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教えて!誰にでもわかる異世界生活術  作者: 藤正治
仲間とがんばる冒険者
51/163

帝母

 女王の崩御から戦局が変化した。

 統御を失った鎧蟻の軍団が、完全な暴走状態に陥ったからだ。

 生き残っていた鎧蟻はさらに混乱し、柵の外への逃走も試みた。


 柵の外を冒険者たちで囲んだが、絶対数が不足している。

 そこで機動性の高いガーブとフルの二人を遊撃手とした。

 二人が走り回り、包囲網を突破した鎧蟻を討たせる算段だ。


 彼らは最初、実に嫌な顔した。スキルの発動は無限には続かない。

 体力と、それ以外の何かを消耗するからだ。

 おそらく最後には、二人は死ぬほど疲労困憊するだろう。


 頑張れば、さっきの件はカティアに内緒にしてやると約束した。

 他の兄弟弟子の必死の説得もあり、二人はしぶしぶ承諾する。

 俺は八高弟の絆に感動し、うむうむと頷いた。

「うぬ、おぼえておれよ」「ひへ」

 ガーブとフルの恨めしげな視線は無視した。




 包囲戦は順調に進行した。

 脱出しようとする鎧蟻の数は多いが散発的だった。

 ただがむしゃらに柵を乗り越えようとするだけだ。

 以前の規律と連携の名残もない。

 包囲網の隙間を抜けた鎧蟻も、ガーブとフルが仕留めた。

 連絡用の警笛に呼び出され、あちこち飛び回る彼らに同情した。


「後は任せた」

「いきなりなんだ」

 俺が頼むと、ラウロスが訝しげな表情を浮かべた。

 ちらりとフィリップを横目で見る。

 彼は真剣な表情で、柵を越えようとする鎧蟻を警戒している。

 この場にいるのは俺達三人だけだ。

 戦力を均等に配分するため、クリサリス達は別の場所にいる。

「俺が抜けても、問題はないだろ?」

 ラウロスは俺の顔を見詰めてから頷いた。

 意外と気遣いのできる男らしい。


 俺は焦げた異臭ただよう陣地から立ち去った。



 俺は行方不明者を探しながら、森をさ迷った。

 戦場を放棄したことは後ろめたいが、もう役目は十分に果たしたと思う。

 後は俺の好きにやらせてほしい。そう自分に言い訳をする。

 いま俺の頭にあるのは、未帰還の冒険者、いや四名の犠牲者のことだけだ。

 

 亡骸を、それさえも残っていないなら遺品だけでも見つけたい。

 こんなことは感傷に過ぎないと分かっている。

 だが、俺の企みで還らぬ人となったのだ。

 せめて自分の手で弔ってやりたかった。



「そう思っていたのになあ」


 探査にまさかの反応があった。一目散に駆け付けてみれば。

「悪魔っ!」

『おやっさん!!』


 肉屋と下っ端三人組が、木の上で枝にすがりついていた、

 ちょうど下っ端の一人が槍で突いて、幹を登ってくる鎧蟻を落したところだ。

「ああ、なるほど。一匹ずつしか登れないからな」

 彼らが生き延びている理由が分かった。

 木の根元には鎧蟻が四匹、人間達をじっと見上げている。


 名称:大鎧蟻/近衛

 年齢:十二ヶ月

 種族スキル:統率


 ソルジャーの強化版のような鎧蟻だ。

 頑丈な鎌のような前脚を備え、蟷螂に似ている。

「はやく助けを呼んできやがれ!」


 肉屋の声を無視した。

 投擲を発動、四本の短剣を走りながら投げる。

 こちらの接近に気が付いた鎧蟻達が、鎌で短刀を払う。

 剣術―並列起動―回避

 短刀が防がれた直後、彼らのど真ん中に滑り込んだ。

 俺の予想外の行動で、近衛達にためらいが生じる。


 俺は身を低くし、つま先を軸に身体を旋回させた。

 剣を抜き、周囲の脚をなぎ払う。

 脚が傷ついて体が傾いた近衛達は、必死に鎌を振り下ろす。

 四匹の鎌が絡み合った隙に、俺は姿勢を低くしたまますり抜ける。


 わずかな間合いで即座に反転。つま先で地面を抉るように蹴った。

 脚に一番深手を負った鎧蟻へ狙いをつける。

 横薙ぎに振るわれた鎌を、ベルトから引き抜いた鞘で受けた。

 

 鞘で鎌を受け流しつつ一歩踏み込み、剣先で首の関節を貫く。

 隣から攻撃がきたが、すぐさま後ろに跳躍してかわす。

 一瞬で次の獲物を定め、駆け出そうとしたとき


『うおおおおお!』


 木から飛び降りた四人が、落下の勢いのままに襲い掛かった。

 反射的にそちらに対応しようとする鎧蟻。

 そのチャンスを逃さず、俺もまた突撃した。


 四匹の鎧蟻を倒した後、俺達は互いの無事を確認した。

「おやっさん! スゲエです!」「俺たちじゃ手も足も出なかったのに!」

「シビレやした!」

「あ、悪魔、てめえいったい……」

 口々に何か言っているが、俺の耳には入らない。そんな場合ではなかった。

 彼らに看破をもちいて判明した、驚愕の事実。

「なんでテメエがアレクサンドルなんだよ!」

「な、なにを言って」

 胸倉に掴みかかると、肉屋が目を白黒させる。

「どう見たってアレクサンドルってツラじゃねえだろう」

「どこがだ! 女房が名前は素敵だと」

「所帯持ちか!? 解体が趣味の変態が!」

「待ちやがれ! 解体がなんで変態だ!!」

「お、おやっさん? どうしたんすか!」

「テメエもフレデリックじゃねえか!」

「え? そうですけど?」

「フィリップの野郎がフレデリカとかぬかすから俺はてっきり」

 女性だと思い、罪の意識に苛まれていたのに。

「……ああ、それっすか。あだ名なんすよ、ほら、俺ってこんな顔ですから……」

 フレデリックが顔を撫でる。その憂鬱そうな表情を見て少し冷静になった。

 まあ、二枚目というよりは女顔と表現したほうが相応しいかもしれないが。

 仲間のライオネスとグレンフォードが肩を叩いて慰める…………

「なんでテメエら全員、無駄にカッコいい名前なんだよ!?」

「ムダって……うちの田舎じゃ普通の名前なんすけど?」

 なんかすごい田舎だな!

 初対面の時に看破しておけば良かった。

 何しろ最初はその他大勢の認識だったし、最近は他人に看破は控えている。

 まあ、結果的にはこれで良かったのかもしれない。

 行方不明がこいつらだと知っていたら、動揺はもっと大きかっただろう。


「無事で良かったけど……よく逃げられたな?」

 体感的に、近衛はソルジャーより倍以上手ごわい気がした。

 不意をついたとはいえ、よく勝てたものだと自分でも驚きだ。

「……大したこたあねえ」

「助けてもらって……」

 彼らが目を逸らす。肉屋のスキルは怪異3。

 気まずそうな彼らを見て、あえて聞くまいと思った。

「しかし助かったぜ。逃げ出したら他のやつらとはぐれちまって」

「こんな厄介な奴らを引き連れたでっけえ鎧蟻に出くわしやして」

「―――待て、どこで見たんだ」

 女王の周りに近衛は見なかった。

「さあ? あちこち逃げ回ったからな」

「あっちでやす」

 方位感覚2のライオネスが指さしたのは、森の奥だった。

 上級魔物が棲む領域の方角だ。


 ざあっと血の気が下がり、指先が痺れた。

 探査を発動するが、集中力が乱れてしまう。

 なんとか森の奥へ、探査の網を伸ばした。


 三百あまりの鎧蟻の群れが行進中だった。


「お前ら、援軍を呼んできてくれ」

 震える声を抑え、どうにか言葉をしぼり出す。

「八高弟に、伝えてくれ。まだ、鎧蟻の生き残りがいると」

「お前はどうするんだ?」

「俺は奴らを追跡する」

 間に合ってくれと、祈るような気持ちで言った。


 今にして思えば、不自然な点が多かった。

 王族が、女王と王の二匹しかいなかったこと。

 鎧蟻の巣を偵察したときに、その他の王族も確認していたのに。

 女王の年齢は七ヵ月だったことも思い出した。

 いくらなんでもそんな若い女王が、あの大帝国を築けるはずがない。

 おそらく副女王とか、そんな立場だったはず。ならば


 あの軍団は、おとりだったのだ。


 あまりにも大規模すぎて、疑いもしなかった。

 ちゃんと注意して観察すれば、簡単に推測できたはずなのに。

 本当の目的は決戦ではなく、別天地への逃亡だったのだ。

 だからいま、近づきつつある反応は間違いなく本当の女王のはずだ。




 帝国の真の支配者は、焼け死んだ女王よりふたまわりほど巨大だった。


 もはや自力ではまともに動くこともできないようだ。

 彼女をノーマル達が顎にくわえて引っ張り、移動を助けている。

 なるほど、移動速度が遅いと思ったら、こういう訳か。

 彼女の腹部には白い塊が見える。それも一つや二つではない。

 彼女はいくつもの王を従えているようだ。つまり同じ手は使えない。

 女王の周囲には中型の鎧蟻達がいた。女王をミニチュアにした感じだ。

 それにノーマルにくわえられて運ばれている白い鎧蟻も目を引く。

 王女と王子達だ。王女は十匹。王子は三十匹ぐらいか。


 彼らが向かう先は森の奥、つまり上級魔物の領域だ。

 女王は、人間の方が上級魔物より手ごわいと判断したのだろう。

 だからあえて危険な領域に巣を作り、上級魔物を防壁とするつもりか。

 その判断が正しいかどうか、試させるわけにはいかない。

 距離を置いて隠蔽を発動。

 ノーマルに感知されていないのを確認してから剣術を並列起動。


 外周を守る近衛を避け、ノーマルに触れないように注意し、一気に隊列を横切る。

 反対側の茂みに隠れて観察する。

 気付かれた様子は―――なかった。

 ノーマルの警戒網は仲間と情報を共有し、スキルの発動も感知する。

 隠蔽は初動さえ感知されなければ、後のスキル発動を隠してくれる。

 隠蔽は警戒網に対して優位なスキルらしい。

 また警戒網に頼りすぎ、本来の知覚能力も退化している節もある。


 ならば、やることはひとつ。ゲリラ戦で彼らの足止めする。

 ふたたび群れの中を駆けるが、今度は標的がある。

 狙いを定め、王女の首の関節を剣で突き刺した。

 力を込めたが急所までは届かず、王女は痛みにもがくだけだ。


 木の幹に身体を隠し、顔を半分のぞかせて様子をうかがう。

 王女の突然の負傷に、群れ全体が動揺する。

 女王が金切り声をあげた。

 攻撃だと判断したのか、近衛が王族のまわりに集まって警戒した。


 どれほど時間が過ぎたか。

 周囲を偵察していたノーマルが群れに戻る。

 俺のすぐ側まで近寄ったが、やはり気付かれない。

 やがて群れは前進を再開する。彼らは逃走中なのだ。

 いつまでも同じ場所に留まっていられない。


 警戒は解かないが、移動すればどうしても陣形は乱れる。

 邪魔な木を避けるため、陣形に綻びが生じた瞬間、三度目の突進をかける。

 今度の狙いは王子だ。二匹同時に殺すことが出来た。

 足止めのため、王女と王子を次々に襲った。



 いま女王は、しきりに左右へ視線を移している。

 うろたえる女王を、俺は冷ややかに眺める。

 王子は二十匹にまで数を減らした。しかし王女は、傷を負わせたが致命傷ではない。

 八高弟達が持つ、あの聖銀製の剣があればと、ないものねだりをする。

 王族の護衛はさらに厚くなった。王女の背に取り付いたり、密着して守っている。

 行進速度は遅れたが、森の奥へと着実に向かっている。

 下手をすると既に、上級魔物の領域かもしれない。兄弟子達の反応はいまだない。

 俺が思い悩んでいると森が開けた。

 そこには思いがけない光景が広がっていた。

 湿地帯だ。鎧蟻達はそこを目指している。どうしてこんな場所があるんだ?

 もしかすると森の中に出来る湿地帯、バイというやつかもしれない。

 鎧蟻達は黙々と湿地帯に踏み入った。どうやらここを渡るつもりらしい。

 俺は焦った。鎧蟻の様子から、湿地帯はそれほどの深さではないらしい。

 せいぜい足首が埋まるぐらいだろう。だが問題はそこではない。

 機動力が著しくそがれるのだ。いままでの一撃離脱戦法が可能かどうか。

 

 やるしかない。これ以上森の奥に行かれては、援軍を誘導するのが困難になる。

 条件は互いに五分五分だ。なんとかこの場所で食い止める。

 湿地帯の淵に立ち、様子をうかがう。根の張った水草をたどれば、何とかいけそうだ。

 足を踏み出し、徐々にスピードを上げる。致命傷は難しいが、王女を狙う。

 どうやら女王は娘をより気遣う傾向にあるらしい。

 王女が痛みを訴えると、はっきりと平静さを失う。

 その弱点を容赦なくえぐる。

 最後尾にいる女王を避け、その横手を通り過ぎている時だ。


 いきなり女王が、俺の方角へ倒れ掛かってきた。


 トラックほどもある巨体が倒れてきたのだ。

 大きな体躯に跳ね飛ばされ、湿地帯を水切りのように滑る。

 ダメージは大きくない。衝撃を自ら跳ぶことで和らげた。

 しかし、たとえ腕一本潰れても大した事ではない。

 問題なのは、はずみで隠蔽が解除されたこと。


 どうして俺は、この生き物達を甘くみてしまうのだろうか。

 蟻に、昆虫に似ているからか?

 忘れてはいけない。彼女達は虫けらではない、魔物なのだ。

 俺の常識では計り知れない生物なのだ。


 湿地帯に誘い込まれ、罠にかけられたのだと悟った。


 隠蔽は、生物の知覚を逸らし、環境に紛れる。

 しかし、それによって引き起こされる現象は対象外だ。

 具体的に言うと、湿地帯を駆けるときに立てる水音は別なのだ。

 剣術スキルで地面を走るときとは違い、水を踏む音は大きく鳴る。

 鎧蟻が昆虫に類似しているのなら、その聴覚は体側にあるのかも知れない。

 つまり水を蹴立てて女王の脇を走り去るなど、愚の骨頂だったのだ。


 体勢を立て直したとき、鎧蟻達の視線がこちらに集まっていた。

 女王が頭を起こして睨んでいる。無機質な眼に、怒りと殺意があった。

 剣を構えて隠蔽を解除、回避を並列起動した。

 



 避ける、避ける、斬る。

 跳んで、斬って、避ける。

 跳んで、跳んで、避けて、斬る、斬る。


 狩人と獲物の立場が逆転した。

 俺は一方的になぶられ、追われた。

 俺の役割は一秒でも長く生き延びること。

 鎧蟻達をこの湿地帯に釘付けにして、応援を待つだけだ。


 応援が間に合う可能性は、限りなく低い。

 逃走できる可能性は絶望的だ。


 気が付けば、湿地帯の中央に移動していた。

 水かさが増え、足をとられる。

 偶然ではなく、意図的に追い込まれている。

 幸いなのは、鎧蟻達も同じ条件だと言うことぐらいか。

 いや、ノーマルは体の半分ぐらい水に浸かっている。

 主戦力は近衛となり、その他は包囲網を敷いている。

 

 近衛の鎌をかわし、首の関節を剣で貫く。

 剣はぼろぼろだ。刃こぼれがひどく、斬ることなど無理だ。

 気力よりも先に剣が折れそうだ。

 盾代わりの鞘はとっくの昔に駄目になり、捨ててしまった。

 四本の短刀はまだ使っていない。心もとないが、これが命綱だ。

 深手はないが、浅手の傷は数えるのも馬鹿らしい。

 そろそろ本気で撤退を考えよう。

 可能性は絶望的だが、ゼロではないのだ。

 ここで鎧蟻を取り逃がしたとしても、まだチャンスはある。

 彼女達は上級魔物の領域に行くのだ。

 生存競争に敗れる可能性は十分にある。


 そんな思考も、何十回も繰り返している。


 彼らは、必ず生き延びる。

 上級魔物が相手だろうが、再びあの大帝国を再建する。

 いや、さらに強大な勢力を築き、人類圏をおびやかすに違いない。

 俺は奇妙な敬意と共に、そう確信していた。

 そしてついに剣が折れた。

 柄だけになった剣を近衛に投げつけ、短刀を抜く。

 両手に構えた短刀で何度も何度も斬り結ぶ。

 鎌と短刀が火花を散らしそうな激しさで交差する。

 二本の短刀を近衛の肩に突き立てたが、体当たりを食らってしまった。

 膝をつき、苦しい息のもとで前方を眺める。

 眼前の近衛の背後には、まだ続々と鎧蟻が続いている。

 そのさらに遠くへ視線を向けても、援軍は影も形も

 

 いた。湿地帯の縁に立つ人影がひとつ。

 遠目でも、俺にはそれが誰か、はっきりと分かる。

「……カティア」


 彼女は手をかるく振ると、こちらに向かってきた。 

 水面を蹴立ててカティアが接近してくる。

 彼女が水面を蹴ると、バンと炸裂音が響く。

 ガーブが疾走なら、彼女のは爆走である。


 本能的な恐怖にかられ、その進路上から逃げ出した。

 暴走車に巻き込まれるように鎧蟻達が蹴散らされた。

 ……避けなければ、俺も吹き飛ばされたかもしれない。


「久しぶりだな」

 カティアがきらりと歯を光らせて笑った。

 実に男前で、惚れ直しそうだ。またボコられるのが嫌なので口にしないが。

 そのままカティアはジッと待つ。何かを期待するように。

(遅いじゃないか)(間に合ったぞ?)(タイミングが良すぎるんだよバカ)

 脳内でシミュレートすると、俺は叫んだ。


「助けてえええっ!」

 カティアががっくりと膝を折り―――背後から迫る近衛に剣を突き立てる。

「あのな、ヨシタツ? 仮にも男なら」

「ムリ! もう限界だから!」

 四つん這いでカティアに近寄り、その膝にすがる。

「頑張ったから、一生懸命頑張ったんだよ!」

「分かった、分かった。しようがないやつだ」

 カティアは苦笑し、ホレと愛用の剣を渡した。

「あともうちょっとだから、自分で始末をつけるんだ」

 俺の手の中に、聖銀製の剣があった。

 聖銀製の武具は高価だ。冒険者ならば誰でも憧れ、手に入れたいと思う。

 俺は欲しくはないが。

 そんな金があれば、さっさと田舎に引退して家と畑と奴隷を買う。

 それほどの価値があるのだ、聖銀製の剣は。

「くれるのか?」

「やるかバカもの! 貸すだけだ」

「…………ちっ」

「ずいぶんと余裕だな!」

 足蹴にされたので、仕方なく立ち上がる。

「雑魚は任せろ」

 残り二本となった短刀を奪われた。カティアはそのまま鎧蟻達に突進する。

「いや雑魚じゃないからってちょっと待てえ!!」

 この師あってあの弟子か!? 剣も持たずに無茶だ!

 と思ったら

 彼女は手近の鎧蟻をつま先で蹴り上げた。


 ちぎれた頭部が、ボールのように打ち上げられた。


「待て剣士!!」

 湿地に脚をとられ、身動きの鈍い鎧蟻を尻目に、カティアが戦場を疾駆する。

 弟子達も常識外れだと思ったが、師匠はその比ではない。

 その装備は胸甲を除けば、手甲や靴、関節部分しか装甲で覆われていない。

 身軽さ重視なのだと、勘違いしていた。

 武器なのだ、それらの装備は。

 肘で頭を吹き飛ばし、踵で背を叩き割る。

 両腕両脚を舞わせ、触れるもの全て破壊する。

 しまいには頭と背中を踏み砕きながら鎧蟻の上を走り回り始めた。

 文字通り蟻を踏み潰すように、だ。


 絶対におかしい。あれは本当に剣術スキルの恩恵なのか?

 俺は八高弟達が彼女を畏怖している理由の一端を理解した。

 ……さて。

 俺はカティアの剣を握り締める。

 自分で始末をつけろと、彼女は言った。

 師匠の命令だ。もう少しだけ、頑張ろう。

 俺はカティアがひらいた道を走った。



 王女の首を切り落とした。

 一度振れば、刃に付着した体液はあっさりと落ちる。

 王子を斬り、王女を斬る。次々に斬る。

 王族を絶つ。臣下を皆殺しにする。女王を討つ必要などない。

 狩りも食料の調達もできない彼女は、孤独のままに枯死するだけだ。

 鎧蟻の死骸を積み上げてゆく。

 女王の脇に隠れている王女達を見つけた。

 王女は残り三匹だ。女王が身体の陰に隠すが無駄だ。

 その鈍重な動きではかばいきれない。


 女王が甲高い声で吠えた。

 その鳴き声には威厳と、何かが込められていた。怒りか、決意か。

 周囲の鎧蟻達が集まり、女王に取りついていく。

 なんだ、これは!?

 鎧蟻達が女王の腹部の接合部を破壊していた。

 酸で溶かし、強靭な顎で噛み、鋭い鎌で切る。

 俺は一歩、また一歩と後ずさり、意味不明な光景を呆然と眺める。


 女王が叫び、身震いする。もがくように脚を動かし、前に進む。

 何かが割れ、ぶちぶちと引き千切られる音。

 腹部が切断され、ずるずると内臓が引きずり出される。

 上半身だけとなった女王は素早く接近し、前脚を振り払った。

 剣で受けたが、軽々と吹きとばされる。

 なんとか受身を取って構えたが、まだ驚きから回復しない。


 名称:大鎧蟻/帝母

 年齢:二十年

 種族スキル:独裁官

 固有スキル:鬼子母神


 また読み違えたのだ、俺は。

 彼女は巣を放棄して、逃げ出したのではない。

 我が身可愛さに、数千の軍団をおとりにしたのではない。

 己が身命と一族を投げうって託したのだ、王女と王子達に。

 次世代の希望を。


 重い胴体部から解き放たれた彼女の動きは素早かった。

 あれほどの自重を支えていたのだ、その脚力が脆弱なはずがない。

 重しを取り除いた彼女は、長大な脚を振りかざして迫る。

 さらに看破は、彼女の体躯からわきあがる赤い靄をとらえていた。

 その赤い靄の色が濃くなるほどに、力と速さが増していた。


 それでも避けきれないスピードではない。そのはずだった。

 だが、実際は防戦一方だ。気圧されているのだ、俺は。

 切断部から体液を垂れ流し、刻々と死が近づく帝国の支配者の気迫に。

 メンタルでの勝敗は決していた。

 どすどすと槍のように何回も撃ち込まれる前脚を、かろうじて回避する。

 足が竦み、手が萎えてくる。女王の姿が何倍にも大きく見える。

 もはや勝算はない。彼女の命が尽きるのが先か、こちらが倒されるのが先か。

 俺の意志は、もろくもくじけた。


『戦いなさい』


 ふいに背中に当てられた手のひらの感触。

 懐かしささえ覚える声の響き。

 女王の動きが静止する。周囲の鎧蟻もだ。

 戦場が遠のき、時間が止まったような錯覚。

 

 彼女と二人で空間を共有し、外界の一切が遮断された。


『なんのために今まで戦っていたのですか』


 途切れていた記憶と接続する。なぜ今まで、彼女を忘れていたのか。


 認識阻害


 その恐ろしいほどの威力をいま、まざまざと実感する。

 彼女はずっと、俺の側にいたのだ。

 これまでの戦いの中、彼女はいつも俺を見守っていた。

 鎧蟻の王をさらいに単身潜入したときも、彼女は俺につき従っていた。

 独りだと思っていたが、そうではなかったのだ。

 そして最後の最後、俺の心が折れた、いまこの瞬間に


 潜んでいた闇の狭間から彼女は現われたのだ。


『ただ無様に逃げまどうだけなら、あなたを』


 くじけた俺を叱咤するために。


「軽蔑するのです」


 弾かれるように地面を蹴った。

 ふたたび時間が動き出す。

 女王は前脚を高々と上げ、振り下ろした。

 今までにない速さだが、かろうじて掻いくぐる。

 爪で背中を切り裂かれながら、懐に入り込む。

 渾身の力を両腕に注ぎ、真下から剣を突き上げた。


 女王の頭部を、輝く銀の刃が貫いた。





 全てが終わった戦場で、ふと辺りを見回す。

 いま誰かが、何かを囁かなかったか?

「どうかしたのか?」

 カティアに問われ、我に返る。

「いまここに……いや、なんでもない」


 たぶん風の鳴る音を聞き間違えたのだろう。

 俺は首を振って、帰還の途についた。

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