二人の夜話
それは、後日のこと。
シルビアとカティア。
夜もだいぶ更けた刻限、他の者達が寝静まった夜半。
居間で女二人が、酒を酌み交わしていた。
その時、酔った頭にふと浮かんだ疑問を、シルビアが口にしたのである。
「どうしてヨシタツさんを、うちの宿に連れてきたの?」
シルビアの脳裏に、初めて出会った時のヨシタツが映る。
それなりの時間が経過した今でも、鮮やかに憶えている場面だ。
カティアに伴われて宿を訪れた彼の姿は、凄惨の一言に尽きた。
幽鬼のように青白く、乾ききった皮膚。
やつれて削げた頬に、べっとりと貼り付いたみたいな陰影の不気味さ。
生気というものが抜け落ちて、まるで墓場から蘇ったばかりの死者のようであった
人間性が欠如した、虚ろな眼差しに、シルビアは怖気を振るってしまった。
その時、シルビアの傍らには、娘であるリリもいた。
人懐っこく物怖じしない性格の娘が、母親の背後に隠れてしまった。
それほど当時のヨシタツは、人を不安に陥れる雰囲気を放っていたのである。
「拾ってきた」
シルビアが視線で問い質せば、カティアは事もなげに告げる。
「こいつを宿で預かってくれ」
カティアの頼みに、シルビアは押し黙った。
いくら宿を営んでいるとはいえ、年頃の娘がいるのである。
あからさまに不審な人物を、同じ屋根の下に泊まらせるのに抵抗があった。
そんなシルビアの心情を察したのだろうか。
ヨシタツの口元が、ほんの微かに歪んだ。
それは嘲笑とも憎しみともつかない、複雑な感情の表れであった
その表情に、シルビアは胸を衝かれる。
見覚えがあるような気がして、記憶が切なく疼いた。
拗ねているのだと、そんな風にさえ感じてしまった。
そして自分と同年代の男に、迷子のような頼りなさを覚えたのである。
気付いたら、承諾の言葉を口にしていた。
その日からヨシタツは、彼女の宿泊客になったのである。
「他にも宿はあったでしょう? どうして、うちの宿に連れて来たの?」
しかし、思い起こせば不可解な出来事だった。
カティアは常日頃から、自分と娘の安全に気を配っている。
それなのに身元不明の、怪しげな風体の人物を宿の客として連れて来た。
カティアらしくないと、今さらながら訝しく思ったのである
「ヴェルフに、似ていたからな」
カティアは、手にしたカップを揺らしながら答えた。
亡き夫の名を持ち出され、シルヴィアは意外の面持ちで目を瞬く。
「もちろん、顔立ちや立ち振る舞いじゃない。だが、なんというか」
カティアは、低い声で呟く。
「二人とも、脆くて傷付きやすいところが似ている、気がした」
ああ、そうか。カティアに指摘され、シルビアも腑に落ちた。
初対面のヨシタツに感じた、奇妙な既視感の理由を悟ったのである。
「それに二人とも悪い意味で生真面目で、危なっかしいだろ?」
「そうね。うっかり目を離すと、どこまでも坂道を転げ落ちそうよね」
ヴェルフと同じ、そんな危うさを感じてしまった。
だから、彼を受け入れたのである。
「この街に来る途中で、あいつは一度、壊れてしまったんだ」
遠い眼差しで、カティアは語る。
「ヴェルフの時と同じだ。わたしには、手の施しようがなかった」
カティアが、皮肉気に笑った。
「わたしは、弱い人間の気持ちが理解できないから」
「カティア…………」
「手遅れになるまで、二人の絶望に気付くことができなかった」
そういう一面もあるかもしれないと、シルビアは感じている。
幼い頃には、既にカティアは戦いの場に身を置き、著しい成長を強いられてきた。
つまり弱者であることを許された時間が短いということだと、シルビアは思うのだ。
だから、弱者の心情に疎いというのも、仕方がないことなのである。
なのに、そんな自分の一面を、カティア自身は恥じている。
シルビアが愛おしく思っている、数少ない彼女の弱さであった。
「ヴェルフと同じように、あいつを治せるのはシルビアしかいないと思った」
だから、シルビアに託したと、カティアは語る。
親友の信頼に、シルビアは悲しげに目を伏せる。
「でも、わたしのせいで、あの人は」
「ヴェルフは、幸せになれた」
シルビアの悔恨に被せ、カティアは断言する。
「シルビアと出会わなければ、ヴェルフはためらいなく王家を打倒していたはずだ」
「…………」
「だが、彼にとって玉座は意味をなさない。最終的には、戯れに王国を崩壊させていたはずだ」
「だけど、それでも、わたしは」
生きていてほしかったと、消え入るような声でシルビアが囁く。
「虚しい玉座より大切なものを、シルビアを得られた。ヴェルフは、幸せになれたんだよ」
カティアは優しい眼差しで言葉を続ける。
「それにヨシタツの存在は、シルビアの救いになるかもしれないと思った」
「わたしの?」
「ああ。もう一度、ヴェルフに似た人間と出会い直せば、何かが変わる」
カップの酒を呷り、カティアはふっと笑みをこぼす。
「そんな期待があったのだが…………」
イタズラっぽい眼差しで、年上の親友を見詰める。
「ちょっと、予想とは違う結果になったな」
ヴェルフに似た人間が霊薬を手に入れ、差し出せば、シルビアも受け入れるかもしれない。
そんな一縷の望みから、カティアはヨシタツを頼ったのである。
シルビアが、子供っぽく口を尖らせた。
ヨシタツに徹底的にやり込められた出来事を、思い出したのだろう。
彼女の珍しい表情を見て、くつくつと笑うカティア。
あそこまでシルビアが男に翻弄されたことなど、記憶になかったからだ。
「…………いつかぜったいに、仕返しをしてやるわ」
不穏な口調で呟くと、シルビアがカップの酒を一気に呷った。
空になったカップに、手酌でドボドボと酒を注ぐ。
「そんなに怒らんでも」
「――――怒っていないわよ」
ぐびっと、シルビアは注いだばかりの酒を飲み干す。
「あれは芝居だったと、すぐに気付いたわ」
「ふむ? どうして分かったんだ?」
「ヨシタツさんが、すぐに眠りこけたからよ!」
あの時、怒りと憎しみに囚われていたシルビアは、低い寝息を耳にした。
何事かと振り向けば、ヨシタツが背中を丸め、眠っていたのである。
ベッドを這って下から覗き込めば、安らかで幸せそうな寝顔があった。
あまつさえ、涎まで垂らしながらの、熟睡ぶりである。
それを見て、彼女はすぐさま悟ったのだ。
自分が、欺かれていたことを。
それを聞いたカティアは、あいつは詰めが甘いと苦笑する。
本当の悪人なら、敵にまわした相手に無防備な姿を晒すはずがないのだから。
空になったカップから脇に置き、シルビアは酒の瓶を手にする。
「どれほど彼が傷付いていたのか、わたしが理解できないと思っているの! 舐めているの!」
瓶の口から直接、ぐびぐびと酒を喉に流し込んだ。
「ぷはっ! 惚れてもいない女のために!」
「お、おい?」
「捨て身になって嘘を吐き、憎まれながら騙し続ける覚悟をするなんて」
じろりとシルビアに睨まれ、ちょっと引いてしまうカティア。
「馬鹿なのっ! あの人はっ!!」
ドンッと、酒瓶をテーブルに叩きつける。
カティアが――――冒険者筆頭が、ビクッと肩を竦めた。
「しまいに、守ってやるなんて言われたら…………」
もう、どうしようもないじゃない。
シルビアが、肩を落として嘆息する。
「うんうん、まあ、夜中だから、あまり大声を出すなよ?」
「出してにゃいわよ!」
あっ。もう完全に駄目な流れだと、カティアは察した。
シルビアが、全力で酔っ払えばどうなるのか。
長い付き合いから、カティアは学習していたのである。
「カティア! あんたもにぇー!」
「はいはい、ごめんなさい」
「ちゃんと聞きぇー!」
これは朝方まで続きそうだなと、カティアは観念した。




