ウソだといってくれ!
鎧蟻討伐部隊の宿営地は活況を呈していた。
まるで何かのイベント会場のようだ。
まず目に付くのは天幕の群れ。
切り拓かれた森の一画に、大小あわせて三十余りのテントが立てられている。
四本の支柱で天井の帆布を支えた簡単なものから、四方をしっかり覆った宿営用のものまで。
大きさも用途も色合いも様々で、森の中に村が出来たように見える。
飲食の屋台まであるのにはさすがに呆れた。
とても魔物討伐の最前線には見えない。
「なんですかこれは」
クリサリスは呆然としている。
「鎧蟻討伐部隊の本拠地なのです」
「見れば分かる。いや、分からないが」
「あそこは」
チビスケが指差した方向には黒い山が出来ている。
「討伐された鎧蟻の査定と買取が行われるギルドの出張所なのです」
山は鎧蟻の死骸だった。そのすぐ側では解体作業が行われている。
肉屋がいた。剥ぎ取りの得意な冒険者だ。得意の山刀で豪快かつ繊細に鎧蟻をさばいていた。
なんだか活きいきとしている。
「報奨金を受け取った冒険者がまず寄るのはあちらなのです」
指差した方向を見れば、何本もの支柱で支えられた天幕がある。
「酒場?」
「そうなのです。夜は飲んだくれ連中のたまり場なのです」
冒険者はいるが、くつろいでいる様子はない。
並べられたテーブルに座ることなく、ジョッキの酒で軽食を流し込んでは立ち去っていく。
「今の時間はかき入れどきなのです。すぐに鎧蟻の討伐に戻るのです」
しばらく観察していると、この宿営地のサイクルが見えてきた。
森の奥から鎧蟻の遺骸を引きずって冒険者達がやって来る。
鎧蟻は数体をロープで連ねてしばってある。
それを出張所へ持ち込み、簡単な査定を済ませて報奨金を受け取る。
酒場で喉の渇きや空腹を満たすとふたたび森へと戻っていく。
救護所や鍛冶屋の天幕に立ち寄る者もいる。
どの天幕も活気に溢れ、救護所ではうめき声があがっている。
驚くべきことに、しどけない格好をした厚化粧の女性たちまでいる。
彼女達はけだるげに冒険者達へ声を掛けるが、まったく相手にされない。
「いまは忙しいので構っていませんが、夜は大賑わいなのです」
「しかしその手の仕事をするのには天幕が足りないんじゃないのか?」
「周囲の森は哨戒されているので、異常があればすぐに警笛がなるのです」
「つまり?」
「茂みの陰と毛布一枚で出来る簡単な商売なのです」
「まる聞こえじゃないか!」
「誰も気にしないのです」
「すげえな冒険者!」
俺は初めて連中に尊敬の念を抱いた。
「酒場で飲みながらヤッているやつもいたのです」
「誰その勇者!?」
「風紀上の観点からそいつは後方に送り返されたのです」
さようなら、でも君の偉業は忘れない!
「相手の女はこの宿営地で一番の売れっ娘になったのです」
実演販売か!
「あの、すみません」
クリサリスは申し訳なさそうに会話に入る。
「何のお話をしているのですか?」
俺とチビスケは顔を見合わせた。
「かまとと?」
「いや、違うんじゃないか?」
「確かめるのです」
チビスケはとことこクリサリスの側により、耳元に何事か囁きかける。
クリサリスの顔がゆで上がる。次にフィフィアが撃沈された。
「違ったのです」
「二人とも、夜は俺の側から離れるなよ」
「余計に危ないのです」
俺は無言でチビスケ鼻をつまんだ。
「あ、あの、大丈夫です、信じていますから」
「ほらみろ」
「いいからとっとと離すのです」
指を放してやるとチビスケは赤くなった鼻をこすった。
「どうしてあたしの扱いがヒドイのです!」
「口で勝てないからに決まっているだろ!」
「なら仕方ないのです!」
「……仕方ないんだ」
チビスケの案内で宿営地を横切り、中央にある天幕に到着した。
チビスケはバサっと天幕の垂れ幕を開いた。
「入るのです!」
「入ってから言うな」
「かまいませんよ、どうぞお入りください」
中から声が聞こえた。
チビスケに続いて入り口をくぐると、中には簡素なテーブルがひとつ置かれていた。
奥の席にはサイラスが座っていた。
「ようこそ、タヂカさん」
「ああ、お邪魔する」
そこにいたのはサイラスだけではなかった。
彼の正面、俺達に背を向ける格好で男がひとり座っている。
男は立ち上り、こちらを振り向いた。
「商業組合の使者の方です」
「どうぞよろしく」
男が会釈をした。俺と同じぐらいの年恰好だ。
「ヨシタツ・タヂカだ」
「ああ、あなたが」
男は俺のことを知っている様子だ。
「鎧蟻の巣を見つけた功労者ですね」
「偶然出くわしただけだ」
「いえいえ、おかげで街に活気が出て、組合員一同も感謝しております」
「それはなにより」
そつのない挨拶を述べたあと、組合の使者はサイラスに頭を下げた。
「それではサイラス殿、よろしくお願いします」
「ああ、善処しよう」
使者が天幕を出ると、俺達は勧められるままに席についた。
「仕事の邪魔をしたか?」
「大した話ではありません」
目線でテーブルの上の袋を示す。どうやら金が入っているらしい。
「これは?」
「いろいろと便宜をはかるように頼まれまして」
賄賂か? だがサイラスの態度に悪びれた様子はない。
「しみったれなのです!」
「……おい」
チビスケが堂々と袋の中身をのぞきこんだので、俺は呆れた。
「鎧蟻の素材は軽くて丈夫で色々な加工品になるのです!」
チビスケは頬を膨らませる。
「数もたくさんあるので大儲けなのに、これっぽちしか寄越さないなんて馬鹿にしているのです!」
金額の少なさに憤慨しているようだ。賄賂という点はどうでもいいらしい。
「組合は何と言ってきたんだ?」
「鎧蟻の素材の運搬に冒険者を護衛として使いたいそうです」
サイラスは肩をすくめた。
「討伐の方が儲かりますから誰もやりたがりません」
「そりゃそうか」
わざわざ大規模討伐に参加しているのに、街に戻りたいはずがない。
「どうするんだ?」
「何とか要員を捻出しますよ。人員の交代を繰り上げ、討伐数の少ない者を一緒に戻します」
「護衛を引き受けるかな?」
「タダで戻るよりは多少でも稼げたほうがましでしょう?」
「上手いこと考えるな」
商業組合は早く、鎧蟻の素材を街に持ち込みたいのだろう。
「だが人員交代の繰上げとなるとギルドの許可が必要じゃないか?」
「らしいですよ?」
サイラスはチビスケに水を向けた。
そういやギルドの連絡役だったな。現場の裁量も任せられているのか。
……こいつにか?
彼女はしばらく考え込むフリをしてから、金の入った袋に手を伸ばした。
小さな手で金をひとつまみ取ると、偉そうに頷いた。
「輸送の安全をはかるのもギルドの役目なのです」
とりあえずチビスケの頭をスパコンと軽く叩いた。
「痛いのです!」
「ああ、そう言えばタヂカさんは監査役でしたね。どうぞ遠慮なく」
サイラスが袋をこちらに押し出してきた。
俺は苦笑した。
「まだ着任の報告をしていないからな」
懐から取り出した羊皮紙をサイラスに差し出した。
「着任前のことに口を出すほど野暮じゃないさ」
「叩いたのです! いま叩いたのです!」
俺はサイラスにニヤリと笑った。
「おこぼれにあずかるのは次回からにさせてもらうさ」
「見損ないました!」
サイラスの天幕から出てしばらくしてから、クリサリスが猛然と抗議した。
「悪事を見逃し、あまつさえ悪人に取り入るなんて!」
「まったくなのです!」
「お前が言うな」
俺はチビスケの鼻をちょんとつついた。
「あなたもですよ、ギルド職員ともあろうものが!」
矛先が自分に向けられると、チビスケはさっと俺を盾にしやがった。
「まあ、そう責めるな」
俺はクリサリスをなだめ、チビスケの頭を撫でた。
「ギルドの正式な職員は、この宿営地にコイツ一人だ」
買取査定をしているのは商業組合員が代行しているそうだ。
ギルドには利益の何割かを支払う形になっているらしい。
「味方のいない状況で上手く立ち回ろうとするなら、多少の迎合は必要だ」
「どういう意味なの?」
「あまりうるさくつつくと、身の危険があるってことだよ」
俺の言葉にクリサリスとフィフィアが息を呑む。
「ここはいま、商業組合の期待を集める一大拠点だ。なにより利益が優先されている。下手に邪魔をすると事故にあう可能性があるかもな」
「事故、ですか?」
「ああ、魔物に襲われるとか」
その魔物は背後から剣で襲いかかるかもしれない。
「まさかそんなこと」
「ここは何と言っても魔物の領域だ。事故はどこにでも転がっているさ」
そこまでするかどうかは分からないが、用心に越したことはないだろう。
「同じ穴のムジナだと思わせたほうが安全だ」
「……すみません、わたしが浅はかでした」
クリサリスがシュンとなって落ち込む。
「気にすることはないのです!あたしは職務を全うするために汚名をかぶる覚悟があるのです!」
チビスケは偉そうに胸をはる。
「それに汚名の一つや二つ、コイツにはいまさらだから!」
「なんなのですその爽やかな笑顔は!」
「仕事をサボったり人に食事をたかったり」
俺はチビスケの頭をぐりぐり撫で回した。
「お菓子でギルドの内情を漏らしたりと悪行三昧!」
「なぜ知っているのです!?」
「俺にも情報源があるのさ」
「セレス先輩! リリちゃんの裏切り者なのです!!」
「裏切り者じゃないさ。なぜなら元からお前の味方でないんだから」
「いたいけな少女に容赦のない悪魔なのです!」
そうこうしている内に、宿営地の外れにある天幕に案内された。
「ここがあたしの天幕なのです! お姉さま方は中でゆっくり休むのです!」
そう言いながらチビスケは中に入っていった。
「おお、これなら四人ぐらい寝泊りできそうだな」
割と立派な天幕で、隙間風も入りそうにない。
「……四人?」
フィフィアがぽつりと呟く。
「ああ、用心のために一緒にいたほうがいい」
寝込みを襲われるのが一番厄介だ。
状況によっては交代で不寝番に立ったほうが安全かもしれない。
「バカをいうなのです!」
ふたたび天幕からチビスケが出てくる。胸に抱えた荷物を俺に押し付けた。
「これが汚い人の寝床なのです」
「ハンモックじゃねえか!」
「あそこの木立の間に吊るすと具合がいいのです!」
「魔物討伐の前線でのん気に昼寝をしてるんじゃねえ!」
「やることがないので暇なのです!」
「体裁をつくろえって言っているんだ!」
「……さすがに寝床がハンモックというのは」
おお、今日のクリサリスは優しいぞ!
「お姉さま! 天幕の中に異臭が漂うのはイヤなのです!」
「異臭なんてしねえ!」
「本人が気づいていないだけなのです!」
「……ウソだよな?」
まさか、そんなことは。
毎日、お湯で身体も拭いている。
着替えだってしている。
「なあ? ウソだって言ってくれよ、頼むよ?」
媚びへつらうように笑いかける。
俺はまだ三十だぞ?
まさか、まさか、加齢
「男の人が年を取ったら仕方ないのです」
「うああああああああああああああ!」
「ヨシタツさん!?」「ヨシタツさん!!」
俺は絶叫をあげ、その場から逃げ出した。




