道場破り
宿に戻ると、フィーが食堂の隅のソファーでぐったりとしていた。
肘掛に頭を、片腕を床に垂らし、背もたれに片脚を引っかけ、全身を弛緩させている。
目を覆わんばかりの、はしたない格好だ。
「……おかえりなさい」
うっすらと開けたフィーの目には生気がなく、焦点があってない。
俺は夕食の準備をしているリリちゃんを見やった。
「フィーお姉ちゃん、先生にだいぶしごかれたから」
彼女は食卓を布巾で拭きながら教えてくれた。
俺がガーブ、クリスがラヴィに師事し、フィーは護身術の道場に通い始めた。
流派の名前は日用生活殺法。リリちゃんも通っている道場だ。
疲労困憊したフィーの様子に、道場の評判がいまさらながら気になった。
「女性の入門者が大半で、治安の良い場所にありますから」
シルビアさんに尋ねると、彼女は安心させるように教えてくれた。
ネーミングはアレだが、まっとうな道場らしい。
今度、道場主に挨拶に行こうと思いつつ、食卓につく。
フィーも椅子に座ったが、タコのようにグンニャリと背もたれに寄りかかる。
「そんなに厳しいの?」
彼女の皿から白アスパを取り除けつつ、リリちゃんに尋ねる。
「先生、気に入った人には厳しいから」
答えるリリちゃんの目は冷ややかだ。
ごめんね、苦手だけど俺が食べるから勘弁してあげて?
「そんなお気に入りなんていらないよ~」
フィーは愚痴をこぼすばかりで食事に手をつけない。フォークで料理をつっつくだけだ。
疲れすぎて食欲もないようだが、ここは頑張ってもらわないと。
あんなことになるのは、二度とごめんだ。
フィーには身を守る術を絶対に学ばせる。
だから無理にでも栄養を補給させ、明日の稽古に備えさせなければならない。
「口をあけろ」
「えっ?」
「口をあけるんだ」
俺が厳しく言うと、フィーはおずおずと口を開いた。
下手な優しさは、彼女のためにならない。
心を鬼にして、スプーンで芋のサラダをすくい、フィーの口に押し込んだ。
フィーが目を白黒させ、周りから非難がましい視線が集まった。
動物愛護団体から睨まれる、フォアグラ生産者の気分だ。
「ほら、次だ」
嫌われるのはつらいが、覚悟を決めてフィーに食事を詰め込んでいく。
「しっかりと嚙めよ」
「……ふう、私も食欲がありません」
隣でクリスがため息をつき、フォークを置いた。
「そうか、今日はお代わりはしないのか」
珍しいが、そんなこともあるだろう。
指摘されたクリスは、きれいに平らげた空の食器を眺めて愕然とする。
食べ尽くすまで夢中になっていたようだ。
若い頃のような食欲のない俺は、微笑ましくてつい口元がゆるむ。
「クリスの食べっぷりは惚れ惚れするな」
自分の旺盛な食欲に照れたのか、クリスが頬を紅潮させた。
「……タヂカさん、クリスお姉ちゃん、違うから」
「そう言えばラヴィの訓練はどうだったんだ?」
俺が尋ねると、クリスは感慨深げに頷く。
「さすがは八高弟、学ぶことが多いです」
「上手くやれそうか」
「はい、大丈夫です」
良かった、二人の相性に問題はなさそうだ。
ラヴィは八高弟の中で、もっとも堅実的な戦い方をする。
その点を学んでもらえば、今後のチームプレイに活かせると思う。
フィーの魔術スキルの向上で、中級魔物攻略の目途がついた。
今後は彼女を切り札とした連携を考えるのが妥当だろう。
フィーを守りながら、魔術スキルが効果的な発動状況を作り上げる。
その課題をこなすために、俺やクリスの戦力増強が急務となった。
「無理にでも頼み込んで良かった」
「そう言えば、よく引き受けてくれましたね」
同伴して一緒に頼み込んでいたクリスが首を傾げる。
最初、ラヴィは俺の依頼を渋っていたのだ。
ガーブと違い、彼女は後進の指導など手がけたことがないらしい。
そんな暇があるなら、討伐にいそしんでいるほうが性にあっている口だ。
だが、結局は引き受けてくれた。
「ああ、それは」
「それは?」
おっといけない。
誤魔化そうとしてフィーの口にスプーンを突っ込む。
いくらでも入るなあ、なんか楽しくなってきたぞ?
「……私達に言えないことですか」
クリスの目付きが剣呑になる。妙な勘繰りをしているらしい。
「内緒だ」
ラヴィからこっそりと、引き受けるにあたって条件を出された。
しかも他言無用と、念押しまでされてしまった。
どうしてそんな必要があるのかさっぱりだが、約束は約束だ。
そうやって意識をよそに向けていたのが悪かったようだ。
詰め込み過ぎで、フィーは気分が悪くなってしまった。
……すまぬ。
道場通いの二日目。
今日も若い連中にしごかれようか。
そう思って稽古に臨んだが、初日とちょっと雰囲気が違った。
「ありがとうございました!」
稽古が終わると、相手をしてくれた少年にしゃちほこばって礼を言われた。
「いや、こちらこそ?」
まるで先達に対するような礼儀正しさだ。
こちらの方が、彼らの若さと勢いに圧倒されているのに。
しかしビシバシと打ち込まれても、稽古が終わると丁重に遇してくれる。
門弟のほとんどが、そんな按配だ。
その中でただ一人、リックの態度が変わらない。というか悪化した。
もはや敵意としか言えないものにまでなっている。
俺は首を傾げながら道場の隅に引っ込むと、同期の四人組が集まってきた。
「アニキ! お疲れ!」
「おじちゃん! お疲れさま!」
なんか皆の表情が輝いている。ポーラなど手ぬぐいまで差し出してくれた。
昨日とは違い、むしろ懐かれている気がする。
「あ、ありがとう」
受け取った手ぬぐいで汗は拭けても、不信感は拭えない。
「あのさあ?」
「なんですか、アニキ!」
「それだ!!」
違和感の正体が判明した。レンは俺のことを、おっさん呼ばわりしていたはずだ。
「なあ、いったいどうしたんだ? なんか変だぞみんな」
俺が指摘すると、子供達は落ち着きがなくなった。
「……なあ、アニキって八高弟なの?」
むせた。
「人聞きの悪いことを!!」
「どういう意味だ、それは」
一瞬にしてガーブが隣にいた。盗み聞きか?
「これから所用で出かけてくる。すぐに戻るから、目配りを頼む」
そう言って彼が立ち去ると、あらためて子供たちを問いただす。
「なんでそんなことを聞くんだ?」
「聞いたことがあるんだ、八高弟に新人が入ったって」
「ウワサになってるよ?」
俺は頭を抱えた。よりにもよってなんという悪質なデマだ!
幸い、否定するのは簡単だ。
「俺がそんな強そうに見えるか?」
子供達がウンと頷いた。あれ?
「八高弟二人にケンカを売るなんて」
レンやポーラの瞳も輝いている。
「いや、別にケンカを売ったわけじゃないんだ」
狼にネズミが挑んでも、それはケンカとは言わない。
当人達にも負い目があったので、見逃されただけだ。
「……ボクたちのこと、守ってくれた」
内気なカールまで記憶を美化している。困ったぞ?
「おまえら、騙されてんじゃねえぞ」
リックまでもがやって来た。
「こんな弱い奴が八高弟のはずねえだろ」
「その通り! 良いことを言った!」
助け舟につい声を張り上げると、リックがちょっと後ろに引く。
「俺がどんだけ弱いか、見せてやるよ」
リックに叩きのめされれば、誤解は解けるだろう。
さっそくリックに稽古を乞おうとしたとき
「一手、ご指南願おうか!」
道場に高く済んだ声が鳴り響く。
頭が痛い。うずくまりたくなる衝動を堪え、スタスタと戸口に向かう。
「あたっ!」
四の五の言わせず、フィーの頭に拳骨を落した。
「あれが他所の道場を訪ねるときの作法だって……」
「ごめんねタヂカさん。うちの師匠が悪ノリして」
フィーが俺を迎えに行くと聞き、彼女達の師匠にあのセリフをふき込まれたそうだ。
大丈夫なのか、その師匠は。
二人目の奴隷の出現に、道場の少年達は騒然としている。
あああ、健全な青少年からどんな風に見られることか!
「いいんだよリリちゃん。このバカを止めようとして一緒に来たの?」
「……バカ?」
「それもあるけど。ほんとはタヂカさんの稽古の様子を見たかったの」
そう言うとリリちゃんはペロッと舌を出した。
俺は笑いながら彼女の頭を撫でた。
「リリ、なのか?」
横手から声が掛かった。
リックが呆然とした様子でリリちゃんを眺めている。
「……だれ?」
「俺だよ! リックだよ!」
彼が駆け寄ろうとすると、その勢いに怯えたのか俺の背後にまわるリリちゃん。
するとリック、凄まじい目付きで俺を睨む。
なんだこの状況?
「知り合いなの?」
「知らないよこんな人」
リリちゃんに、こんな人扱いされたリックがよろめく。
「リリちゃん、よく彼の顔を見て? どこかで見た覚えはない?」
可哀想になった俺は、リリちゃんにうながす。
言われた彼女は、じっとリックの顔を見詰める。
「……リック?」
「そうだよ! 俺だよ!」
「なんだ、いじめっ子のリックか」
合点がいったようにリリちゃんが頷く。
「誰がいじめっ子だ!」
「いじめっ子でしょ! いっつもイタズラしてきたくせに!」
…………ああ、だんだん読めてきたぞ。
そして嫌な予感がひしひしと。
俺がこっそりと彼らから離れようとすると
「聞いてよタヂカさん、あいつったら女の子に意地悪ばっかりしてたんだよ!」
お願いだから腕に抱きつかないで!
俺の願いもむなしく、リックの表情が次第に険しくなる。
「そいつとどんな関係なんだよ」
「この子は俺の泊まっている宿屋の娘さんで」
「お付き合いしてるの」
リリちゃん、俺の腕に押し当てて顔を隠す。恥ずかしいなら言わなきゃいいのに!
ひそひそと囁き合う青少年たち。ちょっと待って違うの。
「と、友達! トモダチね!」
「うん、友達から、だよね」
「へえ?」
フィーが蔑んだ目で俺を見る。
「ねえリリちゃん、友達から始まってどこまで行くの?」
「あの、ね? 三年後に」
リリちゃんの口を塞いだが、すでに遅かった。
「ほお?」
首に巻かれた三本の縄が、どんどん引かれているみたいだ。
「……そんな弱っちいヤツと付き合っているのかよ」
ショックから立ち直ったリックが、鼻で笑って虚勢を張る。
分かる、分かるよ君の気持ちは。だから俺を睨まないで。
「タヂカさんは弱くない!!」
激昂するリリちゃん。
「弱いぜ? この道場で一番弱い」
「タヂカさんは強い! この街で一番強いんだから!」
いくらなんでも盛りすぎです。
「オレにさえ勝てないソイツが?」
リックが小馬鹿にするが、その言葉にはどこか自嘲気味な響きがある。
そんなことには気付かず、とうとうリリちゃんがキレた。
「なら、わたしと勝負しなさいよ!」
「いいぜ? ガキの頃の借りを返してやる」
「いまだってガキのくせに、また泣かしてあげる!」
「うるせえっ!!」
これはマズイと、二人を止めようとしたら
「……ならわたしも」
「え?」
なぜかフィーまでもが名乗り出る。
「勝負を申し込むよ!」
彼女が指差す方向にいたのは、俺!?
「いざ尋常に勝負!」
なんでこうなるんだ?
そのあと、リック君はリリちゃんに叩き伏せられました。
しかもリリちゃん、
「タヂカさんは、わたしよりも強い」
と余計な捨てゼリフを。
フィーは。
勝負を挑まれても、隷属スキルが発動しないことが判明した。
おそらく俺の認識に関係しているのだろう。
ならばと、あっさり返り討ちにしました。
「どうしておぬしは、面倒事しか持ち込まないんだ?」
ガーブに説教された後、俺は総掛かり四巡の刑に処されました。




