられた。
受け身を取り損ねた俺は、衝撃で息を詰まらせてしまった。
「旦那、今日は身が入らないみたいですね?」
ベリトの指摘に返す言葉もない。まるで訓練の初日に戻ったような無様さだ。
「昨日は飲み過ぎましたか?」
見学をしていたクリスの口調は皮肉気味である。
昨夜、セレスをギルドの寮に送った後、飲み直してしまった。
おかげで二日酔いに寝不足の二重苦だ。
ベリトの訓練をサボらなかったが、この調子では意味がなさそうだ。
「だらしないね。わたしでも勝てそうだよ」
あふあふと、欠伸をしながらフィーが手を差し伸べてくれる。
「いや、そこまで腑抜けていないぞ」
この場に顔を出してはいるが、フィーはほとんど訓練に参加したことはない。
朝に弱い彼女は、いつも寝ぼけ眼だ。
俺が無理やり引っ張ってこなければ、今朝だってベッドで熟睡しているだろう。
いくらなんでも、そんな彼女に後れを取るはずがない。
彼女に手を引っ張られ、立ち上がったところに、足払いを食らった。
尻餅をついた俺は、呆然とフィーを見上げた。
ね?っと、彼女は無邪気に笑う。
…………今日は本格的にダメそうだ。
「みんな、朝から精が出るな」
生欠伸を噛み殺しながら、アステルが中庭にやってきた。
フィーに勝るとも劣らぬ朝寝坊がお出ましということは、もう頃合なのだろう。
「なかなか良いザマではないか」
いたずらっぽく笑いながら、彼女は俺を見下ろした。
「余計なお世話だ」
思わず、目を逸らしてしまった。
さりげなく立ち上がり、尻から土を払い落とした。
「朝食の時間か?」
「うむ、そろそろ準備が整うと、女将が言っていたぞ」
アステルの顔が、焼き立てパンへの期待に輝いている
大規模傷害事件の犯人などと噂される、物騒な面構えではなかった。
◆
冒険者ギルドへ向かう途中、俺はセレスの情報を反芻した。
噂話の真偽を確かめるつもりは毛頭ない。
なんだ、そんなことだったのか。そういうオチがつくに決まっているからだ
一晩明けて冷静になれば、矛盾だらけで根拠がないとすぐに分かった。
母親云々の話だって、アステルが一〇歳前後の頃についてらしい。常識的に考え、子供がそんな大それた真似ができる筈がない。傷害事件だって無茶な話だ。ちょっと走るだけで息切れをする、子供にも劣る体力の持ち主が、どうやって他人を傷付けるのか。
結局は、誰かが悪意で捏造した与太話に過ぎない。
それに踊らされるほど、俺は馬鹿ではないつもりだ。
「なにを考え込んでいる?」
突然話し掛けられ、ギョッとした。隣を歩いていたアステルが、上半身を屈めてこちらを下から覗き込んでいた。
「なんでも――――」
途中で気がつき、口ごもる。
「ちゃんと前を見て歩かないと、危ないぞ」
「…………誤魔化したな」
俺の答えが気に入らないのか、彼女が頬を膨らませた。
「タツの方こそ、ボーと呆けていました」
クリスが素っ気無い態度で指摘する。
「私達は護衛なんですから、警戒を怠らないようにしなくては」
「あ、すまない」
そうだった。探査を発動して、周囲の状況を探る。
「ちょっと気が抜けていた。ありがとう、注意してくれて」
「い、いえ、そんなこと…………」
探査に特別な反応はない。俺達を尾行や監視している人間はいない、と思う。
「…………その、昨夜はずいぶんと帰りが遅かったみたいですけど」
「ああ、久しぶりに飲み歩いたよ」
「…………セレスさんと一緒にですか?」
哨戒のためのスキルとして、探査は必ずしも万全ではない。
脳内に投影された個々の反応を、注意深く観察する必要がある。
「いや、一人だけど? 彼女を送った後、店をハシゴしてね」
「そうなんですか?」
疑わしそうなクリスの声を耳にして、探査を切る。連続使用すると集中力が鈍るからだ。
「もちろん。深夜の街を、妙齢の女性は連れ歩けないだろ?」
元の世界なら、そこまで用心深くする必要はなかった。
遠く離れた故郷がどれほど安全で、それがいかに貴重なものだったか、改めて実感した。
クリスが目配せすると、アステルが頷いた。
「そうでしたか! でも、タツだって夜歩きは気をつけて下さいね!」
一転して口調が明るくなるクリス。きみ、いまアステルになんか確認したね?
そうこうしているうちに、冒険者ギルドに到着した。
ギルドの建物の中に入ると、物々しい雰囲気が漂っていた。
ギルドでは滅多に見かけない兵卒達が、五人もいたからだ。
街の治安維持に務める兵卒と、荒くれ者の冒険者は、やっぱり仲が悪い。
兵卒達が威圧的に周囲を睨み、冒険者達は忌々しそうな態度を隠しもしない。
ピリピリと、危うい緊張感が充満していた。
咄嗟にアステルをかばう位置に立つと、両隣にクリスとフィーが並んだ。
兵卒達は一瞥しただけで、俺達を特には注目しない。
彼らを刺激しないように遠回りで受付へ移動した。
「どうしたんだ、これ?」
顔馴染みの若い受付嬢に、そっと尋ねた。ソバカスがチャーミングな子だ。
彼女は不安そうな顔で、ふるふると首を振った。
「わたしにもさっぱり。先ほど騎士様が突然やってきて、マスターと面会を」
騎士が? 冒険者ギルドになんの用で?
その答えは、すぐに分かった。
「離しやがれ! オレ達はなにも知らねえよ!」
「オレ達は無関係だ!!」
ギルドの奥から、二人の冒険者が兵卒に引き立てられてきた。
霊礫を密輸しようとした、例の二人組だ。
兵卒達を指揮しているのはギリアムさんではなかった。
見知らぬ若い騎士が、セレスと一緒に奥から現れた。
セレスは不満そうな顔つきで、騎士に抗議しているようだ。
騎士はそれを聞き流し、兵卒達に撤収を命じた。
二人組が、こちらに気がついた。
「あ、悪魔! な、なんとかしてくれ!」
「オレ達はほんとうに知らないんだ!」
いきなり言われても、事情が分からないので答えようがない。
彼らは俺の背後にいるアステルの姿を見て、すがるように叫んだ。
「おい、監察官様! 助けてくれよ!」
彼らは必死な形相でこちらに手を伸ばし、兵卒達を振り切ろうとする。
俺は万一に備え、剣の柄に手を掛ける。
しかし兵卒達に取り押さえられ、引き摺るように連行されていった。
扉の外から、彼らの叫びがいつまでも響いていた。
「ヨシタツさん」
セレスが困惑顔でこちらに近寄ってきた。
「いったいなにがあったんだ?」
「霊礫が盗まれたそうです。その関係で、あの二人は捕らえられました」
昨日の夜、領主の館で盗難騒ぎがあったらしい。
厳重に保管されていた霊礫が、根こそぎ奪われたそうだ。
「いや待て、それはおかしいだろ」
あの二人組は逮捕されてからずっと、冒険者ギルドの地下牢にいたのだ。
どうして昨日の盗難騒ぎに関わるのだ。
犯罪者、もしくは容疑者となった冒険者の扱いは、かなりややこしい。
ギルドは国や地方自治体ごとに契約を交わし、身柄の引き渡しなどは簡単ではないはずだ。
「騎士団は強制捜査権を発動しました」
セレスは淡々と説明するが、どうやらかなりお怒りらしい。
「ただでさえ霊礫は貴重で、重要な物資です。なのに領主が管理してあった霊礫が奪われたとあって、騎士団は必死に捜査をしています。盗難騒ぎの前に発生した、霊礫の密輸未遂事件でさえ、疑惑の対象と見なすぐらいです。二人の取り調べは容赦がないものとなるでしょう」
「…………拷問か?」
「おそらく。一応、ギルドから働きかけて牽制してみますが」
拷問を止められるかどうか。セレスは難しい顔で呟いた。
しかし、どうなのだろう。あの二人は本当に無関係なのだろうか。
実際、彼らに良い印象を受けたことはない。盗難事件に関与していたとしても、さほど驚きはしないだろう。しかし拷問を受けるとしたら、気分は良くない。
ここは人権思想の薄い世界なのだ。どれほど苛酷な取り調べになるか、想像もつかない。
まして彼らが主張していたように、ほんとうに無実だとしたら――――
――――馬鹿か、俺は。
こういう時こそ出番であろう。最近、無駄飯食らいと化しているアステルの。
彼女に真偽を問うべく、俺は後ろを振り向いた。
まるで幽鬼のように、アステルは立ち竦んでいた。
白い肌からいっそう血の気が失せ、唇も青ざめている。
こめかみの静脈が、紅い双眸が、白いキャンバスに不気味なほど映えた。
「アステル?」
俺が声を掛けて、周りの人間も彼女の異常に気がつく。
全員が注目する中、彼女の身体がゆらゆらと揺れはじめた。
反射的に前に出て腕を差し伸べたおかげで、かろうじて間に合った。
くるりと白目を剥くと、彼女は俺の腕の中に倒れこんできた。
周囲が騒然となり、ベリトやクリスの手を借りて彼女をソファーに横たえた。
ひどく冷たい彼女の手を握り締めると、治癒術を発動した。
スキルが俺の体内から何かを汲み上げ、別な何かに変換して彼女に注ぎ込む。
しかし血の気の失せた肌や体温に変化はなく、意識が戻ることはない。
暗い闇に叫ぶように、スキルの力が飲み込まれてしまう。
俺は治癒術を連発した。発動時の昂ぶりと、脱力感が交互する。しかし何度治癒術を施しても、手応えが感じられない。まるで底の抜けたバケツを水で満たすようなものだ。
俺は、願う。魂を、差し出しても、力が――――
「…………ヨシタツ?」
弱々しく握り返される、手のひらの感触。
ポイントを消費して治癒術を成長させようとした寸前、彼女のまぶたがうっすらと開いた。
「良かった! 気がついたか!」
意識を取り戻した彼女は、不思議そうにあたりを見回す。
数回瞬きしてから、いきなりガバッと起き上がった。
「あの者達は!!」
唐突な発言に戸惑っていると、クリスが返事をする。
「もう連れて行かれました」
…………ああ、あの二人組か。彼女が倒れたので、すっかり忘れていた。
クリスの言葉を聞き、もがくように起き上がるアステル。
しかしその身体が再び揺らぎ、ソファーに倒れ込む。
「どうしたんだ、いったい」
両手で抱きかかえると、彼女は必死になってすがりついてきた。
俺の腕に爪が割れそうなぐらい指を立て、苦しげにあえぐ。
「あの二人は真実を語っていた!」
紅い目を光らせ、彼女が叫ぶ。
「あの者達は無実だ!!」
◆
彼女を止める術はなかった。
体調が優れないのに、彼女は諦めない。たとえ這いつくばってでも進もうとする。
その気迫に負けた俺とクリスが両脇から支え、ようやく歩ける状態だ。
やがて息も絶え絶えに彼女がたどり着いた先が、騎士団の本部がある建物だった。
責任者に会わせろと迫る彼女を、門衛達がもてあます。
彼女の必死な様子に、俺は仕方なしに奥の手を出した。
「ヨシタツ・タヂカが訪ねてきたと、騎士ギリアムに伝えて下さい」
因縁のある俺が来たとなれば、彼は会ってくれるだろう。
伝言を頼んでから、隠蔽を掛けようとして――――止めた。
俺だけこそこそ隠れては無責任だろう。ただし、彼が留守だといいなとは、ちょっぴり思う。
騎士団本部の建物の正面玄関が開き、ギリアムさんがズカズカと出てきた。
俺は首をすくめ、近付いてくる彼を観察した。
めちゃくちゃ恐い顔つきだ。間違いなく怒っている。
彼のいまの心情を察するに、よくもぬけぬけと来られたな、そんな感じだろうか。
俺の眼前に立ったギリアムさんに、ギロリと睨まれた。
「何の用――――」
「そなたが責任者か!」
俺達の支えを振りほどき、アステルがずいっと前に出た。
上背のあるギリアムさんを、見上げるような感じだ。
だけど彼女の猛烈な勢いに、彼はちょっとたじろいだようだ。
「い、いや、違うが」
「わたしは冒険者ギルド本部所属の監察官、アステルだ!」
さらに前に出る。その鬼気迫る様子に、ギリアムさんは後ずさる。
「騎士団に対して要求する! 先ほど逮捕した冒険者二名の釈放を!」
「それは、できん」
ギリアムさんは自分の立場を思い出したようだ。
態度が頑なになり、腕を組んでアステルを見下ろす。
「あの二人は事件の重要参考人だ」
「彼らは無実だ!」
アステルが吼える。堂々とした威厳を持つギリアムさんに臆することなく立ち向かう。
「彼らは無関係だと言った! 何も知らぬと訴えた! それは真実だ!」
客観的に判断すれば、それはなんの根拠もない主張だ。
だが、そこに込められた声音には、抗い難い力が込められている。
…………もう俺には解っていた。今の彼女は、正常ではない。
おそらく彼女は、スキルを発動しているのだ。
スキルに動かされていると言い換えてもいい。
あの二人が逮捕している場面を目撃し、彼らの訴えを聞いてから、彼女は内なる衝動に身を任せている。
「…………証拠があるのか」
名状しがたい圧力に、ギリアムさんは抗う。意志を奮い立たせ、彼女を睨み返す。
すうっと息を吸い込んでから、アステルは右手を突き出した。
指を絡め、描き出されるサイン。
スキルに誓って。冒険者ギルドの、秘密のサインだ。
俺は驚いた。ギリアムさんの眉が動いたからだ、彼はこのサインの意味を知っている。
なぜ騎士であるギリアムさんが、冒険者ギルドでも一部しか知らないサインを?
「…………彼らの釈放には応じられない」
ギリアムさんは、静かに告げる。
「しかし――――」
なにかを言い掛けたギリアムさんが、いきなり腰から剣を引き抜いた。
まったくの無意識な、ほとんど反射的な動作に見えた。
俺達全員が反応すらできない中、ギリアムさんが突進する。
賞金稼ぎの時代から、俺は彼を評価していた。八高弟を前にしても、一歩も退かぬ気概も知っている。
上司に掣肘されても俺に対して疑念を解かない、彼の信念は尊いと思う。
だから彼に対して、ほとんど無警戒だった。
俺達の間をすり抜けたギリアムさんが、剣を振るう。
キンと、宙空で矢が弾かれた。
一閃、二閃、三閃――――飛来する矢をギリアムさんの剣が防ぐ。
防衛スキル【四】の所持者 《鉄壁》のギリアムが次々と矢を叩き落す。
まるで高い城壁に守られているような錯覚さえ覚えた。
「敵襲だ!」
ギリアムさんの叱咤に、俺達は一斉に動いた。
ベリトとクリスが、アステルを守る位置につく。
フィーが棍棒を構え、襲撃者を探す。
油断していた自分を責めるのは後だ。探査を発動、周囲を精査する。
「あそこだ!」
指差した方向、遥か遠くの尖塔に立つローブ姿の人物。
遠目に小さく映るその姿が、長弓を構えているのがかろうじて判別できた。
次々と矢をつがえては、息もつかせぬ速度で放っている。
俺達の前に立ちはだかるギリアムさんが叩き落すが、反撃に転じる手がない。
距離がありすぎ、防戦一方だ。相手の矢が尽きるまで打つ手がない。
そう思われた時、背後から熱風が押し寄せた。
フィーの指先に、魔術スキルの炎が渦を巻く。火花を散らし、極限まで収束される。
ヒュオンと、甲高い音と共に閃光がほとばしった。
放たれた螺旋の炎が屋根を跳び越え、鏑矢のような残響と共に飛翔する。
蒼穹を背に直進する炎の槍は、尖塔に衝突すると轟音を響かせて爆発した。
尖塔が真っ赤な炎に包まれ、飛来していた矢が止む。
だが俺は、確かに見た。
螺旋の炎が直撃する寸前、襲撃者が尖塔から飛び降りるのを。
「アステルを守れ!」
クリスとフィーに命じてから無剣流を発動、手近の建物まで走り寄ってジャンプする。玄関のひさしを蹴り、隣家の雨樋を登り、窓枠に足を掛けて勢いをつけて跳ぶ。
軒先に手が届くと両腕の力でさらに勢いを付け、屋根の上へと降り立った。
尖塔の方角を確認した俺は、剣を抜いて駆け出した。
「止せタヂカ! 戻れ!!」
下方から、アステルの悲痛な叫び声が聞こえた。




