彼女の理由
「監察官が狙われた?」
驚くジントスさん、隣に立つデインさんも眉をしかめる。
俺は二人の表情を、さりげなく観察する。
演技の匂いはしないか、驚きを装っていないか。
「それはまことでしょうか?」
隠れた思惑が聞き取れないか、デインさんの声音に耳を澄ます。
結局、俺程度の観察力で見透かすことはできないようだった。
朝食後、俺は情報収集の名目でギルドを訪れた。
アステルやクリス達は留守番である。
今日の方針を決めるのは、俺が戻ってからということになっている。
「監察官が狙いだったのか確証はない。だが、危険な人物だった」
説明しながら、手で内容を保証するサインを作る。
結局、あの男の目論見は不明だ。目論見が露見する前に、俺が襲ったからだ。
あの男のスキルさえ看破できれば、会話の余地があったかもしれない。
しかし瞬息みたいなスキル持ちだったら、一瞬の躊躇いでも致命的なのだ。
「ギルドとして心当たりは?」
「さてな。思い当たる節はないが」
ジントスさんは首をひねる。
「古手の監察官なら過去の因縁もあるだろうが、新人ではな」
「新人?」
「本部からの通達によれば、彼女は今回が初めての監察官任務だそうだ」
なるほど。そうなるとやはり、狙いは俺か。
あの男が暗殺者だと仮定したら、それを雇うのは容易なことではない。
そもそも暗殺者の実態がつまびらかにされていない。
いや、存在自体すら知らない者が圧倒的だろう。
俺が多少なりとも彼らの事情に通じているのは、賞金稼ぎのギルドに所属していたからだ。
賞金稼ぎと暗殺者は、実は類縁関係にあると言ってもいい。
賞金稼ぎから暗殺者に転じた者もいるそうだ。
暗殺者は一般人には雇えない。組織規模の団体や権力者に限られる。
俺が冒険者ギルドを警戒しているのは、なにもジントスさん達個人を疑っているからではない。
動機よりも、暗殺者の雇用が可能か否かで容疑者を判別している。
本来なら、アステルが一言、尋ねれば済む話だ。
あの男を雇ったのは冒険者ギルドか、と。
だが、それは最後の手段だ。もしギルドの仕業なら、現段階で不信感をあらわにするのは得策ではない。
しかし最後まで、ギルドへの疑惑を払拭しきれなかった。
もし信用できるのなら、ギルドで戦力を雇うつもりだった。
万が一を考え、シルビアさんの宿に護衛を付けたかったのだが。
俺は頭の中のリストで、頼りになりそうな人物を探した。
◆
連れを伴って宿に戻ると、出迎えてくれたリリちゃんが目を丸くした。
「マリウス君?」
「やあリリちゃん、こんにちは」
光剣マリウスは、人懐っこい笑顔で笑った。
まず念頭に浮かんだのはカティアだが、彼女はギルドにも馴染みの店にもいなかった。
そう言えば、彼女の宿はどこなんだ?
カティアの次の候補は当然、八高弟達となる。
ヘイメルと名乗ったあの男に対して、八高弟なら対抗できるはずだ。
だからこそ、彼らがアステルに敵愾心を持っている事実が痛い。
俺も半分とばっちりを喰らった格好なので、顔が出しにくい。
だけどあの酒場での出来事の時、一人だけ敵意を見せなかった男がいた。
八高弟の末弟、マリウスだ。
激怒する兄弟子達をよそに、彼だけは楽しげにアステルを眺めていた。
だから駄目元のつもりで、彼が寄寓している街中の神殿を訪れた。
応対に出た神官様に呼び出してもらうと、彼はすぐに出てきた。
「いいですよ、引き受けましょう」
拍子抜けするほどあっさりと、マリウスは俺の頼みを引き受けてくれた。
「いいのか? 本当に? 兄弟子達のことは?」
「いいんですよ。だいたい女の人相手に、みんな大人げないんです」
俺が心配すると、彼は笑って肩をすくめた。
「正直、助かる。宿の護衛は日中、俺達が留守にしている間だが、どうだ?」
「ええ、それで構いませんよ」
そして報酬額について切り出したところ、
「お金なんていりませんよ」
「そうはいかないさ」
ガーブ達なら兄弟弟子のよしみで貸し借りにできるが、マリウスは二十歳前の若者なのだ。
それをタダで働かせたら年長者としての体面にかかわる。
「でしたら、お願いがあるんです」
「なんだ? なんでも言ってくれ」
俺が促すと、頬に幼さが残るマリウスの顔がはにかんだ。
「暇な時でいいので、ちょっと頼みを聞いてください」
「まあ、俺にできることなら?」
「ありがとう!」
マリウスは輝くような明るい笑顔になった。
若さって眩しいなあと思った。
◆
そうして連れて来た彼を引き合わせると、アステルが顔を強張らせた。
「…………どういうことだ、タヂカ?」
声が低い。目が据わっている。ちょっと恐い。
「俺達が出掛けている間、留守番をしてもらおうと思って」
事情はこっそり、シルビアさんに話してある。
さすがカティアの友人だけあって、笑って了承してくれた。だけどリリちゃんの手前、表現をぼやかす。
アステルはハッとした様子で俺を見た。どうやら理解してくれたらしい
「…………番犬と言うわけか」
「そうですよ? 本部の飼い犬さん」
ちょっとおおおお!?
睨むアステルに、ニコニコと笑うマリウス。
「番犬なら居眠りをせずに仕事をしていろよ?」
「行ってらっしゃい、せいぜい犬のように嗅ぎまわって来てくださいね?」
「お、おい?」
毒舌の応酬が終わると二人は互いに一歩、足を踏み出した。
「こら! ケンカしちゃ駄目でしょ!」
俺が止めるより先に、ホウキを持ったリリちゃんが間に割り込んだ。
「仲良くしなさい!」
仁王立ちする少女に気圧され、二人の腰が引ける。
「わ、わたしは別に喧嘩など…………」
「そうだよリリちゃん、これはちょっとした挨拶で」
「言い訳しない」
「「はい」」
リリちゃんがホウキの柄でドンと床を突くと、二人は首をすくめた。
リリちゃん、頼りになるなあ。俺の出番がなかったよ。
◆
「さすがにあれはどうかと思うぞ?」
俺は街を歩きながら、先ほどのアステルの態度をたしなめた。
彼女はツンと顎をあげて、俺を無視する。
「彼らとなにがあったのか知らないが、年下相手に感心しないな」
アステルが口を尖らせ、真横にいる俺を睨むと、
「きゃあ!」
足元が不注意になった彼女が、道端の側溝にはまる。
背後にいたクリスが、慌ててアステルの腕をとって支えた。
「す、すまない」
「だいじょうぶ?」
幸い側溝の泥は乾いていた。クリスは屈むと、アステルの靴を手ではたいた。
「い、いいから、手が汚れてしまうぞ!」
「気を付けてね?」
クリスは気にした様子もなく、笑顔でパンパンと手に付いた泥を払った。
…………その様子に、昨日の後遺症は見られない。
クリスを宿に残しておくべきか悩んだが、やはり連れて来た。
目が届かないと心配だし、普段通りに扱った方が良いと判断したからだ。
だが危険な兆候を見逃さないよう、注意は怠らない。
それにしても、アステルに対するクリスの態度がどこか違う。
以前に見られた隔意が消え、接し方が柔らかくなった。
そんな彼女の変化に、アステルも戸惑っているようだ。
「旦那、今日はこのまま一緒に行動するんですか?」
「俺はその方が良いと思うが」
確認するベリトに同意する。
昨日の今日であの男、ヘイメルが現れるとは思わない。だがその目的が不明な以上、戦力を分散したくなかった。少なくとも、狙いが俺自身だと確信が持てるまでは、一緒に行動した方がいいだろう。
ちらりとアステルを横目でうかがうと、彼女も頷いた。
「じゃあ、いろいろと店を見て回りましょうよ」
「遊びじゃないのよ」
呑気にのたまうフィーを、クリスがたしなめた。
ふと思い立ち、俺はアステルの腕を引く。
クリス達には目顔で先に歩くように頼むと、こっそり尋ねた。
「どうして八高弟達を目の敵にするんだ?」
やはり聞いておこうと思った。彼女の監察官としての行動の大半は、兄弟子達を標的にしたものだった。
彼女に親近感を持ちすぎ、尋ねずにはいられない。少なくとも、なるべく深入りしないようにとの自戒を破る程度には。
しばらく考え込んでから、アステルは呟いた。
「この街は、異常なのだ」
意外な言葉に、俺は思わず街並みを見回した。
通りには多くの人々が流れ、活気に溢れている。
武術大会以降、街にもようやく明るさが戻った気がする。
まだどこか遠く感じられる景色だが、特におかしいところなど見受けられない。
「守護級、という言葉を知っているか?」
囁くアステルに、俺は首を振って否定する。
市井の者は知らないかもしれないが、と前置きして彼女は語る。
それは魔物や外敵を退ける力を持った、各都市の最高戦力を指す言葉らしい。
明確な規定があるわけでもなく、また守護級同士にも強弱はある。
しかし漠然とした、強さの水準が定まっているらしい。
「八高弟共は、その守護級に匹敵する実力者だ。さらには、【斬人】ギザール、【凶刃】ジントス、【鉄壁】ギリアムに【不可識】なども守護級と目されている」
なんかさらりと、不穏当な単語が紛れている気がした。
「十指に余る守護級が、一地方都市に集中しているなど前代未聞なのだ。しかも異常はそれだけではない」
俺には、アステルが次になにを言わんとするのか、予想できた。
「彼らの頂点には魔物以上の怪物、【女帝】カティアが君臨している。その圧倒的な戦力に対する信頼感も寄与して、この街は繁栄している」
…………彼女への暴言は、今だけは聞き流そう。
「もはや冒険者ギルド内でおさまる状況ではない。近隣都市はもとより、王都ですらこの街を危険視している。どの勢力もあからさまにはしていないが、この街の戦力を削る機会があれば見逃さないだろう」
だからわたしの派遣が許可されたと、アステルは言った。
彼女の言葉を聞き、ある意味安心した。やはりカティア達が桁違いなのだ。
カティア達みたいなのが街の外にゴロゴロいたらと、実は心配していたのだ。
妙に納得してしまったが、問題はそこじゃない。
「俺が知りたいのはアステル、君個人がカティアや八高弟達を敵視している理由だ」
あの晩、カティア達とアステルが対峙していた場面は、尋常ではない緊迫感があった。
アステルの態度や言葉の端々にも、敵対的な印象が感じられた。
「別に大した理由があるわけではない」
肩をすくめると、彼女は淡々と語った。
「彼女達は、わたしの一族にとって敵なのだ」
本当になんでもないような口調に、一瞬聞き間違えではないかと思った。
その声には敵と呼ぶに相応しい、憎しみや怒りの感情が欠片もなかったからだ。
「だからまあ、義理で敵視しているが、底意があるわけではない。そなたを困らせるのは本意ではないから、今後は態度を改めよう」
どう答えればいいのか、なにを言えばいいのか分からない。
俺達は沈黙したまま歩き続けた。
「それで今日は、どこへ行くの?」
話が終わったのを察したのか、フィーが明るい声でこちらに問い掛けた。
「どうするんだ、リーダー?」
気まずい雰囲気を逸らそうと、俺は冗談めかして呼びかけた。
アステルはきょとんした。
「リーダー?」
「俺達はまあ、魔物討伐も一緒にこなした仲だからな。臨時のパーティーみたいなもんだろう? パーティーは指揮者の指示に従うのさ」
俺がおどけて笑ってみせると、アステルも満更でもなさそうだった。
「そうかそうか、リーダーか」
ニヤニヤと笑い、胸を張る。俺達をぐるりと睥睨すると、
「では者ども、わたしについて来い!」
意気揚々と宣言するアステル。うわ、本気で調子こいているよ。
さっきまでの深刻そうな雰囲気は欠片もない。
「…………ずいぶんと偉そうね?」
「ええと、大目に見てやってください」
背後でフィーとベリトがコソコソと囁き合う。
「ところでリーダー、どこへ行くの?」
クリスが問い掛けると、アステルは自信満々に前方を指差した。
「商業組合だ!」
クリスはとても優しい笑顔で、アステルの手をとって指先の方向を変えた。
「商業組合はこっちよ、リーダー?」
余計なことを言ったかなと、俺はちょっと後悔した。




