郷愁
「短い付き合いだったが、どうかご無事で」
「縁起でもないっ!?」
俺の見送りの言葉に、アステルがビビる。
まあジントスさんだって魔物じゃない、彼女を無碍に扱ったりしないだろう。
朝食を終えた後、アステルは時間を見計らって冒険者ギルドに赴いた。
俺とクリス達が、沈痛な面持ちでアステル達を見送る。
ジントスさんが斧を持ち出したら、なりふり構わず逃げ出せ。
俺の忠告に、ただでさえ白い肌が透けるほど蒼白になるアステル。
そんな彼女を、ベリトが引きずるように連れ去った。
「…………あんなに意地悪しなくても」
フィーがぽつりと呟く。失敬な、嘘はつけないのだ、嘘は。
だけどまあ、大丈夫だろう。何しろ彼女は、がん首揃えた八高弟に一歩も引かない胆力の持ち主なのだ。
それにジントスさんの威圧的な態度は、冒険者専用だと思う。あれでもセレスを気遣う一面を見せたこともあるのだから。
「彼女はともかく、私たちこれからどうしますか?」
クリスが本日の予定を質問する。
「うん、ちょっと実験をしたいんだ。クリス、裏庭で手伝ってくれるかな?」
「実験、ですか?」
いぶかるクリスに、チャンバラブレードを持って来てと頼んだ。
◆
俺とクリスは、裏庭でチャンバラブレードを構えて対峙した。
試合には手狭だが、実験なのでそんなに広い場所は必要ない
「新しいスキルを試したいんだ」
クリスの眉が、ピクリとはね上がる。
「新しいスキル?」
「簡単に言えば、動きを速めるスキルだ」
瞬息、行動速度を異常に高めるスキル。
ガーブとの一戦以来、その能力を試したことはない。
本来の目的であった、疾走スキルの代替えみたいに得たスキルだ。
果たしてどの程度使えるスキルなのか、実戦の前に確かめておきたい。
「…………予告するとは、よほど自信があるのですね?」
スキルの能力を事前に明かされたことを、クリスは挑戦と受け取ったようだ。
「いいでしょう、返り討ちにします」
「…………首を刈りにいくからね」
狙いまで宣言したら、クリスはスッと目を細めた。
闘争本能に火がついたのか、彼女は臨戦態勢に入る。
それでいい。果たしてこのスキルが切り札となり得るか、本気のクリスで試す。
「それじゃあ、はじめ~」
フィーの気の抜けた合図とともに、実験を開始する。
たぶん、まだ遠い。にじり足で,少しずつ距離を詰める。
俺は瞬息に射程を定めてある。歩幅にしておよそ三歩分。
だがそれは、ほとんどクリスの間合いだ。
クリスの剣の特徴は、その鋭い踏み込みである。
一瞬の内に相手に詰め寄り、防御を食い破る。
果敢に攻め、息もつかせぬ連続攻撃で相手を仕留めるスタイルだ。
俺はスキルに頼らず、自力でこの間合いを測ることが難しい。
だからクリスに罠を仕掛けた。スキルの能力を明かし、首筋を狙うと宣言する。
おそらくクリスは警戒し、回避スキルを発動しているだろう。
ならば積極的に打って出ることはない。ぎりぎりまで接近できるはずだ。
そしてクリスの間合いの外で瞬息を発
獣のような勢いでクリスが襲ってきた! 剣術スキルだと!
反射的に俺も剣術スキルで対抗してしまう。
急接近され、慣れない瞬息スキルを発動する間もなかった。
ブレードが幾度もぶつかり合い、ドスバスと打音が腹に響く。
クリスが警戒すると思って施した策が、まったく通じなかった。
それどころか、こちらが何かをする前に全力で叩き潰す算段のようだ。
彼女らしいと言えば彼女らしい、果敢な戦いぶり。
小細工など真正面から突破する、王者の剣だ。
単独で瞬息を発動したいが、剣術を解除した途端に打たれるだろう。
回避を並列起動、しかし崩れた形勢は容易に覆せない。
クリスの猛攻をしのぐのが精一杯で、呼吸さえままならない。
彼女の振るうブレードがうなり、暴風を巻き起こす。
剣術と回避を並列起動してようやくの互角。
並列起動が発動可能となったとき、クリスは完全に俺を凌駕する。
だけど
まだだ! 武術大会では後れをとったが、今度は負けられない!
雄叫びをあげ、自らを鼓舞する。
つばぜり合いになった瞬間、無謀な体当たりを試みる。
技量が上でも体重差は埋められない。圧されたクリスが、一歩後ずさる。
だけどこれは、悪手。剣術スキルが無音の警鐘を鳴らす。
すっとクリスが体をひらく。ブレードで受け流されて、上半身が泳ぐ。
クリスが見逃すはずがない、致命的な隙。
だけど欲しかったのは、ただこの一瞬のみ!
クリスが腰をねじり、下段からとどめの一撃を放つ寸前
瞬息 発動
灰色の時間が、世界を染める。
思考が加速し、粘質の空気がまとわりつく。
使用したのは一回だけだが、瞬息の仕様はある程度つかめている。
加速は行動単位で区切られ、規定数を超えると解除される。
その数、わずか四ステップ。
隔離された時間をかいくぐり、組み立てた行動を実行する。
姿勢制御・方向転換・準備態勢、
攻撃、開始――――俺はブレードを打ち放った。
前回は、ガーブの一撃を食らって昏倒してしまった。
だから瞬息の反動を、初めて知ることになった。
「た、タツ…………」
「こ、これって…………」
驚愕するクリス。彼女の首筋に触れる、ブレードの切っ先。
フィーも絶句して棒立ちになっている。
クリスの唾を飲み込む音が、やけに大きく聞こえた。
寸止めの状態のまま、俺は硬直していた。
停止していた鼓動が再開する。
圧力の高まった弁が解放され、生命活動の奔流が全身を駆け巡る。
「――――ぷはあ!!」
忘れていた呼吸が戻る。大きく息を吐きだし、ブレードを引いて後退する。
震える膝と萎えた腕を叱咤し、残心の構えをとる。
動けないことは、ない。
だが硬直とまでは言わないが、全身が麻痺に似た感覚に覆われる。
似たような感覚をあげれば、正座のあとの痺れだろうか。
おまけに風に触れても痛むほど、皮膚感覚が鋭敏になっている。
それだけではない。名状しがたい喪失感もある。この感覚はなじみがある。
スキルを発動するのに必要な何かが、大量に失われているのだ。
貯蔵量の半分か? あくまで体感でしかないが。
これは、ぜひとも確かめる必要がある。
「クリス、フィー」
瞬息がもたらした一瞬の出来事に、いまだ驚愕の醒めない二人に声を掛ける。
「もしかしたら気絶するかもしれないけど、心配しないでくれ」
俺の言葉に困惑するクリス。
「あ、あの、タツ?」
剣術―並列起動―瞬
眼球の奥で、バチッと火花が散る。
並列起動が失敗した――――なるほど。だが、まだいける。
瞬息のみを発動、世界が灰色に染まる。
ほとんど静止した状態に見えるクリス。
一歩、踏み出す。空気が先ほどより、重く感じる。
そして二歩目で、限界が訪れた。あと一歩で、何かが底を尽く。
俺は瞬息を解除しようとして――――できない。
灰色の世界から抜け出せない。
さらに残量はジリジリと目減りし、ついに
俺の意識は断絶した。
◆
「使えねえッ!!」
叫んだ俺は、勢いよく跳ね起きた。瞬息スキル、これはダメだ、使えない!
「あれ?」
辺りを見回すと、見覚えのある部屋だ。どこだっけ、ここは?
「気がついたのね?」
傍らにシルビアさんがいた。彼女は安堵の表情を見せる。
思い出した。ここはシルビアさんの部屋だ。
「いったいどうして」
「どうしてじゃありませんよ、まったく」
シルビアさんが苦笑を浮かべ、俺の膝に毛布を掛け直す。
どうやら俺は、彼女の部屋のベッドに横たわっていたらしい。
でも、なぜ?
「覚えていないの?」
彼女の言葉に首を傾げ、ようやく記憶が蘇る。
「ああ、そうか、俺は」
スキルの実験で失敗、いやいや貴重なデータを得たのだ。
「具合はどうなの?」
「いえ、大丈夫ですが…………クリス達は?」
「二人で治療師を呼びに行ったの」
あちゃー。もっと詳しく説明しておけば良かった。
「心配しないでって言っておいたのに」
スキルの多用による気絶は、休息をとれば自然回復する。
特に後遺症はないと思う。彼女たちは経験がないのだろうか。
瞬息スキル、どうやら連続使用は不可能らしい。色々と問題を抱えたスキルのようだ。
慣れれば、あるいはスキル自体が成長すれば改善の余地はあるのだろうか?
「こら」
考え込んでいたら、ペチッと額を叩かれた。
「え、シルビアさん?」
「彼女達が心配するのは、あたりまえでしょう?」
口調は穏やかだが、確かに叱責の言葉だった。
「二人ともすごく取り乱して、手が付けられなかったのよ?」
だから治療師を呼びに行かせる名目で、彼女達を追いだしたらしい。
リリがお使いに出ていて良かったと、ため息をつかれた。
三人一緒に騒がれたら手の施しようがなかったと、たしなめられた。
俺は恐縮し、首をすくめた。実験を焦るあまり、配慮が足りなかったようだ。
「あの二人から大切に想われているわね、タヂカさん」
シルビアさんの優しい口調に、鼓動がはねる。
そうだろうか? そうだとしたら――――嬉しい。
「俺もあの二人が大切ですよ、シルビアさん」
奴隷と主人などと、そんなつもりは毛頭ない。
だけど赤の他人と言うには、俺の中では近すぎる存在だ。
内心で勝手に兄貴分だと思っているが、彼女達には迷惑だろうか。
だけど、まだ力不足だ。少なくともクリスより強くなって、彼女達を守れるようにならなければ。
「…………そう」
俺の返答に頷くシルビアさんが、こちらをじっと見詰めた。
「タヂカさん、いま幸せ?」
そんなことを聞かれた。クリスとフィーの事を思えば、幸せなどと口にはできない。
だけど不幸では、絶対にない。
「故郷に、帰りたい?」
それは――――
そもそも帰る手段があるとは思えないし、最近ではこちらの状況に慣れてきた。
大切な人々と居場所を見つけることも出来た。
クリスとフィーの先行きを見定める責任がある。
家族が草葉の陰で嘆くような真似を何度も繰り返した。
いまさらどのつら下げて、墓前に立てるだろうか。
――――だけどもし、帰る手段があるとしたら?
あるいは突然、元の世界で目覚めたとしたら。
子供の頃、真夏の日に嗅いだ、土の香りと草いきれの匂いを思い出す。
人も魔物も殺さず殺されずに生きていける、あの懐かしい世界に、もしも――――
息がつまるほど、胸が苦しい。
背を丸め、襟元をつかんでこみ上げる感情を抑える。
「ごめんなさい」
シルビアさんがいたわるように、俺の背中を撫でてくれた。
彼女は案じてくれたのだろう。だから問いかけたのだ。
俺がちゃんと、自分の運命に向き合えるようになったのかどうか。
この宿に来た当初、ショッキングな体験が重なり、俺は気力を失っていた。
腑抜けた俺を元気付けようと、シルビアさんは温かく接してくれた。
あれは、どういう経緯だったのか。確かあの時も、故郷の話ではなかったか?
シルビアさんが何気なく発した言葉が癇に障り、彼女を罵ったのだ。
感情を爆発させた後、後悔とみじめさで今と同じように背を丸めてしまった。
その時も、彼女は優しく背中をさすってくれた。
失敗についてアステルに語った言葉は、その時の後悔についてだ。
あの後、恥ずかしさのあまりシルビアさんの顔をまともに見られなかった。
今でも思い出すたびに、悶絶しそうになる。
だけど、かつての無様な醜態は、きちんと憶えておこうと思う。
自分を癒してくれた優しさを忘れないために。
その後、クリスとフィーが戻ってきた。
彼女達が連れてきたのは治療師ではなく、モーリーだった。
部屋にとび込んできた彼女達に、きまり悪く手をあげた。
クリスとフィーが、首にかじりついてきた。
モーリーが熱や脈拍をはかり、俺の口に手を突っ込んでベロを引っ張り出した。
シルビアさんが、意地の悪そうな顔をしていた。
申し訳なさで一杯だったが、心配されるのが気恥ずかしくも嬉しかった。
しかし収まらぬ騒ぎに進退がきわまった俺は、事情を説明した。
だんだん彼女達に隠し事をするのが難しくなってきている。
そしてどうかこのことは、リリちゃんに内緒にして下さいと頼んだ。
全てを知ったクリス達は、怒ってしまった。
そして俺の哀願むなしく、リリちゃんへご注進に及んでしまったのだ。
◆
「実に美味だったな!」
夕食を食べ終わったアステルは、癪にさわるほど満足そうだった。
「特に白アスパのサラダが絶品だった、素材本来の風味が活かされていた」
むしろ殺してほしかった。味と臭い、それに舌触りと、素材本来の風味を完全抹殺すべきである。
俺とフィーは、アステルを忌々しげに睨む。
彼女は夕食だけでは飽き足らず、明日の朝食にまで白アスパをリクエストするという暴挙に出たのだ。
リリちゃんは俺の顔を見て、考えておきますと言っていた。
どうやらまだ、ご立腹みたいだ。
俺の失態について報告を受けた彼女は、面と向かって叱りはしなかった。
笑顔のまま、俺の皿に白アスパのサラダを山盛りにした。
もちろん俺は、残さずキレイに平らげた。
最近、リリちゃんの怒りの芸風が変わってきた気がする。
以前よりずっと、凄みが増してきた。
せっかく来たのだからとモーリーも夕食を共にした。
モーリーを家に送ってから宿に戻ると、皆が居間でくつろいでいた。
「お疲れ様です」
一人手酌で呑んでいたベリト君が、俺にも酒を用意してくれた。
アステルの様子をうかがうと、リリちゃんと何やら会話している。
ソファーに座る二人の間に、タマがいた。でっぷりとした腹をさらし、寝転がっている。
このネコは、相変わらずふてぶてしい態度だ。
アステルはいささか挙動不審だった。タマを前にオロオロしている。
そんな彼女を、リリちゃんが懸命に励ましているようだ。
「……なんだかお嬢さん、ずいぶんとはしゃいでますね」
ベリト君が呟いたので、そちらを見る。
意外そうな面持ちでアステルを眺めていた彼と、顔を見合わせる。
「いえね? ここ二、三日、ずいぶんと活きいきとしているなあと思って」
「そうなのか?」
「なんと言うか、お嬢さんは厄介と言うか扱いづらいというか」
言葉の選択に迷うベリト君。
「誰にでも喧嘩腰な方なんで」
視線を戻すと、アステルがタマを撫でていた。
毛皮の表面を触れる程度なのに、タマがゴロゴロと喉を鳴らしている。
反射的にあげた腰を、ストンと戻す。俺が撫でようとすると引っ掻く癖に、現金なものである。
薄目をあけたタマが、こちらを見て鼻をならした。
次第に撫でる手が大胆になるアステルと、それを嬉しそうに眺めるリリちゃん。
二人はすっかり仲良くなったみたいだ。
俺の視線に気が付いたのだろう、アステルがこちらを向いた。
だらしなく緩んでいた顔が、すぐさま赤くなる。
「な、何を見ている」
「うん、ニヤニヤ笑っている君の顔」
正直に白状したら、アステルがさらに動揺した。
「そ、そうだ! そなた間違っていたぞ!」
誤魔化すように叫ぶアステル。だけどタマを撫でる手は止まらない。
「なんだよいきなり」
「ギルドマスターのことだ。さんざん脅しおって!」
人聞きの悪い。まあ、からかう気持ちが皆無だったとは言えないけれど。
彼女の反応は、いちいち面白くて可愛いのだ。
でも、ジントスさんとの対面はどんな具合だったのだろう。
俺が目で問い掛けると、ベリト君は肩をすくめた。
「ごく普通の対応でしたよ? 口数は少ないですが、紳士的な態度でした」
……タマといいジントスさんといい、男と言うのはどうしようもない生き物だ。
「それに大らかな方でした。お嬢さん、ギルドマスターの執務室に入るなり、きょろきょろと斧を探しはじめたんです」
不審に思ったジントスさんが、理由を尋ねた。そこでアステルが俺から聞いた話を披露すると、愉快そうに笑った。それからはなごやかな会談となり、ジントスさんは終始上機嫌に対応したそうだ。
やはり相手によって態度を使い分けるくらいの分別と社交性はあるみたいだ。
ジントスさん、見くびってごめんなさい。
そう心の中で手を合わせ、謝罪したのに。
◆
翌日、冒険者ギルドに赴くと、ジントスさんの部屋にひとり、呼び出された。
「あの嬢ちゃんに、色々と吹き込んでくれたらしいじゃないか、んん?」
ジントスさんは笑いながら、俺の頭に手を置いた。
グローブのような手が、俺の頭蓋骨をつかぐぎゃあ




