生態調査
「ひどい目にあった」
俺は愚痴りながら、ジントスさんに握り潰されそうになった頭をさする。
「おまえがあの嬢ちゃんに、余計なことをしゃべるからだ」
ジントスさんは平然とうそぶく。
「あんたがこういう真似を平気でするから警告したんだよ!」
「うるせえな、ちゃんと手加減しただろ」
「俺はさっき! まちがいなく頭が軋む音を聞いた!」
「気のせいだ、若いもんが細かいことにこだわるな」
「頭蓋骨陥没はちっとも細かくないが、ありがとう!」
くそ、若いとかお世辞を言われても誤魔化されんぞ!
「ところでギルドマスター、本日のご用件はなんでございましょうか?」
「……………………今日は北の森へ視察に行くらしいな」
「よく知ってますね?」
北の森の状況を知りたいとアステルが言い出したので、その護衛をしなければならないのだ。
正直、気が進まない。はっきり言えば反対だった。
浅い層とは言え、魔物の徘徊する森に彼女を連れて行きたくない。
「監察官による北の森の視察は、いまは形骸化しているんだがなあ」
後頭部を掻き、眉をしかめてぼやくジントスさん。
「そうなんですか?」
「王都の軟弱どもは、雑魚しかいない東の平原さえ尻込みする。それに魔物の生態調査は別口で行われているんだ。その部分に関する監察官の規則は、事実上の死文だ」
「だったらなんで…………」
ジントスさんがスッと目を横に逸らした。
「おい、あんた」
「…………ひょっとしたら、わしのせいかもしれん」
俺が問い詰めると、ジントスさんはしぶしぶ白状した。
最初、アステルも北の森の視察には消極的だったらしい。
ここ十年あまり、実際に北の森に足を踏み入れた監察官は皆無だった。討伐記録から状況を推し量り、本部に報告してお茶を濁していた。
だからアステルが先例にならっても、どこからも非難される謂われはない。
迷うアステルに、ジントスさんもアドバイスしたらしい。
優秀な冒険者でも、護衛任務と言うのは難しい。
まして俺やクリス達は冒険者登録してから一年にも満たない新人だ。俺達がヘマでもしでかしたら危険な目に会うぞと、ジントスさんは忠告したそうだ。
「あと、修羅場を知らない本部員には、荷が重すぎると言っただけなんだが」
「それだよそれ、間違いなく」
余計なことを言ってくれたな。
アステルは気が強いのだ、そんな物言いでは逆効果にしかならない。
結局、協議の上で北の森の視察は決定されたそうだ。
俺はため息をつく。しかし、まあ、なんとかするさ。
探査を使えば、魔物と遭遇することなく案内できるだろう。自惚れるつもりはないが、現実問題として他の冒険者が護衛するより危険度は低いはずだ。
俺は立ち上がって一礼してから、執務室を後にした。
「ようやく来たか!」
一階に降りると、待ちくたびれたとばかりにアステルが駆け寄ってきた。
「ああ、すまない、待たせた」
「気にするな、仕方がないことだ」
アステルの寛大な言葉を聞き、ベリト君がくすくす笑う。
「まだかまだか、遅い遅いと騒いでいたじゃないですか」
「うろうろと歩き回って、落ち着きがありませんでしたね」
「椅子に座れば貧乏ゆすりして行儀が悪いし」
クリスとフィーの暴露に、アステルは赤面して慌てふためく。
「ごほん、いいではないか! ほら、さっさと行くぞ!」
彼女はわざとらしく咳払いし、出口に向かって歩き出した。
◆
「さて、安全で快適な探索を達成するために、いくつかの注意事項があります」
俺は指を立てて注目を集める。
「一つ、騒がない。二つ、勝手に出歩かない、三つ、俺の指示に従うこと」
アステルは緊張した面持ちで頷く。他の面々はいい具合に肩の力が抜けている。
「それでは各自、武器を点検したね? それじゃ出発!」
こうして俺達は、北の森の探索を開始した。
北の門を出てしばらく歩いた場所から、北の森が広がっている。
聞くところによると、以前はもっと森が街の方まで広がっていたそうだ。
資材と燃料を得るため、森は伐採されて後退し続けているらしい。
冒険者達の主要な狩場であり、今日もいくつものパーティーが侵入しているだろう。
すでに見慣れた森の光景だが、警戒は怠らない。
アステルのために開けた場所を選んで進んでいるが、森の奥には無数の魔物がひしめき合っているのだ。
どこから魔物が襲い掛かってきても不思議ではない。
そのように警告したら、アステルは唾を飲み込んで頷いた。護身用の短刀を握る手に力がこもっている。
襲い掛かっても不思議ではないのは一般論で、探査に引っかかる魔物の姿はない。
探査範囲を拡大したが、特に異常は見受けられない。
冒険者パーティーと思しき反応が三つ、点在しているのみだ。
「静かなもんですね」
一見するとのどかな森を見回し、ベリト君は感想を述べる。
アステルとは違い、彼は特に緊張する様子もなく、彼女の傍らを守っている。
反対側にはクリスが、アステルの後をフィーが付き従っている。
俺が先頭を進み、探査で周囲を探りながら、全員でアステルを囲んでいる。
「この辺は魔物の数が少ない。だけど時には、とんだ大物が迷い込んでくることがあるからな」
「例の上級魔物の件だな」
「知っているのか?」
「ああ、事前に資料を読んできた。そなたはその討伐に参加したのか?」
アステルの言葉には、何の含みもないようだ。
どうやらギルド本部には詳細な情報は伝わっていないらしい。当然だ、魔物の被害など辺境では日常的な出来事なのだから、いちいち詳しい報告などするはずがない。
しかし、都合がいいので便乗させてもらおう。
下手に目立って本部の注意をひくと、クリス達のことが漏れるおそれがある。
「ああ、参加したよ」
「そ、その、どうだったのだ、上級魔物は」
「ひどい目に会った」
あの時の凄惨さは、いま思い出しても身震いがする。暴れ狂う上級魔物に、何人もの冒険者がなぎ倒され、一時は俺も死を覚悟したほどだ。
今にして思えば、ずいぶんと無茶をしたものだ。
カティアが援護に徹してくれなければ、死亡者が出たに違いない。
「あの時のタツは、とても格好良かったです」
「そうなのか? 信じられんが」
クリスの言葉が、アステルにはすごく意外そうだ。俺もびっくりだ、何の話だ?
「迫る上級魔物の真正面に、タツが単身立ちはだかって」
「げほ、んん!」
俺は咳払いをして、振り返る。
「そういや、あの時は助けてくれてありがとう、クリス。君がいなけりゃ、あの世行きだったよ」
いえそんなとか、顔をうつむけて照れるクリス。
頼むから! 余計なことを言わんでくれ!
「それにしても、わざわざこんな場所を視察する必要が本当にあるのか?」
「う、うむ、この森の状況は重要事項だからな」
なにやらうろたえるアステル。そんな彼女を、ニヤニヤと見詰めるベリト君。
「この森が、さらに北へ遡った樹海の一部だというのは知っているな?」
「ああ、樹海は前人未到の地で、噂によると魔物であふれかえっているらしいな」
誰も行ったことがないので、あくまでも噂だが。
冒険者達がいくら狩っても魔物の数が減らないのは、次から次へとこの樹海から魔物が流入しているせいだと言う。
一説によると、北の森にいる魔物は、樹海での熾烈な生存競争の敗者らしい。
樹海で他の魔物に敗れた弱い魔物の逃亡先が、北の森なのだ。その説が正しいのなら、あの上級魔物さえ凌ぐ魔物が、樹海の奥深くで覇を競っていることになる。とんでもない話である。
「魔物の多くが、森の中で生息している。つまり森が広がるにしたがって、魔物の領域も広がるわけだ」
「なるほど」
「だから逆に、森を侵食することによって、魔物の生存領域を押し返す」
アステルは、いま歩いてきた後方へ視線を向ける。
「そのために、あの街をはじめとして、いくつもの辺境都市が建設された」
彼女の言葉に、視点の転換が生じる。
そうか、魔物討伐は言わば、二次的なものなのだ。
真に魔物の領域の南下を抑える役割を担っているのは、街そのものなのだ。森を伐採し、開拓することによって、人類の生存権を拡大しているのだ。
その街を守るために、冒険者達は魔物討伐を繰り返しているのだ。
「人類の最前線に建てられた橋頭保というわけか」
「そう考えている者もいる。逆に目障りに思う者も」
アステルは思案気に言葉を続ける。
「あの街が存在することにより、経済的な不利益をこうむる周辺都市もある。税率で優遇され、物資の流通で重要な位置を占めている。もしあの街がなければ、代わりにうるおう都市がかなりある」
「いや、ちょっと待て。その理屈はおかしい、だって魔物の領域を押さえる役割をしているんだろう? もしあの街がなくなったら」
「それはあくまで長期的な視野に立った見解だ。魔物の領域の拡大は一〇〇年、二〇〇年単位で測られる問題だ。あの街がなくなって樹海が南下すれば、魔物素材の採取場所を子孫が手に入れる。そんな風に考える領主もいる」
冗談だろ? 唖然としてアステルの顔を見詰めるが、彼女の顔はしごく真面目だ。
「現実に、後背を突かれて滅ぼされた辺境都市もある」
すごい話だと思った。あの上級魔物を、あの鎧蟻の軍団を、単なる金儲けの材料としか考えず、自分の都市の繁栄のために人類の最前線を破綻させるなんて。
「正気の沙汰じゃない」
「そうか? 現実にあの街は、魔物のおかげで繁栄しているではないか」
アステルはちょっと笑ってから、表情を引き締める。
「そういう浅はかな考えを防ぐためにも、魔物領域の実態を世間に知らしめる必要がある。そのための調査なのだ」
なるほど。とても立派な仕事だ。俺達が賞賛の想いを込めて見詰めると、アステルは顎をあげてムフンと鼻を鳴らした。
「……一日の視察でどれほど収穫があるか、たかが知れているんですけどね?」
ベリト君が茶々を入れる。
「ここ一〇年位は生息状況に特に大きな変化もありませんし、現場の冒険者から実情を聴収した方が効率良いですし」
「ま、まず自分の目で現場を確認しなくては! そ、それに一〇年の平穏が明日まで続くと言う保証もない!」
びしっとベリト君に指を突き付けるアステル。
「それを油断大敵と言うのだ!」
オオと、俺とクリス達は思わず拍手する。ベリト君もうんうん頷いてから
「それが理由の全てだと誓えますか?」
「さて、無駄話が過ぎたな。先に進もう」
アステルは一同をうながし、前進を再開した。
ジントスさんに見くびられて意固地になったとは、さすがに恥ずかしくて言えないようだ。
◆
スピードはかなり速い。数は十一体、列を組んで走る様は一匹の蛇のようだ。
彼らは森を縫うように疾駆しても、列が崩れることはない。
探査が把握した大きさに移動速度、統率のとれた集団行動。
初めての感触だが、ギルドの資料にあった中型の双脚獣ではないだろうか。
「よし、街に戻るぞ」
探査に魔物が引っ掛かった瞬間、俺は撤退をアステルに進言した。
彼女には探査と明言しなかったが、気配を察知するスキルを所持していることは匂わせてある。その手のスキルならギルドの斥候も所持しているので、問題ないと思ったのだ。
魔物が見たいなどと、駄々をこねられたらどうしようかと思ったが、
「わたしはそこまで非常識ではないぞ?」
ふくれっ面で反論された。いや、色々と非常識だと思うぞ、君は。
「しかし、無事に逃げられるのか」
「ああ、それは大丈夫だ。こっちを目指している様子はないから」
魔物の進路は探査の範囲を斜めに横切っており、余裕をもって回避できる。
「そうか、ならば良かった」
アステルは胸をなでおろし、安堵の表情を見せた。
「他のパーティーは大丈夫でしょうか?」
しかしクリスは心配そうだ。戦い方は苛烈でも、その心根はとても優しい。
「心配しなくていい、周囲に他の冒険者はいないから」
「それは、嘘だ」
口を滑らせてから己の失敗を悟った。舌を噛み切りたいほどに悔やんだ。
クリスに、同じギルドの仲間を見捨てたという重荷を背負わせたくない。
そんな浅はかな嘘が、アステルと築きつつあった信頼関係を一瞬で崩してしまった。
「ヨシタツ・タヂカ。心して答えよ」
視線を落した俺に、アステルが淡々と語りかける。
「危急の瀬戸際にある冒険者が近くにいるのか?」
「…………ああ、いる」
「それは何名だ?」
「二名だ」
「その者達に、先ほど言っていた魔物が迫っているのだな?」
「…………ああ、そうだ」
「我らが救助に赴けば、その者達は助かるのか?」
「ダメだ! 俺達の仕事はアステルの護衛だ」
俺はきっぱりと拒絶する。まず優先すべきは、アステルの安全だ。
そう割り切らなくてはならない。冒険者になった以上、俺はプロなんだから。
「それに、よそのパーティーを助けるために危険を冒すなんてまっぴら御免だ」
「それは、嘘だ」
クソ! 冷静さを欠いて、上手く言葉が選択できない。
「そなた達なら、助けられるのか?」
「アステル! 分っているのか! 救助に行くのなら全員で行かなくちゃならない。つまり君も、魔物との戦闘に巻き込まれるんだぞ!」
アステルとベリト君を残していけない。だが相手は十一体の魔物の群れだ。数が多くては防御の壁を抜けられ、アステルが襲われる危険性がある。
「わたしを守りながら戦うのは、絶対に不可能か?」
それは――――
「そなたは、その冒険者達を助けたくないのか?」
「…………冒険者が危険な目に会うのは、自己責任だ」
自分でも、弱々しい口調だと思う。
「ならば、そなたに依頼をしよう」
凛とした雰囲気をまとったアステルが、厳かに命じた。
「これから、わたしがその者達を救助に向かう。そなた達には助太刀を頼む」
…………彼女がどうしても行くと言うのなら、護衛として従うまでだ。




