後日の談の余話 『我が迷走』
シルビアさんの宿に戻った。
「あ、おかえりタヂカさ」
「リリちゃんっ!」
「ひゃっ!」
出迎えてくれたリリちゃんを抱きしめた。
小柄な彼女は、良い感じにすっぽりと腕に収まる。
まるで手のひらに包んだ小鳥のようだ。
「リリちゃん! くやしい! くやしいよ俺は!!」
「た、タヂカさん!?お、お酒臭いよ!?」
「ダメだ・・・もう俺はダメなんだ・・・」
酔っているよなあ俺。醒めたら恥ずかしくて悶死だなあきっと。
分っているのに止められないのが酔っ払いの本懐だろう。
可哀そうにショックでリリちゃんは抵抗できない。
身動きできずに俺の胸に顔をうずめている。
後で土下座だなあとぼんやり考えていると
リリちゃんがおずおずと手を背中にまわした。
「・・・よしよし」
リリちゃんがぽん、ぽんと背中を叩く。
まるで赤ん坊にゲップをさせる母親の手つきだ。
つま先だって伸ばした手を、いっしょうけんめい背中にまわしている。
「よしよし、よしよし」
三十歳のオヤジが女の子に慰められている。
胸の奥からあふれてくるこの想い・・・これが背徳感と言うやつか!
「リリち」
「放さんかバカモノが」
後頭部に打ち込まれる鋭い衝撃。
膝から力がぬけ、俺は床にへたり込んだ。
俺は食堂でテーブルに突っ伏している。
リリちゃんが背中を優しくさすってくれる。
隣のテーブルでは俺に対する問責決議案が審議されている。
「婦女子にいきなり抱きつくなど言語道断」
「「然りしかり」」
議長のカティアの言葉に、クリサリスとフィフィアが重々しく頷く。
「しかも年端もいかぬ小娘相手とはいかなることか」
「「然りしかり」」
「女の盛りは二十を越えてから。それに満たぬ小娘など尻に殻をつけた雛も同然」
「「・・・・・・」」
「そもそも大の男が金貸しのように年を数えてどうするのだ」
「「然りしかり」」
「そんな些細なことにこだわっては男の貫目が下がると言うものだ」
「「然りしかり」」
「気弱になって子供にまで醜態をさらすなど情けないにもほどがある」
「ひどいよみんな!」
ガタン。隣のリリちゃんが勢いよく立ち上がって抗議する。
「どうしてそんなひどいことが言えるの!? タヂカさんがこんなに傷ついているのに!」
もう正直に白状いたしましょう。
わたくしはとっくに立ち直っておりました。
さきほどリリちゃんに慰められ、さすがに大人として如何なものかと反省したのです。
ただリリちゃんが甲斐甲斐しくいたわってくれるのが心地よく、つい落ち込んでいるフリをして同情を誘っているだけなのです。
女の子の純心をもてあそぶ、まさに悪鬼外道の所業と言えるでしょう。
演技をしている俺の隣ではシルビアさんが酔っ払っている。
「わかるわ~~~よ~~くわかるわ~~」
落ち込んだ男のあしらいも良い女の甲斐性だと、酒を片手に付き合ってくれたのだが。
いつの間にか本気で酔っ払ってしまった。
シルビアさんがゲフウ~とおくびを漏らす。
「あたしもねえ、ひとり身になってからずいぶんと結婚を申し込まれたのよでもねえ三十を越えてからはさっぱりよ? なんでかしらねえ歳のわりには若く見えるって言ってくれるのに粉かけてくる男はさっぱりよ? いいのよわたしにはリリがいてくれるんだからいまさらオトコなんて手の掛かるものこっちから願いさげだわでもフシギよねえ?」
俺の首に腕をまわし、蒸留酒の入ったカップをぐいっとあおる。
「ねえ聞いているのそりゃあわたしだってオンナなんですから?たまには一人寝の夜が」
・・・俺も、こんな感じだったのだろうか?
ギルドの隣の食堂でヤケ酒をあおっていた時を思い出す。
その時はカティアもクリサリスもフィフィアも、なぜか受付のセレス嬢までもが慰めてくれた。
扱いは雑だったが。
ふんふんそうねーそりゃひどいわねああたしかにそうそう、と。
壊れたレコードがリピートする感じだった。
「三十を越えたらオンナじゃないの? だからって行きずりのオトコをあさるマネなんかしないわよこれでも身持ちのかたいほうなんですからねえ」
・・・たしかに酔っ払いと言うのは扱いに困ってしまう。
そう考えてみれば、宿に戻った途端にお説教に転じたが、放置しないでここまで送ってくれたのだ。
心から感謝してしかるべきだろう。
シルビアさんだって酔っ払う前は励ましてくれてたし。
俺は良い人たちとの出会いに恵まれている。
「そこのおばさんも、あまりヨシタツに絡むな」
胸を満たしていたぬくもりが、一気に冷めた。
カティアの、その致死的な一言。
俺は思うのだ。彼女はオブラートとか歯に衣とか、剣や魔物の殺し方より学ぶべきものが多々あったのではないかと。
「・・・なんデスって」
煮え立つ地獄の釜から立ち昇る瘴気のような。
闇の中にただよう腐臭のような。
カチカチと奥歯が鳴る。
それは死の気配。
「ナニカイッタカシラ」
「場末の飲み屋で意気投合した、酔っ払いのオヤジとおばさんみたいだぞ?」
「・・・キシャー! シュルルー! キシャー!!」
言葉! 人間の言葉を忘れてますよシルビアさん!
ふくろうのように鼻面をぐるんぐるんと回転させて、彼女は獲物に跳びかかった。
「みんなありがとう」
カティアやクリサリス、フィフィアの叱咤激励。
リリちゃんが見せてくれた母のような優しさ。
胸の内をあけすけにしてまで共感してくれたシルビアさん。
表現方法はそれぞれ違っていたが、みんなが俺を気遣ってくれる。
「俺はいま幸せです」
だから俺も、彼女達を大切にしようと思う。
涙がにじみ出ると、リリちゃんが指先でぬぐってくれた。
「男の人でも泣くんだね?」
「・・・情けない?」
「そんなこと、ないよ。幸せで泣くのなら、それはとても素敵なことだと思う」
彼女の笑顔が眩しい。
・・・だから言えない。
貴女のご母堂に怯えて泣いているなどとは。
テーブルの上に退避した俺は、床の惨状を呆然と見下ろしている。
女はもとより、人間を忘れた二人の戦いは酸鼻を極めた。
鉤爪が相手の皮膚を傷つけ、衣服を切り裂き、胸を握りつぶし、拳が鳩尾を打ち、頭突きが激突した。
取っ組み合いながら床を縦横無尽に転げ回り、周囲の調度を巻き込んで破壊した。
クキェエー! とかGYURURRとか、人間の声帯で発音してはいけない咆哮をあげていた。
恐怖に泣きじゃくりながらクリサリスとフィフィアが引き離さなければ、被害はさらに拡大しただろう。
「水臭いことを言うな」
「そうよ、気にすることないわ」
羽交い絞めにされた格好のまま、カティアとシルビアさんに笑顔が戻った。ボッコボコの顔面が恐い。
そんな二人の姿に、俺は思わず嗚咽を漏らした。
「あらあら」
「仕方のない奴だな」
まぶたが腫れ上がっていない方の目で、彼女達は優しく見詰めてくれた。
良かった。二人が人間性を取り戻して本当に良かった! あのまま還らないのではと本気で恐怖した。
彼女達が人語を話してくれた安堵に涙がこぼれる。
よしよしとリリちゃんが撫でてくれる。
「・・・だいたい、見当違いもはなはだしいのです」
クリサリスは苦々しげに呟いた。
「あなたの美点は若さとは無縁なのですから」
「あら」
フィフィアが笑う。
「あらあらあら?」
「・・なんだ、フィー?」
「言っちゃうのそれを?」
「・・・落ち込んでいる相手に世辞ぐらい言うさ」
「ふーんへーほー」
睨むクリサリスと意地悪げに笑うフィー。
・・・やっと、いつもの雰囲気になれたな。
それだけのことが、俺は無性に嬉しかった。
「そうだよタヂカさん」
頭を撫でながらリリちゃんが断言する。
「年をとったって、ちょっと髪が薄くったって、タヂカさんはカッコいいよ?」
え?
クリサリスを、見た。
彼女は目を逸らした。
フィフィアを、見た。
彼女はうつむいた。
シルビアさんを、見た。
笑顔が強張っていた。
カティアを、見た。
「気にするほどではない」
キシャアアアアアア!!
「鏡! 鏡を貸して!」
「鏡を知っているのか?」
カティアが感心する。
「そんな舶来の高級品、王都でしか買えないぞ?」
「ならば!」
テーブルに立ち上がる。
「俺は王都に行く!!」
いつかこの街を旅立ち、王都に行こうと決意する。
そこで鏡を手に入れ、自らの目で見極めるんだ。
真実を!
もしも破滅の兆候が明らかになったら?
・・・決まっている。
手に入れるんだ。
なんとしても。
万難を排してでも。
そう、世界を揺るがし覆す大いなる力
発毛スキルを!
新たな決意を胸に灯し、拳を握り締めた。




