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挿話の17_王都後日譚

 その少年には、幼少時の思い出がなかった。

 生まれ育った故郷の風景、両親の面影さえ覚えていない。

 本人は、父母の記憶がないことを自覚していない。

 だから特に、悲しいとも辛いとも思わなかった。


 少年の記憶は、蛇の迷宮の奥深くから始まっている。

 醒めぬ悪夢を抱えたまま、少年は朽ちた屋敷の片隅で生きてきたのだ。


「キール君」

 少年のことを、ヨシタツはそう呼んだ。

 自分の名前がキールであることを、少年は数年ぶりに思い出した。


 当初、キールにとってヨシタツは不可解な存在だった。

 自分でも忘れていた名前を、当たり前のように知っていたこと。

 食料をくれたこと、眠っている自分にローブを掛けたこと。

 身体の痛みをたちまち癒し、身体を洗い流して綺麗にしてくれたこと。

 彼が引き合わせた人間達が自分の髪を撫で、柔らかい服を着せたこと。

 それら全てが、キールの理解の範疇を越えていた。


 キールは、ヨシタツに恐れを抱いたことがあった。

 追い詰められると、キールは自分の中にある力に(すが)る。

 それはスキルというものだと、後にヨシタツに教えられた。

 キールは自分を脅かす存在を、そのスキルによって追い払うことができる。

 襲い掛かる人間や魔物達は、毒の障壁を前に退くしかなかった。

 唯一の例外は、マスター・ジェフティだけである。

 彼を恐れるあまり、心が挫けて抵抗の意思を失ってしまうのだ。

 しかし一旦スキルを発動させれば誰も近寄れず、触れることもできない。

 スキルの防御が絶対であると、キールは信じて疑うことがなかった。


 それなのにヨシタツは、全力で張り巡らせた毒の障壁を一顧だにしなかった。

 誰にも侵されたことのない聖域に踏み込まれ、キールは心の底から怯えた。


「君を守ってみせる」

 迷宮での体験を思い出し、恐怖にすすり泣くキールの背を、ヨシタツはそっと撫でた。

 大きくて、温かい手だった。

 触れた部分から、じんわりと温もりが伝わり、次第にキールの恐怖心を溶かしていく。

 それだけではない。その優しい感触に、キールは既視感を覚えた。

 失った記憶を懸命に掘り起し、ついにキールは閃いた。

 なぜヨシタツが自分の名を知り、温かく包み、お腹を満たし、優しくするのか。


 幾つもの謎が解けた瞬間、希薄だったキールの世界に色彩が戻った。

 長く続いた悪夢が、ようやく終わりを告げたのである。




 キールは目を覚ますと、むくりとベッドで起き上がった。

「…………」 

 寝ぼけ眼で、きょろきょろと左右を見回す。

 夢の残滓は急速に薄れ、次第に頭がはっきりしてきた。

 ふとヨシタツの不在を思い出し、キールは寂しさを覚える。

 しかしキールは、寂しいという感情が嫌いではなかった。


 それに四人の姉達は、いつかヨシタツの許に連れて行くと、キールに約束している。

 ――だけど今はちょっと難しいから、良い子にして待っていなさい。

 そう慰めると、姉達は代わりばんこにキールの頭を撫でた。

 姉達の名前は、ヘレン、レジーナ、サーシャ、トルテ。

 ヨシタツがいない間、彼女達はキールの姉代わりになることを表明。

 お姉ちゃんと呼びなさいと命じられ、キールは素直に従っている。


 キールが欠伸を漏らすと、騒がしい声が聞こえてきた。

 誰かが言い争っている気配に、彼は耳をすます。

 以前の彼ならば、異常を察知すれば即座に逃げ隠れしたであろう。

 しかし最近のキールは警戒心が薄れ、好奇心が目立つようになっている。

 寝間着のまま部屋を出たキールは、不用心に騒ぎの聞こえる方へと歩き出した。


      ◆


 譜第貴族の次女が街中で暮らすとなれば、アパートにもそれなりの格式が求められる。

 身分ある客が訪れることを考慮し、玄関ロビーは広くて豪華な造りになっていた。


 しかしその日、玄関ロビーに迎えた連中は、貴族でも上流階級の人間でもない。

 襟元に徽章が光る黒い外套をまとった、内務卿直属の保安隊五名だった。

 彼らは玄関の鍵を打ち壊し、アパートに踏み込んだのである。


「無礼でしょう! 早々に立ち去りなさい!」

 異変を素早く察知したヘレンが、奥に押し入ろうとする保安隊の前に立ちはだかる。

 遅れてレジーナも、サーシャとトルテを左右に伴って玄関ロビーに出てきた。

 無断で自宅に侵入した保安隊に対する彼女の眼差しは、見下すように冷やかだ。

「この家は、あなた方のような人間が立ち入っていい場所ではありません!」

 下賎の輩と直接口を利かせまいと、主人になり代わってヘレンが矢面に立つ。


「我々は、ある危険人物を探している。そいつは王都に重大な被害をもたらす可能性がある」

 しかし保安隊の隊長と思しき男は、レジーナの刺すような視線にも(ひる)むことはない。

 居丈高な態度のヘレンに対して、不愛想な口調で答える。

「ここに匿われていることは調べがついているのだ。家探しさせてもらうぞ」

「無礼でしょう! そのような胡乱な者など、ここにはおりません!」

 まなじりを吊り上げ、言い返すヘレン。

「そもそもあなた方は、どのような権限でここを捜査するつもりなのですか?」

 サーシャが話に割り込むと、保安隊のリーダーは鼻を鳴らした。

「答える義務はない」

「貴族の家に令状なく押し入るのは、違法行為ですよ?」

 サーシャは、念を押すように訊き返す。

 保安隊は内務卿直轄の組織だが、貴族に対する捜査権などない。

 王都の貴族を取り調べるには、枢密院の令状が必要なのである。


「レジーナ嬢は、貴族ではない」

 サーシャの指摘に対する、隊長の答えは簡潔だった。

「彼女が勘当中であることは確認済みだ。今の身分は一介の庶民と変わりがない」

「そんなものが建前であることは、周知の事実です!」

 サーシャは反論するが、内心で舌打ちする。

 現在、レジーナはスターシフの家門から除籍された状態である。

 レジーナの勘当は、他家の子息に暴行を働いたことへの懲罰的な意味合いがあった。

 しかしそれは、あくまで世間体を配慮したものだ。

 スターシフ家の現当主で、レジーナの兄であるカルドナは、彼女の勘当を解く心積もりでいた。

 それを拒絶しているのは、レジーナ自身なのである。

 一旦実家に戻れば、当主であるカルドナの意向を無視できなくなる。

 カルドナが、匿っているキールをどのように扱うのか。

 その点を懸念して、彼女は実家から独立状態を保っているのだ。

 それを逆手にとられたと、サーシャは歯噛みした。


「もし異議があるのならば、そちらの御当主から内務卿に、直接に問い合わせればいい」

 隊長はヘレンの肩越しにレジーナを見遣り、皮肉気に笑う。

 キールの身柄さえ確保できれば、後はどうとでもなる。そんな内心が透けて見えた。

「手荒な真似は好まない。そこを退いてもらおう」

 隊長の通告に対し、ヘレンは背筋を伸ばして一歩も引かぬ構えだ。

「わが主の許しなくば、何人たりともお通しできません」

 彼女の言葉に、隊長は後ろにいる部下達に顎をしゃくる。

 四人の隊員は警棒を引き抜くと、一歩踏み出して身構えた。

 彼らの威嚇にも、ヘレンはたじろいだ様子を一切見せない。

 彼女の陰で、トルテがスカートの裾をめくり、隠してある武器を引き抜こうとした。


「ダメッ!」


 その時、自室から玄関ロビーに到着したキールが、悲鳴じみた叫びをあげる。

 彼はヘレンに駆け寄ると、保安隊の前に両手を広げて立ちはだかった。

「ダメ! ダメ!!」

「キール!?」

「キール! 戻りなさい!」

 ヘレンが驚き、レジーナが慌てて呼び戻そうとする。

 キールの顔を見た保安隊の一人が、隊長に耳打ちする。

 隊長が頷くと、別の隊員が駆け寄り、ためらいなく警棒で打ち掛かった。

 スキルを発動する前に、相手を気絶させる。スキル所持者に対する、保安隊の常套手段だ。

 キールは青褪めながらも、目を逸らさない。

 唇をキュッと引き締め、襲い掛かる隊員を睨みつけた。

 キールの額に打ち下ろされる警棒――――それを寸前で掴む手があった。

「…………おい、てめえ」

 ドスの効いた、低い声が響く。


「なにウチの子に手エ出してんたゴラアッ!!」


 隊員の手からもぎ取った警棒を、横薙ぎに一閃した。

 横っ面を警棒で殴られた隊員が、その衝撃で吹き飛ぶように横転する。

 床に転がった隊員は、白目を剥いて気絶した。

 キールを背後に隠したヘレンが、凄まじい形相で保安隊を睨み付ける。

「この子に手を出してみやがれ! ただじゃおかねえからな!」

 彼女は警棒を両手で掴むと、《剛腕》のスキルで軽々とへし折った。


「ヘレン?」

 荒ぶるヘレンを、女主人が穏やかな声でたしなめる。

「スターシフに仕える者が、そんな野卑な言葉遣いをしては駄目よ?」

 レジーナの言葉に、ヘレンが平静さを取り戻す。

 咳払いする彼女の頬が、ちょっと赤い。

「失礼しました、お嬢様」

「あくまで優雅に、品位を忘れずにね?」

「畏まりました。では一人当たり三本ぐらいなら、いかがでしょうか?」

 ヘレンが保安隊の面々を見据えながら、主人にお伺いを立てる。

「そうねえ、その位なら礼儀にかなっているかしら?」

 腕を組み、指先を顎に添えたレジーナが、首を傾げて考え込む。

 夜会に出席するためのドレスを選ぶような、そんな軽い感じだ。

「招かれざる客をスターシフがどう扱うか、身体に教えて差し上げなさい」

「承知しました、お嬢様」


 ヘレンは髪を束ねているスカーフを解くと、右の拳に巻く。

 それから人差し指を招くように振り、保安隊を挑発した。

 両者睨み合い、一発即発の危機的状況になった。


「待つがよいっ!!」


 鍵が壊され、開け放たれたままの玄関のドアから、闖入者が飛び込んだ。

「双方引け! この場は、わたしが預かる!」

 白い髪に赤い瞳、肌も静脈が透けるほどに色素が抜けている。

 そして顔の上半分を、鳥の翼を模したマスクで隠した、怪しい風体の女性だ。

「アッシーッ!?」

「いや? わたしはアステルではないぞ?」

 堂々としらばっくれた彼女は、くいっと白い翼のマスクを指先で押し上げる。

「わたしは、そう――――通りすがりの星乙女だ!」


 玄関ロビーに、形容しがたい空気感が漂う。

 ドアの陰に隠れている監視人が、頭を抱えてしゃがみ込んだりした。

「さて、保安隊の隊長よ。この傍若無人な行いは、いかなる所存か!」

 星乙女(アステル)に指を突き付けられた隊長が、うろたえる素振りをみせた。

「どうして、あなたが――――」

 何事か言い掛けた隊長が、内心の動揺を押し殺して答える。

「我々は任務に従い、そこの危険人物を捕縛しにきました」

「――――ふむ」

 隊長が指差した少年に、星乙女が目を向ける。

「甲種指定スキルの持ち主です。野放しにしては、いずれ王都に害を及ぼします」

「それは聞き捨てならんな」

 保安隊の主張に星乙女が頷くと、レジーナが猛然と反論した。

「アッシー! 誤解よ! この子は、そんなことしないわ!」

「わたしはアステルではないが、保安隊の訴えが真実ならば看過できん」

 星乙女は保安隊の中を突っ切ると、ヘレンの前に立つ。

 彼女に手招きされたキールは、素直にヘレンの背中から出てきた。

 そして臆することなく、彼女の赤い瞳を覗き込んだ。

「立場上、王都に危機をもたらす輩を見逃す訳にはいかん」

「止めてアッシー!」

 親友の意図を察したレジーナが、前に出ようとする。

 それを手で制し、星乙女が問い掛けた。

「心して答えよ、そなたは自らのスキルを用いて、王都と民に害を為すつもりか?」

「…………」

 星乙女の問いに、キールは何も答えない。じっと見返すだけだ。

「どうした、そなたは自身の潔白を訴えぬのか?」

「…………なに?」

 どうやら言い回しが小難しかったようで、キールは小鳥のように首を傾げる。

 星乙女は腕を組み、顔をしかめて考え込む。

 やがて、やや気恥ずかしそうに言い直した。

「あのね? 君はスキルで、他人を傷つけるつもりがあるのかな?」


「しない、そんなこと」


 一瞬の躊躇もなく、キールは即答した。

「ダメだって、言われた。スキルで、人をキズつけない」

 誇らしげに胸を張り、彼はヨシタツの教えを披露する。

「人にやさしいこと、思いやること、りっぱな大人になること」

 指折り数えるキールを、星乙女を無言で見守る。

「でも、女の人はまもる、たたかう」

 最後に告げたキールの言葉には、強い意志が込められていた。

 それを聞いて感極まったヘレンが、背後からキールをぎゅっと抱き締めた。


「この少年は、無実である。よって、そなたたちの訴えは退けられた」

 星乙女は振り返り、厳かに宣告した。

 隊長の顔に、様々な感情がせめぎ合う。

 わずかな逡巡の後に、警棒を引き抜いて号令する。

「――――突撃!」

 命令一下、保安隊は即座に包囲を展開。

 訓練された巧みな連携で、彼らは同時攻撃を仕掛けた。


星の乙女(アストライア)


 その現象をイメージ化すれば、次のような光景になる。

 彼女の背後に出現した、白い髪と紅い瞳をした人型スキル。

 ゆったりとしたローブのような本体に、波うつ裳裾。

 異形ながらも、神々しさを兼ね備えた姿をしている。


 その周囲に展開するのは、白銀に輝く無数の剣。

 白銀の剣は反転して狙いを定めると、一斉に掃射された。

 飛来する白銀の剣に、次々と貫かれる保安隊。

 胸を、腹を、腕を、脚を、全身を針山のように白銀の剣が突き刺さる。

 しかしながら剣が貫いた箇所からは、一滴の血も流れることはなかった。


 突然、身体が硬直した隊長と部下達は、驚きに目を瞠る。

 飛び掛かろうとした格好のまま凍り付き、幾らもがいても腕一本動かせない

「真実を守護し、貫くための力。罪無き者に夜明けをもたらす希望の輝き」

 身動きできない保安隊に、星乙女は大義を知らしめる。

「理不尽な運命を切り裂く、これが真実の剣だ」

 かつて大惨事を引き起こした、《星の乙女》のスキル。

 それを完全に制御できるようになった彼女は、血を流すことなく保安隊を無力化した。


「さて、大人しく退散すると約束するなら、拘束を解こう」

 彼女が降伏を促したが、隊長は未だ諦めずにいた

 油断ない目付きで周囲を探り、状況を打破する機会を伺った。


「…………何をやっているのですか、あなた方は」

 今度は何者だ。背後からの新たな声に、隊長は辛うじて動く首を巡らした。

 そして玄関に立つ二人の人物を認め、驚愕する。

「リュミエル殿下! それに――――」

 王女リュミエルと、戦鬼リオンの姿があった。


 玄関ロビーをぐるりと見回すと、リュミエルは呆れ果てた顔になる。

「アステル殿。穏便に済ますから任せろと、言ってませんでしたか?」

 保安隊員達は片足を上げていたり、あるいは前傾姿勢と、様々な格好で固まっていた。

 ちょっと滑稽で、そういうパフォーマンスなのだと言われると納得してしまいそうだ。

「わたしはアステルではないが、穏便であろう?」

 星乙女は悪びれず、腕を組んで言い放つ。

 嘆息したリュミエルが、隣のリオンに目配せする。

 無言で促されたリオンが、オブジェと化した保安隊の中を通り抜ける。

 彼は星乙女と並ぶと、キールを見下ろした。

「――――彼は、危険なスキルなど所持していない。完全に無害な子供だ」

 しばらく凝視していたリオンが、きっぱりと告げる。

「そんなバカな!」

 隊長が叫ぶと、リオンは面倒臭そうにため息を吐く。


「俺とアステル。保安隊の部隊長ならば、俺達が誰だか知っているだろう?」

 うんざりした顔で、リオンが尋ねる。

「俺達二人が揃って保証しているのに、それを疑うのか?」


 並び立つ戦鬼リオンと、星の乙女アステル。

 ――――対女帝組織、十人委員会。

 そのメンバー二人に見据えられ、隊長はごくりと喉を鳴らした。


「…………し、しかし」

「その方が、あなた達にも好都合ではなくて?」

 弱々しく反論しようとする隊長に近付き、リュミエルがそっと耳打ちする。

「仮にあの少年が、本当に甲種指定スキルの持ち主だとしましょう。だとしたら彼を取り逃がし、数年間も放置していた責任を、誰が負うのでしょうか?」

 彼女の言葉に、隊長の顔面が一気に蒼白となる。

 額にじっとりと汗を浮かべる彼の横顔を覗き込み、リュミエルは囁く。

「ですが、彼が人畜無害な人物ならば、内務卿と保安隊の地位は安泰でしょう?」

 追い詰められた隊長の耳に、彼女の声が悪魔の囁きのように響いた。

 誰にも聞こえないように、彼女は言い添える。

「もし問題が生じれば、十人委員会が責任を負う。それでいいではありませんか?」


      ◆


「アッシー、助かったわ」


 意気消沈した隊長が、部下を引き連れて立ち去った後である。

 レジーナが感謝の言葉を述べると、星乙女は大したことはないと首を振る。

「わたしはアステルではないが、気にするな」

「そうでしたね、星乙女様でしたね、ありがとうございました、星乙女様!」

 とうとう諦めたレジーナが、適当に流す。

「うむ、ようやく納得したか。それでは失礼する! 少年よ、精進致すがよい!」

 次いで星乙女は、リュミエルとリオンに会釈する。

「二人にも感謝を。借りはいずれ」

 ――では、さらばだ。

 星乙女は、呆れる衆目に気付かず颯爽と立ち去った。


 微妙な雰囲気を振り払うと、レジーナはリュミエルに対し膝を折った。

「リュミエル殿下、お初に御意を得ます。スターシフ家当主、カルドナの妹、レジーナにございます。この度は当家に御助力頂き、感謝の言葉もありません」

 ヘレン達も王族に対する敬意を示し、深々と頭を垂れた。

「わたしは微行中、あなたは勘当中の身。互いに堅苦しい挨拶は抜きにしましょう」

 リュミエルはレジーナの手を取ると、柔和な笑みを浮かべた。

「たまたま保安隊の動きを耳にして、面識のあるアステル殿にお話ししただけですから」

 レジーナはさらに、リオンにも謝意を示す。

「そちらの方も、ありがとうございました。お名前を伺ってもよろしいでしょうか」

「名乗るほどの者じゃない。気にしないでくれ」

 ぶっきらぼうに答えるリオンの態度に、ヘレンの眉がピクリと跳ねる。

 レジーナは彼の無作法を気にすることなく、やや前のめり気味に尋ねた。

「アッシー、いえ、アステル嬢とお知り合いのようですが、どのような関係ですか?」

「あー、冒険者ギルドで面識があってな」

 歯切れの悪いリオンの返事に、レジーナはギラリと目を光らせる。

「――――ひょっとして、アステル嬢と」


「単なる顔見知りだからな、レジーナ」

 ひょこっと、アステルが戻ってきた。例のマスクは、既に外してある。

 彼女の隣には、監視役のベリトが控えていた。

 彼は包装された箱を幾つも積み重ねて抱え、前も見えない状態である。

「アステルお嬢さん! もう下ろしてもいいですかね!」

 彼の苦情を聞き流し、アステルは非難がましい目をレジーナに向ける。

「誰彼構わず勘ぐるのは止めてほしい」

「あら、アッシー、戻ってきたのね」

「なんのことだ? わたしはいましがた到着したばかりだが?」

 真顔でとぼけるアステルを、キールを除く全員が白い目で見詰めた。


「そんなことより、祝いに来たぞ!」

「祝い?」

「そうだ、君の親族から教えてもらってな!」

 アステルが、満面の笑みを浮かべる。

「おめでとう! 結婚するそうだな!」

「うわあっ! 今頃になって!」

 悲痛な声をあげ、頭を抱えるレジーナ。

「これは結婚祝いの品だ、受け取ってくれ!」

 荷物を抱えたベリトが、よろよろと前に出る。

 今にも崩れそうな箱の山を見かね、ヘレン達が手分けして受け取った。


「違うのよアッシーッ!」

 面を上げて叫ぶレジーナを見て、アステルは首を傾げる。

「何がだ? そうそう、お相手は冒険者らしいな?」

「ちょっとした誤解なのよ。仕事絡みの相手で、そういう関係じゃないの」

 すぐに平静になったレジーナが、苦笑しながら打ち明ける。

「―――ふむ?」

 嘘ではないとアステルは判定したが、釈然としない様子だ。

「まったく。どうしてわたしが、あんな男なんかと――――」

 やれやれと、レジーナが肩を竦める。

「お嬢様?」

 そんな彼女の顔を、サーシャが覗き込む。


「顔が真っ赤ですよ?」


 ばっと両手で頬を押さえて隠すレジーナ。

「嘘ですよ?」

「サーシャ!!」

 レジーナが、裏切り者を怒鳴りつける

「…………やはり、別れ際のあの台詞が決め手でしたか」

 ヘレンが、嘆かわしいと首を振る。

「お嬢様、お幸せに」

 トルテは、わざとらしく目頭を押さえる。

「あなた達ねえ!」

「ほほう?」

 憤然とするレジーナに、にやりとアステルが笑い掛ける。

「それで、どんな男なのだ? 分かっていると思うが、わたしに嘘は通じんぞ、んん?」

「アステルお嬢さん、普段の仕返しとばかりに…………」

 ベリトが、呆れたように首を振る。

「わたしもぜひ、伺いたいですね」

 リュミエルが興味津々で身を乗り出すと、リオンが控えめに彼女の袖を引く。

 そんな王女に、サーシャが揉み手をしながら愛想笑いを浮かべた。

「いかがでしょう? 今ならお手頃価格で、お嬢様と相手の殿方の馴れ初めを、虚実入り混ぜて」


「ああもう!! いい加減にしなさい!」

 レジーナがドンと片足を踏み鳴らし、絶叫した。




 そんな大人達の騒動を見て、キールはニコニコと楽しそうに笑った。


      ◆


 キールは自室で、手紙を書いていた。

 ヨシタツがいる頃から、彼はサーシャから文字を教わっている。

 最近ではかなり上達してきたので、手紙を書く練習をさせられていた。

 相手はもちろん、ヨシタツである。

 手紙を送るのも難しい状況なので、実際には日記代わりである。

 遠くにいるヨシタツを思い浮かべながら、その日あった出来事をつづるのをキールは楽しんでいた。


 ヨシタツが側にいないのは、本当に寂しい。

 同時に、そんな感情が抱ける相手がいることに、キールは喜びを感じる。

 ヨシタツの存在は、寄る辺のないキールの心を支える大切な柱となっていた。


 どうしてヨシタツのことを思い浮かべると、安らぎを覚えるのか。

 どうしてヨシタツの手は温かく、自分を守ってくれるのか。

 その答えを、彼は既に得ていた。

 だからいつも、手紙の書き出しは、このように始まるのだ。



 おとうさんへ、と。


しばしの間、「異世界生活術」は、お休みを頂きたいと思います。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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