失敗
しくじった。
俺は歯噛みするほど、後悔した。
最初は、路地の向こうから男が歩いてくるのを無警戒に眺めていた。
男は緑色のマントにフードを目深に被り、その足取りは軽い。
鼻歌などを歌って、ご機嫌な様子に見えた。
大人がすれ違えないほど、路地は狭い。
俺は路地の入口の脇に寄り、男が通り過ぎるのを待つことにした。
その時、フワッと路地から広間に微風が吹き込んだ。
流れる空気に、嗅ぎ慣れた鉄錆の臭いが混じっていた。
――――看破は便利なスキルだが、同時に陥穽にはまる危険性がある。
人となりを知らぬ他人の価値を、その所持スキルで判断しかねないのだ。
たとえばクリスやフィーの人格と、彼女達のスキルは区別して判断できる。
では全く赤の他人ならどうか。そのスキルが有用であったり、数が多いほど優秀な人間だと考える。
そんな愚かな錯覚に陥りはしないかと、思うようになった。
さらには、看破に頼るあまり、その人間本来の能力や美質を見落としたりしないだろうか。
絶対にそうはならないと、言い切れるほど自分に自信がない。
だから看破の使用は、できるだけ慎重に行うようにと自戒した。
だけどその時は、ただ直感に従って看破を発動した。
名称:――――――
年齢:―――
スキル:――――――――――――――
固有スキル:――――
履歴:殺人×八
――――――――
思考が、賞金稼ぎタヂカに切り替わる。殺人に特化した、もう一人の自分だ。
反射的に、身体が動いていた。
剣を抜き放ち、路地から出たばかりの男に斬り掛かった。
不意打ちにも関わらず、男は身をよじって致命的な一撃を避ける。
剣が男の二の腕を斬り裂き、血しぶきが飛ぶ。
後ろに跳躍して逃れた男を、さらに追撃する。
これで止めを刺す、そう決意した瞬間だった。
殺剣グラスの、鋭い刺突の映像が脳裏に閃いた。
映像をなぞらえるように手首をくるりと返して、剣の切っ先を男に向ける。
関節と筋肉を連動して一条のバネと化し、剣を弾くように突きだした。
狙うは相手の胸部。切っ先を回転させて肉を抉り、心の臓を貫く。
まるで射出機のように機械的で、一切の感情を交えない攻撃だった。
「タヂカッ!?」
その声に心が反応し、掴み掛けた感覚がスルリとすり抜けた。
なまじ精密な動作があだとなる。揺らいだ感情が剣にまで伝わった。
切っ先がぶれ、狙いがずれた剣を、男は再びかわす。
さらに男は無理な体勢ながらも反撃し、回し蹴りを放ってきた。
渾身の一撃が失敗した直後で、無防備だった俺に回避しようがない。
せめて自ら跳ぶことで、蹴りの威力を弱めるのが精一杯だ。
距離がひらくと、俺と男は身構えながら対峙した。
フードの奥で、男が笑う気配を感じた。
負傷した腕をかばうことなく、こちらを観察している。
「いきなり乱暴なヤツだな」
くぐもった低い声。口元をマフラーで隠し、男の素顔は分からない。
「なにか気に障ることでもしたか?」
「いいや、別に?」
相手はただ、こちらに歩いてきただけだ。
なんの害意も示さず、敵対的な素振りも見せなかった。
だが、看破できないスキルを持った、殺人履歴の持ち主が近寄ってくるのだ。
俺の背後にはクリスやアステル達がいて、辺りには目撃者もいない。
これだけ条件がそろっていて、しかも先制攻撃のチャンスだったのだ。
むしろ殺さない方がおかしい。
それとも、異常なのは俺の方なのか?
殺人履歴を持っていること自体は、賞金稼ぎから足を洗った俺にとって意味はない。
単なる通行人だったならば、俺が密かに後悔すればいいだけの話だ。
だけどクリスやアステルに万が一のことがあれば、悔やんで済む問題ではない。
それにまず間違いなく、この男はクロだ。なにが、と問われれば返答に困るが。
男とクリス達の間に、身体を割り込ませながら尋ねる。
「俺はヨシタツ・タヂカだ、お前の名前は?」
俺の問いに、男はくつくつと喉を鳴らす。
「ほんとうに、おもしろいヤツだな。オレの名はヘイメルだ」
男に集中しながら耳を澄ます。嘘だ、そうささやく声が聞こえた。
「ヘイメルか。それでここに来たのは偶然か?」
「そうだ、偶然だよ。なのになんで、こんな目に会わなきゃいけない?」
嘘だと告げる声を耳にしながら、剣を構え直した。
「お前の目的はなんだ? 監察官殿か?」
フードの隙間から見える目が、笑っている気がした。
「なんのことだが分からんな。それよりも帰らせてもらうぜ?」
「ああ、かまわないさ」
俺は決断した。
ヘイメルと名乗った男の思惑がどうであれ、敵対関係にしてしまったのだ。
ここで倒すか、少なくとも騎士団に引き渡さなくてはならない。
半歩にじり寄った時、男が傷付いていない方の手を掲げた。
まるで手品のように、指と指の間に細身のナイフが現れた。
マズイ! そう思う間もなく飛来するナイフ、これは投擲スキル!
この近距離でスキルを伴った、四本の投げナイフだ。
二本を剣の刃で弾き、一本を傷付きながら素手で叩き落とした。
最後の一本は、太腿に突き刺さった。
男はすでに、次のナイフを用意していた。
かろうじて、胸のポケットから短刀を引き抜くのが間に合った。
剣との二刀流でナイフを迎撃する。
その隙に男は、身をひるがえして逃走した。
追撃を掛けようとして、太腿に痛みが走る。ナイフが刺さったままだ。
男の背中に短刀を投擲しようとしたが、 路地に入られて死角になった。
探査で追ったが、感触が曖昧で特徴が捉えられない。
そして男の反応は、通りの人混みに紛れた。
集中力が燃え尽きた気分だ。改めて、対人戦闘の恐怖をかみしめた。
太腿に刺さったナイフを抜き、傷付いた左手と一緒に治癒術を施す。
人間には魔物とは別の恐さがある。それは狡猾さだ。
敵意をむき出しにして襲い掛かる魔物は、ただ迎え撃てばいい。
だが人間は仮面を被り、奥の手を隠し、思いもよらぬ死角から刃を放ってくるから厄介だ。
俺自身がそういう類の人間だから、余計にそう感じる。
「タヂカ! タヂカ!!」
アステルがわめいている。そうだ、どう言い訳するか考えなきゃ。
そう思いながら振り返る。
クリスが、目を見開きながら棒立ちになっていた。
「クリス?」
声を掛けるが反応がない。いぶかしく思いながら近寄るが、その目は虚ろだった。
顔色は青白く、唇も色あせている。
「クリス!」
まだ抱えていた果物を取り上げ、地面に置く。触れた指先が、ひどく冷たい。
「どうしたんだいったい!」
「わ、分からない。声を掛けても反応がなくて」
アステルに詰め寄るが、彼女はただ首を振るだけだ。
「ただ…………」
「ただ、なんだ!」
思わず怒鳴ってしまった。いけない、冷静にならなくては。
「その、そなたがあの男を剣で…………」
言葉を濁したが、それでも先を続ける。
「ち、血を見たとき、彼女が悲鳴を…………よく聞こえなかったが、たぶん」
悲鳴? クリスが? 魔物を何体も屠ってきた彼女が今さら――――
――――ああ、馬鹿だ俺は。完全にしくじってしまった。
彼女の前で、俺は自分の本性を見せるべきではなかったのだ。
俺はそっと彼女を抱き寄せた。
「クリス、クリス?」
虚ろな目をした彼女の耳元に、優しく言い聞かせる。
「一緒に、家に帰ろうな」
◆
宿に戻った俺は、離れの一室でベッドに腰掛け、クリスの肩を抱き続けた。
その手を握り、身体を密着させる。彼女の反応は鈍く、特に騒ぐようなことはない。
それが良い兆候なのか悪い症状なのか、俺には分からない。
念のため治癒術を施しているが、効果は感じられなかった。
自分の体温を与えるつもりで、彼女の側に座り続ける。
それほど昔でもないのに、遠く霞んでしまった記憶を掘り起こす。
ひたすら寒気を覚えていた気がする。誰かに抱きしめてほしくて、それをひたすら耐えていた気がする。
もっと早くに気付いてあげるべきだった。
一見すると何事もなく武術大会で闘い、魔物も討伐していた。
だから見抜けなかった、そんなのは言い訳だ。
ほんの少し想像力を働かせれば、思い至って当然だった。
どんなに剣の腕が立っても、彼女は大人になりきってはいない少女なのだ。
人間を二人も殺して、心に傷を負っていないはずがなかったのに。
クリスは友が受けた仕打ちと、おそらくスキルの影響を受けた怒りにまかせ、殺人を犯した。
だけど本来の彼女は心根の優しい、素直な少女だ。
そんな彼女に、俺は未遂とはいえ人殺しの現場を再現してしまった。
そのため彼女は、忌まわしい記憶を蘇らせてしまったのだろう。
やがてフィーが離れにやってきた。
事情をアステルから聞いているはずなのに、彼女は俺を一言も責めなかった。
それが逆に辛かった。
俺は彼女にクリスを預け、そっと離れを出た。
俺がいても、彼女達には辛い思いをさせてしまうだけだろう。
居間のソファーには、アステルが一人で座っていた。
一つだけ灯ったカンテラが、彼女の顔をオレンジ色に照らしていた
「クリサリス嬢の容態はどうだ?」
「身体に異常はない」
「そうか…………」
俺は向いのソファーに座り込んだ。そのまま語る言葉もなく時間が過ぎる。
「…………なにか聞きたいことがあるんじゃないか」
黙り込んでいても始まらない。アステルに話を振ったが、彼女は首を傾げる。
「クリサリス嬢のことか?」
「確かにそれもあるけど、ほら、あの男のこととか」
「ああ、なるほど」
彼女は腕を組んで考え込み、それからきっぱりと宣言した。
「話したかったら、話すがいい」
彼女の口振りに迷いはない。
「そなたを信頼すると言ったはずだ。なぜあのようなことをしたのか、わたしには理解できん」
そこでひたと、彼女は俺を真向から見据えた。
「だが、必要なことだったのだろう?」
森で魔物を討伐した時、確かに彼女は信頼を口にした。それはあの場限りの言葉ではなかったのか。
彼女の信頼が、ひどく重い。俺はそこまで、彼女を無条件で信じるわけにはいかない。
いや、信じる信じない以前に、明かすことができない秘密を抱えすぎている。
「…………あの男は危険だと考えた。だから無力化しようと思った」
無力化、か。体裁をつくろった、便利な言い方だ。
なるほどと頷くアステルに、問い掛ける。
「あの男と、あそこで出会ったのは偶然じゃないんだな?」
「あの男の言葉は、嘘だった」
なるほど。問題はヤツの目的だ。
「アステルのことを尋ねたら、なんのことだか分からないと答えたが、どうだ?」
少し微妙な言い回しだが、真偽判定の適用範囲だと思う。
「それは嘘ではなかったな」
なるほど。ならば俺が目当てだと考えるのが自然だろう。
ヤツの個人的な動機、あるいは雇われていたケースも考えられる。
ヤツが暗殺者だったとして、雇い主に該当しそうなのは何者か。
奴隷商館、商業組合、可能性は低いが冒険者ギルドぐらいか。
あるいは賞金稼ぎの時の因縁だろうか。
こうして改めて考えると、けっこう身に覚えがあるな。嘆かわしいことだ。
いつの間にかアステルが去り、俺は独り考えに耽っていた。
◆
翌朝、俺はいつもより遅く起床した。
部屋に戻ってベッドに入っても眠れず、明け方頃に少し微睡んだ程度だ。
重い身体を起こし、着替えをしてから部屋を出る。
鈍い頭を占めているのは、クリスのことだ。
もっと早く起きて様子を見るべきだったと後悔した。
同時に彼女と会うことを恐れた。もし、彼女の状態に変化がなければ、コザクラを訪ねようと思った。
彼女ならあるいは、そう考えている自分が可笑しかった。
いろいろと邪険にしているのだが、結局はあの少女を頼ってしまうのだ。
食堂からは人の気配がする。もうとっくに朝食の時間だった。
俺は立ち止まり、決意が固まるのを待ち続けるが、一歩が踏み出せない。
その時、騒ぎが聞こえてきたので、俺は慌てて食堂に駆け込んだ。
朝の陽ざしを浴び、クリスが食卓に座っていた。
口に食べ物を詰め込み過ぎ、喉を詰まらせてもがきながら。
「まあ、あれです。昨日は晩御飯を食べなかったものですから?」
フィーとリリちゃんに介抱され、水を飲み下してひと心地ついたようだ。
平静さを装い、クリスは何事もなかったように説明する。
「ちょっと小腹が空きまして?」
周囲の冷たい視線をものともせず、クリスは香茶で喉を潤す。
だが俺は、彼女の額に流れる一滴の汗を見逃さなかった。
よく考えれば、昨日のお昼は果物だけだった。健啖家の彼女には物足りないだろう。
夜も食事ができる状態ではなかったから、さぞかし腹も減っただろう。
「それで朝食を口いっぱい頬張って、喉を詰まらせたと?」
それでも俺の声は、自然と低くなる。
普段と変わらぬ彼女の様子を見て、確かに無条件で嬉しい。
だけどこっちは夜も眠れず心配したのだ。
なのに本人はけろりとして朝食を貪り、喉を詰まらせていたのだ。
どこか釈然としない。
「…………すみません、お騒がせしました」
周りの無言の圧力に負け、クリスはしょんぼりと頭を下げた。
俺はそっと、フィーの方をうかがった。彼女は親指を突き立て、片目をつぶった。
鼻の奥がツンとしたが、何食わぬ顔で食卓に着く。
「リリちゃん! 今朝の朝食はなにかな?」
安心したら、お腹が空いた。今なら白アスパでも食べられそうだ!
「ごめんね、タヂカさん。おかずはみんな、クリスお姉ちゃんが」
リリちゃんは申し訳なさそうな顔で謝った。
…………やっぱり、釈然としなかった。




