星を墜とす者_後編
コザクラが宿を出ていくと宣言した途端、
「そりゃめでたい!」
「タツ、よしなさいよ」
思わず手を叩いたヨシタツを、フィフィアがたしなめた。
「急にどうしたの、コザクラお姉ちゃん? 何かあったの?」
心配そうに尋ねるリリに、コザクラは首を振る。
「久しぶりに家族に会いにいくだけなのです」
「ご家族はどちらに?」
クリスが訊ねると近隣の街の名を告げ、
「たまには顔を見せろと、うるさいのです」
やれやれと、コザクラが肩を竦める。
「いつ出発するのかしら?」
手土産を用意をしなくてはと、シルビアが確認すれば、
「今からなのです!」
あっけらかんと答え、全員を驚かせた。
手土産も見送りも不要と、コザクラは断った。
すぐに戻ってくるから、大げさにしないでいいと。
「なのに、どうしてついてくるのです?」
「クリス達に言われたからな」
すったもんだの末、ヨシタツが代表して街の門まで見送ることになった。
隊商に同行させてもらうからと、コザクラは荷物一つ持っていない。
「それで? 今度は何を企んでいるんだ?」
「実は、お見合いのための帰郷なのです」
「見合い相手は、とんだ災難だな? もうちょっとマシな嘘を吐け」
他愛のない掛け合いをしながら、二人は街中を歩く。
進むにつれて行き交う人々が増え、会話が途切れた。
もちろんヨシタツは、コザクラの言葉を欠片も信じていない。
彼女、あるいは彼女達に家族などいないことぐらい察している。
ヨシタツが沈黙していると、コザクラが口を開いた。
「でも今回は、ほんとに何もないのですよ?」
「それを信じろと?」
「ヨシタツはうたぐり深いのです」
うろんげな眼差しを向けられ、コザクラは口を尖らせる。
「まあ、あれだ。俺に出来ることがあるのなら、手伝うぞ?」
「どういう風の吹きまわしなのですか!?」
ヨシタツの台詞が意外だったのか、コザクラがギョッとする。
「気の迷いだ」
即答してから、ヨシタツは肩をすくめてみせる。
「だけど、助けが必要な時は呼べ」
空を見上げると、ぶっきらぼうに告げる。
「どこへでも駆け付ける」
「……ほんと、大したことじゃないのです」
コザクラは手のひらをヒラヒラさせ、
「しばらく惰眠をむさぼるだけなのです」
いつも通りじゃないかと突っ込みかけて、ヨシタツは首を傾げる。
「そういや最近、寝不足みたいだしな」
「ヨシタツが夜、寝させてくれないからなのです」
「おい、下ネタをリリちゃんに吹き込むんじゃないぞ?」
するとコザクラが不憫そうな眼差しで、
「まさか、キアラちゃんが本気にするとは……」
「あの子に言ったのかひょ!?」
舌を噛むほどの苦手意識が、キアラに対して芽生えているらしい。
「おいこら戻るぞ! ちゃんと誤解を解いておけよ!」
コザクラを引き留めようと、ヨシタツが手を伸ばした。
ぴゅっと逃げ出したコザクラが、十字路の真ん中で振り返る。
「ここまでで、いいのです」
交差する人の群れの真ん中で、彼女は明るく笑う。
「…………ああ、気をつけてな」
立ち止まったヨシタツが、コザクラをジッと見詰める。
軽く手を振ってから、少女は雑踏の中に消え去った。
◆
それから程なくして、彼女の姿は暗闇の中にいた。
隠された入り口から地下に降り、真っ暗な通路を進む。
やがて彼女は、広い空間に出た。
明かりがあれば、石造りの棺桶が列をなしているのを目にするだろう。
そこは弔う者も既に絶え、忘れ去られた地下墓所である。
その一番奥にある祭壇に向かって、彼女はフラフラと進んだ。
祭壇の許にたどり着くと、今度は供物を捧げる台座をよじ登る。
「ふわあー!」
ようやく登頂を果たし、コザクラは大きく伸びをした。
『うまくヨシタツを撒けたみたいね』
第二人格【預言者】の姿が、幻灯スキルによって宙に現れる。
「当然なのです!」
別れた直後から、ヨシタツは周辺区域に探査スキルを展開した。
あからさまに様子が怪しいコザクラを野放しにするほど、うかつな男ではない。
しかしコザクラもヨシタツの行動は想定内、様々なスキルで行方を偽装した。
今頃は、囮にされた通行人を追っているだろう。
騙されたと気付いた時には、もう手遅れだ。
「まったく、ヨシタツにも困ったものです」
ぼやきながら、彼女は台座に身体を横たえる。
『あんな見え透いた作り話をするからでしょうに』
他の者ならともかく、ヨシタツを騙せるはずがなかったのだ。
『まあ? 心配してほしくて、わざと気を惹いた気持ちは理解できるけど』
預言者は呆れ半分、からかい半分に笑って見せた。
すると台座の端っこに、第三人格【要塞】が姿を現す。
彼女は両手で頬を押さえて足をばたつかせ、クック―とはしゃいだ。
姉妹よりも近しい彼女達に、嘘や誤魔化しは通じない。
『あっ! こらっ!?』
{ク――ッ!?}
預言者と要塞を強引に巻き込み、コザクラは内面世界に没入した。
無数の光点が銀河のように流れる天空と、全てを原初に還す混沌の海。
その狭間に、コザクラの三つの人格が降り立つ。
天上を覆う光点の集合体は、天啓スキルが示す未来航路のイメージだ。
光点の一つ一つが様々な事象を表し、遥か刻の彼方へと続く道標となる。
しかし運命を司る銀河は、所々を死斑のような黒い影に蝕まれていた。
幾つもの星々が墜落して、完全であるべき未来航路に欠損が広がっていた。
『綺麗でしょう?』
丹精込めて手入れをした花々のように、預言者が自慢する。
混沌へと降り注ぐ流星群を観測し、彼女は微笑んでいた。
未来へと連鎖する天空の星々を、ことごとく墜とすこと。
そうして、あるべき形の未来を破壊し、混沌の海へ沈めてしまう。
それこそが、天啓スキルを得た少女の使命であった。
そのために少女は、人間社会に様々な形で干渉する。
時に紛争を助長させて被害を拡大させ、あるいは失われるはずだった命を救う。
また親友を案じる少女に暗示を与え、逆の行動を促すこともあった。
『ほら、あれ!』
預言者が、混沌の海へと墜ちてゆく流れ星の一つを指し示す。
『これで*****は、覚醒しないでしょう』
彼女の意識の一部に、ノイズが走る。
預言者は、抹消された事象について言語化できない。
『*****による****は、完全回避ね』
キアラという少女の将来が変わり、彼女は嬉しそうだった。
「…………だけど、やっぱりアレは消えないのです」
しかしコザクラは、冷静に指摘する。
三つの人格が意識を向けた先に、燦然と光を放つ極星があった。
『…………特異点』
預言者は忌々しげに極星を睨み据える。
極星は未来を決定づける、特異点発現の予兆だった。
彼女達の干渉は、近い将来に大きな変化をもたらした。
しかし遥か遠い未来に、ほとんど影響を与えていない。
それは川の流れを堰き止めるようなもの。
いずれ溢れ出すか、脇に逸れて本来の流れに戻ってしまう。
歴史に大転換をもたらす、特異点。
未来に壊滅的な影響を及ぼすには、それを阻止するしかない。
{くっくるー?}
『…………そうね。わたし達に特異点の発現は阻止できない』
要塞の指摘を、預言者が渋々認める。
特異点の発現を妨害するため、そこに至る道標を幾つも打破してきた。
しかし結局、新たな道標が発生して特異点に結びついてしまうのだ。
『天啓スキルの裏をかこうとしても、手掛かりすら得られないし』
特異点がいかなる事象か、事前に判明すれば手の打ちようもあるだろう。
しかし逆理の法則によるのか、天啓スキルはその正体を明らかにしない。
『…………だけど、彼だったら』
この世界に本来存在しない、未来航路外からの侵入者。
預言者の予想と企てを越える、不確定要素。
『ヨシタツなら、きっと特異点を阻止してくれる』
預言者は挑むように、特異点の予兆を見上げた。
要塞の姿が、陽炎のように揺らめく。
輪郭を保てなくなり、存在感が希薄になった。
『無理しないで、先に上がりなさい』
そう勧めてから、預言者は申し訳なさそうに付け加える。
『もしもの時は、お願いね?』
要塞は儚げな笑みを浮かべ、溶けるように掻き消えた。
『…………あの子に、一番辛い役目を負わせることになるのかも』
「しかたないのです」
そして預言者の姿も、同様に揺らめき始めた。
『そろそろ、わたしも限界みたいね』
数日前に彼女達は、仮死スキルを発動した。
現状で打てる手を全て打ち、出来ることは残っていないからだ。
むしろ未来を垣間見る自分たちの存在は、不測の事態を起こしかねない。
そのような状態になると、彼女達は自分自身にかりそめの死を与えてきた。
仮死スキルは生命活動と加齢を完全に停止してしまう。
だから彼女の肉体年齢と主観的な人生の経過時間は、一六年しかない。
しかし仮死を繰り返す内に、時代は目まぐるしく過ぎ去ってしまった。
見知った子供が、数日後には老衰で亡くなってしまう。
そんな感じの経験を、数え切れぬほど味わってきた。
『黄泉の眠りは、これが最後ね』
次に目覚めた時、全ての決着がつくだろうと預言者が告げる。
たとえ使命が成功しようと失敗しようと、だ。
『それじゃあ、お先に』
そう言い残し、預言者も姿を消した。
独り残されたコザクラは、満天の星を仰ぎ見る。
「――――そうそう思い通りにいくのか、なのですよ?」
預言者と要塞が完全に眠りに落ちた今、聞き咎めるものはいない。
彼女達に嘘や誤魔化しは通じないが、隠し事は可能なのである。
特異点の発現を、不確定要素であるヨシタツが阻止する。
預言者の予測は、かなりの希望的観測に基づいていると感じていた。
そして【直感】である彼女は、全く逆の可能性に気付いたのである。
それはヨシタツが特異点を守り、あるべき未来を選択することだ。
彼女の特性である直感では、論理的な説明はできない。
なんとなくとしか、言い様がなかった。
しかしヨシタツの決断次第では、彼と戦うことになるだろう。
彼女の脳裏に、あの日の光景がよみがえる。
ギルドの訓練場で、ヨシタツがカティアから訓練を受けている。
冒険者筆頭に叩きのめされ、彼は何度も地面に這いつくばった。
野次馬達の嘲笑も密かな声援も無視して、彼は黙々と立ち上がる。
そんなヨシタツの姿を見守りながら、彼女は死の予感を覚えた。
――自分達を殺し得る、対等の存在。
その出現に、彼女は胸をときめかせたのである。
あの日の予感が、ついに実現するのかもしれない。
仮死スキルのせいで、睡魔は耐えがたい程になっている。
ここにはいない男の顔を想い描きながら、
「おやすみ、ヨシタツ」
冷たい地下墓所の闇の中、少女の鼓動は緩やかに停止した。
*
インターバル編は、これにて完結