悪魔の選択 その八
もうひとつ、解決しておかなくてはならないことがある。
俺達は連れだって、シルビアさんの宿を訪れた。
「お姉ちゃんたち?」
リリちゃんがぼう然とクリスとフィーを見る。
その視線の先には、ふたりの首にはめられた奴隷の首輪がある。
クリス達は困ったような笑みを浮かべた。
「……タヂカさん?」
リリちゃんの目が説明を求めている。
「俺のせいで、こうなった」
「…………うそ」
「ほんとうだ。俺のせいで彼女達は、奴隷になった」
「嘘だ!!」
リリちゃんは叫び、踵を返して奥に走り去る。
『リリちゃん!!』
クリス達が慌ててその後を追う。
後に残されたのはシルビアさんと俺だけだ。
互いに見つめ合い、沈黙する。
「何があったの?」
問われて、俺はありのままを説明した。
もちろん俺の犯行部分はカットだ。
説明し終えると、俺はシルビアさんに殴られた。
「あの子に!」
憤怒の形相で俺をにらむ。
「自分の罪悪感を押し付けないで!」
…………そんなつもりはなかった。
ただありのままの事実を述べたつもりだった。
俺に端を発した出来事が、めぐり巡ってクリス達を奴隷にした。
ああ、そうか。十四歳の女の子にそんな馬鹿正直に言う必要はなかった。
余計な重荷を、リリちゃんに押し付ける結果になってしまった。
すみませんと謝ってから本題を切り出す。
「いままでお世話になりました。今日から宿を変えようと思います」
「…………」
「重罪人である終身奴隷が宿泊していると、きっとご迷惑を掛けますから」
クリス達と話し合い、彼女達もそれが良いと言った。
外見的には補償奴隷も終身奴隷も区別はつかないが、どこで話が漏れるかもしれない。
そうなる前に宿を移動する。そしてシルビアさん達とは会わないようにする。
この宿に、悪い噂が立たないようにするためだ。
「リリのことはどうするんですか?」
シルビアさんに問われ、考え込む。これはこれで、良い機会なのかもしれない。
「さっきので、きっと俺のことに愛想を尽かしたでしょう」
そう考えれば怪我の功名だ。
リリちゃんも目が覚めて、同年代の男子に目を向けるだろう。
そう言ったら、また殴られた。
「あの子の気持ちを、そんな軽々しく考えないで!」
仕方ないじゃないか。
今はちょっと傷つくかもしれないが、時間が経って大人になれば
視える!視えるのです!リリちゃんが若い男をとっかえひっかえ遊びまくる姿が!
ふいによみがえる、あの時のセリフ。
その美貌で男を次々と手玉に取り、やがて国王を籠絡して、国に騒乱を巻き起こした稀代の悪女として後世にまで語り継がれるリリちゃんの姿が!
彼女の天啓スキルを考えれば、あれを妄言だと一笑に付していいのか?
もしリリちゃんが俺のせいで男性不信に陥り、グレたりしたら。
夜遊びを覚えたり、危ない連中と付き合ったりとか。
「ど、ど、どうしよう! り、リリちゃんが不良になったら!?」
あの気立ての良い子が、歴史に残る大悪女になってしまう!!
「落ち着きなさい、今度は大げさ過ぎです」
なに落ち着いているんです! あんたの娘の事でしょうが!
「とりあえず今は、このままウチに泊まって下さい」
「し、しかし」
「うちの迷惑を考えて下さったことは感謝します。でも、そんな遠慮は無用ですよ?」
「いや、でもそれでは」
「心配だと言うのなら、わたしに考えがあります。だから、ね?」
いつの間にかシルビアさんになだめられ、しぶしぶ頷いた。
部屋に戻ると、灰色の毛玉がいた。
タマだ。ベッドの枕元で堂々と寝そべっている。
どかそうとしたら、爪で引っ掻かれた。
タマが俺を一瞥する。死ぬか? そんな目付きだった。
俺は仕方なくベッドの端に座った。
ノックの音がしたので返事をすると、リリちゃんが入ってきた。
「さっきはごめんなさい」
彼女は俺の隣に腰を掛けた。
「いや、あんな言い方をしてごめん。不愉快になるのはあたりまえだよ」
そうじゃないと、リリちゃんが首を振る。
悲しくて、つらくなって、逃げ出してしまったのだと謝る。
「それは仕方ないよ、知り合いのお姉さんがあんなことになったんだ」
さぞかしショッキングな出来事だったのだろう。
「違うの」
リリちゃんは俺の目をまっすぐ見た。
「タヂカさんを見ていられなかったの」
意外なことを言われ、動けなくなる。
「よしよし」
彼女はベッドで膝立ちになり、俺の頭を撫でだした。
「え、いや、どうして?」
彼女の唐突な行動が理解できない。
不幸な目にあったのはクリスやフィーだ。俺じゃない。
「俺なんかより、お姉さん達を励ましてあげてよ」
「お姉ちゃんたちには」
せっせと撫でる手を休めない。
「タヂカさんがいるから大丈夫」
リリちゃんはきっぱりと断言する。
「タヂカさんがいればお姉ちゃんたちは絶対に大丈夫」
だから、タヂカさんを励ますのはわたしの役目だと言った。
俺は、可笑しくなった。
横隔膜が痙攣して、笑いがはじけそうだ。
だけどここで笑ったらリリちゃんに悪い。
ぐっと腹に力をこめて衝動を抑える。
「タヂカさんだって、辛いはずだもの」
少女の優しさがくすぐったい。
「お姉ちゃん達のために」
リリちゃんの言葉には確信が込められている。
「きっとまた、すごく頑張ったんだよね」
「……結果は散々だったけど」
結局、死者が十一人、いやビルドを含めれば十二人か。
それに二人が終身奴隷という最悪の結末だ。
だけど俺もいい年だから、現実的に割り切ることができる。
奪った命も合理的に計算し、自分を納得させられる。
リリちゃんは子供だから、そういう大人の図太さを知らないのだ。
年端もいかない女の子に、無用の心配を掛けてはいけない。
「タヂカさん、笑っているの?」
「気を使ってくれてありがとう、でも」
「その笑顔、なんだかお面みたいに嘘っぽいよ?」
そう言って俺の頭を抱きかかえた。
「タヂカさんのそんな悲しい顔、見たくない」
頭頂部に、彼女の頬の感触がある。
意気地がなくてごめんなさいと、また謝られた。
どうやら俺は、笑いたいわけではなかったらしい。
腹の底からこみ上げてきたのは、嗚咽だった。
シルビアさんの宿の中庭には、離れがある。
宿の部屋に泊まると気がひけるのなら、そこを使ってくれと申し出てくれた。
他の客がいるとき人目が気になるなら、離れで食事を摂れば良いと言われた。
だいぶ悩んだが、ありがたく申し出を受けることにした。
クリス達が現在の境遇に慣れるまで、静かな環境で暮らした方がいいだろう。
ただ離れは、物置小屋同然なので片付けが必要だった。
それからは毎日、離れの不用品の整理や模様替えに時間を費やした。
クリス達は大はしゃぎだ。
新居だ愛の巣だと冗談を言いながらせっせと働いている。
彼女たちなりに立ち直ろうと努力しているのだ。
そう思えば、力仕事にこき使われたが不満はなかった。
テーブルはどうするか、壁掛けにはどんな色がいいか。
そんなことを皆で話し合いながら夕食を摂るのが最近の楽しみだ。
そうして一月が経過した。
俺とクリス、フィーは再び冒険者ギルドに赴いた。
久しぶりにギルドの建物の前に立つ。
クリスとフィーの緊張が感じられる。
俺も正直に言えば、気おくれがしている。
だが、俺まで怖気づいてしまうわけにはいかない。
どんな目で見られようと気にしてはいけない。
傲岸不遜に睥睨するのだ。
クリス達の前に立ち、非難や侮蔑や嘲笑の視線をさえぎるのだ。
彼女たちの肩をポンと叩き、ギルドの扉をくぐった。
「悪魔! どのつら下げて戻ってきやがった!」
大声をはりあげ出迎えたのは肉屋だった。
しょっぱなから面倒くさいやつのお出ました。
「久しぶりだな」
「なにが久しぶりだこの野郎!」
そうわめいてクリス達を無遠慮な目でじろじろ見やがる。
……背後でクリス達が委縮しているのが気配で分かる。
ぶっとばしてやろうか。
「こいつらを奴隷にしたって噂は本当だったんだな」
「それがどうした?」
俺は鼻を鳴らし、ふてぶてしく答えた。
しばらく睨みあった後、ふいに肉屋がニヤリと笑った。
「やるじゃねえか!」
バンバンと俺の肩をたたき始めた。
「ちくしょうめ! こんな別嬪を奴隷にしやがって!」
肩を叩く力がだんだん強くなる。
「ほんとに! てめえは! こん畜生め!!」
肉屋の目が血走ってきた。
「うらやましくなんかねえぞ! クニに帰れば女房がいるんだからな!」
「いやもう故郷に帰れお前は」
奥さんいるのに、こんなヤクザな商売をしてるんじゃねえ。
後ろに下がると、逃がさんとばかりに首に太い腕を巻き付けてきた。
「サイラスの野郎をぶっ殺したんだってな?」
耳元でささやかれた。近い、気持ち悪い、離れろ。
「なんのことだ?」
動揺のそぶりは、微塵も見せなかったはずだ。
「よくやった!!」
大声で叫ぶと、拳で頭をぐりぐりとえぐる。
「あのいけ好かない野郎がいなくなってせいせいしたぜ!」
俺は見た。冒険者たちが全員、にやにや笑っているのを。
ある者は酒瓶を掲げ、ある者は下卑た笑いを浮かべ、ある者は手を叩いてはやし立てる。
ああ、こういう奴らなのだ、冒険者どもは。
まっとうな常識を母親の腹に残し、他人を蹴落とすことをためらわない、
仲間だった女を奴隷にしたクズを、うらやむ畜生ども。
気に食わないヤツが死んだと祝杯をあげ、死者を悼む殊勝さのかけらもない。
獣なのだ、こいつらは。いや、獣にも劣るゲスどもだ。
こいつらのそのゲスな性根に、俺は救われた気分になった。
「こいつに愛想を尽かしたら俺が身請けしてやるからな?」
いつの間にかクリス達を口説いている冒険者を蹴り飛ばす。
「彼女たちは金貨百枚で俺が身請けしたんだ、おとといきやがれ!」
「金貨!」
『百枚!!!』
冒険者たちが驚愕する。なぜかクリスとフィーも驚いている。
「あれ、言ってなかった?」
「聞いていません!」
クリスが怒鳴る。フィーは驚きで口が半開きだ。
「まあ、金貨が千枚だって惜しくないけどね」
俺とクリス、フィーは見つめ合った。
周囲で冒険者どもがわめき出した。
地獄へ堕ちろとかよそでやれとか、勝手なことをほざいている。
「やかましい!!」
雷のような一喝が落ちる。
「何の騒ぎだ!」
カティアが八高弟を率いて登場した。下っ端三人もその背後に続いている。
「テメエら!」
俺は冒険者どもに向かって叫ぶ。
「これから飲みにいくぞ! 俺の奢りだ!」
周囲が一斉に盛り上がる。
「キレイどころを集めろ! 店を借り切って飲み放題だ!」
全員が足を踏み鳴らす。
あの店が良いとか娼館からあの娘を呼んで来いとか大騒ぎだ。
「お前ら、耳かっぽじってよく聞け!」
いまこそ言わなくてはならない。
クリスとフィーの居場所を作り、肩身の狭い思いをさせない。
「彼女達は俺んだ! 手を出したり色目を使うんじゃねえぞ!」
彼女達の肩を抱いて叫ぶ。
奴隷だからと侮辱させない、侮らせない。
彼女達を傷つけるやつらには容赦しない。
その決意を込めて宣言する。
「わかったかクズども!!」
大爆笑が巻き起こった。