悪魔の選択 その六
残酷な描写があります。ご注意下さい。
*
フィーの容態が悪化したと報せを受けた時、俺は後悔した。
彼女の側を離れるべきではなかったと。
奴隷商館に駆け込み、彼女と対面した。
顔色がひどく悪い。額に汗がにじんでいる。脈を測ると、弱く速い。
医療知識は皆無に等しいが、これが危険な状況なのは明白だった。
だから俺は、ここに来るまでに考えていた、取るべき行動を実行した。
俺は既にそのスキルの存在と機能を理解していた。
ソレを新たに取得するなど造作ない。
治癒術を獲得。
治癒術を3に成長させる。
忌々しいポイントが減った。
フィーを覆いかぶさるように抱きしめる。
治癒術 発動
全身に痛みがかけめぐる。
予想だにしなかった反動に目がくらむ。
きつく抱きしめ過ぎないように耐える。
それは探査の感覚と似通っていた。
目に見えぬ触覚がフィーの身体の外と内を走査する。
本来の肉体の機能と、生命維持で問題となる損傷個所を体感する。
まるで彼女と一体と化しているような感覚だ。
だが理解の及ぶのはそこまでだ。
内蔵の出血、その他もろもろが修復しているのは分かる。
だがどうやって?
俺の中の何かがフィーに移し替えられ、変化しているらしい。
その証拠にだんだんと疲労感が増し、頭がふらついてくる。
まるで、命そのものを分け与えているような感覚だ。
気が付くと、フィーが薄目をあけてこちらを見ていた。
「もう、大丈夫だから」
顔色は多少良くなり、呼吸も確かだ。
峠を越えた、そう思えた。
彼女は意識がまだ朦朧とした様子だが、はにかみながら笑った。
そうして彼女が寝つくまで頭を撫で続けた。
その治癒術が、サイラスとの戦いの切り札だった。
彼と刺し違える、骨を断たせて骨を断つ、そういう目算だった。
その後で治癒術を自分に施せばいいと考えていた。
サイラスを甘く見ていた。
相打ちに持ち込めば勝機がある、などと考えるのもおこがましい。
鎧蟻の侵攻から一目散に逃げ出したと聞き、心のどこかで侮っていた。
それがこのザマだった。
避けるとか防ぐとか、そんな考えさえ及ばない速度だった。
回避スキルの補正など、軽々と超えていた。
気が付けば、剣の切っ先が腹に刺さっていた。
のろのろと剣を振りかぶるが、サイラスはさっと剣を引いて離れた。
剣が手から滑り落ちた。
腹に手を当てる。痛いと言うより、熱い。
その感覚に耐えられず、膝をついた。流れる血で手がぬるぬるする。
地面に突っ伏して倒れ、うめき声をあげた。
「ではちょっと待ってください。彼を連れてきますから」
ごく気楽な調子でそう言うと、サイラスの気配が遠ざかる。
屠殺係のあの男のことだろう。彼に止めを刺させるつもりか。
畜生、早く逃げなくては、いやそれよりも治療が先だ。
治癒術 発動
触覚が生え、傷跡をまさぐる。だが反応が鈍い、上手く治療が行われない。
また裏切られた。スキル駆除に続き、不具合ばかりだ。
ただ腹のあたりがむず痒く、遅々としているが効果自体はあるらしい。
なぜフィーの時のように目覚しい効果がでないのか。
もしかすると自分自身に効果は薄いのか。
だがもう少し経てば立つぐらい
「なにをしているのですか?」
頭上からサイラスの声が聞こえた。
立ち去ったフリをしやがったのか。
「無力なはずのあなたが危険だと、スキルが囁くのです」
その声には好奇心があった。
芋虫のように這いつくばる俺の何が危険なのか、純粋に疑問なのだろう。
絶望するより先に、左手の指先を短刀の柄に触れさせる。
「グギッ!」
剣が左手に突き刺さる。
反射的に払おうとした右手も、剣で貫かれる。
「それで?」
サイラスの言葉に答える余裕はない。
地面に生えた草を噛み千切り、苦痛に耐えるだけだ。
「まだ何か切り札があるのでしょう?」
そんなものはない。
少なくとも両手を潰され、腹から血を流している状況では。
どんなに頭をひねっても何も思い浮かばない。
仮にポイントを使ったとしてもだ。
そもそも正面きって戦ったのが敗因だ。
時間がなかったことが悔やまれる。
手段を尽くせば、彼のスキルをかい潜る自信はあった。
だがそれは負け惜しみと言うものだろう。
わずかな勝機に賭けた、無謀な試みだった。
おのれを知らぬ傲慢さが招いた結果だった。
だけど、他人は巻き込めなかった。
商館長は俺がカティアを頼ると目算していたのだろう。
だからあんな取引を持ち掛けたのだ。
だが、彼女であれ他の誰であれ、あの取引に関知させられない。
俺が一人でやるべき仕事だった。
なんだ、この結果は必然だったのだ。
「なんだ、本当におしまいですか」
サイラスが吐き捨てる。
「ああ、ご心配なく。あなたのお仲間もすぐに後を追わせますから」
クリスとフィーのことか?
ああそうか。
諦めては駄目なんだ。
済まないカティア、後は頼んだ。
「無駄だよ、サイラス」
俺はあざけ笑った。
「彼女たちはもう奴隷になった。俺が死んだら、カティアが受け継ぐ」
「なん、だと?」
これは本当だ。ことの経緯を記した遺書を、グラスに託してある。
法的な問題はあるが、カティアなら上手いことやってくれるはずだ。
ただし、そのためには商館長との約束を果たさなければならない。
そうすれば契約の履行を迫り、譲歩を引き出しやすくなるはずだ。
「カティアが相手では手も足もでないだろう?」
「…………」
「そういえばカティアとギルドの後継者争いをしていたんだって?」
俺はくすくすと笑う。
「カティアがいる時点で、お前の望みは叶わなかったんだよ」
「……だまれ」
「冒険者筆頭、その人望の前にはお前なんか」
「だまれ!」
背中に剣が突き刺さる。
なんだかもうあまり痛みは感じない。
回復スキルのおかげだろうか。
「最初から目のない望みだったんだよ、おとなしく飼い殺しの三男坊として」
「黙れと言っている!!」
今度は肩か。まだどこかで理性が残っているらしい。
サイラスが叫ぶ。
「ぽっと出の年寄りの新人が!」
どこかを斬られた。
「私は何年も貢献してなれなかったのに!」
サイラスが怒鳴る。
「どうしてお前が序列持ちなんだ!!」
そうなのか? 俺は勝手にサイラスが序列持ちだと考えていた。
「私の邪魔ばかりしやがって!!」
だけどそれが、そんな怒るようなことなのか?
だとしたら
「その程度なのさ」
俺はごろりと仰向けになった。
サイラスを見上げ、嗤ってやる。
「お前という人間は」
「きさまあああああ!!」
月に照らされて輝く剣の切っ先が、まっすぐ振り下ろされた。
「…………くく」
月夜を震わせる、笑い声。
「あはははははは」
狂ったような哄笑。
「あぶないあぶない」
剣の切っ先は、俺の喉元に触れるかどうかという所で止められている。
「やりますね、あなたは」
俺は
最後の賭けに敗れた。
回復スキルを停止した。
サイラスがどんと俺をつま先で小突く。
「自分を殺させて」
楽しそうに俺を小突く。
…………裏切りさえなければ、いまこそ絶好のチャンスなのに。
「わたしに殺人履歴をなすりつけるつもりでしたね?」
言葉の合間に蹴りを入れてくる。鬱陶しい。
もし俺が死んだら、カティアが事の真相を解き明かすだろう。
そうしたらサイラスを訴えて、鑑定に掛けられる。
状況証拠は十分だ。
殺人履歴が暴かれ、合法的に始末できるチャンスだったのに。
「なかなか楽しめましたよ?」
血のにじむ腹に足が乗り、踏みにじられる。
…………なあ、最後の頼みだ。
力を貸してくれよ。
発動と念じた。
俺は跳ね起きた。
いきなりのことにバランスを崩すサイラス。
塞がりかけていた腹の傷がふたたび開く。
転がるように距離を取った。
「なぜだ!!」
怒鳴る。回復スキルを再発動、対象を右手のみに集約する。
「なぜなんだ!!」
サイラスが目を丸くしてこちらを見る。
もう、ヤツのことなどどうでもいい。
胸のポケットから短剣を抜いた。
どうにか柄を握り締める程度に回復している。
サイラスは薄ら笑いを浮かべる。
「まだ動けるとは」
「うるせえ! その臭い口を閉じろ!」
脚を傷つけられていないのは幸いだ。
回復―並列起動―剣術
短剣を構え、突進する。
サイラスの顔色が一変する、危険察知か。
だがもはや関係ない。
彼は剣を抜き放ち、さらに驚愕の表情を浮かべる。
短刀が彼の手首の腱を断ち斬った。
「お前なんかに! なぜだ!」
看破を発動する。
名称:サイラス・グランドルフ
年齢:二十七歳
スキル:ージ§ã、危険察知3
履歴:
「お前みたいなクズに」
クリスに通じなかったスキル駆除が発動していた。
彼女達にこそ、使いたかったのに。
サイラスの膝を横から蹴る。
「答えろ!!」
横ざまに倒れた彼の顎を蹴り上げる。
その瞬間、再びスキル駆除を発動する。
スキル:ージ§ã、´?e?@?@’
どうしてコイツには効くんだ!?
基準が分からない。意味が分からない。
なぜオマエはクリスを助けてくれない!
サイラスは怯えた表情でこちらを見上げている。
体感的に分かるだろう、スキルの恩恵が奪われたことが。
その顔を見て、俺は気を静める。
もう彼は、敵ではない。ただの哀れな生贄だ。
俺は短刀を手に一歩近づく。
「や、やめてくれ!」
サイラスが叫ぶ。
「……罪を認めて、自首するか?」
「する! するから!!」
俺はため息をついた。もうこれ以上、脅す必要はない。
「いいだろう、ほら、立てるか?」
俺はサイラスの脇に立ち、声をかける。
「だ、だめだ、こ、腰が!」
「仕方がないな」
俺は側によると、身を屈めた。
サイラスが腰に手を伸ばすのが見えた。
短刀を抜くつもりだったのだろうか。
死角になっていたので、よく分からない。
あるいは本気で自首するつもりだったのか?
それを知る機会は、最初からなかった。
彼よりも先に、俺が行動していたからだ。
短刀でスッと、彼の頚動脈を切り裂いた。
しばらくしてから看破を自分に掛ける。
俺は、この異世界そのものを呪った。