暗躍者
【改装閉店中】
そう書かれた木の札が、軒先でぶらぶら揺れている。
あの居酒屋が営業を休止してから、今日で四日目だ。
ラウロスが到着するまでに、暴れたラヴィとグラス、二人を止めようとしたガーブのせいで店内はめちゃくちゃな状態になったらしい。もはや修理では追い付かず、思い切って改装することにしたらしい。
幾人もの大工さん達が店を出入りして、たいへん忙しそうだ。店の前で材木を切ったり削ったり、中から釘を叩く音などが辺りに鳴り響く。
その様子を横目でうかがいながら、俺は肩をすぼめて前を通り過ぎる。
話はつけた、心配するな。ラウロスの言葉に甘え、後始末を任せてしまった。
改装資金と、予想される休業中の損失は俺が全て弁償することにした。迷惑料ということで多少の色を付け、謝罪の言葉と共に店主に渡して欲しいと、ラウロスに頼んだ。本当なら直接渡すのが筋だろうが、さすがに申し訳なさ過ぎて合わせる顔がない。相手も疫病神に会いたくないだろうと、内心で弁解する。
店を破壊した張本人達に弁償させるとラウロスに言われたが、彼らをあの店に招いたのは俺なのだ。店に対して責任を果たすのは俺の役目だろう。
でもどうやら、近日中に商売が再開できそうな様子に安堵する。
俺は心の中で手を合わせ、足早にその場を立ち去った。
その日もまた道場で稽古をして、例によって小突きまわされていた。
リックとの勝負は連敗記録を更新中だ。まだ一本も取れていない。
だけどその瞬間だけ、幸運が俺に微笑んだようだ。
道場の隅に追い込まれた俺に対して、止めとばかりに剣を振り下ろすリック。
彼の太刀筋に慣れてきた俺は、良い角度で受け止めることができた。
そのまま相手の木剣を受け流しながらリックの内懐に入る。
リックは戸惑ったはずだ。追い詰められた末の、悪あがきだと思ったかもしれない。
つばぜり合いの密着状況を嫌ったリックが跳び下がろうとする。
その動きを寸前で察知した俺は、反射的にリックの足の甲を踏んづけた。
初動を阻害され、リックはバランスを崩して後ろによろめく。
その隙を見逃せるはずがない。誘うように胴があいているのだ。
カティアから受けた訓練が、いくつもの戦いの経験が、そこを狙えと命じる。
臓腑を晒した獲物に食らいつくような、容赦のない一撃を放った。
リックが反撃するそぶりすらなく攻撃を受ける。防御も回避も無駄だと諦めたらしい。
胴を打たれたリックが、勢いよく後ろに倒れ込んだ。
初めて彼から一本を取った瞬間だった…………
「…………やっちまったあっ!!」
カティアに仕込まれた禁じ手を使ってしまった。
彼女の剣術は足癖が悪い。脛を蹴る、足払いなど、正統派の剣術では使わない卑劣技の宝庫なのだ。
青少年相手に使うつもりなどなかったのに、ついむきになってしまった。
「すまん、大丈夫か?」
恐縮してリックに手を差し伸べる。彼は手を払いのけたが、淡々と立ち上がった。
さぞや怒り狂うかと思ったが、意外と冷静な態度だ。
「こんな小細工を使わなきゃ勝てないのか?」
まあ口が悪いのはしょうがない。実際に小細工だし、通常の方法で彼から勝ちを拾うのは難しい。
「本当にすまなかった。怪我はないか?」
「ああ」
あまりにもリックは平静なので、不審の念を抱く。
「その、もっと怒らないのか? 卑怯者! とか?」
「こんなものだろ?」
リックは肩を竦めた。
「スキルがないなら、この程度さ」
そう言い捨てて、次の稽古相手を探しに行った。
うむむ、俺との初黒星だから、もっと悔しがるかと思ったのに。
一方で俺はどうかと言えば、すごく嬉しい。ようやく一矢報いたのだ、今夜は祝杯だ。
「スキルの有無にこだわりすぎだな」
背後でガーブが呟いた。
「まるでスキルがなければ、敗北さえ許されると思っている」
「仕方ないだろ? あと四兄、いきなり後ろに立つの止めて?」
心臓に悪いから。それはともかく、スキル所持者が有利なのは否定しようがない。俺だってスキルがなければ、ただの一般人だ。なんとか冒険者稼業を張っていられるのは実力じゃない。
「アレにはかつて、同期のライバルがおってな。スキルを得て国軍に入った」
…………それはなんというか、辛いというか切ないというか。
互いに切磋琢磨していた友人が、ある日スキルによって一段も二段も上の力を得るのだ。
俺なら腐って稽古を投げ出す。剣を捨てるかもしれない。なにしろスキルは、努力すれば得られるというものではないのだ。それでも粘って稽古を続けているのは称賛に値するのではないか?
ああ、そうか。俺は漠然とリックの気持ちを想像する。
リックは待っているのかもしれない。
かつての友人のようにある日突然、スキルが天から降ってくるのを。
俺もカティアにしごかれていた時に、そんなことを願ったかもしれない。
「それはそうと、今朝は出張るのが……」
遅かったな、そう続けようとして振り向き、ぎょっとした。
ガーブの目元にはくまができ、死人のように顔色が悪い。
いつもは研ぎ澄まされている覇気が欠け、どこか悄然としている。
今朝、誰よりも早く道場にいるはずのガーブがおらず、門下生一同首をひねった。
とりあえず各々、いつも通りに稽古を始めるべえと木剣を振るっていたのだ。
昨夜は珍しく深酒でもしたのかと憶測していたのだが、その憔悴振りは只事ではない。
「ど、どうしたんだいったい!?」
「うむ、それなのだが…………全員、集まれ」
ガーブの声に、門下生が何事かとぞろぞろと寄ってきた。
「これより七日後、武術大会が開催されることになった。我が道場もそれに参加する」
それだけ告げると、ガーブはがっくりと肩を落とした。
◆
「いったいどういうつもりだ!!」
「ふはははは、よくぞここまでたどり着いたのです!」
ノックもせずに事務所に駆け込むと、デスクの上に仁王立ちでコザクラが出迎えた。
「しかし汝の悪運もここまでなのです!」
「いいから机から降りろ行儀が悪い!」
俺が叱ると、コザクラは素直にモソモソと机から降りる。
そのまま偉そうに椅子にふんぞり返るが、大きな背もたれに埋もれそうだ。なんか巣の中でさえずるヒナみたいに見えるが、その正体はそんな可愛らしい代物ではない。
ギルドを辞職した彼女は、この【よろず相談事務所】を経営しているが客は少ない。その原因のひとつはあの出迎え方にあるんじゃなかろうか。
「用件は分かっているのです」
「ご想像通りだよ!」
「下着紛失事件の真犯人! さあ白状するのです!」
「いきなり冤罪をぶちあげるな!!」
脈絡もなく犯罪者に仕立てられた俺は絶叫する。
「え? 違うのですか?」
きょとんとしたコザクラの表情は、何のたくらみもない素のものだ。
空気をかき混ぜるように慌てて手を左右に振る。
「あ、いや、いいのです、なんでもないのです」
「いや待て、何を誤魔化している?」
「ほんとに何でもないのです、その件じゃないとしたら武術大会の件なのですか?」
「なぜそちらの話が先に出ないのか不思議なんだが」
「しつこいのです! ささお茶をどうぞなのです」
コザクラは愛想笑いを浮かべ、カップを差し出す。中身は正体不明の緑色の液体。
「…………それで何を企んでいる?」
俺はカップを無視して単刀直入に尋ねる。
「頼まれた通り、八高弟和解の策なのです」
頼んでねえ! そう叫びたいのをこらえる。いちいち反論してたら日が暮れてしまう。
「それがなんで武術大会に?」
「もともと馬鹿な師匠の愚かな弟子自慢が発端なのです。ならば弟子同士で解決すれば良いのです」
武術大会と言っても、そんな格式ばったものではないと言う。
参加資格は特になく、ガーブとグラスの道場から幾人か、あとは新人若手や引退した冒険者などからも参加を募る。特に優勝者など決めないし、組み合わせも実行委員が適当に選ぶ。当日は屋台が並ぶし、出し物なども催される。つまり武術大会とは名ばかりの、街の住民の親睦をはかる余興なのだと主張する。
もとより門下生同士がいがみ合っていたわけではない。家族がそれぞれの道場に通っている例もある。そうして和気藹々とした雰囲気の中で弟子同士が親睦を深めれば、師匠達が我を張るわけにはいかないだろうと、コザクラは説明した。
「…………変だな?」
「何がなのです?」
「ひどくまっとうな提案に聞こえるぞ?」
耳がおかしくなったのだろうか。
ガーブから武術大会の話を聞いた瞬間、裏で彼女が暗躍しているのを直感した。
ならば武術大会とは名ばかりの血で血を洗う抗争、街を阿鼻叫喚の渦に叩きこみ、業火の中に沈めるパニックが勃発するのだと思ったが
「違うのか?」
「あたしは災害なのですかっ!?」
「いやすまん? 普段がふだんだからてっきり」
「てっきりもぽっきりもないのですっ!」
そう言われても。思うに彼女のやることは、いつも最終的にはプラスに転じているように見えないこともない。ただあまりにも途中経過がひどすぎる。決算では収支が赤字になりそうな案件ばかりなんだもの。
仮にもし彼女が絶対権力者なら、平和条約を結ぶために戦争を起こしそうな気がする。
でも、まあ、うん、そういうことなら、構わないかな? お祭り騒ぎにかこつけて、事をうやむやにするのはいい考えかもしれない。ラヴィやグラス、ガーブと一緒に酒でも酌み交わしながら試合を観戦すれば、わだかまりも解けるだろう。
「なんなら俺も協力するのにやぶさかではないぞ」
「いらないのです。準備とかで忙しいからとっとと帰るのです」
「そうか。まあ手伝えることがあったら言ってくれ。それよりも」
追い返そうとするコザクラの意図をあっさり無視し、身を乗り出して机に肘をつく。
「下着紛失事件ってなんだ?」
コザクラの目が泳いだ。ガタガタと机の引き出しを開け閉めして、何かを探すフリをする。
「…………はて?」
「きりきり白状しろ」
言い逃れは許さん。
「…………あたしから聞いたとは内緒なのですよ?」
「ああ、了解した」
「クリスお姉さま方の下着が連続してなくなったのです」
「下着が?」
「それもお気に入りのものばかり」
「シルビアさん達のものと取りまぎれたんじゃないのか?」
物干し場は一緒なのだ、そういうこともあるだろう。
至極合理的な推測だと思ったのだが、コザクラは蔑んだ目で俺を見た。
「ヨシタツはアホなのですか?」
「なんでだよ!」
「自分と他人の下着を間違えるはずがないのです」
「そうかなあ? だってあの野暮ったいひらひらだろ?」
たまたま横を通り過ぎて目にすることがあるが、どれが誰のかなんて区別はつかない。
「今の言葉、しっかり報告しておくのです」
「よせよ? 生命活動の危機を感じるから。だとすると風に飛ばされたのか?」
「違うのです。結論から言うと盗まれた可能性が大なのです」
それこそあり得ないと思う。物干し場は離れの向い側、中庭にあるのだ。人目につかず、外から盗人が入るとは考えられない。
「だから内部の者の犯行なのです」
コザクラが言いたいことは分かった。
「俺じゃないぞ?」
「お姉さま方もそう言っていたのです」
良かった、彼女達との信頼関係はちゃんと築けているようだ。
「でも、どんなに信じていても人の心は弱いものなのです。何かキッカケがあれば、その魂が闇に染まるのは簡単なのです」
コザクラは沈痛な面持ちで独白する。見た目はあどけない少女に見えても、彼女が数奇な運命をたどってきたのは想像に難くない。何度も裏切りや悪意を目にしてきたのではなかろうか。
「ヨシタツも所詮は男。お姉さま方の色香に迷って獣欲を抑えられなかったに違いないと、悪魔が耳元で囁いたのです」
「ふむふむ、悪魔かあ、それで彼女達の反応は?」
「きゃあきゃあ騒いでいたのです」
「なるほどなるほど、ちなみにその悪魔って、お前のことか?」
「あたしは悪魔ではなくただの美少女なのですっ!!」
コザクラは心外だとばかりに憤慨する。
「じゃあ讒言を吹き込んだのは、悪魔じゃなくて美少女じゃないか?」
俺が微笑みながら訂正すると、コザクラはぽんと手を打った。
「あ、そうなのです」
「コザクラはオッチョコチョイさんだなあ」
俺はコザクラに指を伸ばし、ちょんと額を突っつく。
「でも安心した。さっきお前がまっとうな提案をしたもんだから、頭でも壊したんじゃないかと心配したんだぞ?」
彼女の顔面をガシッと鷲掴みにする。
「やっぱりコザクラは、こうでなくちゃな?」
それから彼女が降参するまで、ギリギリと指に力を込めていった。




