尻尾を巻いて逃げ出そう
「ヨシタツさん!」
フィフィアが驚きの声をあげ、俺に駆け寄ろうとする。
その彼女の腕をつかみ、クリサリスが引き止める。
「どうしてあなたがここにいるのですか?」
険しい顔でクリサリスが問う。
「いったいどうしたの、クリス?」
フィフィアの怪訝そうな顔を無視して、剣を鞘から抜き放つ。
俺は、妙に嬉しくなった。
数日ぶりの再会だが、クリサリスは確実に冒険者として成長している。
娘の成長を見るような微笑ましさ、いや、俺はそんな年ではない。
さて、どう切り出したものやら。
とりあえず、地面に座り込む。
腰の剣とナイフ、それに短矢弓銃を手の届かない場所に置く。
正直、ここまで走り続けたせいで、疲れていた。
しばらくなら、大丈夫だろうから、休息をとろう。
こちらを睨むクリサリスの瞳を、静かに見詰める。
しばらくしてから、クリサリスは剣を鞘に収めた。しかし、柄からは手を離さない。
「ねえ、どうしたの二人とも?クリス、ヨシタツさんだよ?忘れたの?」
「フィーは黙っていて」
そうか、クリサリスはクリス、フィフィアはフィーが愛称か。
「説明してください」
「その弓には、麻痺の呪いを込めた矢が装てんしてある」
麻痺毒のことは一般に知られていないので、そう説明する。
クリサリスは険しい顔を浮かべる。
「正面から戦うのは自信がないので、背後から撃って、麻痺させてから止めを刺す」
標的は人間だが、それは言わないほうがいいだろう。
「つまり、姿をさらしたのは、敵意がない、という意味ですか?」
「クリス?!」
物騒な発言に、フィフィアが咎めるように叫ぶ。
「フィフィア、こんな森の奥で他人と出会ったら信じるな」
「ヨシタツさん?」
「新人狩り、というやつらがいる。人目につかない場所で若い、とくに女性の冒険者を襲う連中だ。例えばこんな森の奥、目撃者がいない場所は特に危険だ」
「で、でも、ヨシタツさんは知り合いだし」
「知り合いなら、なおさら注意しろ」
「どうしてですか?!」
「知り合いなら油断するだろう?」
フィフィアが絶句する。信じられない、という表情だ。
残念ながら、本当のことだ。実を言うと冒険者ギルドでも、それとおぼしき連中に心当たりがある。
「クリサリス、君の想像通り、俺は君たちを追ってここまできた」
クリサリスの身体に緊張が走る。
俺は大きく息を吸い、吐き出す。
さあ、どうなるか?
「俺は探査というスキルを持っている。広い範囲の状況を探る能力だ」
沈黙が落ちる。
フィフィアが戸惑った顔をしている。
それはそうだろう。彼女たちと会ったその日、自分のスキルは明かすなと説教をしたのだ。
それを言った本人が、自分の秘密を明かしたのだ。
困惑しているということは、その意味の重さまでは察していないだろう。
だけど、クリサリスは理解したようだ。
剣から完全に、手を離して話を聞く姿勢になった。
命は大切に。
それはそれとして。
雄の本能というものがある。
可愛い女の子にカッコいいところを披露したい見栄である。
命を救った女の子に感謝されたいとかチヤホヤされたいとか普通に思う。
そのためには多少の危険には目をつぶる。
助けにきた理由を問われ、そういったことを説明した。
「・・・台無しですね」
クリサリスがため息を吐く。
「そ、そんなこと、ないよ?とても格好良い?と思うよ?感謝してるから?」
フィフィアのフォローは空転気味だ。
・・・ともかく、ここを逃げ出すことが最優先だ。
正体不明の魔物と戦うのは最後の手段だ。
俺の提案を彼女たちは素直に受け入れた。
彼女たちの実力が、新人冒険者としては優秀だとしても、一体とはいえ上級魔物に及ぶとは思えない。
もちろん、等級に関する俺の観測が正しいとは限らないが、彼女たちはあえて疑義をさしはさまない。
冒険者として長生きするには、臆病なほど用心深いほうがいい。
俺も彼女たちも、その薫陶をカティアから受けている。
むろん冒険者という職業柄、すべてのリスクを回避することはできないが、あえて危地に踏み込むのは愚の骨頂だ。
俺は、探査を駆使して、脱出経路を模索する。
先ほど、正体不明の魔物を発見した位置から判断するに、おそらく街への直線経路上を徘徊しているだろう。
ならば迂回して進み、他の魔物が少ない進路を選択する。余計な戦闘は上級魔物を引き寄せかねない。
万が一、他の魔物との戦闘中に接近されたら、危機的状況に陥るだろう。
俺は背後の二人に合図を送り身を伏せる。
しばらくそのままの姿勢でいると、前方の木立の隙間にグルガイルの姿がよぎった。
そのまま森の奥に消えるのを待ってから、前進を再開する。
そうして三度ほど、魔物との遭遇を回避した後で、クリサリスが呟く。
「・・・すごいスキルですね」
「逃げ隠れするには便利だな」
「それだけではありません。冒険者なら、喉から手が出るほど、欲しい能力です」
「そうなの?」
フィフィアが首を傾げる。俺も評価されれば嬉しいが、大げさすぎないだろうか。
「フィー、わたしたちが今日、狩った魔物の数は?」
「八頭ね」
「十頭よ。戦闘の回数は四回、一時間に一回の割合ね。だいたい普段もそのぐらい、だけどさっきから数えているけど一時間もしないで四度も魔物とすれ違っているのよ?」
「それは仕方ないじゃない。いつもはこんなに早く進んでいないもの」
「そうね、もっと慎重に進んで、魔物が近寄ってくるのを待ち構えているから。でもね、ヨシタツさんのスキルがあれば、こちらから接近して、魔物が狩ることができるのよ?」
クリサリスはため息をつく。
「魔物の種類も、相手の数も、襲う場所とタイミングも選べて戦える。反則みたいなスキルよ」
・・・なるほど。
たしかに俺が標的を狩るときには、だいたいそんな感じだった。
しかしクリサリスほど、この探査スキルを積極的で攻撃的なものとして考えたことはなかった。
どちらかと言えば卑怯で、陰湿な能力だと思っていたが。
見方が違うのは、性格の違いだろうか?
「もし無事に街に帰れたら、わたしたちとパーティを組みませんか?」
「クリス?」
フィフィアが驚いたようにクリサリスを見詰める。
「ヨシタツさん、まだ冒険者登録をしていないんですよね。ですから、仮のパーティーという形になりますけど。フィーはどう?」
「わたしは構わないわ。というか賛成よ。でも、本当にいいの?」
「一度しか面識のないわたしたちを、危険を冒して助けに来てくれたり・・・ヨシタツさんの人柄は信頼できるから」
おお、これはもしかすると、
「・・・・・・・・・・・・・・・ひょっとして惚れちゃった?」
「違います」
ですよね。にべのない返事に肩を落とす。
「せっかくだけど断らせてもらうよ」
「どうしてですか?報酬だったらちゃんと三人で等分にしますよ?」
それはまあ破格の申し出だろう。
冒険者登録をしていない人間をパーティーに入れるケースはまれにあるが、それは見習いとか、荷物運びとかいう扱いになる。
戦闘技術が期待されないので報酬も格段に安くなる。
「俺が冒険者になったら奴隷でパーティーを構成するつもりだから」
「奴隷、ですか?」
「ああ。俺はあの街の出身ではないし、身寄りもないから」
知人程度の人間同士がパーティーを組むと、報酬の分配でもめることはよくある。
だから普通は、ギルドが仲介して短期契約のパーティを組むことになる。
報酬の分配をその能力と経歴でギルドが査定し、納得がいけば契約を結ぶのだ。
契約期間を短くするのは、長くパーティーを組むと、どうしても不満が募るからだ。
例外もある。
パーティーの仲間がよほど親密である場合だ。
同郷の者同士、あるいは兄弟親戚や恋人などは長期間パーティを維持できる。
「・・・そうですか。でも、今は無理にお誘いしませんけど考えておいて下さい」
「ああ、行き詰ったら、相談させてもらうよ・・・来たぞ」
俺は表情を引き締める。
あの魔物が、探査に引っかかった。俺たちの後方、探査の範囲ギリギリだ。範囲の外に出たり入ったりしているが
「・・・追跡されている?」
なぜだ。向こうの探査スキルとおぼしき気配は感じない。
こちらの探査スキルを逆探知している感じでもない。
ためらう素振りはあるがほぼこちらの足跡をたどっている。
「臭い、でしょうか?」
クリサリスの推測に、自分の馬鹿さ加減を知った。
スキルに頼りすぎ、スキルに対抗しているおかげで、もっとも単純な理由を忘れていた。
相手は野生の生物、人間とは比較にならない感覚器官を持っているのは自明ではないか。
「だが、これで前方に奴がいないことが分かった。速度を上げ、一気に森を抜けよう」
俺たちは駆け出した。むろん、木立の生い茂る森の中、全速力で疾走できるわけではない。
第一、俺の持久力が持たない。
速度を上げたおかげで、ヤツの気配は遠のいた。
順調に行けば、追いつかれることはない。
「前方に魔物の群れだ」
探査スキルが補足した魔物は初級ばかりだ。おそらくグルガイルだろう。
「八頭、いるな」
後方に上級魔物が一体、前方には下級だが八体の魔物。
両方倒すのは論外だとして、一方を撃破突破するとすればどちらを選ぶべきか。
「前方の敵を討ちましょう」
クリサリスはためらいもなく決断する。
「戦力が不明な上級一体を相手するよりも、八体の下級を敵にしたほうが生存率は高いです」
勝てる、とは言わないクリサリス。あくまでも生き残る確率が高い。
あるいは、生き残れる人数が多い。
そう言外に匂わせている。
フィフィアも静かに頷いている。
たった五日前に田舎から出てきた新人冒険者の精神力とは思えない。
本当に彼女たちは新人冒険者なのだろうか。
そもそも二人は戦闘用のスキルを身に付けているのはなぜだ。
冒険者としては新人でも、何か、戦いに身を置く環境にいたのではないだろうか。
そうした疑問は、後回しだ。
いまは、決断のときである。
「わかった」
俺も賛成する。魔物相手の戦闘では、彼女たちが一歩も二歩も抜きん出ている。
その判断に従うのが妥当だろう。
「だが、俺を戦力として勘定しないでくれ。万が一のときは」
「わかってる、あなたはわたし達が必ず守るから」
フィフィアの決意に満ちた口調に、思わず苦笑する。
「違うよ、足手まといになったら先に逃げてくれ」
「そんなことはできません」
クリサリスはきっぱり拒絶する。
「危険を顧みず、わたし達を助けに来てくれたあなたを、見捨てることはできません」
「大丈夫だ、俺の切り札は、探査だけじゃない。一人の方が逃げやすいぐらいだ」
「・・・ほんとうですか?」
クリサリスはちらりと横目でフィフィアを見る。
一瞬の視線に友人の安否を気遣っているのが読み取れた。
だから俺はさも自信があるように見せかける。
「もし、戦闘に手間取るようなら隙を見て逃げ出そう。この戦いは時間との勝負だ。上級魔物が追いつく前に離脱しよう」
俺のきっぱりとした宣言に、クリサリスが頷く。クリサリスが陥落すれば、フィフィアの説得は容易だった。
そして俺たちは、魔物の群れに突入した。
フィフィアの魔術には本来、インターバルが必要だった。
一発放つ毎に休息を取れば、次の魔術を放つまでの時間が短縮できるらしい。
だが、今は緊急事態だ。戦力を温存する余裕はない。
フィフィアは連続で、火の玉を三発、放った。
これで今日の魔術は打ち止めらしい。
フィフィアの顔が蒼白になり、棍棒に寄りかかって息が荒い。
魔術を使いすぎ、気力を使い果たしたのだ。
しばらくは立っているのも精一杯らしい。
ふたたび動けるようになるまでの時間を稼ぐのがクリサリスと俺の役目だ。
クリサリスが出来るだけ魔物を殺す。
その間、俺は敵を引き付けて防御に徹し、彼女の負担を減らす。
そういう作戦だった。
フィフィアの魔術で一頭が完全に沈黙した。二頭が深い傷を負った。
混乱している五体に向け、雄たけびをあげてクリサリスが突撃する。
その後ろを俺はひっそりと追いかける。
クリサリスの剣が一頭を袈裟懸けに切り下げる。
残りの魔物に向かって吼え、獰猛に威嚇する。
正直、怖い。クリサリスが。
その咆哮に一瞬立ちすくむ。
俺も一頭に切りかかるが長い爪で剣を弾かれた。
魔物への初攻撃は残念ながら外れてしまった。
後は無我夢中だった。
格好など、気にしている余裕はない。
めちゃくちゃに魔物に切りかかる。
カティアとの訓練で身に付けた技など沸騰した頭から蒸発した。
初めての命の危機を感じる戦い。
いつも背後から標的に襲い掛かる、卑劣な俺が正面から戦いを挑む。
馬鹿げている。頭の隅でそう思う。
防御に徹するなど既に忘れていた。
ただ恐怖に駆られ、殺されないために相手を殺そうとする。
泣き喚きながら、ただひたすらに剣を振るう。
魔物の爪が身体をかするたびに怒りの叫びをあげて切り返す。
理不尽だ。どうして俺は弱い。
カティアも、クリサリスも、フィフィアも強い。
どうして俺だけが弱い。
魔物の爪が頬を裂いた。
怒りのあまり踏み込んで魔物の胴を剣で払う。浅い、かすり傷だ。
全力を尽くしてこの無様さ。
どうして俺は弱い。
分かっている、強力なスキルがないからだ。
数ヶ月もの間、カティアと訓練を重ねても、何の成果もなかった。
理不尽だ、あんなに努力したのにどうして俺は弱い。
憎かった、弱い自分を心から憎んだ。
嫉妬した、カティアたちの強さが妬ましかった。
俺にも寄越せ、お前たちの強さを。
正面から敵をなぎ倒す、あの眩しいほどの強さを俺に。
引き換えに、魂でもなんでも、差し出してやる!
スッと、剣が魔物の喉を裂いた。
なぜこんな簡単なことが出来なかったのか、不思議なぐらいだった。
醒めた意識が、冷静に分析する。
魔物がまとう分厚い毛皮は、容易に刃を通さない。
だからといって鉄の鎧に覆われているわけではないのだ。
狙うべき急所、生物ゆえにもつ弱点などいくらでもある。
喉から血を迸らせ、倒れ掛かってくる魔物を右に避ける。
避けた先には、大口を開けて迫る魔物の姿が見える。
疑問に思う。どうして無防備に弱点をさらすのだろうか。
俺は懐から、短矢弓銃を取り出し、放つ。
狙いを定める必要がないことを実感した。
射撃スキルは、無意識に弾道を計算し、神経を調整し、最適な照準を導く。
矢が、内側から魔物の上顎に刺さる。
だが威力が小さいので、苦痛の声をあげたが矢を噛み砕く。
そのままこちらに接近し、長い爪を振り下ろす。
勢いはあるが大振りで雑な攻撃。
その間合いを計るなど造作もない。
正確に二歩半、後退する。鼻先をかする攻撃。
繰り出した反撃の剣を、大きく後ろに跳んで避けた魔物は
そのまま転んだ。
魔物の膝が震え、口から泡を吹く。
人間に使ったときよりも麻痺毒の効果が高い気がする。
ひょっとするとコドクガエルの毒に、魔物は免疫がないのかもしれない。
放っておけば死ぬかもしれないが、待ってはいられない。
魔物に接近し、角度が悪いので喉ではなく右目に剣先を刺す。
刃が脳に達すると、びくりと震わせて息絶えた。
振り返ると、クリサリスは二頭を相手にしている。一頭は倒したようだ。
たぶん、三頭同時に相手にしていたのだろう。
俺は気付かれないように忍び寄り、魔物の延髄に刃を叩き込む。
その機会を逃さず、クリサリスは衝撃に身を強張らせた一体を斬りすてる。
俺に向き直ろうとした一体は、背中から心臓を突き刺された。
一体は炎で焼け死に、五体を俺とクリサリスが仕留め、二体が火傷を負って重傷だ。
俺はフィフィアの元に駆け戻る。
「すごいじゃない!」
彼女は賛嘆の目で、俺を見上げる。
「人が悪いわ!あんなに強いのに謙遜なんかして」
「逃げるぞ!」
フィフィアの言葉をさえぎる。俺はまだ動けない彼女を、荷物を担ぐように背負う。
「よ、ヨシタツさん?!」
あわてるフィフィアを無視して、クリサリスに叫ぶ。
「ヤツが近づいている、すぐに来るぞ!」
探査スキルが、急接近するヤツの気配を伝えてくる。
魔術の爆音か、魔物たちの咆哮が呼び寄せたのか。
一刻の猶予もない。
「クリサリス、先導してくれ!フィフィアは俺が運ぶ!」
剣の腕前はやはりクリサリスの方が上だ。
彼女には両手を自由にして先導し、魔物が現れた場合に対処してもらう。
必然的に、フィフィアを運ぶのは俺の役目となる。
「だ、だいじょうぶだから!一人で歩けるから!」
「急げ!あっちだ!」
クリサリスは頷き、俺の指示した方向に駆け出す。
俺たちは、脱兎のごとく逃げ出した。
逃げて逃げて
森を抜ける直前
背後で魔物たちの断末魔の叫びが響き渡った。
ヤツが、生き残った魔物を襲っているようだ。
魔物は別の種類の魔物を襲う。俺たちが倒した魔物が撒き餌になったようだ。
ほっと、胸をなでおろす。
安堵のあまり、ふいに思い出す。
腰の袋に入れたままのコドクガエルを、草むらに逃がした。