入門
疾剣ガーブが師範代を務めている剣術道場は、職人達が多く住む区画にある。
地元に根付いた道場で、門下生の多くが近所の少年少女達である。
門下生は大人になってからも訪れ、運動代わりに稽古をしたりするそうだ。
その日、十歳前後の子供たちが四人、稽古場の端に並んでいた。
入門希望の子供たちだ。親御さんたちは先ほど戻られた。
「おぬし達はこの道場に通うことになるのだが」
子供達の前に立ち、師範代であるガーブが問い掛ける。
「なんのために剣を学ぶ?」
「大きくなったら冒険者になるんだ!」
間髪を入れず、右端の男の子が叫ぶ。
「ぼくも!」
「わたしも!」
二番目の男の子、三番目の女の子がそれに続く。
冒険者は武器を振るって魔物を討伐し、結構な金も稼いでいる。
子供にしてみれば、憧れの職業なのかもしれないな。実態はともかく。
しかし四人目の、一番小柄な男の子だけがうつむいて答えない。
「そなたは何のためだ?」
人見知りらしい子供にも、ガーブは容赦なく尋ねる。
「……わかりません」
男の子は蚊の鳴くような声で答えた。どうやら叱られると思っているらしい。
「うむ、それでもよい」
だが、男の子の予想に反して、ガーブはあっさりと頷いた。
「それがしも、いまだに分からぬ」
師範代の言葉に、子供達は全員が驚く。
特に内気な男の子は、面をあげてガーブをまじまじと見つめる。
「それを知るために、日々剣を振るっている」
子供相手だと誤魔化している様子はなく、しごく生真面目な顏だ。
ガーブが男の子に頷きかけると、相手もこっくりと頷いた。
さすがは四兄、実にしぶい。
「さてそれでは」
「師範代!」
話し始めたガーブをさえぎり、高々と挙手した。
兄弟子が、実に嫌そうな顔をする。
「俺には聞いてくれないんですか!」
「……そなたがなんでここにいる」
あれ、子供たちと比べて扱いが冷たいのは気のせい?
さっきから視線を合わせないのは無視してるの?
「はい、師範代みたいにカッコいい剣士になるためです!」
入門希望者の五人目、子供達の一番端にいたタヂカ・ヨシタツ。
つまり俺は、元気良く答えた。
「おっさんは冒険者なんだ」
「おう。まあ冒険者になって一年にもならないけど」
入門初日ということで、俺と子供たちは稽古の見学中だ。
「おじちゃんは強いの?」
「強かったら剣術道場に入門したりしないだろ?」
なあんだと、子供たちはがっかりした様子だ。
例によってカティアのコネを使い、ガーブに内緒でこの道場に入門した。
驚かそうと思ったのだが、どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。
「だめだろおっさん。おっさんが冒険者とかヤクザな稼業をやったら」
「そうだよ、まっとうなお仕事をしないと」
「おれの親父はおっさんと同い年ぐらいだけど、近所でも評判の職人なんだぜ?」
「大黒柱はしっかりしないと」
「あれ? でもさっき冒険者になりたいって……」
君らだって人のこと言えないじゃないか。
「そりゃ夢さ、オレたちはガキなんだから夢ぐらいみたっていいだろ?」
「冒険者はあぶない仕事だよ?」
「おっさんはガキじゃないんだからさ」
「はあ、そうですね、面目ない」
俺はがっくりと肩を落してうなだれる。
しっかりした子供達だ。と言うより、俺がだらしないのか?
「気を落すなよおっさん」
「ごめんね、応援するから」
子供達は口々に慰め、ぽんぽんと肩を叩いて励ましてくれる。
もうなんというか、身の置き所がないというのはこういうことか?
「…………余所見をしてお喋りとはずいぶんなご身分だな」
顔を上げると、腕組みをしてこちらを見下ろす師範代。
さっきまで道場の中央にいたのに。
まとわりついていた子供たちは、ちゃっかり神妙な顔で座り直している。
「見学では物足りないらしいな。いいだろう、こっちにこい」
襟首をつかまれ、ずるずると道場の中央に引きずり出される。
「全員、集まれ!」
ガーブが稽古をしていた門下生を呼び集めた。
「これよりこの者が総掛かりを行う。皆、相手をしてやれ」
『はい!!』
全員が力強く返答する。
「あの、四兄? 総掛かりって」
「当道場の名物稽古だ」
彼はにやりと笑う。
「そなたと門下生二十人が、連続して乱取り稽古を行う」
俺は血の気が下がるのを感じた。
「ちょ、ちょっと待って!?」
もちろん、俺の反論など聞かれもしなかった。
この道場は、子供を預ける親御さんからの評価が高い。
その理由の一つに、稽古において安全に配慮している点があげられる。
簡単な防具が貸し出され、木剣は幾重にも布が巻かれたものが使用される。
石畳ではなく板敷きだから、床に叩きつけられてもダメージが少ない。
冒険者ギルドの訓練方法よりも先進的だ。
だからと言って、絶対に怪我をしないわけではない。
その辺は危険と常に隣り合わせの辺境の街だ。
子供がちょっと怪我したぐらいで騒ぐ親御さんはいない。
いま俺が向かい合っているのは十代後半の少年だ。
少年といってもしっかりとした体格をしている。
基本的に道場の門下生にスキル持ちはいない。
スキルを所持していれば、それを活かした職に付くからだ。
有用な能力があればすぐに自活の道を求めるのが辺境の暮らしだった。
だけどスキル無しの少年とは言え侮れない。剣の腕前は、俺以上だった。
「せい!」
「ぐえ!?」
十合、二十合と剣を交え、最後に腹に一撃をもらった。
「次!」
ガーブが次の対戦者を指名し、再び剣を交える。
懸命に粘るが、最後に腕にいいのをもらって交代。
次の対戦者にも負け、その次も負ける。
カティアの稽古は指導だったが、彼らは全力で挑んでくる。
幼い頃から剣を学んでいる彼らに勝てる道理はない。
しかもこちらは疲労が蓄積するが、相手は一勝負ごとに交代している。
最初こそそれなりの勝負だったが、最後にはヘロヘロになった。
それでも何とか二十人全員と対戦を済ませた。
「よし、次だ」
「……え?」
終わったと思い、一息つこうとしたら、無慈悲な宣告。
また最初の相手からやり直しだ。
三巡目を終える頃には、案山子のように打たれまくった。
「おっさん、生きてるか?」
「おじさん、大丈夫?」
稽古が終わると、道場の片隅に放り捨てられるように転がされた。
もう声を出す気力も立ち上がる体力もない。
「しっかりしなよ」
子供達よ、心配してくれるのは嬉しいけど揺すらないで。
モミモミとかマッサージもいらないの、すんごく痛いから。
「師範代の知り合いって言うからどれだけの腕前かと思ったけど」
最初に稽古で立ち会った少年が近づき、蔑んだ目で見下ろした。
「てんでダメじゃん」
「リックあんちゃん!」
子供達の一人が立ち上がる。
「いくらなんでもやりすぎだよ!」
「ひどいよリックお兄ちゃん!」
子供達が次々に抗議するが、リックと呼ばれた少年は鼻を鳴らした。
「稽古なんだからしかたないだろ」
「でもっ!」
「やめてくれ」
俺は声を振り絞って制止すると、もがくように立ち上がった。
ふるえる膝を叱咤し、リックと相対する。
「なんだよ、文句があるのか」
彼は、俺よりやや背が低いぐらいだが、よく鍛えられた身体付きだ。
きっと小さい頃から剣の腕を磨いてきたのだろう。
「ご教示、ありがとうございました」
俺は頭を下げる。
あらためて、自分の弱さを教えてもらった気分だ。
俺は稽古中、射撃スキルを発動し、剣術スキルを抑えていた。
剣術に関わる補正はごくわずかだろう。
ほとんど素のままの力で臨んだ結果が、これだ。
努力を重ねて研鑽を積んだ相手にはやはり敵わない。
それが分かっただけでも収穫だった。
「……いい気になるなよ」
リックは言い捨てると、稽古に戻っていった。
彼の背を見送ると、その先にいたガーブと目が合った。
「ごめんな、おっさん」
「ごめんなさい」
「なんで君達が謝るのさ」
「リックお兄ちゃん、さいきん機嫌が悪いの」
「前はすごく優しかったんだけど」
「気にしてないから」
ませたところもあるが、みんな良い子だな。
「たのもーっ!」
声が響いた。門下生達がなにやら騒がしい。
視線を向けると戸口に人影が二つ、差し込む陽光を背に立っている。
「道場主はおられるか! 一手ご教示願いたい!」
ざわっと、道場に緊張感が走る。
まるで道場破りのような台詞だ。
子供達が俺の周りに集まり、服の裾や袖にすがりつく。
俺は子供達の頭をひと撫でして、そっと小さな手を振りほどく。
そのまま戸口に歩いていくと、馬鹿な台詞を叫んだ相手に拳骨を落した。
「あたっ!」
「なにやってんだおまえら」
頭を押さえて涙目のクリスと、ニヤニヤしている八高弟の紅一点、ラヴィーを睨む。
「……痛いです」
「ちょっとした冗談じゃない」
「悪質な真似は止めろ。子供達が怯えるだろうが」
どうせラヴィーが唆したのだろう。
「後ろの子達ですか?」
言われて振り向くと、確かに子供達が四人、俺の背に隠れるようについて来ていた。
「こんにちは、私はクリスと言います」
クリスはしゃがみ込み、ニッコリと微笑む。
「お、おいら、れ、レンです」「ポーラです」「ジャン」「……カール」
「そう、みんなよろしくね」
子供達は顔を真っ赤にしてはにかんでいる。
俺の背からおずおずと出てくると、クリスの周りに集まる。
「きれいなお姉ちゃんだね」
「う、うん」
ポーラが肘で突っつくと、レンが顔を伏せて頷く。
「ありがとう、ポーラも可愛いし、レンも男前ね」
クリスが言うと、ポーラは頬を押さえてとび跳ね、レンはモジモジと照れる。
「ねえねえ、お姉ちゃんはおじさんのお友だち?」
ポーラが興味深げに尋ねる。
その問いに、俺は自分の顔が強張るのが分かった。
「あのね、おじさんは私のご主人様なの」
だがクリスはさほどこだわった様子もなく、あっさり答える。
彼女があの忌々しい首輪を指先で引っ掛けて示すと、ざわっと声が上がる。
門下生達が、いつのまにか後ろに集まっていた。
嘘だろとか、あんなさえないオヤジがとか騒いでいる。
……風采とか、関係ないと思うんだけど。
「おまえがここに来るとは珍しいな」
「よ、ガーブ」
ラヴィーが近寄ってきた四兄に手を振る。
「いったい何の用だ」
「ただの案内だよ、わたしの弟子がここに用事があるっていうから」
「弟子、だと?」
ガーブの眉が、ぴくりとはねる。
「そうだよ、見てご覧! 可愛いだろ!!」
「ちょ、ラヴィさん!」
「師匠だろ、し、しょ、う」
ラヴィが後ろから抱きつき、顎でグリグリとクリスの頭をえぐる。
ガーブが胡散臭そうな目で俺を見る。
「……そなた、なにを企んでいる?」
「企むだなんて。未熟な我が身を反省して、皆で一から修行しなおそうと」
「なぜ目をそらす」
後ろめたいからだよ。
「婿ちゃんもわたしの弟子になればいいのに。二人ぐらい、面倒みるよ?」
「いえ、せっかくですが」
「……お前が弟子だと?」
ガーブが鼻を鳴らした。
「人の教えを満足に学ぶことができないやつが?」
「あぁん?」
ラヴィの瞳が剣呑な光を宿す。
「そりゃどういう意味だい?」
緊張感が満ち、八高弟同士の気迫がぶつかり合う。
俺やクリスでさえ息を呑むのだ。年若い門下生達が気圧されて後ずさる。
ましてや間近にいて
「ふえ」
剣呑な雰囲気に直接さらされた四人の子供達など
『うええええ~~えん』
泣き出して当然だ。
俺は子供たちを抱き寄せ、懸命になだめる。
腕に抱え込んだ幼い生命の温かさを感じる。
あふれる感情のままに、ガーブとラヴィを睨んだ。
「おい、クソガキども」
我知らず、声が低くなった。ためらいもなく無剣流を発動する。
「やり合いたいなら、よそでやれ」
さすがに子供を泣かせたのはバツが悪かったらしい。
二人とも、ふんとそっぽを向いて拗ねてしまった。
こいつらは。
道場からの帰り道、ラヴィと別れた俺とクリスは、冒険者ギルドに赴いた。
受け付けでセレスと合流し、再び外に出る。
三人連れ立って歩き、やがて到着したのが倉庫が立ち並ぶ一画だ。
幾棟もの倉庫を通り過ぎ、何台もの荷車とそれを牽く労働者達とすれ違う。
通りの中ほどで路地を曲がり、突き当りが目的地だ。
冒険者ギルドが保有する、赤いレンガ造りの倉庫の前に立つ。
セレスが閂の錠前を外し、クリスと俺が大きな扉を左右に引いた。
独特の臭気が微かに流れ、開いた隙間に身体を滑り込ませる。
内部は薄暗く、目が慣れるまで時間が掛かった。
床の上に、黒い甲殻が何体も、標本のように並べられていた。
巨大な帝国を築いていた、鎧蟻達の安置所だ。
解体済みの鎧蟻の甲殻の列を、セレスとクリスはおそれげも無く進む。
少々腰が引けている俺は、彼女達の後ろをついていく。
「指示通り、ヨシタツさんが討伐した鎧蟻の大半は、商業組合に捨て値で卸しました」
セレスが告げる。
商業組合との確執を解消するために、俺が打った手だ。
いつまでも街の有力組織と敵対する気のなかった俺が、彼らに送ったメッセージである。
鎧蟻はくれてやるから、これまでのことは水に流そうと。
交渉自体は冒険者ギルドに任せたが、感触は悪くなかったそうだ。
やがて奥まった一画にたどり着く。
そこには巨大な甲殻が鎮座していた。
生前の姿を模して、各部位が半ば組み立ててある。
「そして残した鎧蟻の女王と、その眷属十二体」
手を広げたセレスの姿は展示会のコンパニオンのように俗っぽく。
御神体を前にした巫女のように清らかだった。
彼女の背後にあるのは、かつての帝国の支配者の遺骸。
抜け殻となってしまった今でも、俺の胸中を畏怖の念で満たす。
黒々としたその姿は、異形の神にも思えた。
俺は我知らず、彼女の前に頭を垂れた。
「これらが貴方のモノです、ヨシタツさん」




