SS-03 元筆頭冒険者の長話
「五倍、だな」
「五倍、ですか」
「…………一〇倍かもしれん」
「なるほど、分かる気がします」
「分かるのか?」
「つまり考えれば考えるほど、差が開いてくると?」
「その通りだ」
その日、俺が街の通りをぶらついていると、偶然ギザールさんと出くわした。
お小遣いを貰ったばかりの俺は、彼を酒場に誘った。
ガーブの道場で知己を得て以来、一度はこの元冒険者の話を聞きたかったのだ。
さすがは元冒険者筆頭だった人物である。
酌をしている内に聞けた魔物の特性、剣や防具の取扱いなど、豊富な経験に裏打ちされた知識は、どれもためになった。
そしていよいよ、話がもっとも重要な話題に移った時に、
「さっきからなに訳のわからねえ話をしてやがる!」
なぜかいきなり双剣ベイルが怒鳴り込んできた、
「なんだ、ベイルの小童か」
八高弟を捕まえて、コワッパ呼ばわりできる人間はそうはいないだろう。
「二倍だの三倍だの四倍だの、いってえなんの話しだ!」
どうやら別の席で飲んでいたところ、たまたま俺達の会話が耳に入ったようだ。
中途半端に聞こえるのに内容が理解できず、苛立ってしまったらしい。
「小童には分からぬ話よ」
「ギザールさん、それでしたら俺も」
「いいや、ベイルの小童とは違い、お前さんは見込みがある」
「なんでえなんでえ、オレがおっさんに劣るっていうのかい」
ベイルは不機嫌そうに、ドカッと俺の隣の席に座り込んだ。
「魔物と遊んでばかりいるお前とタヂカでは、人生経験が雲泥の差よ」
ギザールさんはふんと鼻を鳴らし、酒をあおる。
「…………人生経験、ねえ?」
なんか疑わしそうな目で見られたよ。
「それで、いったいなんの話だよ。金か? 魔物の話か?」
「くだらん、だからお前は浅はかだと言うのだ」
ギザールさんが切って捨てる。
「決まっておろう。わしの孫、マリアの可愛さ――――」
ダッシュで立ち上がろうとしたベイルの腕を、俺はがっちり掴んだ。
「は、はなしやがれ!!」
「どうしたんだお兄様、そんなに慌てて?」
無剣流で強化した握力をフル稼働し、ベイルを拘束する。
絶対に逃さん、絶対にだ。
「騒々しいぞ。いったいどうした?」
「ジジイの孫自慢はクソ長ムガア!?」
ベイルの口を塞ぎ、ギザールさんに答える。
「きっとお孫さんの話が聞きたくて、うずうずしているのでしょう」
「そうか? まあ、マリアの可愛さは格別だからな」
頷くギザールさん。俺の適当な言い訳に、よくも納得できると感心する。
孫可愛さのあまり、目と耳が都合よく解釈しているのだろう。
「さて、話を戻すと」
そう、年配者の話は行ったり戻ったり、話を繰り返すことが多々ある。
しかもやたらと前置きが長い。俺の祖父の思い出話は、よく時代背景から始まったものだ。
本旨はだいたい、脱皮した蛇の皮を拾ったとか、牧歌的な内容が多かったが。
「確かに娘も子供の頃は可愛かった。しかしどこで育て方を間違ったのか、年頃になると生意気になりおって、ついには男を連れてきて所帯を持つなどとぬかしおった」
「なるほどなるほど」
「わしは反対した。どこの馬の骨とも知れん男に娘はやれんと」
「ふむふむ、確かにご心配でしたでしょう」
やがて孫のマリアちゃんが産まれたことを契機に、娘夫婦と和解に至ったそうだ。
それから娘と孫の可愛さ比較に戻った。ここまでが前置きだったのだ。
娘一に対し、孫の比率はどのくらいか。マリアちゃんのエピソードが語られるとどんどん上昇し、ついにその日は三〇倍という、驚異的な高値を叩き出した。
ギザールさんと娘さんとは、かつてどんな確執があったのだろう。
ところで俺は、年配者の長話にけっこう耐性がある。
頭を空っぽにするのがコツだ。そのうちコックリコックリ眠気を催してくるが、自分の話に夢中な老人は気にしないものだ。
ベイルには、そこまでの耐性はなかったらしい。
俺に腕を掴まれ口を塞がれたまま、グッタリとうなだれていた。
なにもかも諦めた、虚ろな目をしていた。
確かに俺と彼とでは、人生経験に違いがあったようだ。




