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教えて!誰にでもわかる異世界生活術  作者: 藤正治
さだめに抗う冒険者
71/163

武術大会_前編

 とある弟子が師匠に申し上げました。

「拙者の道場は手狭にて、とても武術大会など開けません」

 すると師匠はこう答えたという。

「場所がなければ作ればいい」

 完全な女王様発言、下々の苦労をかえりみない無慈悲な言葉である。

 しかし革命は起こらない。彼はただ一言、答えるのみであった。

「…………御意」

 女王の御前を辞した忠義の弟子は、その足で東の平原に赴き、魔物を狩りまくった。

 続く数日間、平原は魔物の血飛沫に濡れ、乾く暇もなかった。

 警戒心が強い甲殻トカゲも逃れるすべはない。いくら索敵スキルで探知しようが、疾走スキルがもたらす驚異的な速力に追いつかれ、次々と首を刎ねられた。

 そしてついに東の平原からは魔物の姿が消えた。彼らが戻ってくるまで、しばらく間があるだろう。


 こうして東の平原を舞台として、武術大会が開かれる運びとなったのである。


「苦労、されたんですね。おいたわしや……」

 ガーブが語る苦労話に、俺は同情を禁じえなかった。

 彼の様子は酷い有り様だった。真っ赤に充血した目は睡眠の不足を訴え、ジョッキをつかむ手はぶるぶると震えていた。

 一体残らず殲滅せよ。それがカティアからガーブに与えられた勅命だった。

 彼が遅れを取るような魔物は平原に存在しないが、殲滅となると話が違う。一匹も見逃さない様に、しらみつぶしに平原を駆けまわったに違いない。このような偉業を成し遂げられるのは、八高弟最速の機動力を持つ、疾剣ガーブただ一人であろう。お疲れ様である。

「…………本当にそう思っておるのか」

「無論です。傍若無人な師匠を持つ弟子の悲哀に、心が痛みます」

 心底そう思っているのに、ガーブは疑わしげな視線を向けてくる。

「その証拠にほら、胸が詰まって喉を通りませんから、この串焼きは進呈します」

 手にした肉の串焼きを、正面の席にへたり込むガーブに手渡した。


 たまたま入った飲み屋の天幕で、ガーブと相席になったのは偶然である。

 ジョッキ片手に語られるガーブの苦労話を、俺は襟を正して拝聴した。

 リリちゃんは店主が焼いている串焼きを、真剣な眼差しで見定めている。

 ついに一本の串焼きを選ぶと、代金を払って席まで持ってくる。

「タヂカさん、こっちのお肉も美味しそうだよ、食べて食べて!」

「ああ、ありがとう」

 俺はリリちゃんが手にした串焼きから、肉を齧りとる。

「うん、おいしいね」

「でしょ!」

 はじけるように笑うリリちゃん。

「……それで何本目だ、よく食えるな?」

「リリちゃんが食べさせてくれるのは別腹だから」

 彼女が手ずから与えてくれる串焼きは、当社比で二倍も美味しいから不思議だ。

 きっと彼女は串焼きの目利きなのだろう。さすが料理スキル持ちである。

「お肉ばっかりじゃ体に悪いから、お野菜も食べてね?」

 そう言って、肉の次に串に刺さっていた野菜を突き出す。

 飲み屋で健康を語るのは野暮な気もするが、ありがたくミニトマトっぽい野菜も頬ばった。

「あふっ!?」

 嚙んだら中から熱い汁があふれ、口の端から垂れそうになる。リリちゃんがすかさず手ぬぐいを当ててくれたおかげで、服が惨事から免れた。

「熱いから気をつけてね」

 クスクスと笑いながらリリちゃんがたしなめる。ほんに世話好きで良い娘だ。

 視線を正面に戻すと、ガーブが半眼でこちらを眺めていた。

「なにか?」

「なんでもない」

 ガーブは串焼きを咥えると、渋面を作りながらモソモソと咀嚼した。せっかく俺が進呈したのに、そこまでマズそうに食わんでも。

「…………しょっぱい」

 ボソッと呟くと、片手に持っていたジョッキを一気にあおった。


      ◆


 疾剣が平原の魔物を殲滅する。試合当日は八高弟が警護にあたる。

 武術大会の告示に書き添えられたその一文により、安心した人々が街から平原にあふれ出した。

 さすが八高弟、ネームバリューというか、すごい信頼度だ。

 平原のそこかしこに屋台や露店が並び、街の飲食店が天幕を張って臨時出店をする騒ぎとなった。まるで街の繁華街がそっくり引っ越したような印象である。

 主婦達も手芸品や古くなった雑貨などを敷布の上に並べて小遣いを稼いでいる。古民具に興味のある俺は、買わなくても見ているだけで十分楽しめた。

 準備期間などほとんどなかったのに、なかなかの賑わいである。予想外に大勢の人々が集まったのは最近、街に沈滞していた暗い空気が原因だろう。

 鎧蟻の全滅で、ぬか喜びに終わった好景気への期待。それは実態以上に住民達の感情に影を落していたようだ。人々は陰鬱な雰囲気を吹きとばすような何かを望んでいたのだ。

 武術大会は単なる名目で、人々は憂さ晴らしをするつもりらしい。

 集まった人々の顔はどれも明るく、飲み食いや売り買いを楽しんでいた。


 …………なんかえらく大げさなことになっているなあ。


 俺とリリちゃんも、この祭りのような賑わいを満喫していた。

「あ、これ可愛い!」

 リリちゃんが露店の前で立ち止まれば、俺はすぐに目当てのアクセサリーを買い求める。

 青い石をあしらったネックレスだ。さっそくリリちゃんの首に掛けてあげる。

「うん、とても似合うね」

 感想を述べると、リリちゃんははにかみつつも喜んでくれた。

 もはや財布の紐は緩みっぱなしである。飲み物、お菓子、小間物と、ひねった蛇口のように散財する。

 今月のお小遣いが尽きるのは時間の問題だった。

 もちろん俺も、武術大会のことなどすっかり忘れていた。

 いや、享楽に耽ってすべてを忘れ、逃げ出したかったのだ。


 そしたら空から、人間が降ってきた。


「クヒ?」

 目の前に着地すると、狂剣フルが首を傾げて俺を見上げた。

「リリちゃん逃げるよ!!」

 即座に逃走を試みる。だが反転した俺の前に、壁がそびえていた。

 暴剣ガレスが逃走経路に立ちふさがり、腕を組んで俺を見下す。

「い、いつの間に!」

「けっこう前からですよ?」

 横手の天幕の陰から、光剣マリウスがひょっこり姿を現す。

「あ、マリウス君」

「や、リリちゃん。かわいいネックレスだね」

「そうなの! タヂカさんが買ってくれたんだ!」

「うん知ってる、ずっと見てたから」

 見てたのか! ぜんぜん気付かんかった!

「さあ行きましょう、姐御がお待ちかねですよ?」

「い、いやだ――――!!」

 絶叫むなしく、ガレスに首根っこをつかまれる。じたばた暴れるが無駄なあがきだ。

 彼は反対の手で、リリちゃんをそっと抱きかかえると自分の肩に乗せた。

 フルがひょいっとジャンプして、反対側の肩に乗る。

 リリちゃんは嬉しそうに辺りを見回した。

「うわっ! 高いね! 凄いね!」

「うむ」「ひひ」

 彼女の言葉にまんざらでもない様子のガレス、ご機嫌なフル。

「さて、それじゃ出発しますか」

 号令を掛けてマリウスが先導し、リリちゃんとフルを両肩に乗せたガレスが後に続く。

 そして俺は、ずるずると荷物を引きずるように連行された。



「まったく、どこほっつき歩いていたんだ。試合はもうすぐ始まるぞ?」

 床几に腰掛けたカティアの声が、俺の頭上に降り注ぐ。

「も、申し訳ありませんでした、師匠!」

「いや、別に責めているわけではないんだが。というかその格好はなんだ?」

 土下座と言うものです。

「とにかく話しづらいから立て」

「はい、失礼します!」

 弾かれたように起立した俺は、視線を上げたことを後悔した。

 カティアのすぐ後ろに立つ、異様なモニュメントが目に付いた。

 それは一本の丸太。空に向かってそびえる丸太が、地面に突き刺さっている。

 見上げる丸太の先端には、二つのズタ袋が吊り下げられていた。

 ガレスが丸太を揺さぶると、二つのズタ袋も左右に振れた。強度を試したのか、ガレスが満足げに唸る。

 ズタ袋は大人一人、無理やり詰め込める程度の大きさしかない。

 片方のズタ袋の口からは足が一本、にょきっと生えている。収まりきらなかったのだろう、もう片方のズタ袋からは褐色の腕が生えている。

 改めて中身を推測し、膝が震え出した。

 アレを目にした瞬間、俺は恐怖した。次はお前の番だ、そう言われるかもしれないと。

 だからリリちゃんと手に手を取っての逃避行だったのに。いっそのこと街まで逃げるんだった。

「おまえ達、持ち場に戻りな」

「は~い」「むう」「くふ」

 マリウス、ガレス、フルが立ち去る。

「あいつらに周囲を哨戒させる」

 平原一帯の魔物はガーブが殲滅したが、すでに他領域からの魔物の流入は始まっているだろう。

 こちらまで到達するのはまだ先の話だろうが、用心に越したことはない。

 マリウス達とすれ違いに、ふらふらとガーブが戻ってきた。

「メシは食ってきたのか?」

「はあ、多少は」

「そうか、今日まで良く頑張った。少し休め」

 カティアの労いの言葉に頷くと、ガーブが天幕の一つに潜り込んだ。

 ああそうか、いま気が付いた。ガーブの魔物討伐は懲罰代わりの奉仕活動だったのだ。

「……あの、ラヴィとグラスは」

「あいつらは、もうしばらく反省だな」

 カティアが頭上を振り仰いだから、やはりそうらしい。

 袋からはみ出た手足はぴくぴくと痙攣しているので、ちゃんと生きている。だけど袋の中でどんな状態になっているのかは想像したくない。

「ヨシタツにも迷惑をかけたな」

「いえ、めっそうもない!」

 これはひょっとして、俺におとがめはなし?

「まったく、カタギに迷惑を掛けるなといつも言っているのに」

 カティアは嘆息する。やはり居酒屋の一件は、彼女の耳にも届いていたようだ。

 そして俺は、誰が告げ口をしたのか、およそ見当がついている。

「まあ詫びと言ってはなんだが、試合は私が仕切ってやるから任せておけ!」

 カティアは実に活き活きとした表情で請け合ってくれた。



 試合の参加者は、主に三つのグループに分けられる。

 まずガーブの道場の門下生、ただし現役の冒険者や兵士などは除く。

 次にグラスの日用生活殺法。特に規制はなく、フィーも参加する。

 ただしリリちゃんは参加禁止、いちおう道場破りの一件のケジメだ。

 最後に新人、若手の冒険者達。この枠からクリスが参加する。下っ端三人組も出場するらしい。

 スキルの使用は特に禁止されていないが、衆目の前で使う奴はまずいないだろう。


 試合場の脇には、関係者が控えるための天幕がある。

 さっき別れたリリちゃんとフィーの様子を見る為に日用生活殺法の天幕をのぞいてみた。

 入口に立った俺の影に気が付いたのか、奥にいた女性たちが一斉にこちらを振り向いた。

 彼女達がグラスの門下生なのだろう。フィーも片隅の椅子に座っていたが、声を掛けられる雰囲気ではなかった。背筋を伸ばしてまぶたを閉ざし、集中力を高めているみたいだ。

 そこまではいい、特に問題はない、だけど

「なんでおまえがここにいる!?」

 なぜかコザクラが門下生たちに囲まれ、脚立の上に立っていた!

「なんでって、コザクラお姉ちゃんは姉弟子だよ?」

 あっさり答えたのは、彼女の傍らにいたリリちゃんだ。

「たばかったな!!」

 俺は確信した。全ては彼女の手のひらの上で踊らされていたのだ!

 コザクラに詰め寄ろうと、俺は大股で奥へ進み

「目代に何の御用ですか?」

 楚々とした感じの女性にさえぎられた。背後をかばうように立つ彼女の目つきはとても厳しい。

「え、いや、その」

 周囲の女性達もジロジロとこちらの様子をうかがう。途端に気まずくなり、鼻のわきを掻いた。 

「いいのです、あたしの知り合いなのです」

 脚立からのそのそと降りながら、コザクラが女性達にとりなしてくれる。

「ですが目代」

「後は任せたのです」

 そう言って俺の手を引き、天幕から外に出た。

「それで何の用なのです?」

 表に出るとコザクラが訊いてきたが、はて。

「いや別にお前に用事じゃなかったんだが。フィーの様子でも見ておこうと思って」

 もし緊張しているのなら声でも掛けようと思ったが、取り越し苦労だったようだ。あれは戦いを前に、静かに戦意を高めようとしてる姿に見えた。

「ところで、リリちゃんと同門だったんだな?」

 冷静に考えたら、コザクラとリリちゃんは俺がこの街に来る前からの知り合いなのだ。そういうこともあるだろう。

「そうなのです! でも主催者側なので出場はしないのです」

 それは間違いなく朗報だ。彼女が出場したら、収拾がつかなくなる気がする。

「やれることはぜんぶやったのです」

 彼女は言い切った。どうやら彼女の仕事は完了したようだ。

 色々言いたいことがあったような気もしたが、これだけのイベントを立ち上げたのだ。誉めこそすれ、文句を言うなど論外だろう。

「よし、じゃあ一緒に辺りを見てまわるか?」

 俺とコザクラは連れ立って、他の天幕を見学などをした。


      ◆


 武術大会のために二つの試合場が設置された。

 地面に炭の粉で一辺が二十メートルの四角形を二つ描いただけだ。周りにはぼちぼちと観客が集まっているが、周囲の賑わいと比較すれば寂しい感じだ。

「これより試合を始める」

 参加者を前に、ラウロスがいきなり宣言した。開会の挨拶とかは一切なしだ。

 試合場をのぞむ貴賓席には、カティアと二人の男性が座っている。一人は査問会で面識のある自治会長のようだ。それにしてもカティアがやけに上機嫌だ。

 二つ作られた内、第一の試合場は豪剣ラウロスが、第二は双剣ベイルが審判を務める。

 勝敗のルールはいたってシンプルだ。

 相手から一本取るか、枠線から出るか、降参するまでである。

 ラウロスはまず、ガーブとグラスの陣営から、代表者三名を呼び出した。

「いちおう因縁の対決なのです」

 形だけでも決着を付けさせようというはからいだ。本当に形式だけで、ガーブ陣営は互いにくっちゃべってあまり真剣な様子は見受けられない。

 ガーブ陣営から三名が立ち上がり、試合場の脇に控える。師範代が留守のため、普段は顔を出さない古株達が道場に乗り込んできて決めたのだ。

 次にグラス側の天幕の中から代表者達が姿を現したとき、会場に異様な静寂が満ちた。

 彼女?達が全員、黒いローブを頭からすっぽり被り、顔も見せていないからだ。

 その奇怪な姿に観客と、対戦相手達が困惑する。

「…………なんだあれは?」

 俺は傍らにいるコザクラに尋ねた。

「秘密兵器なのです!」

 ローブ姿の三人の中で、特に目を引く奴がいる。いかにも中でつっかえ棒をしていますよ? という感じで、フード部分が突っ張っている。しかもフラフラと左右に揺れて安定が悪い。

 なんというか、怪しさ満点の三人組だ。

「一番手、前へ!」

 だがラウロスはまったく見咎めることなく合図を送る。

 両陣営から一名ずつ試合場の前に進み出る。

 ガーブ陣営からは十六歳の少年が前に出た。木剣をたずさえ、緊張した面持ちだ。腕前は現役の門下生の中では中堅だろう。

 ガーブの道場の門下生は、この試合をそれほど大ごとだと思ってはいない。日用生活殺法は街の女性が護身術を学ぶ場だと思われている。人数は多いが、しょせん女の手習いだと侮っている。

 今回のことはちょっとしたイベントだと、とらえている者が大半だった。だから初手は花を持たせるつもりで、その少年を選んだのだ。

 日用生活殺法側からも選手が進み出た。つっかえ棒さんではない。

 かぶっていたローブを脱ぎ捨てると、中から目も覚めるような美しい少女が出てきた。

 腰まで届く銀色の髪は艶やかで、その可憐な容貌に会場は息を飲んだ。


 彼女が手にした武器は、おろし金。


 金属板の表面がトゲトゲで、食材をすりおろす調理器具だ。生活を守る日用品は、すなわちに身を守る術に通ずる。ある意味、日用生活殺法の極意に相応しい武器だ。グラス陣営の得物は刃物や鈍器以外なら、家庭にあるものを自由に選んで良いらしい。

 だが、おろし金は予想外だ。と言うか怖い、美少女がおろし金を構える姿はなんかこわい。

 しかも顔を強張らせ、おろし金を持つ手が震えているのが余計に恐怖をあおる。本当にただのおろし金なのかと疑いたくなる。

 対峙した少年も、相手の様子に不安を覚えたらしい。腰が引けて、構えた剣先が戸惑いに揺れる。

 そんな異常な光景にも動ずることなく、ラウロスは脱ぎ捨てられたローブを拾った。

「はじめ!!」

 ラウロスが試合開始の合図を告げると、少年は反射的に木剣を振りかぶった。

「きゃあああああっ!」

 悲鳴をあげ、少女がうずくまって頭を抱える。ああ危ない! おろし金に気を付けて!

 困惑した少年は、振り上げたままの格好で停止した。両者とも動かず、ただ時間が流れる。

 やがて少女はおずおずと顔を上げると、攻撃が来ないことを悟って立ち上がる。

 おろし金を顔の前に立て、おそるおそる前に進む。迫るおろし金に恐怖を感じたのか、少年がえいっと気合を発する。

 ふたたび悲鳴をあげ、うずくまる少女。周囲でブーイングが巻きおこった。

 観客達が、少女を脅かす少年に非難の声を浴びせる。味方であるはずの門下生の一部からもヤジがとび、少年は泣きそうな顔になる。

「パン屋の看板娘、キアラちゃん十五歳」

 隣にいたコザクラが解説する。

「年少ながらもその美貌で、同世代はもとよりオヤジ世代にまで人気を博しているのです」

「……なんでおろし金なんだ?」

「調理中に誤って指を傷付けたのです。それ以来おろし金に苦手意識をもち、それを克服するためにあえて武器に選んだのです!」

 なにもそこまで無理をせんでも。

 キアラがついに攻撃に出た。じりじりと接近していた彼女は、おろし金を構えて突進した。

 目をつぶったまま。

 少年がさっと避ける。彼女は勢いのまま通り過ぎる。どこまでも駆けていき

 あ、こけた。つまずいたかバランスを崩したのか、転んだ彼女は枠線を越えた。

 痛みか無様な格好を嘆いたのか、顔を上げたキアラの目に涙が浮かぶ。

 会場全体から怒号のような非難が少年に浴びせられた。なんで避けやがる、そんな声が大半だ。

 無茶を言うな、相手は下ろし金だぞ。ザリっと皮膚をこすられる感触を想像し、身震いした。

 ラウロスから勝利宣言を受けた少年は、べそをかきながら元の位置に戻る。

 俺はあきれ返ってコザクラを見下ろした。そして気が付く。

 かつてないほど、彼女が真剣な顔をしている。しくしく泣きながら元の場所に戻る少女を見詰め、拳を握りながら頷く。

 よくやったと、心中の呟きが聞こえるようだ。その姿に、俺は戸惑いを覚えた。

 しかしガーブ陣営は、やはり恐れるに足らずと慢心が生じたようだ。

 両陣営から次の選手が前に出る。ガーブ陣営は道場の古株で樽職人のゴンズさんだ。

 休みの日には道場に出たり近場で魔物を狩ったりする、腕っ節自慢だ。

 自信満々な様子で舞台の中央に出て、両者あいまみえる。

 つっかえ棒ではない、グラス陣営の選手がローブを脱いだ。その正体に、ゴンズさんが青ざめる。

「か、かあちゃん!!」

 ゴンズさんの奥方、ミランダさんは実に恰幅のよい女性だ。

 発達した両腕にフライパンをそれぞれ握った二刀流だ。

「あんた! 夕べは家に戻らずどこほっつき歩いていたんだい!」

「ま、待ってくれ!」

 俺は知っている。前祝と称して古株連中と飲みに行ったのだ。

 いくらなんでも試合前日に油断のしすぎだと思ったが、家に帰らなかったのか。

「し、仕事の付き合いでちょっと…………」

「若い酌婦相手にヤニ下がっていたんだってね!」

「ど、どうしてそれをっ!!」

 語るに落ちたとはこのことだ。

 悪鬼の形相で迫る奥さんから、ゴンズさんは木剣を放り出すと試合場から逃げ出した。

 雄たけびをあげながら後を追うミランダさん。

「勝者、ミランダ殿っ!」

 両陣営、これで一勝ずつだ。

「…………ゴンズさんの店での様子をどうして知っていたんだろ?」

「酔っ払いのあしらい方を学ぶために、日活法には水商売の関係者も多いのです」

 コザクラの答えに、俺はぞっとした。

 無剣流を発動、試合場をぐるりとまわってガーブ陣営の元へと走る。

「ギザールさん! やばいですよ!」

 最後となった代表に俺は叫ぶ。ギザールさんは御年五十五歳。

 顔にいくつもの傷がある厳つい風貌、歳を経てなお頑健な肉体を誇る元冒険者。

 彼はカティアや八高弟より二世代ほど前の冒険者で、当時のギルドにあって最強を謳われた人物だ。

 かつての最強を持ち出し、予想外のどんでん返しがあろうと勝利の担保としたガーブ陣営の古株達は、なかなかに小賢しい知恵が回るようだ。

「相手側にこちらの情報が筒抜けです!」

 それがどういう意味を持つのか。トランプと同じだ。相手に手札を読まれたら勝負にならない。

 こちらの出場メンバーも事前に知られていたはずだ。道場の誰かが、家で漏らしたのだ。もっとも気が緩む家の中、例えば食事中の会話で誰かがポロリと口を滑らせたのだ。

 その情報が奥様ネットワークで日活法陣営、いやコザクラに伝わったのだ!

「関係ない。たとえ女房だろうと嫁に行った娘が相手だろうと、全力を尽くすだけだ」

 俺は一人の修羅の姿を見た。のそりと立ち上がり、試合場へ向かうその背には、かつて魔物と死闘を繰り広げた男の尊厳と意気込みが見られる。

 そうだ、手札を読まれても関係ないのだ、それが最強のカードであるならば!

 彼ならやるかもしれない、そう確信した。

 最後に残ったつっかえ棒さんが、ローブを外すまでは。

「おじーちゃーん」

 ぺしょっとへたれたローブの中から、もそもそと這い出してきたのは十歳位の女の子。ローブを支えていた竿を脇に捨て、元気に手を振る。

 ギザールさんの顔面が崩落した。厳ついご面相が、好々爺然とした笑みにほころぶ。

「おお、マリアや! どうしたんじゃこんなところに?」

 どうしたもへったくれもない。既に修羅は去った、残ったのはジジ馬鹿だ。

「いくよーおじーちゃーん」

 マリアちゃん十歳は聞く耳持たず、とてとて駆け寄ると手にしたすりこ木で祖父をたたき始めた。

「えい、えい!」

 意外と力がこもっている。というか容赦なく祖父の脛を殴打する。

 ギザールさんは片足をあげてぴょんぴょん跳ねた。

「うわ、やられてしもうたわい!」

「おじーちゃん、まいった?」

「まいったまいった、降参じゃ」

 ………………あ?

「わ~い、おじいちゃん、だいすき!」

「ははは、めんこいのう」

 ギザールさんはマリアちゃんを抱き上げて頬ずりする。

 どうやらマリアちゃんはおじいっちゃん子らしい。くすぐったそうだが嬉しそうに笑っている。

 …………うん、まあ、いいやどうでもっ!!

 観客は唖然とし、ガーブ陣営の古株達から非難の声があがる。

「いやちょっとギザールさん、降参じゃないですよ!」「そうですよ負けちゃったじゃないですか!」「そんなガキ相手にどうしたんですかっ!?」「ガキと遊んでいる場合じゃないでしょ!!」

「ぁあっ!!」

 ぎろり、とギザールさんが古株達を一瞥した。

「わしの可愛いいマリアをガキ呼ばわりしたのはどいつだ?」

 マリアちゃんを抱きかかえ、木剣を片手に近づいてくる鬼に、古株連中が震え上がる。

 そんな彼の前に、俺は立ちはだかった。互いに数歩の距離で睨み合う。

「ギザールさん、お孫さんを預かりましょう」

 殺意さえ帯びた視線を向けられる。だが俺はひるむことなく、真正面から受け止める。

 しばらくしてギザールさんはうなずいてくれた。

「…………頼む」

「いえ、ご存分に」

 俺がマリアちゃんを受け取ると、ギザールさんは木剣を振りかざして突進した。

「がんばれ~~おじ~~ちゃ~~ん!」

 お孫さんの声援を受け、ますます張りきるギザールさん。

 古株連中は悲鳴をあげ、命乞いをしながら必死になって逃げ惑う。かつての最強の名は伊達ではない。

「勝者、マリア嬢!」

 ラウロスがその一切合財を無視して、勝利宣言する。

 貴賓席ではカティアが大笑いである。

 これで二勝一敗。団体戦ではないが、明らかに日用生活殺法側の勝利だ。


「やったのです!!」


 俺は見た、拳を天に突きあげ、勝利の雄たけびをあげるコザクラを。

 彼女は門下生達のあいだを駆けまわり、大はしゃぎで互いの掌を打ち合わせる。

 いつにもまして高いテンションに、もはや文句も出ない。

 どうやら完全に、してやられたみたいだ。


 俺は苦笑して、腕の中にいる幼い勝者を抱え直した。

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