悪魔の選択 その七
血まみれの短刀をぶら下げ、野営地の方へ行ってみた。
事態を悟ったのか、残っていた三人の男達はあたふたと逃げ出した。
彼らの後姿をぼんやりと眺め、ふと思い出す。
逃がして良かったんだっけ?
ああ、そうか、問題はなくなったんだ。
どうやら奴隷商館の監視も引き上げたようだ。
俺がサイラスを殺したのを確認したのだろう。
それから俺は、後始末を終えた。
街に戻ると、既に外壁の門は開いていた。
隠蔽を使ってこっそりと通り抜ける。
奴隷商館に到着すると、商館長と面会した。
サイラスの殺害を告げると、彼はフィーを引き渡した。
ようやく取引は完了である。
商館長は敵の勢力を削ぎ、俺はクリス達の身柄を得た。
これでお互いに無関係になった、とはいかない。
商館長に、またお願いすることがあるかもしれませんと言われた。
やはりしたたかな男だ。
いや、黒い関係がそう簡単に清算できると思う方が甘い。
だけど彼の屠殺係になるなど真っ平である。
無言のまま部屋を出たフリをして、隠蔽を使って戻った。
彼の背後に立ち、つけあがるなと耳元でささやいた。
商館を出ると、クリスのいる宿にまっすぐに向かう。
俺は疲れきっていたが、ひとつだけやることがある。
涙を流して抱き合う二人に、こっそりスキル駆除を発動する。
やはり隷属スキルは破壊できなかった。
俺はふらふらと離れてベッドに倒れ込み、意識を手放した。
目が覚めると、ベッド脇の椅子にカティアが座っていた。
「活躍したらしいな?」
彼女の背後には、ラウロスとベイルが立っている。
クリスとフィーは、部屋の隅で不安そうに立ち尽くしている。
「いま何時だ?」
「昼過ぎだ」
あまり眠れなかったようだ。身体の芯に疲労感が残っている。
「用件は?」
「ギルドへの出頭命令が出ている。殺人の容疑だ」
もう? あくびをしながら事件の発覚の早さに驚く。
「グラスにはぜんぶ吐かせた」
ちらりとラウロス達に目を向ける。
二人は目を逸らした。
……すまん、グラス兄者。
「それでどうする?」
「どうするって?」
「逃げるか?」
ラウロスとベイルがギョッとした顔になる。
なんかもう、ぜんぶバレてるみたいだな。
「あいつらには、お前が必要だろ?」
クリス達に目をやり、カティアは優しげな顔になる。
…………こいつは、いつもこうだ。
俺がうんと頷けば、彼女は立ち去るだろう。
冒険者筆頭としてどうかと思うが、彼女は自分の立場に拘泥していない。
ただ我が道を行くだけだ。
理非曲直は自らの信念で判断し、なにより情に厚い。
「まったく」
俺は頭をガシガシと掻く。フロに入りたい。
「何度、惚れなおさせれば気が済むんだ?」
本当にいい女だ。彼女に迷惑などかけられるはずがない。
「一緒に行くよ。エスコートよろしく」
キザっぽく格好つけたら、馬鹿めと呟かれた。
冒険者ギルドの一室が取調室にあてがわれた。
本来なら容疑者は、騎士団の本部で尋問される。
だがギルドは、前回の拉致まがいの逮捕を理由にこれを拒否した。
容疑者は俺、取調官は騎士ギリアム。
立会人はギルドマスタージントス、記録者はセレス。
「ヨシタツ・タヂカ。おまえは元冒険者ギルド所属、サイラスを知っているな」
「はい、知っています」
「今朝方、彼と彼の仲間の死体が森の中で確認された。総勢八名だ」
筆記していたセレスのペンが、カリッと紙に引っかかる。
「お前は最近、彼らとの間に諍いがあったな?」
「いいえ? 多少の行き違いがあった程度です」
「ほう?」
ギリアムさんは眉をひそめる。
「三名の死者が出た事を大したことではないと?」
俺はしばらく考え込み、肯定する。
「そうですね、瑣事にすぎません」
「まあいい。その件に関しては、犯人が終身奴隷になって決着がついている」
ギリアムさんはぎろりと睨む。
「どんな手妻を使ったのか知らんが、次はないからな」
ギリアムさんが凄む。
「問題なのはお前とサイラスに確執があり、一方が殺されたという点だ」
「わたしが殺したと?」
「証人がいる」
ギリアムさんが部屋の外に声を掛ける。
ひとりの男が、兵士に引き立てられて入室した。
「こ、コイツです! こいつがサイラスさん達を!」
オドオドとしていたその男は、俺を指差すなり叫んだ。
「彼がサイラスとその仲間を殺した、それに間違いないな」
「間違いありません! 昨日の晩、オレ達に襲い掛かってきたんです!」
ギリアムさんは俺に向き直る。
「こう証言しているが?」
「それは事実無根のデタラメです」
俺はきっぱりと否定した。
「そもそも俺は、昨日は街の外に出ていません」
「ウソだ! お前は!」
「確かに門番はお前と思しき人間を記憶していない」
ギリアムさんが言った。ちゃんと確認したのか。
「だが、それは必ずしもお前の主張を裏付けるものではない」
分ります、なにしろスキルが横行する世界だからね。
「お前と一緒にいたことを証言できる人間はいるか?」
「いませんね。あちこち飲み歩いてだいぶ酔っていましたから」
「なら」
ギリアムさんの目を細める。
「自分の無実を証明するつもりはあるか?」
心臓がはねあがる。とうとうきた、そんな感じだ。
「そんな必要がありますか?」
ギリアムさんを観察する。直感だが、サイラスより強い気がする。
八高弟クラスの実力はありそうだ。
「お前に不利な状況が揃いすぎている。ここで拒絶してもいいが」
この場で彼から逃れるのは不可能だろう。
「身柄は拘束され、手続きが済めば鑑定に掛けられる」
ただ逃げ出すだけなら、その方がいい。
「いいですよ、お願いします」
だけどこれは避けられない事態だ。
仮に有罪だとしても、この場で殺されない。
刑場に連れて行かれるまでに、逃げるチャンスがあるだろう。
ギリアムさんは懐かしの鑑定盤を取り出した。
鑑定石と、二つの記録石をセットする。
「さあ、ここに手を触れろ」
その日、街の処刑場で一人の男が処刑された。
サイラスその他を殺め、近年まれに見る大量殺人者として名を残した。
彼の名前はビルド。
サイラスによって運命を狂わされた哀れな男。
俺を、サイラス殺害の犯人として訴えた男でもある。
彼にも俺を訴えなければならない事情があった。
サイラスが殺されたとなれば、同行者も容疑者となる。
鑑定を受ければ、殺人履歴が暴かれてしまう。
それを避けるには俺の犯罪を先に暴く必要があったのだ。
そして俺は鑑定を受けた。
鑑定の結果、俺の殺人履歴は見つからなかった。
当然、ビルドに容疑が掛けられた。
彼はその場での鑑定を拒否したが、結果は同じだ。
二十人の殺人履歴。
後日、処刑場へと護送されてしまった。
だがギリアムさんは納得しなかった。
さらに取り調べを続けるべきだと主張したそうだ。
もっとも、彼の主張は上司によって握りつぶされてしまったらしい。
おかげで俺は、彼に目をつけられるようになってしまった。
名称:タヂカ・ヨシタツ
年齢:三十歳
固有スキル:免罪符
白紙委任状、スキル駆除
*****、*****
履歴:渡界
ポイント:882
免罪符
それは悪魔の祝福だ。
殺人を犯しても、履歴に痕跡を一切残さない。
スキルの代価となる、ポイントを与えてくる。
より大きな罪を犯せ
さすれば、さらに多くの力をもたらさん
汝が犯した罪は全て許すが故に
そう囁いている気がした。
サイラスのあと、俺は動けない七人も始末した。
合計で八百ポイント、ひとり頭百ポイントを得た。
殺人者を殺すより、はるかに多くのポイントが振り込まれた。
免罪符は、無実の人間を殺すことをそそのかしている。
俺は悟った。
スキル達は、俺の味方ではなかった。
ただひたすら人を虐殺することを俺に求めている。
俺の中で虎視眈々と、発現の機会をうかがっているのだ。
ならば俺の為すべき事は決まった。
この悪魔の群れを、できる限り封じ込めることだ。
もちろん、生きるためにコイツらを利用する。
だが、それはあくまでも俺の意思で、必要とする限りだ。
決して心を許さず、常に猜疑心を持ち続けなければならない。
俺たちは、互いを利用する敵同士となった。
ギリアムさんの取調べの後、俺はクリス達の待つ宿へと戻った。
俺が部屋に入ると、彼女達は涙を流して出迎えてくれた。
無事に戻ってくるとは思っていなかったらしい。
彼女達は短刀をそれぞれ携えていた。
それがどういう意味なのか、考えたくはなかった。
「大事なお話があります」
ややあって、クリスは真剣な表情で言った。
俺達はいま、ベッドの上に座って対面している。
「わたしとクリスは、あなたの奴隷にならない」
俺は思わず居住まいを正した。
「もちろん、君たちを奴隷扱いするつもりはないよ。あくまでも便宜的な」
「あなたなら、そう言うと思っていました」
クリスが微笑んだ。
「でも、忘れないでください。世間的には私たちはあなたの奴隷なのです」
愚かなことを言ってしまった。
俺がどう考えようが、彼女達を見る世間の目は変わってしまうのだ。
「私たちは貴方の奴隷になれません。いえ、なりません」
強い意志を込めた視線で見詰められた。
「これからも、私達は貴方について行きます。でも、それは奴隷だからではありません」
「それがわたし達の意志だから。自分の心が命じるままに、一緒にいようと決めたから」
クリスとフィーは胸を張って告げた。卑屈さなど欠片もない。
フィーが元気になり、クリスは芯の強さを取り戻したようだ。
「もし私たちが、本当にあなたの奴隷になったら」
クリスは膝の上で拳を握りしめる。
「この気持ちを、あなたに信じてもらえなくなる」
「奴隷が主人にへつらっている、そんな風に思われてしまうから」
「だから何度でも言います、私たちはあなたの奴隷になりません」
奴隷として主人に付き従うか、人として共にあるのか。
意味合いが違うだけではない。
これは反逆なのだ。
奴隷が不服従を宣言し、主人を拒絶している。
奴隷に陥れた張本人を、彼女達はいまだに信頼している。
彼女達の意志を、俺がかならず受け入れると信じている。
「俺のことはこれから、タツと呼んでくれ」
彼女達の信頼に、こんなことでしか応えることができない。
「親しい人はそう呼んでいた」
曽祖父や祖父、祖母に母達だ。
「タツ、さん?」
「ただのタツ、さんはいらない」
「タツ?」「……タツ」
「それじゃ、いままで通りよろしく」
「本当にそのつもりよ? 態度は変えないからね?」
フィーが念押しをする。
「あたりまえだろ」
家族なんだからと、胸中で付け加えた。
フィーはもう一つ、大事な話しがあると言った。
「クリスに手を出したわね」
なぜ知っている!!
俺はギョッとしてクリスの方へ振り向いた。
彼女は顔を真っ赤にして顔を伏せている。
いやどうしてバラすんだよ!
「いえあのですね?」
「出したのよね?」
気まずい、非常に気まずい!
これはあれだ、彼女の家に電話を掛けたらお父さんが出たとか。
お母さんには、避妊はちゃんとしているのかと確認されたとか。
そういう感じの後ろめたさだ。
だが、雰囲気に流されたとは言え、言い逃れなど男らしくない。
ここは胸を張って答えるべきだ。
「…………はい」
「声がちいさい!!」
「はい、出しました!」
フィーは腕を組む。鼻息が荒い。
「わたしの断りなしにクリスを傷物にしてくれたわね!」
「いえ、傷物とか」
フィーがバンと布団を叩いた。
「言い訳しない!」
「もうしわけありません!」
「わたしにもしなさい!」
「はい! はい!?」
彼女が射殺さんばかりの視線で睨んでくる。
「わたしとクリスは一心同体!」
フィーが堂々と宣言する。
「クリスにしたことは、わたしにもする義務があるのよ!」
どういう理屈だ!?
「これからわたし達は一緒に生きていくの、差別があっちゃいけないの!」
棍棒で頭を殴られた気がした。
俺は彼女達に、責任をもっているのだ。
いつか彼女達を奴隷から解放する。これは既定事項だ。
そのためには俺達は協力していかなくてはならない。
だから一方だけに親愛をあらわす真似は厳に戒めなければならない。
でなければ、俺達の信頼関係は内部から瓦解するだろう。
なるほど、彼女の命令は筋が通っている。
俺はフィーを抱き寄せた。
腕の中でフィーがジタバタもがく。
手のひらに包んだ小鳥を落ち着かせるように、彼女の髪をそっと梳く。
彼女は数人の男に襲われかけたのだ。
もしかするとトラウマになっているかも知れない。
できればその傷も一緒に癒してやりたい。
だからゆっくりと、なだめるように身体を揺する。
落ち着いてきたのか、だんだんと大人しくなる。
ころあいを見計らってそっと引き離した。
茹で上がっていた。
顔面が真っ赤になり、目の焦点が合っていない。
いくらなんでもスキンシップに弱すぎである。
俺が顔を近づけると、フィーはぎゅっと目をつぶる。
また祖母があらわれた。
クリスの時とおんなじ顔だ。
天国にいる祖母の冥福を祈りつつ、額にかるく唇を当てる。
またしても緊張してしまったが、なんとかやり遂げた。
「…………え?」
フィーが目を開く。きょとんした顔だ。
彼女の視線が、クリスに向けられる。
クリスは顔を手で覆い、イヤイヤと首を振っている。
恥ずかしくて見ていられなかったようだ。
「え?」
俺に向かって首を傾げる。
何を言いたいのか、すぐにピンときた。
「これだけだよ?」
顔面に、思いっきり枕を投げつけられた。
…………勝手に勘違いしたくせに。