ちょこっと閑話 仲良し兄弟のお話
それは武術大会、翌日の夜の出来事だった。
「いやあ! えらい目にあったね!」
アハハハと、紅剣ラヴィは大笑い。
カティアに折檻をくらった次の日なのに、まったくこたえた様子がない。
双剣ベイルは酒を一口飲んでから、ため息をつく。
「おまえなあ、少しは懲りろよな?」
「あんたには言われたくないわよ!」
歯をむき出しにして威嚇するラヴィ。ベイルは武術大会の半分を壊滅させた張本人だ。
とても他人に説教できた義理ではない。
うむ。二人の話に暴剣ガレスは、ゆっくりと顎を引いて頷いた。
その姿には、深い山奥で苔むす巌のような貫禄がある。そんな彼に、ベイルとラヴィは口々に訴える。
「冒険者なのにあの程度でへばる方が悪いよな!」
「うむ」
「小僧っ子ども相手に大人気ないと思うでしょ!」
「うむ」
『どっちだよっ!!』
「むう?」
ガレスは寡黙な男だ。への字に結ばれた口元は、不要なことも必要なことも一切語らない。
その日は珍しく、冒険者御用達のこの酒場に八高弟全員が顔をそろえていた。
店の奥の一角が、暗黙の了解で彼らの指定席となっている。
夕暮れの決まった時刻になると他の冒険者はそのソファーを空ける慣わしだ。
たまに、この街に来て日の浅い冒険者がこの仕来りを知らずに居座っていると、常連達に店から叩き出される羽目になる。
別に八高弟達が自らの席だと主張している訳ではない。以前は席が埋まっていたら、肩をすくめて河岸を変えていただけだ。
それを一部の信奉者達が働きかけ、今の形に定着させたらしい。
「しかし姉者は頑丈だよね? すっかり元気になっちゃって」
光剣マリウスの視線が、隣の席に向けられる。
「グラス兄者はこんな有り様なのに」
同じように折檻をくらった殺剣グラスは、いまだに体調が回復しないようだ。
もともとの猫背をさらに丸め、額が膝に着きそうになっている。
そんなグラスに対して、ラヴィはフフンと鼻を鳴らす。
「鍛え方が違うのよ! それに姉御のお仕置きは言わば弟子への愛情の表れ、それを思えば血反吐の一つや二つ、へっちゃらよっ!!」
堂々と胸を張って宣言するラヴィに、それはないな、と兄弟弟子達は思う。
「折檻されて、ほんとは悦んでるんじゃねえか?」
手にしたカップに語りかけるように、ベイルがボソリと呟いた。
異様な沈黙が立ち込めた。意味が通じない者も、空気を察して口を閉ざす。
「な」
ようやく絞り出した一言の後に、ラヴィの冷静さが崩壊した。
「なななななななななななに言ってんのよアンタは!」
「別に? ただ姐御に折檻された後って、テメエは妙に肌艶がいいんだよな?」
「このドスケベ!? なに女の肌を品定めしてんのさ!」
ラヴィがむき出しになっている二の腕を、かばうように抱きしめる。
「くひひひ」
「何がおかしいのよこのバカ!」
取り乱したラヴィが、矛先を狂剣フル向けて怒鳴る。しかしフルは気にすることなく、おつまみをむさぼり続けた。
彼は滅多に酒を飲まない。以前、酔っ払ったままスキルを使い、民家の屋根に激突し、大穴を開けたことがある。そのことを知ったカティアにボコボコにされ、首根っこを掴まれて被害者の家に謝りに行かされたからだ。
「と、とにかく変な言い掛かりは止してよね! そ、それよりも! あたしの弟子の活躍はどうだったの!」
「ああ、なかなかのものだったぞ」
あからさまな話題転換だが、八高弟の長兄、豪剣ラウロスはまったく気にしなかった。ただ淡々と、武術大会でのクリサリスの様子を語る。
愛弟子の健闘を聞き、ラヴィは嬉しそうにはしゃいだ。
「そうでしょそうでしょ、さすがはあたしの一番弟子」
「…………一人しかおらぬのに、一番弟子もなかろう」
ようやくグラスが顔をあげ、酒をグビリとあおる。
「こたびの武術大会、わが門弟たちが流派の名をあげたそうじゃな?」
「そうですねえ。その智謀と連帯感で街の話題をさらう大活躍でしたね」
「そうじゃろそうじゃろ」
マリウスの言葉に、グラスはご満悦だ。
「なんかもう、師匠いらない感じでしたよ?」
あっけらかんと告げるマリウス。
『…………』
「そういや師匠達が三人ともいないのに、誰も気にしてなかったよな? というか忘れてたんじゃね?」
「そうだな、各々が自らの役割をこなし、大会を盛り上げていた。師匠がいたらぬ分、弟子たちがしっかりしていたな」
ベイルとラウロスの批評が、いたらぬ師匠達の胸にグサグサと刺さる。
グラスとラヴィは、ガックリと肩を落とす。自分たちがさらし者になっていたのに、誰もその不在に困らなかった事実が寂しいようだ。
「…………師の心、弟子知らず」
「ほんとだねえ…………」
「自業自得だ」
ラウロスにばっさり切り捨てられ、二人はさらに落ち込んだ。
「ガーブ、今晩はいつにもまして静かじゃねえか」
ベイルは隣で黙々と呑んでいるガーブに声を掛ける。もとより騒がしさとは無縁の男だが、今宵はことさら沈黙に沈んでいる。見ればその横顔は、陰鬱でさえある。
「ああそういや」
ベイルは思い出したように、そのことを口にする。
「大会が終わった後、おっさんと二人でどこへ行ったんだ?」
ピクリと、ガーブの手が震え、兄弟弟子たちは瞠目する。
ガーブという男をよく知る兄弟弟子にとって、それはあまりにも稀有な反応だった。
兄弟弟子たちの注目に根負けしたように、ガーブが白状する。
「…………果し合いをした」
「ガーブ! あんたどういうつもり!」
ラヴィの怒声に、酒場がシンと静まり返る。
「あの人には手を出さないって決めたはずよ!」
それは鎧蟻討伐の後に話し合われた取り決めだ。カティアがヨシタツ・タヂカを望む限り、八高弟は彼を援ける、と言うもの。奇怪なスキルの使い手であるタヂカに、戦いに生きる者として多少の興味と食指が動くが、まあ我慢しようと決めたのだ。
ガーブの発言は、その取り決めに対する明らかな違反行為だった。
「まあ待て、ラヴィ」
激高する彼女を、ラウロスは静かになだめる。
「ガーブが婿殿に稽古をつける、姉御からそう聞いていたぞ?」
「稽古、か」 ガーブが自嘲するように呟く。
「違うのか?」
「最初は、そのつもりだった。リックの受けた恩義に師匠として報いるためにな」
「…………何があった」
ガーブが酒を一気に喉に流し込み、むせた。
「不覚をとった」
それは青天の霹靂のごとく、他の八高弟たちに衝撃を与える。
「負けた、のか」
喉を鳴らしてから、ベイルが恐る恐る尋ねる。
「いや、拙者の勝ちだ、真剣勝負ならな」
「どういうこった?」
「真剣なら、胴を真っ二つに両断した。だがその寸前に」
その光景を思い出すように、ガーブの眼差しが遠くなる。
「あやつの剣が、先に拙者に触れた、真剣でもかすり傷程度だろうがな」
たとえ薄皮一枚程度の傷だろうと、驚くべき事実だ。ヨシタツ・タヂカに対する認識は、八高弟の中でも様々だ。しかし全員が一致して、彼の剣の腕前に対する評価は高くはない。
なのに八高弟中最速を誇るガーブに、一矢報いたという。彼らにしてみれば信じがたい思いだ。
「…………スキルか」
「おそらく」
ラウロスの分析をガーブは首肯した。
「それは一体…………いや忘れてくれ」
ラウロスは言いかけて質問を取り消した。何のスキルか暴いたとしても、ガーブはその秘密を明かしたりしないだろう。
「へえ、面白そうじゃねえか」
ベイルの片頬が、獰猛な笑みに歪む。興味と闘争心をかき立てられたようだ。
「よしておけ」
「なんでだよ、俺もちょっと稽古をつけてやろうってんだぜ?」
ガーブのにべのない言い様に、ベイルは口を尖らせる。自分だけ楽しみやがって、そんな思いが口調の裏に隠れている。
「喰われるぞ?」
ガーブは一瞬だけ、どこか薄気味悪い笑みを浮かべる。
「我らの内、誰が戦ってもあやつに勝るだろう。だがな」
最後には喰われる、その強さも技もスキルさえも。
笑みを消して語るガーブ、その表情に一切の感情はうかがえない。
「よしなよ、ガーブ。そんな風に言われたら」
ラヴィが長い脚を組み、髪に手櫛を入れる。
「かえってウズくじゃないか」
舌先でちろりと舐めた唇が、溢れんばかりの色気を感じさせる。しかしその双眸は、飢えた肉食獣のそれだ。彼女以外にも、瞳に熾火のような光を宿す兄弟弟子たちがいた。
「へえ、すごい人ですね?」
ただ一人、マリウスだけがニコニコと無邪気に笑う。一見するとガーブの話にそれほど関心がなさそうだ。
「婿殿に手を出すなよ、マリウス」
しかしラウロスは、闘争心をくすぶらせる者たちを一顧だにせず、末弟にのみ厳しい眼差しを向けた。
「いやだなあ、僕が姐御の良い人に仕掛けると思っているんですか?」
「御託は聞かん、返事は」
「そんなに信用ありませんかね、僕って」
「これが最後通牒だ、婿殿に手を出さんと誓え」
その言葉が終わるや否や、一瞬にして兄弟子達は動いた。
ベイル、ラヴィ、フルが、抜いた短刀をマリウスの急所にかざす。
ガーブがマリウスの腕をつかみ、武器を抜けないようする。
グラスはフォークを摘むと、いつでも投げられるように手首を返す。
ガレスがテーブルの端を片手でつかみ、わずかに持ち上げた。
酒を飲んでいた客達は突然の修羅場に驚き、店内が静まり返った。
「もちろん誓いますよ、姐御の名にかけて」
マリウスが軽く答える。突きつけられた刃にもまるで動じた様子はない。
その言葉を聞き、兄弟子達が元の姿勢に戻った。
どの顔も何事もなかったかのように平然としている。
「ひどいですよ、弟イジメです」
マリウスは嘆くフリをして文句を言った。
「男が拗ねたって可愛くないんだよ、まあ呑め」
「くふふふ」
ベイルがマリウスのカップに酒を注ぎ、フルがつまみの残りを分けてやる。
他の客達は、そんな彼らに対して震えあがった。ためらいもなく仲間に刃を向ける八高弟の酷薄さと、それをあっさり忘れて親しむ切り替えの早さと落差。
常識では測りがたい彼らの感性に、見ている者たちは恐怖を覚えた。
「それはそうとあんた達」
身を乗り出したラヴィが、兄弟弟子たちをぐるりと見回す。
「まだ先の話になると思うけど、ちょっと相談があるのよ」
それから行われた八高弟の密談は、夜がふけてからも続くのであった。




