挿話の8 クリスの疑惑
彼女と出会ってから、タツの様子がおかしい。
最初、タツは彼女と関係を持つことを、嫌がる素振りを見せていた。
それなのに、どんなに話がこじれても彼女の件からは手を引こうとしない。
彼女に対するタツの態度は、どこかちぐはぐな印象があった。
「クリス、どうかした?」
フィーの声で、我に返った。
夕食を終えた後、居間でみんなは思い思いに過ごしている。
どうやらタツを眺め、ボーとしていたらしい。
彼はいま、ベリトさんの肩に腕をまわし、しきりに酒を勧めている。
ベリトさん、ちょっと迷惑そうだ。
そう言えば、ベリトさんの昼間のアレは、やはりスキルなのだろうか。
今日、北の森で霊礫の密輸を企んでいた冒険者二人を捕縛した。
彼らを襲っていた魔物の群れを殲滅した後の事である。
倒した魔物に止めを刺し、みんなのところに戻る途中だった。
逃走をはかる二人組の冒険者の間を、ベリトさんが駆け抜ける瞬間を見た。
すれ違いざま、ベリトさんの両腕がかすむほどの素早さで振るわれた。
二人の冒険者は腕をとられ、同時に投げ飛ばされた。
力任せの技ではない、絶妙なタイミングとバランスだった。
形は違えど、剣術と同じスキルの匂いがした。
思い返せば、それからだ。タツがやけに、ベリトさんにからみだしたのは。
「ずいぶんとベリトさんに馴れ馴れしいと思わない?」
「飲み友達ができて嬉しいのよ」
そうなのだろうか? 言われてみれば、そんな風にも見えるけど。
「ところで、何を読んでるの?」
フィーは先ほどから、手にした資料を読みふけっている。
隣から覗き込むと、何やら数字の羅列がびっしりと書き込まれていた。
「ラレックさんに貰った、鎧蟻の素材の相場とその他諸々の情報」
ラレックさんは商業組合の職員だ、その彼と会う機会なんてあっただろうか?
「冒険者ギルドを仲介して、資料を送ってもらったの」
最近、セレスさんと内緒話をしていると思ったら、そんなことをしていたのか。
「あ、これ、秘密資料らしいから、よそに漏らしちゃだめだよ?」
「なんでそんなもの、貰えたのよ」
「タツの頼みだって言ったら、こっそりね?」
「ほんとうなの、それ?」
「半分はほんとう」
残り半分は嘘ってことじゃない!
「パーティーの会計はわたしに任せるって、タツが約束したでしょ?」
その一環だからと言われた…………それなら、いいのかな?
「別に悪いことしているわけじゃないよ。新しい組合長にも許可をもらっているから」
そう言えば武術大会の時、フィーは商業組合の新しい組合長に挨拶に出向いていた。
「…………何をコソコソとやっているのよ」
いつも一緒にいると思っていたフィー。
だけど彼女は、私の知らないところで色々と画策しているらしい。
何故かそのことに、少し不安を感じてしまった。
「手持ちのお金を増やせないかと思って、いろいろ調べているんだけど。タツはあの鎧蟻の素材、売る気はないかしら?」
そんな私の心細さをよそに、フィーはあっけらかんとしていた。
言われて、いまもギルドの倉庫に眠る鎧蟻達の抜け殻を思い出す。
「たぶん、売らないと思うけど…………」
タツはあれで私達のパーティーの装備を整えると言っていた。だから売らないで保管しているのだと。
確かに、それも理由のひとつだろう。
だけど彼の本音は、あの鎧蟻の遺骸で金儲けをしたくないのだと思う。
女王蟻の遺骸の前にしたタツの横顔は、とても厳粛だった。
かつての強敵に対して、彼は畏敬の念を持っているのだと思う。
傍目には奇妙な感傷に映るかもしれない。
だけど私は、そんなタツの謙虚さが好ましく思える。
そんな意味のことをフィーに説明した。
「タツのすることなら、クリスは何でも良い方に解釈しそうね?」
彼女に笑われ、ちょっと顔が熱くなる。別にそんなこと、ないと思う。
「だったらアステルさんとのことも、信じてあげなよ」
フィーの言葉に、心臓が高鳴った。
まさかフィーに勘付かれているとは、思わなかった。
「…………だけどフィーだって、タツの様子が変だと思うでしょう?」
タツやアステルさんに聞こえないように、こっそりと耳打ちする。
「妬いているの?」
「違うわよ、バカ」
いまアステルさんは、リリちゃんに今日の武勇伝を語っている。
いかにタツが勇敢に魔物に立ち向かったか、身振り手振りで描写している。
リリちゃんは固唾をのんで聞き入っている。どうもこの二人、馬が合っているようだ。
思うにアステルさんが、年齢の割に子供っぽいからだろう。
「アステルさんも妙にタツに懐いているし」
「そうね?」
「タツのどこがいいのかしら」
「クリスがそれを言うの?」
資料から目を離し、フィーが呆れたようにこちらを見る。
「だってそうでしょ? たった数日であんな風に親しくなるなんて」
容姿が理由の筈はない。いくらお世辞でも、タツは美男子とは言えない。
別に魅力がない訳ではないのだ。例えば笑顔のとき、唇の端に刻まれるシワとか。
あるいは困惑したときに下がる眉尻が可愛いとか、そういう細かい魅力はたくさんある。
でも顔全体としては、ごくごく普通と評するしかない。
「よくそこまで観察しているね」
フィーが変な目付きでこちらを見た。まあ、他の人は見逃してしまうのだろう。
「アステルさんだって、ちゃんとタツのことを見ていると思うけどな」
資料に視線を戻し、フィーは呟く。
「タツの悩みだって、ちゃんと気が付いてあげられたじゃない」
傷口を、えぐられた気がした。
魔物の群れに狙われた冒険者がいることを、タツは私に教えてくれなかった。
それどころか、嘘をついてまで私の目を逸らそうとした。
顔には出さないようにしたが、内心でショックを受けた。
少しだけ、ほんのちょっとだけ裏切られた気分にもなった。
そのことでこっそりとフィーに愚痴を漏らしたら、彼女は教えてくれた。
タツは、私が苦しまないようにしてくれたのだと。
だけど気分は晴れなかった。
タツは悩み事があっても、私達と分かち合おうとしてくれないから。
でも、アステルさんはあっさりと、タツの悩みを見抜いてしまった。
スキルのおかげだと、言い張ることはできるだろう。でも、そんなことは言い訳に過ぎない。
彼女にスキルがあるというのなら、私にはタツと一緒の時間を過ごしたという自負がある。
それなのに――――
「わたしはね、クリス?」
フィーは資料を膝の上に置き、アステルさんに視線を向けた。
「タツがアステルさんと仲良くなるなら、結構なことだと思うの」
私はフィーの横顔を見て、口をつぐんだ。
「彼女の事情はよく知らないけど、王都のギルド本部の職員で、おまけに貴族様でしょ? 彼女とのつながりが深まることは、きっとタツの利益になるよ」
フィーは、感情のうかがいしれない笑みを受けべていた。
◆
「さて、いつもの修練ですが、本日は特別講師をお招きしました」
早朝の宿の中庭で、タツは満面の笑顔を浮かべていた。
いつもタツと私で行っている朝の修練に、余計な参加者が二人いた。
ベリトさんと、それにフィーだ。
いつも朝食まで寝かせてあげるフィーを、タツは寝床から引っ張り出してきたのだ。
寝ぼけ眼の彼女は、部屋から持ち出した椅子に座って見学だ。
タツはベリトさんの肩を抱き、腹が立つほど爽やかな表情で紹介する。
「ギルド本部にお勤めの、ベリト先生です」
「……ねえ、旦那? いったいぜんたい、これはどういうこって?」
ベリトさんは困惑した顔でぼやいた。
「おや、覚えていらっしゃらない? 昨夜、私共に稽古をつけてほしいとお願いしたら、こころよく引き受けて下さったじゃないですか」
タツが自信満々にのたまう。確かに、その場面は私も見ていた。
ほとんど酔い潰されたベリトさんが、うんうんと頷いているのを。
でもあれは、うつらうつら舟をこいでいただけのような気もする。
「ベリト先生は徒手空拳の戦いに秀でているので、みんなで教わりましょう!」
ようやく納得した、タツはこれを企んでいたのか。
武器を持たない戦い方では、魔物討伐の役には立たないだろう。
でも人間相手なら、手加減をしたいときに使えるかもしれない。
確かに学んでおいて損はない。
宿の中庭で、ベリトさんとタツが対峙した。
二人とも身軽な服装で、武器の類はいっさい手にしていない。
タツが腰を落とし、肘をゆるく曲げて両手を前に突き出した。
傍目にもあまり見栄えはしない構えだ。だけどその目は真剣そのものである。
どこか遠くを見るような、全てを見透かすような眼差しである。
「さあ先生、いつでもどうぞ!」
タツの宣言に、ベリトさんは諦めたようにため息をつく。
次の瞬間、タツは投げ飛ばされた。
ほとんど抵抗もなく、それは見事な放物線を描いて、地面に叩きつけられる。
あまりにあっけない有様に、どう反応したらいいのか分からない。
「こんな感じでいいですか、旦那?」
ベリトさんはちょっと困ったように、タツを見下ろした。
仰向けに倒れたタツは、呆然と空を見上げていた。
しばらくしてから喉を鳴らし、やがて大声で笑いだす。
「これだよ、これ!」
もしや頭でも打ったのかも、そんな心配をするほどの陽気さだ。
タツは跳ねるように立ち上がると、ベリトさんの肩を叩きだした。
「素晴らしい! 素晴らしいですよ先生!」
バンバンと肩を叩かれるベリトさんは、助けを求めるようにこちらを見る。
そんな目で見られても、私にどうしろと?
それから朝食まで、タツは投げられたり殴られたり蹴られたりした。
手加減してくれたようだけど、最後には疲労で立ち上がることもできなくなった。
だけどタツは終始、上機嫌なままだった。
◆
結局、宿に滞在している間、ベリトさんに稽古をつけてもらうことになった。
タツの要望を承諾したのは、彼自身ではなく上司のアステルさんだ。
「仕方あるまい」
臨時講師を命じられたベリトさんの抗議に、アステルさんも不本意そうに答える。
「タヂカが昨日の救助依頼の報酬を受け取らないのだから」
タツは護衛任務の延長だと突っぱね、それとこれは別だと主張するアステルさん。
ならば代案として、ベリトさんに素手での戦いの稽古をつけて欲しいと頼んだ。
「そちらの方が何倍もありがたい」
頼み込むタツに根負けして、アステルさんはしぶしぶ了承したのだ。
「それでは今日も、北の森の視察を」
「馬鹿なのか君は? この頭にはふわふわのワタでも詰まっているのか?」
性懲りもないアステルさんの発言に、タツの堪忍袋の緒がきれたらしい。
彼女の頭頂部を拳でグリグリと、容赦なくえぐった。
もっとも、初回から断固として拒絶しなかったタツも甘いと思うけど。
魔物相手に絶対の安全はない。昨日の冒険者二人が良い例だ。
少しばかり強くなったぐらいで、私達は自惚れていたらしい。
素人を引き連れて魔物の領域に踏み込むなど、驕りというものだ。
「今度も守りきれるとは限らないんだからな!」
「無礼者! 淑女の頭になにをするか!」
タツの手を払いのけ、怒鳴り返すアステルさん。
ぎゃあぎゃあと始まった喧嘩を、ベリトさんとフィーは生温かく見守る。
私も呆れて眺めていたが、ふと気が付いた。
タツを睨みあげるアステルさんの口元が、どこか嬉し気なことに。
なんとなく、面白くない気持ちになった。
◆
それからようやく話がつき、二手に分かれて行動を開始した。
ベリトさんには、助手としてフィーが付き添い、ギルドの監査を。
私とタツが護衛を務め、アステルさんは街中で情報収集をすることになった。
「クリス、なんか食べるか?」
「えっ? ええ!」
街を回って情報収集を行ううちに、昼前になった。
市場に立ち寄ると、タツが露店で果物を両手に抱えるぐらい買ってくれた。
渡された黄色い果実の皮を剥くと、中から果汁があふれた。
とても美味しくて、何個でも食べられる。
「…………わたしの分は?」
「自分で買え」
ボソリと呟くアステルさんに、タツはにべもなく答える。
どうやらまだ、今朝のことを怒っているようだ。
ずいぶんとしつこいなあ、うん、甘酸っぱくて美味しい。
しばらくこちらを睨んでいたアステルさんが、別の果物屋に足を運んだ。
「店主! こちらの水菓子を購おう!」
アステルさんが店先にデンと置かれた果物を指差した。赤紫の色をした、赤ん坊の頭ほどもある果実だ。
「へいらっしゃい!」
太鼓腹の店主が、素早くアステルさんの身なりを確かめた。
あ、これはやられるな、と思った。アステルさんの衣装は上等だし、見掛けだけは気品がある。
カモに思われて当然だろう。
「大負けに負けて、半値の銀貨一枚だ!」
いくらなんでもふっかけすぎだ! 前に出ようとしたら、タツに腕を引かれた。
「そなたは嘘をついている」
アステルさんは冷やかに告げた。
「これはそれほど高価なものであるまい」
店主はちょっと鼻白んだ。それでも商売用の笑顔を取り戻し、頭をぺちんと叩いた。
「それじゃあ掛け値なし、真っ正直な値段の半銀貨で」
「そなたは嘘をついている、もっと安価なはずだ」
アステルさんの態度は無愛想で、取り付く島もない。
タツの話を思い出した、アステルさんは嘘を見破るスキルをもっていると。
だけど、駆け引きも何もあったものではない。
確かに店主もふっかけすぎだが、もう少しマシな言い方があるはずだ。
「…………いやなら、よそで買ってくれ」
店主がそっぽを向いた。彼もあくどいが、嘘つき呼ばわりはひどいと思う。
懐が暖かそうな相手には高値で売る、それが商売の基本なのだ。
「適正な値段で売れと言っているのだ、わたしは」
「いやだね、あんたにゃ売りたくねえ」
「なんだと!」
私の腕をつかんでいた手を離し、すいっとタツが前に出た。
「いやおやっさん、すいませんねえ」
タツはぺこぺこと頭を下げながら、愛想笑いを浮かべる。
「いえね、うちの御嬢さんがどうしても自分で買い物をしたいっていうから任せたんですけどね?」
「な! 嘘を――――」
タツがこちらを素早く一瞥した。私は何か言いかけるアステルさんの背後に回り、口を押えた。
暴れる彼女をズルズルと引きずって、その場から離れる。
タツはさかんに店主に何かを話し掛けている。
最初は聞く耳を持たなかった店主も次第に軟化し、最後には苦笑した。
タツは大銅貨二枚を渡して、目当ての果物を手に入れた。
「ほら、落とすなよ」
アステルさんを解放すると、タツは彼女に大きな果物を渡した。
意外な重さだったのか、アステルさんは慌てて抱えなおした。
タツはそのままスタスタと歩き出した。
その後をアステルさんが、さらにその後ろに私が続く。
どれほど歩いただろうか、路地を入って抜けた先に広場があった。
建ち並ぶ家屋に囲まれた、ちょっとした空間だ。こういう場所は街中のそこかしこにある。
小さな花壇やベンチがしつらえてあり、地元の人達の憩いの場になっている。
仕事で忙しい時間帯なのか、他に人影は見当たらない。
「ちょっと休もうか」
タツはベンチに腰掛けると、脚を組んで空を見上げた。その隣に、アステルさんが座った。
私はなんとなく近寄りがたい雰囲気を感じ、花壇の前に立って花を眺めるフリをした。
「食べないのか、それ?」
タツの言葉に、アステルさんは答えない。
しばらく黙ってから、ふたたびタツが口を開いた。
「…………スキルのせいなのか?」
「そうだな、そう解釈しても間違いない」
ちらりと、二人の様子を確かめる。
膝に果物を置いたアステルさんが、静かに言葉を続ける。
「どうしても口に出さないといけないのか?」
「嘘の度合いや性質にもよるのだが、例えるなら咳を我慢するために呼吸を止めるようなものだ。ひどい嘘になると、肺から溢れる毒虫が、喉元につかえたような気持ちになる。むろん、比ゆ的な表現だが」
「…………我慢し続けると、どうなる?」
「秘密だ」
そばで聞いていたが、よく分からない会話だった。
どうやらアステルさんのスキルについて、話をしているらしいと見当はつく。
だけど彼女の物言いには、自分のスキルに対する自負も自賛もない。
まるで病気の症状を語るような、そんな口調だ。
なんとなくだけど、共感できた。
タツには内緒にしているが、私も忌まわしいスキルを抱えている。
獅子王、こんなスキルがなければと、思ったことも一度や二度ではない。
だから淡々と自らのスキルを語るアステルさんが、他人事とは思えない。
もっと彼女と話してみよう、そんな風に思った。
彼女が良い人なのはとうに分っているのだ。
ちゃんと話せば、きっと仲良くなれるはず。
そう考えたら、胸に巣食っていたモヤモヤが晴れた気がした。
「それじゃあぼちぼち、行くとするか」
「これはどうするのだ」
アステルさんが果物を掲げて見せる。
「なんでそんな大きいのを欲しがったんだよ」
「そなた達に自慢して、見せびらかせながら食べようと思った」
「一人で食いきれるのか?」
タツは呆れながら笑った。私もつられて笑ってしまった。
「持って帰って、リリちゃんへのお土産にすればいいさ」
「…………けっこう重いのだぞ?」
「私が持ちましょう」
そう言って果物を取り上げると、アステルさんが慌てる。
「いや大丈夫だ! わたしが!」
「遠慮しないでください、こう見えて力はあるんです」
困惑するアステルさんに笑いかけ、歩き出したタツを一緒に追った。
広場を抜ける路地の手前で、タツが立ち止まった。
ちょうど路地の奥から、人がやって来たのだ。
狭い路地は互いに譲り合わないと、通り抜けることが出来ない。
こういうちょっとしたマナーが街で暮らす上で大切なのだと、最近知るようになった。
フードを被った男性が路地から出て、こちらに会釈をした瞬間
タツが剣を抜き放ち、男性に斬り掛かった。
真赤な血しぶきを見た瞬間、頭の中が真っ白になった。




