取扱注意
辺境の街には似つかわしくない、大通りに面した瀟洒な雰囲気のカフェ。
そのオープンテラスの一隅にあるテーブル席に、儚げな佳人が座っている。
雪花石膏の肌に紅玉の瞳、白く艶やかな髪は絹糸のごとし。
まるで戯れに俗世へと現れた、森の精霊。
香茶のカップを片手にした白皙の令嬢はいま、その眼差しに深い愁いを帯びていた。
「…………ふっ」
アステルは、自嘲の笑みを浮かべる。
「我ながらみじめだな」
「えーと、あまり気を落さんように」
「下手な慰めはいらん」
手にしていたカップを脇に置くと、彼女はテーブルに突っ伏した。
ゴツンと、額がテーブルの天板を叩いた。
どうやら俺は、意外と高収入の冒険者らしい。
言われてみれば確かに、上級魔物や鎧蟻の討伐報酬等に加え、パーティーの稼ぎも悪くはない。
鎧蟻の素材を商業ギルドに捨て値で卸した。まだ手元に残している分もある。
もっとも支出もかなり大きいが、あくまで収入の話である。
物価の違いなどから、元の世界の通貨と比較するのは難しい。
あくまで大雑把な概算だが、数ヶ月の間に数千万円は稼いだ感覚になると思う。
平均日収で考えるとえらいことになる。もしかすると熟練冒険者並か、それ以上だ。
ところで、貴族年金には幾つかの種類があるそうだ。
アステルの説明から、彼女が受給しているのは遺族手当てみたいなものだと想像した。
貴族が栄誉の戦死を遂げた時、国は残された子女の身分と生活を保障するらしい。
アステルの母方の祖父が、ある戦場で味方を勝利に導いたが、討ち死にしたそうだ。
その貢献は遺族に報いるのに値すると判断され、貴族年金の支給が決定した。
この場合、年金と付随する貴族位は、娘である母親のものになるはずだった。
ところが事情があって、娘ではなく孫であるアステルが引き継いだそうだ。
果たして支給されている金額は幾ら位なのか。
アステルの口ぶりから、中流階級のひと家族を扶養できるぐらいではないかと推測した。
貴族、スゲーうらやましい。あやかりたいものである。
ただし、貴族としての体面を保つ必要がある。
持参金も事前にやりくりしておかないと、いざ結婚と言う時に慌てることになる。
他にもそれなりに支出があるそうだ。
彼女は言葉を濁したが、新人ならともかく、熟練冒険者相当の報酬を払うのは厳しそうだ。
真偽判定に誓えるが、俺はアステルを騙すつもりなど毛頭なかった。
彼女が自腹を切って報酬を払うつもりだとは思っていなかったのだ。
だからデインさんに指摘されるまで、自分の収入など念頭になかった。
ともあれ俺は、話を白紙に戻して規定報酬を払うのが筋だろうと提案した。
だが、その案をアステルが断固として拒絶する。
口頭とは言え、一度約束した報酬は取り下げられないと。
持参金の積立を取り崩してでも、適正な報酬を支払うと意地を張る。
今度は俺がそれを蹴った。報酬とは双方が納得して決めるものだと。
そして俺は、彼女の提示する金額は納得できないと突っぱねた。
すったもんだの末、俺とアステルは合意に達した。
とりあえず期限は二十日。
報酬は新人より上の、初級冒険者並とするが、数日間の有給休暇を設ける、と。
この休暇を俺は、魔物討伐に当てるつもりだった。
いつの間にか俺は、この依頼を引き受けることに固執していた。
結局のところ、アステルに情が移ってしまったらしい。
ぶっきらぼうで危なっかしく、ちょっと抜けたところのあるお嬢様。
肌も髪も白一色、どこか記憶を疼かせる目元に赤い瞳をした、存在しないスキルの所持者。
そんな彼女を見放すことが出来なくなっていたのである。
◆
「大見得きったあげく、とんだ赤っ恥をかいた」
アステルはぐりぐりと、テーブルに額を押し当てている。
「無様だ、そなたもそう思っているのだろう?」
報酬の削減は、どうやらお嬢様のプライドをひどく傷つけたみたいだ。
俺達がいるのは、カフェのオープンテラスである。
通行人がこちらをじろじろと見て、ひどく居心地が悪い。
「えーと、そんなことは…………」
アステルが顔を上げた。彼女の白磁のような額が赤くなっている。
「…………まあ、ちょっぴり?」
俺の顔をジイイーと穴があくほど見つめてから、彼女はまたテーブルに突っ伏した。
「ちょっとタツ!」「ひどいですよ!」
フィーとクリスが非難がましい声をあげる。
だって仕方ないじゃん! 嘘が通じないんだよ!
「いいのだ、クリサリス嬢、フィフィア嬢」
顔を伏せたままアステルが呟く。
「私は社交界で、このように面と向かって罵倒されたことがない」
罵倒とか人聞き悪いことを! 自分で言わせたんだろうが!
「私のスキルは暗黙のうちに周知されている。そのせいで私は貴顕淑女の玩具あつかいだ。悪意の嘘を美辞麗句で飾り、もてあそばれている」
そして真偽判定は公的には認知されていない。だから無礼を咎められない、か。
「たとえ悪口雑言でも、嘘でない言葉の方が心地良いのだ。だから正直な感想を聞かせてほしい」
俺達は顔を見合わせた。肘を突っつきあい、お互いに厄介な要望を押し付けあう。
「……格好は悪かったかな、と」
クリスがおそるおそる告げると、アステルの背がぴくりと震える。
「……タツを見損なっていたからザマアミロ、と」
フィーの舌鋒の鋭利さに、彼女の膝がガタッと跳ねた。
「素直にタツの好意を受けていれば、まだ面目が立ちましたのに」
「そうよね、金がないのに悪あがきしたのが見苦しかったよね?」
情け容赦ないな二人とも! なんかアステルがびくびく痙攣しているよ!?
「タツの優しげな風貌では、実力を見誤ったとしても仕方ありませんが」
「女たらしの冒険者なんて、大したことないと思ったのかもね?」
…………うん?
「人の良いタツは、すっかりほだされてしまって」
「そうよね、色香に惑わされたのかしら?」
「ちょっとストップ!」
妙な方向に進みそうになる話を押しとどめる。
俺は咳払いすると、打ちのめされたアステルの後頭部に語りかける。
「俺の稼ぎが多いのは、ほんとたまたま、偶然のめぐり合わせなんだ。そもそもクリスやフィーが一緒じゃなきゃ、俺なんて大した冒険者じゃない。だから君の目利きは正しかったんだ」
おずおずとアステルが顔をあげた。うっすらと涙目になっている。
俺は微笑みかけ、彼女の手をとって励ます。
「君の気持ちはとてもよく理解できる。もし俺が君の立場だったら、もう恥ずかしくて、とてもじゃないが相手に顔向けできないだろう。穴があったら入りたい、過去の自分を罵りたい、記憶を抹消して新しい自分になりたい、そんな気持ちになっただろう」
俺はアステルの手を強く握り締めた。
「だけど、そういうみじめな醜態を乗り越えて、人は強くなれるんだよ」
俺とアステルは、近い距離で見つめ合う。
ピシャリと手を振りほどき、アステルはまた顔をテーブルに押し付けた。
しかも両手で頭を抱え、う~う~とサイレンのような呻き声をあげだした。
「あ~あ、やっちゃった」「さすがに酷すぎます」
なぜだっ!? それに君たちも人のこと言えないから!
◆
「私にはもう、恐いものなど何もない!」
アステルは元気になった。よかった、励ました甲斐があった。
「あれは元気じゃなくて、やけっぱちだよね?」
背後でフィーが、クリスに囁いているのが聞こえた。
アステルはずかずかと街を歩き、周囲を睨みまわしている。
その眼光におそれをなしたのか、すれ違う人々は皆一様に目を逸らした。
とても貴族令嬢には見えません。
「どうした、さっさとついて来い! 日が暮れてしまうぞ!」
「はいお嬢様!」
俺はせかせかと彼女の隣に立つ。
「ところで、どちらへ向かっているのでしょう!」
アステルはぴたりと立ち止まり、気まずげに踵を返した。
「あちらの方向だった」
薄く頬を染め、彼女は来た道を戻り始めた。
「ここは?」
俺は内心の動揺を抑え、アステルに尋ねる。
「うん、冒険者というのは荒くれ者が多い。拠点としている街の住民に、乱暴狼藉を働くこともある。そうした失態を調査するのも、監察官の職務だ」
アステルは改装されたばかりで木の香り漂う、一軒の居酒屋を指差す。
「ここは最近、冒険者が暴れて半壊したそうだ。なので聞き取り調査を行なう」
…………隠蔽、発動おおお!!
情報収集、早すぎだろ!
「邪魔をするぞ」
「へいらっしゃい! 三名様ご案内!」
店に入ったアステルは、一瞬訝しげな顔を浮かべた。
しかし初老の店主の威勢に押され、テーブル席に座った。
昼前なので、店はあまり混んでいない。
「ご注文はなんにする?」
「いや、私たちは客ではない」
「客じゃない?」
アステルの言葉にいぶかしがる店主。俺はそっとフィーの腕を突っついた。
「おじさん! 果実酒下さい三人前!」
「あいよ! ちょっと待ってな!」
店主は奥に引っ込むと、アステルが小声でフィーに問いかける。
「なぜ注文などをする、それにタヂカの分は?」
「商売の邪魔をすることになるんだから、先に注文するのが礼儀よ?」
「それに客となったら、あまり邪険にはしないでしょう」
クリスもしたり顔で付け加える。
「あとタツは、いまは飲む気がしないと思ったから」
フィーは俺の方を見てニヤリと笑う。隠蔽中なのを見抜かれている。
「タヂカは具合でも悪いのか? 言われてみればちょっと」
アステルは首を傾げる。
「何か雰囲気が変わったような…………」
「へいお待ち!」
彼女が言い終える前に、店主の助け舟が入る。
彼女達の前に、果実酒の入ったジョッキがドンドンと置かれる。
「あと別嬪さん達にサービスだ!」
さらに葉物野菜の酢漬けが山盛りになった皿を置く。
「ありがとうオヤジさん!」
フィーが歓声をあげ、酢漬けを手づかみでほお張る。
「おいしいねオヤジさん!」
「そうだろ! 女房自慢の一品だからな!」
「料理上手なんだね、これならよっぽど繁盛しているんでしょう?」
「いやあ、ぜんぜん大したことねえよ!」
「それはうそっ!?」
俺はテーブルの下でアステルの足を踏んづけた。
どうでもいいが、いつの間にかフィーが率先しているぞ?
「またまた。商売始めに幸先がいいよね」
え? と店主は首を傾げる。
「いや俺が店を始めてから二十年は経つぜ?」
「え、でもこんなに真新しい店構えなのに」
フィーが店内を見回すと、店主は納得したように頷いた。
「ああ、改装したんだよ。前の店はぶっ壊されてな!」
アステルの目が光り、俺は首をすくめた。
「壊された! どうしてまた!」
「知らねえでうちの店にきたのかい! 前に八高弟方が大暴れしたんだよ!」
ひいいい!? 俺は口を押さえて、悲鳴を堪える。
「店主、それは」
「災難だったね! 商売あがったりじゃない!」
アステルを遮り、フィーが驚きの声をあげる。
「ところがそうでもないんだよ! これを見てみな!」
店主はそう言うと、傍らに立つ柱をぽんぽんと叩いてみせる。
「この傷、すげえだろ!」
柱には大きな刀傷と、反対側まで貫通した穴がある。
「店を改装したときに、こいつだけは残したんだよ!」
「…………これは」
立ち上がったクリスが柱の傷を撫でる。さすが一番弟子、師匠の仕業だと気付いたのだろう。
クリスも貫通した穴を見て、眉をしかめる。
「こいつの見学に冒険者達が連日店に足を運んでくるのさ。おかげで売り上げが前の倍にはなったね!」
…………え? そうなの?
「丁重な見舞いと改修費も貰ったし。あとカティア様がたまに飲みに来るようになったんだよ!」
店主は興奮して唾を飛ばすような勢いで弁舌をふるう。
「この店に冒険者筆頭が来るんだぜ! おかげでここにくりゃあの方を見られるかも知れないってんで、普通の客まで増える有様さ!」
どうやら彼女は、客寄せをやっているらしい。
さすがカティア、弟子の不始末のカタをつけるやり口がにくいねえ。俺なんか、金を出すしか能がなかった。
まあ真似をしても、俺じゃ効果などないのだが。
「じゃあ、怒ったり恨んだりしてないの?」
「店を壊された直後はもうどうしようかと途方に暮れたんだけどね。いまじゃ良い笑い話だよ」
フィーの問いを豪快に笑い飛ばす店主。良かった、気掛かりがようやく晴れた。
そこでふと、店主が笑いを引っ込め、ちょっと表情を曇らせる。
「…………だからアイツも、顔を出しゃいいのによ、馬鹿なヤツだよ」
「あんた! いつまで油を売っているんだい!」
「うるせえ! いま戻るよ!」
奥さんとおぼしき声が奥から聞こえ、店主が怒鳴り返す。
「それじゃごゆっくり!」
店主が立ち去ったあと、フィーはアステルを見やる。
「そういうことらしいけど?」
結局、フィーが徹頭徹尾、情報収集をこなしてしまったが、いいのだろうか。
アステルは苦虫を噛み潰したような表情で黙り込む。
「やはり問題になるのでしょうか?」
「…………当事者同士で話がついていることを、わざわざ蒸し返すつもりはない」
心配げなクリスの問いに、不機嫌そうにアステルは答えた。
俺は店主の言葉を反芻しながら、ふと卓上を見る。
大量にあった酢漬けの最後の一切れを、クリスが口に放り込むところだった。
その後、アステルと共に街を練り歩き、聞き込み調査を行った。
そしてある時点で、ようやくアステルの目論見に気が付いた。
アステルは八高弟の不行跡を追っているらしい。
確かに八高弟の行状は目立つ。本人達にしてみればちょっと羽目を外した程度のつもりでも、一般人には事故レベルに達してしまうこともままある。
街のゴロツキを叩きのめしたせいで屋台が何軒も倒される、酔っ払って屋根に大穴をあける、子犬を引きそうになった荷車をひっくり返す、等々。
しかし弟子達が問題を起こすたびに、カティアが動いている。
街の住民に悪感情が残らないように、さりげなく後始末をしているようだ。
カティア、お疲れ様である。
そして兄者達よ、あんたら何をやっているんだ。
そうこうしている内に日も暮れ、俺達は宿に戻ることにした。
◆
宿の居間で、俺達は打ち合わせを行った。
「ベリト、そちらで何かつかめたか?」
「無理に決まっているじゃないですか」
ベリトは疲れきった様子だ。声に張りがなく、目に力がない。
「あの二人が仕切っているのに、簡単にボロを出すわけないですよ」
彼の報告に、アステルは腕を組んでうなる。
「あのふたり?」
「セレス嬢とデイン翁のことだ」
俺の問いにアステルが難しい顔で答える。クリス達が目をぱちくりさせる。
デインさんの名前が出たことが意外だったのだろう。
「軽くあしらわれましたよ」
「使えんやつだ」
「ひどい! そりゃあんまりですよ!」
俺もそう思う。横目でうかがうと、アステルはちょっと笑った。
「だがそれでかまわない、陽動にでもなれば御の字だ」
「やっぱりこっちを囮にしましたね?」
ベリトはうんざりした顔で首を振る。
「済まなかった。まあ、こちらも空振りだったしな」
「あの、どういう意味でしょうか?」
「俺達が自由に動き回れるように、彼がギルド内部を引っかきまわす算段だったんだろうな」
「その通りだ、もっとも成果はなかったが」
俺とクリスがひそひそと話しているのを、アステルは肯定した。
「仕方がない、明日は二人でギルドマスターに面会するか。タヂカよ、さっそくだが明日はそなた達の休暇としよう」
「お、おい、大丈夫か!?」
ジントスさんに二人だけで立ち向かうとか、危なくないか!?
「話がギルドの機密に関わる部分に触れるかもしれないからな」
そう言われれば仕方がないが、ほんと大丈夫なのだろうか。
「心配性だな、そなたは。こちらのギルドマスターの噂はよく聞くが、魔物ではあるまいし、まさかとって食ったりしないだろう?」
俺はクリスを見て、クリスはフィーを見て、フィーは俺を見る。
その口ぶりからすると、どうやら面識がないらしい。
そう言えば、ジントスさんは王都で開催されるギルドの会議を、いつもすっぽかしているとか、聞いたことがあるような。
「…………おい、そんなに危険な人物なのか?」
心配そうなアステルに、俺はどう答えたらいいものかと口ごもる。
いきなり斧でテーブルを真っ二つにする男を、穏便に説明する表現が思いつかない。
嘘を吐けないと言うのは、ほんとうに不便だと実感した。




