健康的な毎日を
翌朝、目覚めてベッドから起き上がると、宿の裏庭にある井戸に向かった。
井戸で水をくみ上げ、たらいに移して顔を洗う。
首に下げた手ぬぐいで顔を拭くと、ストレッチを始める。
身体が温まってきたら、裏木戸から出て街中を走り回る。宿に戻ってからは、木の棒を木刀代わりにして素振りを行う。
それから井戸から水を汲み、全身の汗を洗い流す。
そのころには宿の朝食の準備ができているので、宿の主人の自慢の料理を堪能する。
最後にお茶を一服いただいて、至福のときを過ごす。
殺人者とは思えない、実に健康的な生活だった。
「味のほうはどうでした?」
「今朝も絶品でしたよ」
ちょっと大げさに誉めると、女将のシルビアさんは笑顔を浮かべた。
名称:シルビア
年齢:三十一歳
スキル:料理2
履歴:結婚、出産×1
旦那さんは死別しているそうだ。
それはともかく、実に下種な能力だ。
だけどきれいな未亡人相手に、興味を抑えられないのは仕方ないと思う。
「タヂカさん、鼻の下、伸びてるよ」
テーブルの食器片付けながら、シルビアさんの娘のリリちゃんが白い目を向けてくる。
名称:リリ
年齢:十四歳
スキル:料理1
履歴:
こんな少女までのぞき見るなんて、実に下劣な行為である。
しかし十五、六歳にしちゃうなんて、亡くなった旦那さんはとんでもない人だ。
それに比べれば、若い母親と大きな娘に驚いて思わず看破を使ったのはしかたないと思う。
「ごめん、気をつけるよ」
素直に謝ると、シルビアさんはコロコロと笑った。
リリちゃんはむすっと唇を尖らせる。
「タヂカさん、今日はお出かけですか?」
俺の服装を見て、シルビアさんが尋ねる。
「はい、冒険者ギルドで講習会があるので」
冒険者ギルドでは週に三日、冒険者を希望する人間を集め、冒険者に必要な技能を教えている。
別にこの講習会に出なくても冒険者ギルドに登録はできる。
ただ技術や経験や知識のない人間が冒険者になっても、行き詰ったり、最悪は死んでしまう羽目になる。
「じゃあ、今日もコテンパンにやられてくるのね」
「リリ!」
シルビアさんがたしなめてくれるが、まあ事実だからしょうがない。
「先生が厳しいからね」
「タヂカさんがヘナチョコだからだよ」
シルビアさんが叱る前に、リリちゃんはさっさと調理場に逃げ込む。
「すみません本当に。後でよく言ってきかせますから」
「いえいえ、気難しい年頃ですからね」
たぶん、母親に近寄る男を警戒しているのだろう。
俺の見るところ、シルビアさんに俺以外の男の気配はないが、しょせん俺の目は節穴同然だ。
何度も痛い目にあっているのに、ちっとも人を見る目は養われなかった。
その反動だろうか、こんな能力を持ったのは。
リリちゃんの予想通り、俺はコテンパンにされた。
ギルドの訓練場の地面に仰向けに倒れたまま、よく晴れた空を見上げている。
全身の痛みと疲労で、立ち上がる気力もない。
「今日はここまでにしよう」
指導官であるカティアが、訓練の終了を宣言した。
「あ、ありがとう、ございました」
「けっこう上達してきているぞ」
そうねぎらってくれたが、実感はない。
剣術訓練を行ったが、彼女に一太刀あびせるどころか、触れることさえできずに、さんざん打ちのめされてしまった。
たぶん体のあちこちが、痣になっているだろう。
「うう、今日も一本もとれなかった・・・」
「あたりまえだ、剣を握ってふた月にもならない初心者に、遅れをとるわけがなかろう?」
カティアは呆れるが、悔しいものはくやしい。
「スキルも、取れていないみたいだし」
スキルを取得したときは、自然と分かるらしい。いま分かるのは、全身が痛いということだけだ。
「そればっかりは、地道に努力するしかないな。だが、途中で投げ出して約束を破るなよ?」「分かっているよ」
約束とは、俺が近接戦系のスキルを取るまで、冒険者ギルドに登録しない。
その代わり、カティアは生活全般にかかわる援助を行う、というものだ。
この世界に漂流してきた俺が、偶然出会ったカティアを助けたことがある。
そのことに深く感謝した彼女が、この交換条件を申し出たのだ。
この訓練も、冒険者ギルドの講習時間外に行われる、約束の一環だった。
「だけど、地道に訓練すれば、スキルって取れるのかな」
「難しい質問だな。知ってのとおり、スキルは特定の技能に対して、身体的能力の補正を行ってくれる」
彼女は腕を組んで考え込む。
「だが、取得条件にはあいまいな部分がある」
スキルは、剣術ならば剣術に必要な、格闘術なら格闘術に必要な能力の補正を行ってくれる。
例えばシルビアさんやリリちゃんが持つ料理スキルは、調理にかかわる全般的な行為について能力を向上させる。
たぶんだが味覚や嗅覚、レシピの記憶、包丁裁きや火加減の感覚などについて、補正がかかるのだろう。
「じゃあ、まるっきり無駄に終わる可能性もあるのか」
「私は剣術スキルをヨシタツに取得させようとして、主に剣術の訓練をしている。少なくとも、まったくの素人が、剣術スキルを身につけることはないからな。確かに、どれほど研鑽を積んでもまったくスキルを身につけない場合もあるが」
「・・・そういう話は、最初に教えて欲しかったな」
「まあ、普通は数ヶ月で、遅くても二、三年で身に付くから心配するな」
「ぜんぜん安心できないよ。やっぱり剣の才能が問題なのかな」
「私の知る限りでは、剣術スキルの取得と剣術の才能云々に関連性はない。剣術の才能は少ないが、剣術スキルを得た人間もいるし、逆の例もある」
「分かった、がんばるよ」
ふっと、カティアの目が曇り、悲しげな顔でたずねる。
「また、人を殺したのか?」
「うん、よく分かったね?」
「剣先に乱れが出ている。踏み込みにためらいも」
彼女は、タヂカ・ヨシタツが賞金稼ぎであることを知っている、唯一の人間だ。
「だが、なぜだ?約束しただろう、冒険者になるまで、おまえの生活はわたしが援助すると。金が必要なら・・・・」
「ありがとう、カティア。でも、今後のことも考えて、なるべく金を稼いでおきたいんだ。大丈夫だよ、いつまでもあんな危ない仕事を続けるつもりはないから」
「そうじゃない、確かに仕事の危険もそうだが、心配なんだ」
「なにが?」
「おまえが、変わってしまうんじゃないかと」
「うんと、まあ、多少はね?」
何人も人を殺しているのだ、以前と同じではいられないだろう。
「だけど、基本的には、貴女が拾った頃の、タヂカ・ヨシタツと変わらないよ?あいかわらず、逃げ隠れだけが上手い、ただの臆病者だから」
冗談めかして言ったら、カティアは少しだけ、笑ってくれた。
「スキルなんかより、臆病であるほうが、時には大切なことだよ」
彼女には、こちらの世界に来てから、世話になってばかりいる。
俺の故郷の世界のことなどすべてを明かしたわけではないが、ある程度、俺の事情も知っている。
もし彼女と出会わなければ、とうにどこかで野垂れ死にしていただろう。
彼女には、いくつも恩を受けている。
本来なら感謝し、信頼しなければならないのだろう。
だけど表には出さないが、俺は現在のところ、この世界でもっとも彼女を警戒している。
そのことに罪悪感を抱きつつ、決して隙を見せないようにしている。
名称:カティア
年齢:二十七歳
スキル:剣術5
履歴:赦免(殺人×五十)
便利であると同時に、人間不信になりそうな能力だった。