煉獄の魔人―後編
本日2話投稿 2話目
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女王の咆哮が轟くと、全ての鎧蟻がそれに応えた。
神経を逆なで、耳を聾するほどの甲高い叫喚が森を揺るがす。
背後から浴びせられた殺意の放射に、身の毛がよだつ。
ひたすら全力で逃げた。
薪の山をぬうように迂回し、陣地の中央へと走る。
探査に切り替え、周囲の状況を確認した。
鎧蟻の軍団が集結しつつある。
左右両翼の鎧蟻も戦いを放棄し、向かってくる。
王を誘拐した不届き者に、数千の殺意が集中する。
陣地の中央にたどり着くと、背後を振り返った。
黒い津波が押し寄せてくるのを、固唾を飲んで見守った。
状況の変化を読み取ったのか、八高弟がこちらに向かっている。
それだけ確認して、探査を切った。
剣術―並列起動―回避
鎧蟻の先頭の攻撃を一分しのげば、一番近い八高弟が到着する。
それまで俺はここで踏ん張ればいい。もちろん、無謀な試みだ。
いったい何匹を同時に相手取ることになるのか。十匹か、百匹か。
後退すれば八高弟の合流が遅れる。
怒涛の勢いに押し切られ、背後の柵を突破されるかもしれない。
そこから彼女達がいる街へは一直線だ。
左手に王を抱えたまま、右手で剣を抜いて構える。
鎧蟻が薪の山を乗り越え、あるいは崩し、接近してくる。
不思議と手も足も震えていない。剣術スキルのおかげだろうか。
心まで平穏なのが不思議だった。
せまる鎧蟻を眺め、息を吸い込む。
さあ、いつでもこい。
鎧蟻の最前列がまるごと、真一文字に切り裂かれた。
銀の軌跡を残し、風のように黒い影が走り過ぎた。
真っ二つに断たれた鎧蟻の死骸が、ころころと転がる。
前列をひと薙ぎすると、影が反転した。
一瞬の溜めの後、土煙をあげて加速する。
二列もまた、銀の糸を引くように切り裂かれた。
死骸に後列が脚をとられ、鎧蟻の前進が鈍った。
「見事な覚悟だ、婿殿」
幻のようにいきなり眼前に出現した黒髪の男。
八高弟の四兄、疾剣ガーブがニヤリと笑う。
あまりにも早すぎる救援に驚くが、納得もした。
なるほど、スキル疾走2か。
「ヒャアアアア―――――ハッハア」
味方の登場に安堵するより先に、空から声が降ってきた。
太陽を背に、誰かが落ちてくる。
そのまま鎧蟻の前衛のど真ん中に墜落した。
狂剣フルは、高笑いと共に身体を旋回させた。
まるで竜巻のように、鎧蟻の体がバラバラになって舞い上がる。
独楽のように回転し、哄笑しながら戦うその姿は、荒ぶる神か。
周囲の鎧蟻を殲滅すると、跳躍2を発動して高々と宙に飛び上がる。
ストンと隣に降り立った六兄は、口角をにいいと吊り上げた。
「ヒヒヒヒヒ」
喋れ。怖いだろ。
「話は後だな」
どことなくサムライっぽい疾剣ガーブが、風のように消えた。
くひっと喉を鳴らした狂剣フルの、小柄な身体が宙空に舞う。
ふたたび繰り広げられる、殺戮劇。
「はしゃぎおってバカモノどもが」
「ひいっ!?」
背後からの声に、思わず悲鳴をあげる。
振り向くと、殺剣グラスが苦い顔で座り込んでいた。
「殺しは騒々しくするものではない、そうは思わんか?」
嘆かわしいと首を振るグラスに、遠慮がちに声を掛ける。
「あの~五兄?」
「なんじゃ婿殿?」
俺よりも一歳年下なのに、なんか年寄り臭い。
「援護、しなくてもいいんですか?」
「ああやって血に酔って雑魚を殺生するのは性に合わん。それに」
「それに?」
グラスは腰から四角錐の剣を抜き、刃をべろりと舐めあげる。
「殺るなら大物に限る」
妖しく目を光らせるグラス。お前も同類じゃ。
剣をべろべろ舐める様子に気をとられ、その音に気が付かなかった。
ドン…………ドン……ドン
工事現場のような音を轟かせ、何かが近寄ってくる。
「ガレスめ、騒がしい奴じゃ」
グラスが顔をしかめる。
ああ、暴剣ガレスか。
右手方向から接近する七兄は、八高弟で一番背が高いので一目瞭然だ。
その手に握った剣? 斧? そんな感じの鉄の塊を無造作に振り回している。
一撃をくらった鎧蟻は、ぐしゃりとつぶれる。
振り下ろせば鎧蟻ごと地面をえぐる。
重量級の剣を軽々と振るう姿から、スキル強靭2を発動しているのは明白だ。
あんなもの、俺には持ち上げることさえできん。
背後から鎧蟻が襲っているが、防具も装着していないのに意に介さない。
たぶん筋肉が鎧代わりになっているのだろう。
「おーい、おっさん!」
左手から双剣ベイルが両手の剣を振りまわしつつ歩いてきた。
鼻歌交じりにサクサクと鎧蟻を解体している。
その斜め後ろには紅剣ラヴィ、しんがりに豪剣ラウロスが続く。
その三人に守られて、クリサリスとフィフィアの姿が見えた。
よかった、無事みたいだ。
思わず膝から力が抜けそうになる。
ラヴィが盾でクリサリス達に跳びかかる鎧蟻をはじき、剣で斬る。
派手さはないが、堅実な戦いぶりだ。
剣術3と盾術2、それに回避1を巧みに使い分け、仲間を守っている。
やることがないのか、ラウロスは剣も抜かずにつき従っているだけだ。
「タヂカさ―――」
鎧蟻の密集地帯を抜け、駆け寄ったクリサリスが絶句する。
「その怪我は!」
悲鳴混じりの声に、あらためて身体を見下ろす。
浅い傷ばかりだが、全身血まみれだ。
「ああ、大したことはないっ痛!?」
「どこがですか!」
いや、腕をつかまないでそこ傷が。
「じゃあちょっくら手伝ってくらあ」
「あたしも行ってくる」
「グラス、お前も行け」
「やれやれ、年寄りをこき使いおって」
黙りやがれ二十九歳。
ラウロスに命じられ、猫背のグラスはひょこひょこと戦場へ赴く。
スキル刺突2の威力が発揮された。
錐剣の一突きでノーマルを三匹を串刺しにする。
一瞬にしてソルジャーに三つの風穴をあける。
鎧蟻の硬い殻など紙のごとく貫いていく。
性に合わないと言ったわりには、身動きが生き生きとしている。
鎧蟻をぷすぷすと刺していく姿は、傍目にも上機嫌だと分かる。
暴剣ガレスは兄弟弟子達に気が付き、そちらに合流した。
「あれえ? 僕が最後ですか?」
のんびりとやってきたのは末弟、光剣マリウスだ。
「遅いぞ、何をやっていた」
ラウロスがとがめると、ふわっと笑顔を浮かべる。
「鎧蟻がいっぱいだから遠回りしてきたんですよ」
「いいからさっさと行け」
「はいはい」
マリウスは散歩のような足取りで兄弟子達を追う。
「ラウロス、いいのか?」
「なにがだ?」
「だってあいつ……」
マリウスのスキルは剣術2だけだ。俺やクリサリスと同じなのだ。
「心配はいらん」
神官のような裾の長い服を着た、十八歳の青年を目で追う。
いつでも援護できるように身構えるが、無用の心配だった。
彼の剣捌きには、他の兄弟弟子のような速さも力もない。
ただ跳びかかってくる鎧蟻に剣を向けるだけだ。
それだけで鎧蟻は自らの勢いで剣に刺さり、振り落とされる。
まるで自分から殺されているような有様だ。
彼の歩いた後には、転々と鎧蟻の死骸が撒かれてゆく。
一方でマリウスには何の気負いもない。
まるで花咲く野原を散策するような、ゆるやかな足取りだ。
隣で息をのむクリサリスも、その異様さが理解できたらしい。
かつて、カティアが言っていた。剣術スキルの取得と剣の才能に関連性はないと。
剣の才能があってもスキルが取得できず、凡才でもスキルを取得することがあると。
だが、その両方を兼ね備えた人間があそこにいる。
剣術スキルを持つ、剣の天才。
「ヤツが俺を越えるのは、そう先のことではない」
剣術4のラウロスをしてそう言わしめる、剣の申し子。
「首尾よくいったみたいだな」
ラウロスの言葉に、左手の王を差し出す。
きいきいと弱々しく鳴く白い鎧蟻を見て、フィフィアが息を飲んだ。
「鎧蟻達はこいつを求め、集まってくる。八高弟はあまり深く進んで押し返すな。出来るだけ引き寄せろ。鎧蟻全てをこの陣地に誘い込め」
「分かった」
ラウロスは弟弟子達に指示を飛ばした。
剣術以外のスキルを併せ持つ八高弟は、その切り替えが巧みだ。
並列起動と比べて遜色ない効果を発揮している。
俺は八高弟達の戦いぶりを観察し、結論を出した。
いくら剣に励もうとも、俺は彼らの高みには至れないと。
たとえカティアと同じ剣術5に到達したとしても、剣では彼らには勝てない。
スキルの補正とは、単純に能力が加算されるものではないらしい。
そういうものだと納得し、諦めた。
だから、やめろ。勝手なことをするな。
俺の意思と無関係に、看破スキルが発動していた。
兄弟子達の剣の軌道、肉体の動きを解析している。
しかもその情報を、他のスキル群に伝達していた。
俺は両目を手で覆い隠した。
「どうしたんですか!?」
クリサリスが俺の肩をつかんで揺さぶる。
痛みで我に返る。すでに看破は沈黙していた。
……なんだったんだ、いまのは。
「大物が来たな」
ラウロスが呟く。柵の入り口に、鎧蟻の騎士がいた。
視線を俺に定め、脚と全身をたわめる。
弓を引き絞るように力を限界まで溜め
スキルを発動、突撃してきた。
ラウロスが、背中から豪剣を引き抜く。
俺の前に立ちはだかり、駆け出した。
両者は真っ向から激突し、剣と槍が交差した。
槍が折れ、くるくると宙に舞う。
暴剣ガレスの斧剣が、騎士の胴体を一刀両断にする。
上半身だけ慣性のまま前に飛ぶのを、殺剣グラスが待ち構えていた。
彼の錐剣が頭部を貫通し、息の根を止めた。
やがて周囲は、ほぼ鎧蟻で埋め尽くされた。
鎧蟻の軍団のほとんどが陣地に収容された。
「脱出するぞ」
周りをかためる八高弟に宣言すると、鎧蟻の王を地面に置いた。
「……すまない」
そう言わずにはいられなかった。
彼の腹に短刀を振り下ろし、地面に縫いとめた。
鎧蟻の王の絶叫が辺りに響いた。
八高弟が剣をふるって道を切り拓き、出口側へと走る。
ようやく出口に到着すると、八高弟達が立ち止まった。
「どうした? 外に出るぞ」
ラウロスが顔に含羞の色を浮かべ、頭をかいた。
「もうちょっとだけ、遊ばせろ」
問い返す間もなく、八高弟達がいま来た道を戻る。
「ちょっと待てえ!」
彼らは聞く耳を持たず、無邪気に笑いながら蹂躙を再開した。
どうやら暴れたりないらしい。
普段は冷静沈着なラウロスでさえ楽しそうだ。
ふいに、八高弟が一斉にこちらを見て笑った。
実に自慢げで、得意げな笑顔だ。
なんだかその表情が、こう語っているように見えた。
俺達をすり潰すんじゃなかったのか?
……ムカついた。
「あの、どうします?」
出迎えてくれたフィリップが尋ねる。
俺は片手で髪を掻きむしる。あ、抜け毛?
…………
「よし、火を放て」
俺の宣言に、周囲の冒険者達がぎょっとして後ずさる。
クリサリスとフィフィアが、呆れたように首を振った。
「正気か悪魔!?」
「八高弟達がいるんだぞ!」
「だから?」
俺はすたすたと用意してある小型の投石器に近寄る。
油の入った壷を載せ、火口にカンテラの火を移す。要は火炎瓶だ。
射撃管制を発動、照準を合わせて発射。
火炎瓶は宙を飛び、狙い通りに崩された薪の山を直撃する。
油が燃え、薪に燃え移る。それが合図となった。
柵の周囲にいた冒険者達が、用意していた火矢を次々に放つ。
「ほら、どんどんやっちゃって」
「て、てめえ人間か!?」「本当の悪魔か!」「仲間ごと焼き殺す気か!!」
「ぁあっ!」
俺が凄むと、彼らの顔に怯えがはしる。
「いいからさっさとやれ!」
もうストレスの限界だ。
怒鳴ると、連中は蜘蛛の子のように散開し、火矢を放ち始める。
俺も口笛を吹きながら、フィリップ達に手伝わせて投石器を操作する。
中央部周辺に火炎瓶を次々に落す。
最初は小さかった火は次第に燃え広がる。
錯乱した鎧蟻が燃える薪の山に衝突し、さらに延焼する。
火炎瓶の油は非常によく燃える。
五台の投石器から放たれる火炎瓶と、燃え広がる薪の山。
陣地はさながら火焔地獄のようになった。
「おっさん、戻ったぜ!」
その地獄から、柵を乗り越えひょっこりベイルが戻ってきた。
「ちょっと、ひどいじゃない!」
ラヴィが煤に汚れた顔を拭いながら文句を言う。
「久しぶりに兄弟水入らずで戦ったが」
「まあ、悪くはないのう」
「ひひ」「むう」「ほんとですね」
次々に八高弟達が帰還する。
どの顔もきらきらと輝いている。
「……楽しかったか?」
『おうっ!』
先ほど騒いでいた冒険者達を振り返った。
「こういうやつらだから」
「何の話だ?」
ラウロスは怪訝な表情を浮かべる。
「こっちの話だ。さてと」
俺はぐるりと八高弟を見回した。
「先ほどの件は、カティアに説教してもらうからな?」
彼らの顔面が蒼白になった。
炎の地獄で、鎧蟻が次々と蒸し焼きになる。
死骸が熱にあぶられ、音を立ててはじける。
だが、彼らは決して柵の外に出ようとはしなかった。
徐々に中央に集まり、炎から身を呈して王を守ろうとしている。
俺達が見守る中、女王がひとり、森の奥からやってきた。
遅い足取りで、炎に身を焦がしながら、陣地の中央に進む。
累々と死骸が転がる真ん中で、彼女は王と再会する。
女王は顎で王を咥え、持ち上げようとした。
だが、縫いとめられた短剣のためにそれはかなわない。
動かせばいたずらに傷つけるだけだ。
女王は悲しげに鳴き、触覚で王を撫でる。
俺はスキルを絶ち、その様子を感知するのを止めた。
投石器の照準を合わせ、火炎瓶を発射した。
女王と王の姿が、炎と煙の中に消えた。