挿話の7 フィーの初デート
「わたしはクリス! あなたの名前は?」
はたして彼女は、あの出会いを覚えているだろうか。
たぶん覚えてはいないだろう。
わたしだって、弟妹達の出会いを全て記憶しているわけではない。
わたしにとっては特別な出会いだった、ただそれだけの話。
「お前達が出会うのは運命だったのだろう」
先生達はそう嘆息したが、そんな意味じゃない。
運命だとか思し召しだとか、そんなものじゃない。
あれは暗闇の中から抜け出し、ふたたび太陽を見出したのだ。
だから一人立ちを決意した彼女について行くのは当然だった。
先生達に頼まれたからじゃない。
色々な出来事を経験するとは予想していた。
だけど彼女が恋をするなど、完全に予想外だった。
ましてや自分までもが。
「明日、デートに行こう」
「はいはい行ってらっしゃい」
いつもの夕食の席で、いつものヨシタツさんのたわ言を聞き流した。
この人はどうしてこう、人前で平然とのろけられるのだろう。
以前にもましてリリちゃんはヨシタツさんにべったりだ。
どこへでも勝手に行けばいいでしょ。
「どこか希望はあるか?」
「なんでわたしに聞くのよ」
「え?」
「え?」
…………え?
「わたし!?」
大声を出したせいで、クリスとリリちゃんが目を丸くする。
シルビアさんは苦笑している。最近は全員で夕食を摂るのが習慣だ。
「フィー?」
「ひ、ひゃい!」
「俺の話、聞いてなかったね?」
どうやら夕食に夢中になっていて耳に入らなかったみたいだ。
シルビアさんの料理が美味しすぎるのが悪い!
「君へのご褒美ね、けっきょく何も思いつかなかったんだ」
だから明日、街に行って好きな物を選んでくれと言われた。
ご褒美? ああ訓練の。すっかり忘れていた。
「で、でもそれってデートっではなくて買い物じゃ」
「まあ、それだけじゃ味気ないから、ちょっと遊んでこよう」
デート? わたしが?
翌日、みんなに見送られて宿を出た。
クリスがひらひらと手を振る。なんなのその、してやったりの笑顔は。
「ふたりとも、いってらっしゃい」
リリちゃんの明るい表情に含むところはない。売約済みの余裕なの?
「あまり遅くならないようにね」
シルビアさんは心配顔だ。昨夜、避妊薬を断ったからだろう。
気のまわしすぎです!
「ほら、行くよ?」
「ちょ、ちょっと!」
なにか釈然とせず三人を眺めていると、ヨシタツさんに手を引っ張られた。
顔が、ひどく熱い。
顔面が熱い。当たり前だ。
目の前の炉で炎が燃え盛っているのだ。
「ねえ、デートってこういうの?」
たぶん、違うと思うんだけど。
「いいからよく見て?」
ここは彼の知り合いの工房らしい。
ヨシタツさんは裏手から入ると、鍛冶場を借りると奥に声を掛けた。
俺は鍛冶師じゃねえと怒鳴り声が返ってきた。
ヨシタツさんは勝手を知った様子で、炉の準備を整える。
ふいごから空気が送り込まれるたびに、炎の勢いが増す。
前髪が焦げてしまいそうだ。
ヨシタツさんが金属の棒を炎に入れた。
「炎の色をよく見ていて」
わたしは仕方なしに炎を見詰める。
ヨシタツさんがふいごを操作するたびに色が変化する。
最初は赤かったのに黄色がかって
「あ、溶けた」
「炎には温度というものがあるんだ。温度が高くなれば金属も溶ける」
ヨシタツさんは皮手袋をはめた手で、金属の棒を引っ張り出す。
「炎が大きければ温度が高いわけじゃない。空気を送り込むことによって温度は高くなるんだ」
その先端はぐんにゃり溶けて曲がっていた。
鍛冶場で汗をかいたので、喫茶店でお茶を飲もうと誘われた。
正直、お茶の味など分からない。
わたしは先ほどの出来事を反芻するのに忙しかった。
以前、ヨシタツさんは言っていた。
魔術スキルで出す火の玉を小さくして、温度を上げられないかと。
速度が速くて小さく、金属も溶かす攻撃、それならきっと
「きっと乱戦でも魔術スキルが役に立つ、いや切り札になる」
……彼は知っていたんだ。
鎧蟻の戦いで活躍できず、わたしが歯がゆい思いをしていたのを。
「まあ、焦らずゆっくり考えて。今日はデートを楽しもう」
心臓の鼓動がはね上がったのが悔しい。
腹いせに睨みつけてやったのに、穏やかな笑顔を向けられた。
今まで何回も男に言い寄られたが、どの笑顔も下心が透けていた。
不快とまでは言わないが、複雑な気分にはなった。
だけどヨシタツさんの笑顔には、あまり下心が感じられない。
だから初対面の時も、疑いもせずに彼の後をついて行った。
しかしそれは、わたし達に女としての魅力を認めていない証拠だ。
若い乙女より、もっと年増が好みなのは間違いない。
認めよう、わたしは彼に惹かれている。
だけどクリスの伴侶として認めるかどうかは別問題だ。
クリスは全く気が付いていないが、彼には暗い部分が感じられる。
ふとした瞬間に、その暗く不気味な裂け目を垣間見せることがある。
だからわたしは確かめなくてはならない。
わたしの太陽を託すに足る人間かどうかを。
その後、わたし達は市場に出向き、屋台を冷やかしてまわった。
装身具をあれこれ物色し、焼き菓子を二人でつまんだ。
布地の店で、私が綺麗な織物を身体にあてると、彼は寸評を下す。彼の趣味はちょっと地味で控えめだが、真剣にわたしに似合う色柄を選ぼうとしている。
この市場はクリスとよく来るのだが、今日はどこか新鮮な感じがする。
そうして市場巡りを満喫して、ちょっと休もうと場所を移動している時、
「あれ、婿ちゃん!」
八高弟の長姉、ラヴィと出くわした。
やれやれ、しばらく時間をとられそうだが仕方がない。
なにしろ相手は八高弟、ヨシタツさんの後ろ盾みたいな人達だ。
彼のために、無碍に扱って心証を悪くするわけにはいかない。
とびっきりの笑顔を作って会釈する。
ちなみにヨシタツさんは彼女の脚がお気に入りだ。
「やあラヴィ、先日は世話になった。あらためてお礼にうかがうよ」
今日は用事があるからと手を振って別れた。
「え、あれ、ちょっと?」
後ろでラヴィさんが何か言っている。
ヨシタツさんが! 女の人をそっけなく扱った!?
「ねえ、いいの?」
「なにが?」
「なにがじゃないよ、あんなつれない態度をとって」
「彼女とはまた今度ね。いまはフィーとデート中だから」
…………この男は、まじめな顔でこんなことを言う。
こんな戯言を、いちいち真に受けては馬鹿をみるだけだ。
「良かった」
ヨシタツさんはこちらをじっと見詰めていた。
「なにがよ」
「いや、最初にあんなところに連れていって野暮だと思ったけど」
彼は頭をかいて照れる。
「今は楽しそうな顔をしてるから」
気のせいです!!
「お、お腹が減ったね! 何か食べよう!」
辺りを見渡すと、おしゃれなカフェを見つけた。
わたしが指差すと、ヨシタツさんの顔色が変わった。
「べ、別の店が良いよ!」
その慌てぶりに、ピンときた。
「あそこがいい、行きましょう!」
「いや、ちょっと待って!」
抵抗する彼の手をひっぱり店へ直行する。
あの店に、なにかヨシタツさんの秘密があるとみた!
「出禁って、いったい何をやらかしたのよ!」
「だから言ったのに」
「恥ずかしいったらなかったよ!」
「……面目ない」
「他のお客さんにまで注目されて……」
入店はご遠慮下さいと言われ、意味が分からず騒いでしまったせいだ。
あんな恥ずかしい目にあったのは初めてだ!
「あの店で痴話喧嘩でもやらかしたの?」
「いやリリちゃんとコザクラが」
「子供相手に最低よ!!」
「何を言っているんだ?」
「あんな良い子達が三角関係から痴情のもつれなんて!」
「いや、君の想像の方が最低だから」
誤解が解けた後、店を代えて食事を摂った。
最初はじっとりとした目で見られて気まずかった。
謝るとすぐに機嫌を直してくれたのでホッと一安心する。
あの程度なら可愛い妄言だと言われ、ドキッとしたが。
よく考えたらお世辞にもなってなかった。
……おかしい。
彼の本性を暴くつもりが、手玉に取られている気がする。
なんとか挽回しないと。
店を出るとさて、これからどうしようと話し合う。
「そうだ、ヨシタツさんのお気に入りの場所を教えてよ?」
「お気に入りの場所?」
「そう、この街で一番好きな場所。そこに行ってみたい」
「シルビアさんの宿?」
「戻ってどうするのよ」
そういう場所なら、リラックスして彼の本性が出るかもしれない。
困惑して辺りを見回すヨシタツさん。その横顔を見たとき
あ、これだと思った。
ヨシタツさんが時折見せる、ほの暗い表情。
どこか冷ややかで、無機質な感じがする視線。
それは一瞬で消え、何かを思いついた顔になった。
「あったあった、俺にもお気に入りの場所が!」
……なんだろう、妙に引っ掛かる。
自分でも意外だと言わんばかりの口調だ。
「でもなあ、面白いものがあるわけでもないし」
「いいわよ、そこに案内して」
「買い物は?」
「ヨシタツさんの憩いの場所の方が興味ある」
「ガッカリしても知らないぞ?」
「いいからほら!」
「ほらここだよ!」
ヨシタツさんが得意げに半ば朽ちた神殿を指差した。
場所は街外れにある、小さな神殿だった。
生い茂る緑で半ば埋もれてしまいそうだ。
だけど、こんな淋しい場所がお気に入り?
「とっても素敵な場所ね」
内心の困惑を隠して誉めると、ヨシタツさんは嬉しそうに笑った。
イメージが違うと思った。
彼は人当たりも悪くないし、誰とでも軽口を叩き合う。
だからもっと人が大勢いる、賑やかな場所を好むかと思ったのだが。
ヨシタツさんは辺りをキョロキョロと見回している。
「何か探しているの?」
「うん、いつも友だちとここで会うんだけど、まあいいか」
わたしの把握していない交友関係があるらしい。
「今度紹介してね」
「ああ、君も友だちになってくれ。とても素敵な子だよ」
「……ええ、ぜひ」
会わせてもらおうじゃないの。
「まずはお参りからだ」
ヨシタツさんはお布施を壷に入れて神殿の中に入った。
崩れないかしら、これ。
おずおずと中に入ると、すでにヨシタツさんが祈りを捧げていた。
……ますます、彼のイメージと合わない。
普段の言動から、特に信心深い様子はなかった。
だけど見慣れぬ作法で祈りを捧げる後ろ姿はとても真剣だ。
私たちは、この人のことをあまりにも知らない。
思えば、彼の故郷や過去を匂わせる話を聞いたことがない。
ちょっとした弾みで、いくらでも出そうなのに。
いや、違う。言葉の端々や仕草から、彼の生い立ちを想像できないのだ。
なんとなく異質なのだ、この人は。
その思考も価値観も生き方も、冒険者はもちろん他の人達とも違う。
だけど、どこが違うのか、はっきりと指摘できない。
度忘れして思い出せないような、そんなもどかしさを感じる。
「フィー?」
「え、なに?」
「君はどうする?」
うながされ、わたしも祭壇の前にひざまずく。
そうして祈りとはまったく別なことを考える。
クリスはどこか、彼を英雄視しているのだと思う。
そのきっかけは、わたし達を上級魔物から救いに来た、あの時だと思う。
彼をパーティーに誘ったとき、なんとなくそれを察した。
なにしろ彼女は、旅の途中で男達をことごとく退けていた。
わたしを守るためだと思うが、見当違いもはなはだしい。
男達の大半は、クリスが目当てだった。
その彼女があっさりと、ヨシタツさんを受け入れようとしたのだ。
だけどクリスは知らない。
彼は鎧蟻との戦いに備え、討伐隊を犠牲にしようとしたのだ。
このことはギルドでも、八高弟とか限られた人しか知らない。
わたしはいろいろと考え、後でようやく気が付いたのだ。
彼は、数十人の命を切り捨てられる人だ。
理由があって、仕方がなかったんだとは思う。
でも、そんな人にクリスを任せていいのだろうか?
だけど彼は、女二人を身の危険を冒してまで助けに来た。
どちらが彼の本質なのか分からない。
貴方は何者なの?
聞けば答えてくれるだろうか。
それを聞く勇気がわたしにあるだろうか。
もしクリスにとって危険な人なら、どうすればいい。
いまさら彼を遠ざけることができるだろうか。
どんな過去があっても受け入れそうな自分が怖い。
何もかも、すでに手遅れなのかもしれない。
少しぼうっとしてたら、街中で人とぶつかりそうになった。
ヨシタツさんがわたしの手を引いてくれた。
彼はそのまま手をつなぎ、宿へ帰る道を歩き続ける。
クリスはわたしの手が冷たいと言っていた。
そのせいだろうか。
彼の手はとても温かく感じられた。